寵愛の花嫁は毒を愛でる～いじわる義母の陰謀を華麗にスルーして、最愛の公爵様と幸せになります～

社交界の恥と優雅な身のこなし

　ルーカス様がユーカ様の企みを暴き、私とリリアの無実を証明してくださってから、公爵邸には束の間の静寂が訪れていた。ユーカ様は北棟の別邸で謹慎している。物理的に距離ができたことで、私は久しぶりに心の底から安堵することができた。

「アエナ様、本当に良かったですね。これで、あの方の顔を見ずに済みます」

　リリアはそう言って、私の朝の支度を手伝いながら、心から喜んでくれた。

「ええ、リリア。でも、安心はできないわ。あの人は、諦めることを知らない。次に何を仕掛けてくるか、警戒を怠ってはいけない」

　私は、鏡に映る自分に、そう言い聞かせた。ルーカス様が守ってくださるとはいえ、私自身が隙を見せてはならない。私は彼の妻として、彼に恥をかかせないよう、常に優雅で完璧な公爵夫人でいなければならないのだ。

　その日の午後、私は公爵家の名代として、王都で最も権威ある侯爵夫人主催の慈善舞踏会に出席することになっていた。このような大規模な社交の場は、子爵家の娘だった私には、今でも少し緊張するものだ。

　ルーカス様は、私が会場へと出発する直前、私の部屋まで来てくださった。

「アエナ、今日は公務で君に付き添えない。申し訳ない」

「いいえ、ルーカス様。あなた様のお仕事が優先です。私は、あなた様の妻として、公爵家が恥じない振る舞いをいたします」

「ありがとう、アエナ。だが、何かあれば、すぐに私に連絡を寄越すのだよ。君は一人ではない」

　彼は、私の頬に優しく口付けをし、私を送り出してくれた。彼の愛情が、私にとって何よりのお守りである。

　豪華な馬車に揺られ、会場に到着した私は、多くの貴族たちの視線を感じながら、堂々と舞踏会場へと足を踏み入れた。

　舞踏会は、まさに社交界の華。華やかなドレスを身に纏った貴婦人たちが、優雅に談笑している。

　私は主催者の侯爵夫人に挨拶を済ませ、公爵夫人として求められる、適切な人々と挨拶を交わし始めた。

　そして、案の定、その場にユーカ様はいなかったが、彼女の息がかかった貴婦人たちが、私に冷たい視線を浴びせてきた。

　特に、ユーカ様の遠縁にあたるバート侯爵夫人、セリーナ様は、私を見ると、すぐに私に近づいてきた。セリーナ様は、王都でも悪名高い口の悪さで知られている。

「まあ、アエナ公爵夫人。お見かけしないと思ったら、公爵様抜きでいらっしゃったのね」

　セリーナ様は、私を上から下まで値踏みするように見つめながら、嫌味たっぷりに言った。

「セリーナ様、ご挨拶申し上げます。ルーカス様は公務でいらっしゃれないのですが、公爵家を代表して、慈善活動に協力させていただいております」

　私は、微笑みを崩さずに、丁寧にお辞儀をした。

「公爵家を代表、ですって。ふふ、貴女のような貧乏子爵家の出が、よくそんな大層なことを口にできるわね。聞いたわよ、貴女の侍女が公爵邸で窃盗を働こうとしたんですってね。公爵夫人の教育が行き届いていない証拠だわ」

　周囲の貴婦人たちが、ざわめきながら私たちを見つめる。これは、ユーカ様が、あの侍女の件を社交界に広めるように、セリーナ様に指示したのだろう。私を公衆の面前で晒し者にするのが、彼女たちの目的だ。

　私は、一切動揺しない。彼女たちの言葉を真に受けて、感情的になるのは、まさに彼らの思う壺である。

「セリーナ様、情報がお古いようですわね」

　私は、静かに、そして毅然とした口調で言った。

「あの件は、ルーカス様が既に公明正大にご裁定くださいました。私の侍女は無実であり、真犯人は、残念ながら別の人間でした。ルーカス様も私も、その者の嘘に騙された無実の侍女を、大変不憫に思っております」

　私は、あえて真犯人の名前（ユーカ様）を出さず、「別の人間」とぼかすことで、事態を穏便に収めようとした。

　しかし、セリーナ様は、私の言葉を遮って、さらに攻撃を仕掛けてきた。

「あら、別の人間、ですって。まさか、あの謹慎中のユーカ様のことかしら。貴女は、ご自身の立場を守るために、公爵家の年長者に罪をなすりつけるつもり？それは、あまりにも悪辣だわ」

「セリーナ様」

　私は、ここで初めて彼女を強い口調で制した。

「わたくしは、事実を述べただけです。ルーカス様のご裁定に、異議を唱えるのは、公爵家の主であるルーカス様ご自身に異議を唱えることになりますわ。セリーナ様は、公爵様のご判断を疑われるのですか」

　ルーカス様の名を出すと、セリーナ様は一瞬ひるんだ。公爵である彼の権威は、王都でも絶大だ。彼に逆らうことは、貴族社会での立場を失うことにもなりかねない。

「そ、そんなつもりはないわ。ただ、公爵様が、貴女のような若く美しい夫人に惑わされているのではないかと、皆、心配しているのよ」

「それは、ご心配ありがとうございます。ですが、わたくしとルーカス様との関係は、貴女様にご心配いただくほど、浅いものではございません」

　私は、そう言って、セリーナ様から視線を外した。

「さあ、セリーナ様。わたくしは、主催者様にご挨拶をしなければなりません。どうぞ、ごゆっくりお楽しみくださいませ」

　私は、彼女に背を向け、優雅にその場を立ち去った。

　私の華麗なるスルー術は、彼女の直接的な攻撃だけでなく、周囲に拡散しようとする悪意さえも受け流すことにある。私は、彼女たちの言葉を真正面から受け止めて反論するのではなく、ルーカス様の権威という名の盾を使い、彼女たちを静かに押し返すのだ。

　その後も、私は舞踏会で多くの貴族たちと交流し、公爵夫人としての役割を完璧に果たした。私の優雅な振る舞いは、セリーナ様の流した悪意ある噂を、その場で打ち消すのに十分だっただろう。

　舞踏会が終わり、公爵邸へと戻る馬車の中で、私はふと、あることに気づいた。

「（そういえば、セリーナ様がつけていたネックレス。あれは、少し前にユーカ様が、公爵邸の蔵から盗まれたと騒いでいたものと、そっくりだった）」

　私は、社交界でセリーナ様がユーカ様と親しいことを知っていた。ユーカ様は、自分を擁護してくれるセリーナ様に、あのネックレスを贈ったのだろうか。もしそうなら、ユーカ様は公爵邸の財物を私的に処分した、ということになる。

　公爵邸に到着した私は、すぐにルーカス様へ報告するための準備を始めた。

　ルーカス様が帰宅され、私たちは寝室で二人きりになった。私は、今日の社交界での出来事を全て、ルーカス様に報告した。セリーナ様とのやり取り、そして、セリーナ様が身につけていたネックレスについて。

「なるほど。ユーカ様は、自分の擁護者を作るために、公爵家の財産を使ったわけか」

　ルーカス様は、私の報告を聞くと、冷たい笑みを浮かべた。

「アエナ、よく見ていたね。君のその観察力には、いつも感心させられる」

「ありがとうございます、あなた様。でも、私は、ユーカ様が、このまま大人しく謹慎しているとは思えないのです」

「私もそう思うよ。彼女は、君を苦しめるためなら、どんな手でも使うだろう」

　ルーカス様は、私の手を握りしめ、優しく言った。

「だが、心配いらない。君を陥れようとする者には、私が必ず制裁を加える。君は、私の愛する妻として、ただ穏やかに過ごしていればいい」

　その夜、ルーカス様は、私を抱きしめながら、静かに私に囁いた。

「アエナ、私は君に、この公爵邸の全てを任せている。君が、私に隠し事をすることなく、全てを話してくれることが、私にとって何よりも大切だ」

「はい、ルーカス様。私は、あなた様に全てを正直にお話しいたします」

　私たちは、お互いの信頼を確かめ合い、その夜は深く愛し合った。彼の情熱的な愛が、私に、明日も義母の毒に立ち向かう勇気をくれるのだ。

（私がルーカス様に愛されている限り、この公爵邸で、私を傷つけることができる者など、どこにもいない）

　私は、彼の胸に顔を埋め、そっと微笑んだ。私の幸福は、彼との愛によって守られている。