聖女の身代わりとして捨てられた私は、隣国の魔王閣下に拾われて溺愛される

紅葉山参

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女の身代わりとして、私は魔物の森に捨てられました

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 その夜、空を覆う厚い雲は月光を遮り、世界は墨を流したような深い闇に包まれていました。

 ガタガタと激しく揺れる馬車の車輪が、不吉な音を立てて荒れた地面を叩いています。  私は、レティシア・アステリアは、聖女の装束とされる薄い絹のドレス一枚で、冷たい座席の端に身を縮めていました。

「いいかい、レティシア。お前がエルヴィラの代わりに死ぬことで、我が伯爵家は救われるのだ。無能なお前が、ようやく家族の役に立てる。光栄に思いなさい」

 向かい側に座る父、アステリア伯爵の声は氷のように冷たく、私の胸を深く突き刺しました。  そこに肉親への情などは欠片も存在せず、ただ邪魔な荷物を処分するかのような、晴れ晴れとした清々しささえ感じられました。

「……お父様、私は」 「黙れ。お前のような出来損ないが、気安く私のことをその名で呼ぶな」

 父は忌々しげに視線を逸らしました。  その隣では、双子の姉であるエルヴィラ様が扇子を口元に当て、勝ち誇ったような笑みを浮かべています。  彼女は太陽を象徴する眩い金髪を誇らしげに揺らし、私をゴミを見るような目で見つめていました。

「ごめんね、レティシア。でも、私がいなくなったらこの国は滅びてしまうわ。貴女みたいな影の薄い、魔力も持たない妹でも、私の身代わりになれるなんて……。人生の最後に大役を任されて、本当に良かったわね⁉ 」

 お姉様の言葉に合わせて、馬車の外を歩く騎士たちの間からも低い笑い声が漏れました。  誰もが、私がこのまま森で命を落とすことを当然のこととして受け入れている。その事実に、私の指先は震え、膝の上で握りしめた拳には力が入りすぎて白くなっていました。

 アステリア王国には、双子の片割れは「忌み子」であるという古い迷信があります。  美しい金髪と強大な魔力を持って生まれた姉は、国を救う「光の聖女」として王都中の人々から崇められました。  対する私は、枯れ葉のような地味な茶髪で、魔力測定でも一度も反応が出なかった「無能」。

 家族にとって、私は姉の輝きを汚す泥に過ぎませんでした。  食事はいつも腐りかけた残り物。寝床は窓もなく、隙間風が吹き抜ける物置小屋。  冬の凍えるような日でも、お姉様が脱ぎ捨てたドレスを洗濯するために、氷の張った噴水で手を真っ赤にして働かされてきました。

 それでも、私はいつかお父様たちが私を家族として認めてくれる日が来ると信じていたのです。  努力を重ねれば、いつかは愛してもらえるのだと。  けれど、その淡い期待は、最悪の形で裏切られました。

 国境付近の「絶望の森」に魔物の王が出現したという知らせが届いたとき、聖女であるはずのお姉様は死を恐れて泣き叫びました。  すると父は、事もなげに身代わりとして私を差し出すことを即決したのです。

 やがて、馬車が止まりました。  そこは、禍々しい気配が渦巻く森の入り口。

 騎士の一人に乱暴に腕を掴まれ、私は地面に引きずり下ろされました。 「さあ、行け。二度とその汚らわしい顔を見せるな」

 父の合図とともに、私は深い闇の中へと突き飛ばされました。  もつれる足で暗闇へ転がり込む私を置き去りにして、馬車が遠ざかっていく音が聞こえます。

 ……ああ、本当に捨てられたのだわ。  私は、レティシアは、もうこの世界の誰からも必要とされていないのだと、冷たい夜風の中で痛感しました。

 森の奥へと彷徨い歩くうちに、空気の重さが変わりました。  肌を刺すような魔圧が襲いかかり、呼吸をすることさえ困難になっていきます。

 ガサリ、と嫌な音が背後の草むらで鳴りました。  心臓がドクンと大きく脈打ちます。  振り返ると、そこには赤く光る眼がいくつも、横一列に並んでいました。

 体長三メートルはあろうかという巨大な魔狼、フェンリルの群れです。  その口からは濁ったよだれが滴り、鋭い牙が月の光を反射してぎらりと光っています。

「ひっ……」

 短い悲鳴が喉の奥で詰まりました。  逃げなければ。そう思うのに、足は鉛のように重くて一歩も動きません。  狼たちが一斉に低く唸り、獲物を定めるように低く腰を落としました。

 死の恐怖が全身の細胞を支配します。  私はぎゅっと目を閉じ、せめて痛みを感じないうちに魂が消えるよう、届かぬ神に祈りました。

(……お父様、お母様。最後に一度だけでいいから、私を名前で呼んでほしかった……)

 狼が地を蹴る音が聞こえました。  風を切る鋭い音が近づき、獣特有の鼻を突くような腐敗臭が漂います。

 ――けれど。  待てど暮らせど、牙が私の柔らかな肌を裂くことはありませんでした。

 代わりに聞こえてきたのは、天地を揺るがすような轟音。  ドォォォォン‼ と空気が震えるほどの衝撃波が走り、狼たちの悲鳴が森の彼方へと消えていきました。

「⁉ 」

 恐る恐る目を開けると、そこには信じられない光景が広がっていました。  私を襲おうとしていた狼たちが、まるで見えない巨大な力で叩き伏せられたかのように、地面にめり込んで絶命していたのです。

 そして、舞い上がる土煙の向こうから、一人の男性が静かに歩いてきました。

 夜の闇よりも深い、艶やかな黒髪。  その背中には、伝説に聞く魔族の象徴である、巨大な漆黒の翼が堂々と広がっていました。  切れ長の瞳は、鮮血のように赤い。

 彼は、隣国ノクティス帝国の皇帝であり、「死を司る魔王」と恐れられるヴォルデレード閣下その人でした。

 なぜ。どうして、こんなところに「魔王」がいるのでしょうか⁉  私は恐怖で声も出せず、震えながら彼を見上げました。  彼は私の前まで来ると、その場に音もなく膝を突き、静かに跪きました。

「……やっと見つけた」

 低くて心地よい、チェロのような深みのある声が森に響きます。  彼は私の汚れきった手をとり、まるで壊れ物を扱うかのような慎重な手つきで、指先にそっと唇を寄せました。

「お前は……」 「……え?」

 殺される。そう思って身を強張らせた私に、彼は信じられない言葉を投げかけたのです。

「私の魂を救う唯一の光。我が最愛の伴侶よ。……こんな場所で、何をしていたのか」

 彼の緋色の瞳に宿っているのは、殺意でも嘲笑でもありませんでした。  それは、見ているこちらの胸が締め付けられるほどの切なさと、狂おしいまでの熱を帯びた、深い、深い愛の色でした。

「あ、の……私、は……」 「何も言わなくていい。これからは、私が君のすべてを護ろう」

 彼は軽々と私を横抱きにしました。  いわゆる、お姫様抱っこという体勢です。

 温かい。冷え切っていた私の身体に、彼の熱い体温が伝わってきます。  生まれて初めて触れた、他人の真実のぬくもり。  私は混乱したまま、彼の広い胸板に顔を埋めることしかできませんでした。

「お前を捨てた者たちには、相応の報いを与えよう。……だが今は、眠るといい。目覚めた時、そこは君の新しい城だ」

 彼の優しい囁きを子守歌のように聞きながら、私の意識は急速に遠のいていきました。  これが夢だとしても、最後に見る夢がこんなに優しいものなら、悪くないかもしれない。

 私は初めて安らかな気持ちで闇へと落ちていったのでした。
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