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第一の難関 宿敵ローナ
悪女の最初の罠は「不衛生」と「階級意識」
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ローナ・ド・フィオレンツァ公爵令嬢が、辺境伯領に隣接する男爵領の館に到着したのは、それから数日後のことだった。
マクナル様は形式上、私と二人であの方を出迎えることになった。私は、辺境の領主夫人として、控えめながらも上質な、落ち着いた色合いのドレスを身につけた。
「マクナル様、お久しぶりですわ」
馬車から降りたローナは、息をのむ美しさだった。王都の最新流行を詰め込んだ絢爛豪華なドレス、計算し尽くされた仕草。王都の女性たちが持つ「美」の全てを体現していた。周囲の辺境の貴族たちは、その圧倒的な存在感に言葉を失っていた。
公爵令嬢は優雅にマクナル様に挨拶をしたが、私の方には目線すら向けなかった。王都の貴族が辺境の貴族の娘、すなわち転生前の私を見下す、典型的な態度だった。
「ええ、ローナ嬢。わざわざ遠路はるばる、ご苦労様」
私の夫は形式的な挨拶を返し、私の腰に手を回した。辺境伯のこの動作は、彼女の意図的な無視への、明確な牽制だった。
「こちらは、私の愛する妻、アナスタシアだ」
マクナル様が私をその女性の前に押し出すように紹介すると、ローナの表情が初めて微かに歪んだ。彼女は一瞬でプロの微笑みに戻したが、その瞬間、彼女の瞳に宿った私への明確な敵意を、私は見逃さなかった。
「まあ、アナスタシア様。辺境の空気がお似合いの、素朴な美しさですわね。王都では見られない、野の草のような可憐さです」
素朴。可憐な野の草。それは社交界では「洗練されていない」「田舎者」「取るに足らない存在」という、遠回しで巧妙な侮辱だった。ローナの言葉には、私を一段下に見て、マクナル様を私から切り離そうとする「階級意識」が色濃く現れていた。
私は穏やかに微笑み、ローナの目を見て返答した。
「ありがとうございます、ローナ様。王都の華やかさも素敵ですが、わたくしの夫のそばで穏やかに暮らす日々が、私には何よりの喜びでございます。辺境の空気は、王都の淀んだ空気とは違い、清々しくて心身に染み渡ります。わたくしの夫は、この清々しさを大切にしていますので」
私は、ローナの「素朴」という言葉を逆手に取り、辺境の「清々しさ」と王都の「淀み」を対比させた。マクナル様は、私の肩を抱く手に力を込め、満足げに微笑んだ。彼は私の意図を完璧に理解していた。
その夜、ローナを歓迎するためのささやかな夕食会が男爵領の館で開かれた。
食事の終盤、ローナは運ばれてきたデザートのフルーツタルトを一口食べた後、急に顔を青ざめさせた。
「うっ。これは、なんというお味ですこと。シェフを呼びなさい」
この公爵令嬢はハンカチで口元を押さえ、悲劇のヒロインのように訴えた。その仕草は、まさに舞台女優のようだった。
「このタルトは腐っているわ。辺境の館は、食器の管理すらできていないのね。アナスタシア様、辺境伯夫人として、この館の衛生状態に責任があるのではないかしら。貴女は辺境伯領の管理を任されているのでしょう」
ローナは、公衆の面前で私を貶め、辺境伯領の管理体制を疑問視し、私の無能さを証明しようとした。この攻撃の目的は、単なる羞恥心を与えるだけでなく、私が「辺境伯領の経営に適さない」という印象を、周囲の貴族に植え付けることだった。
私は冷静に頭を回転させた。タルトはつい先ほど作られたものだ。腐っているはずがない。
ならば、原因は食器か、食材の「化学反応」にある。この世界では、強い香料と化学物質を用いた高価な洗剤が、王都の貴族の間で流行している。そして、その洗剤の残りが、フルーツの酸味と混ざり合うことで、不快な風味を生み出すことがある。前世のOL時代に、洗剤メーカーの営業資料で読んだ知識が、私の頭の中で閃いた。
「マクナル様、失礼ながら、ローナ様のデザートに使われた『皿』、または『カトラリー』に問題があるかもしれません」
辺境伯様は驚いた顔をしたが、私の真剣な眼差しに、静かに頷いた。
「執事。ローナ嬢の皿と、私とアナスタシアが食べた皿の、洗浄方法について、隅々まで説明しなさい」
執事は緊張した面持ちで説明した。マクナル様と私の皿は、辺境の慣習に従い、井戸水とシンプルな天然素材の洗剤で洗った後、必ず煮沸消毒を施しているという。一方、ローナの皿とカトラリーは、公爵令嬢が王都から持参した、香りの強い高級洗剤で洗うよう、ローナの使用人から特別な指示があったということだった。
「ローナ様。もしかして、その王都から持参された洗剤の香料が、タルトのフルーツに含まれる酸味や、発酵した香り成分と混じり合い、不快な風味を生み出しているのではございませんか」
私はローナに真っ直ぐに、しかし冷徹な論理で尋ねた。
「熱湯による殺菌と、自然な素材の風味を損なわないシンプルな洗浄法こそが、真の意味で衛生的で安全な方法です。高価な洗剤が、必ずしも優れた結果をもたらすとは限りません。これは、単なる味覚の問題ではなく、『化学物質の相性』という合理的常識の問題です」
マクナル様は私の説明に深く納得したように頷いた。彼は合理的思考を愛する人物だ。
「なるほど。アナスタシアの言う通り、私の皿は煮沸消毒されたシンプルな方法で洗われていたが、何も問題なかった。ローナ嬢の皿だけが特別な洗浄をされた結果、異臭と誤解される風味が生まれたと考えるのが自然だ。これは、辺境伯領の衛生管理の問題ではなく、使用した洗剤の選択ミスだろう」
私の夫は優しくローナに言ったが、その眼差しには一切の容赦がなかった。
「ローナ嬢。辺境では、熱湯による殺菌と、自然な素材の風味を損なわないシンプルな洗浄法を、何よりも重視している。君の持ってきた洗剤も素晴らしいものだろうが、明日からは、屋敷の洗浄法に従ってくれると助かる。君の私的な好みが、辺境伯領の管理が杜撰であるという誤解を生んではならない」
ローナの顔は、怒りと屈辱で真っ赤になり、震えていた。彼女の最初の「階級意識」と「不衛生」を武器にした攻撃は、私の現代知識である「化学と衛生の常識」によって、完全に論破され、滑稽な失敗に終わったのだ。
食事会が終わった後、マクナル様は私を強く抱きしめた。その力強い腕の中で、私は安心感に包まれた。
「さすが、私の妻だ。まさか、皿の洗浄と化学反応にまで気が回るとは。そなたの鋭い観察眼と、常識的な判断力に、心から感謝する。君は、私に寄り添い、常に理知的に私の名誉とこの領地を守ってくれる。私の人生に、君ほど必要な存在はいない」
「私、妻として、マクナル様とこの屋敷の名誉を守りたいだけです。わたくしの夫が大切にしている辺境の文化と、領民を守るための合理的な常識を、王都の貴族の偏見から守りたかったのです」
「ああ、守ってくれた。ありがとう、アナスタシア。今夜は、君の功績を、たっぷり労わせておくれ」
彼の愛の言葉と、その後の熱烈な愛情表現に、私はローナとの戦いの疲れを忘れ、ただただ幸福に包まれた。この愛と、この人生こそが、私が守り抜くべき全てなのだ。
マクナル様は形式上、私と二人であの方を出迎えることになった。私は、辺境の領主夫人として、控えめながらも上質な、落ち着いた色合いのドレスを身につけた。
「マクナル様、お久しぶりですわ」
馬車から降りたローナは、息をのむ美しさだった。王都の最新流行を詰め込んだ絢爛豪華なドレス、計算し尽くされた仕草。王都の女性たちが持つ「美」の全てを体現していた。周囲の辺境の貴族たちは、その圧倒的な存在感に言葉を失っていた。
公爵令嬢は優雅にマクナル様に挨拶をしたが、私の方には目線すら向けなかった。王都の貴族が辺境の貴族の娘、すなわち転生前の私を見下す、典型的な態度だった。
「ええ、ローナ嬢。わざわざ遠路はるばる、ご苦労様」
私の夫は形式的な挨拶を返し、私の腰に手を回した。辺境伯のこの動作は、彼女の意図的な無視への、明確な牽制だった。
「こちらは、私の愛する妻、アナスタシアだ」
マクナル様が私をその女性の前に押し出すように紹介すると、ローナの表情が初めて微かに歪んだ。彼女は一瞬でプロの微笑みに戻したが、その瞬間、彼女の瞳に宿った私への明確な敵意を、私は見逃さなかった。
「まあ、アナスタシア様。辺境の空気がお似合いの、素朴な美しさですわね。王都では見られない、野の草のような可憐さです」
素朴。可憐な野の草。それは社交界では「洗練されていない」「田舎者」「取るに足らない存在」という、遠回しで巧妙な侮辱だった。ローナの言葉には、私を一段下に見て、マクナル様を私から切り離そうとする「階級意識」が色濃く現れていた。
私は穏やかに微笑み、ローナの目を見て返答した。
「ありがとうございます、ローナ様。王都の華やかさも素敵ですが、わたくしの夫のそばで穏やかに暮らす日々が、私には何よりの喜びでございます。辺境の空気は、王都の淀んだ空気とは違い、清々しくて心身に染み渡ります。わたくしの夫は、この清々しさを大切にしていますので」
私は、ローナの「素朴」という言葉を逆手に取り、辺境の「清々しさ」と王都の「淀み」を対比させた。マクナル様は、私の肩を抱く手に力を込め、満足げに微笑んだ。彼は私の意図を完璧に理解していた。
その夜、ローナを歓迎するためのささやかな夕食会が男爵領の館で開かれた。
食事の終盤、ローナは運ばれてきたデザートのフルーツタルトを一口食べた後、急に顔を青ざめさせた。
「うっ。これは、なんというお味ですこと。シェフを呼びなさい」
この公爵令嬢はハンカチで口元を押さえ、悲劇のヒロインのように訴えた。その仕草は、まさに舞台女優のようだった。
「このタルトは腐っているわ。辺境の館は、食器の管理すらできていないのね。アナスタシア様、辺境伯夫人として、この館の衛生状態に責任があるのではないかしら。貴女は辺境伯領の管理を任されているのでしょう」
ローナは、公衆の面前で私を貶め、辺境伯領の管理体制を疑問視し、私の無能さを証明しようとした。この攻撃の目的は、単なる羞恥心を与えるだけでなく、私が「辺境伯領の経営に適さない」という印象を、周囲の貴族に植え付けることだった。
私は冷静に頭を回転させた。タルトはつい先ほど作られたものだ。腐っているはずがない。
ならば、原因は食器か、食材の「化学反応」にある。この世界では、強い香料と化学物質を用いた高価な洗剤が、王都の貴族の間で流行している。そして、その洗剤の残りが、フルーツの酸味と混ざり合うことで、不快な風味を生み出すことがある。前世のOL時代に、洗剤メーカーの営業資料で読んだ知識が、私の頭の中で閃いた。
「マクナル様、失礼ながら、ローナ様のデザートに使われた『皿』、または『カトラリー』に問題があるかもしれません」
辺境伯様は驚いた顔をしたが、私の真剣な眼差しに、静かに頷いた。
「執事。ローナ嬢の皿と、私とアナスタシアが食べた皿の、洗浄方法について、隅々まで説明しなさい」
執事は緊張した面持ちで説明した。マクナル様と私の皿は、辺境の慣習に従い、井戸水とシンプルな天然素材の洗剤で洗った後、必ず煮沸消毒を施しているという。一方、ローナの皿とカトラリーは、公爵令嬢が王都から持参した、香りの強い高級洗剤で洗うよう、ローナの使用人から特別な指示があったということだった。
「ローナ様。もしかして、その王都から持参された洗剤の香料が、タルトのフルーツに含まれる酸味や、発酵した香り成分と混じり合い、不快な風味を生み出しているのではございませんか」
私はローナに真っ直ぐに、しかし冷徹な論理で尋ねた。
「熱湯による殺菌と、自然な素材の風味を損なわないシンプルな洗浄法こそが、真の意味で衛生的で安全な方法です。高価な洗剤が、必ずしも優れた結果をもたらすとは限りません。これは、単なる味覚の問題ではなく、『化学物質の相性』という合理的常識の問題です」
マクナル様は私の説明に深く納得したように頷いた。彼は合理的思考を愛する人物だ。
「なるほど。アナスタシアの言う通り、私の皿は煮沸消毒されたシンプルな方法で洗われていたが、何も問題なかった。ローナ嬢の皿だけが特別な洗浄をされた結果、異臭と誤解される風味が生まれたと考えるのが自然だ。これは、辺境伯領の衛生管理の問題ではなく、使用した洗剤の選択ミスだろう」
私の夫は優しくローナに言ったが、その眼差しには一切の容赦がなかった。
「ローナ嬢。辺境では、熱湯による殺菌と、自然な素材の風味を損なわないシンプルな洗浄法を、何よりも重視している。君の持ってきた洗剤も素晴らしいものだろうが、明日からは、屋敷の洗浄法に従ってくれると助かる。君の私的な好みが、辺境伯領の管理が杜撰であるという誤解を生んではならない」
ローナの顔は、怒りと屈辱で真っ赤になり、震えていた。彼女の最初の「階級意識」と「不衛生」を武器にした攻撃は、私の現代知識である「化学と衛生の常識」によって、完全に論破され、滑稽な失敗に終わったのだ。
食事会が終わった後、マクナル様は私を強く抱きしめた。その力強い腕の中で、私は安心感に包まれた。
「さすが、私の妻だ。まさか、皿の洗浄と化学反応にまで気が回るとは。そなたの鋭い観察眼と、常識的な判断力に、心から感謝する。君は、私に寄り添い、常に理知的に私の名誉とこの領地を守ってくれる。私の人生に、君ほど必要な存在はいない」
「私、妻として、マクナル様とこの屋敷の名誉を守りたいだけです。わたくしの夫が大切にしている辺境の文化と、領民を守るための合理的な常識を、王都の貴族の偏見から守りたかったのです」
「ああ、守ってくれた。ありがとう、アナスタシア。今夜は、君の功績を、たっぷり労わせておくれ」
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