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第4章 サトル、学ぶ

4-1-2 傷痕2

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「拭いてもいいかい?」
「うん。じゃあ背中を頼んでもいい? 俺、自分じゃ届かないし」
「前はオレがしようか」
「恥ずかしいからいいよ。タオル貸して。自分で拭く」
「じゃあ、ほら」

 マルカートがせっせと背中を拭いてくれてる間に、前は俺が自分で拭くことにした。ジュストが絞ってくれたタオルはパイル生地じゃなくて、手ぬぐいより厚みがある布だ。
 くたくたになってるタオルは肌あたりが柔らかで、すごく気持ちいい。

「うわあ、下は自分で拭くから!」
「そうか~? でもやりにくいだろ?」
「今さら遠慮するなよ」
「する! させて!!」

 普通にお尻とか拭かれそうになって、びっくりして脱いでた長シャツで下半身を隠したら、ジュストとマルカートが顔を見合わせて笑った。

「じゃああとで風呂もどきに入るか?」
「え、お風呂もどき?」
「ふふーん、そう、お風呂もどき!」

 ジュストがにやりと、マルカートがにかっと笑って出した単語に、俺は全身でぴこーんと反応する。

「あとってどれぐらい? 今はダメなの?」

 拭いてくれてたらしいけど、頭とかもう絶対洗いたいし、身体もしっかり洗いたいんだ!!
 そわそわ聞いたら、ジュストが下の子にするように俺の頭に手を置いて笑った。
 イヌ科つながりなのか、こういう仕草はヴィントに似てる。

「気持ちはわかるけど、あとだ。マリーベルが沸かしてくれるからさ」
「あー…そっかぁ……」

 お風呂、入りたかった…!

「そんな落ち込むなよ! マリーベルとリチャードさん、宿代とか薬代だけじゃなくてさ、サトルの分までってがんばってポイントを稼いでくれてるんだぜ?」
「え、なんで……」

 さっき聞いた分だけでも申し訳ないのに、二人には俺の分をがんばってもらう理由なんてないよ。
 不思議に思って聞いたら、ジュストが笑って教えてくれた。

「そりゃ、あんたがこんなに寝込んでたら、月末のポイントがやばいんじゃないかって思ったからだろ?」
「パーティを組んだら人数分の合計ポイントで大丈夫になるからな! ついでにエルフィーネの分も稼いでくれるってさ」
「でも俺、パーティとか組んでないよ?」

 首をかしげて言ったら、二人は顔を見合わせて俺の着替えをそれぞれ手に取って不思議そうな顔をした。

「なんだ、てっきりパーティを組んだのかと思ったのに」
「なー?」

 いや、組んだ覚えはない。鞄からギルドの認定証を出しても空白のままだし。
 ま、まあいいや。あとで考えよう。
 それより、俺は今、エルフィーネに顔を合わせにくい……!

「あれ、やっぱりまだ具合が悪いのか?」
「おーい、せっかく起きたのに布団に潜り込むなよ! せめてシーツ替えてからにしろってば!」

 さっきの話がズーンと来て、ごそごそベッドの中に逃げ込むと、二人が心配して口々に声を掛けてくれた。
 わかってる!
 いつまでも俺が客室を占領してたら迷惑だってことは、十分にわかってるんだけども!!

「俺もうお婿に行けない…!」
「はあ!?」
「な、なんで??」

 俺の苦渋に満ちた一言に、二人が仰天して布団を掴んだ。
 やめて! 俺の安息の地を奪わないでくれ!!

「そ、そんなのおまえのせいじゃないだろ!」
「婿に行く当てがあったのか? えーと、ほら、大丈夫だって! なんでそんなこと気にするんだよ!?」

 そんなことじゃない! 重要なことだ!!

「エルフィーネにも申し訳ない……。年の変わんない男のそんな世話なんて…!」

 恥ずかしすぎて燃えそう。いや、燃やせる!
 俺がもし火の女神フィオレの加護持ちだったら、今ごろこの教会は丸焦げだよ!!

「なんだよ、世話って! 身体拭かれたことか?」
「えー気にすることかよ?」
「エルフィはシスターだぞ? 怪我人とか病人とか、なんなら近所のじいさんばあさんで下の世話だって慣れてるし。けどおまえのはしてないから!」

 …………看護師さんだ。もうそれ、看護師さんだな!
 そ…っと布団から顔を出したら、マルカートがにかっと愛嬌のある歯抜けの笑顔を見せてふんすと威張りながら教えてくれた。

「エルフィは俺たちみんなのお姉ちゃんだぞ! 心配しなくたって、サトルだって弟さ!!」

 それは逆です…! むしろ娘でもおかしくない年の差です……!!

「さっきも言っただろ? おまえの下の世話は月光旅団の二人と神父様、ピルピルさんがやったって。そりゃまあ、汚れ物はエルフィも洗ったけど」
「おっと、おいらたちみーんな手伝って洗ったんだぜ? ほら、これならもう恥ずかしくないだろ!?」

 むしろ何倍も恥ずかしいです……!!

「いきなり転がり込んだあげく、め、面目ない…としか…」
「なにを今さら。それより、エルフィがきっと心配してるぜ。だから出てこいよ」
「うんうん!」

 のろのろともう一回布団から出て、俺は着替えを決意した。
 うおお、屈んだら脇腹がまだ痛いな…!

「ううう、いったぁ…!」
「あ、屈むな。起きたらそこの手当もちゃんとしてくれるってさ」
「うん……」

 他人の手を借りてパンツやスリッパ? みたいなのを履かせてもらうこの情けなさよ! 屈むとかの動作がどうにも辛い。
 そしてしゃべったり息をするのも痛む。しぶといなあ、この脇腹っていうか、あばら骨!
 マルカートが鼻歌を歌いながら窓を開けて、ばさっと腰回りに敷いてあった厚手のベッドパッドみたいなのとシーツを剥ぐ。
 下にはテントに使ってるような防水布と、さらにその下に大きな革が敷かれてた。
 これも撥水加工がしてあるみたいだ。昔はロウを使ったって話は聞いたことがあるけど、こうやって魔力で防水加工ができるのは風合いを損なわないし便利だなあ。

「なんか珍しいか?」
「いや、俺、こういうの初めて見たから」
「あはは、小さいころは使ってたと思うぜ? まあそれより大きいだろうけど」
「うちでお産をする人もいるからさ、敷物はこれぐらい大きくないとな」

 ジュストとマルカートが教えてくれて、納得した。
 なるほど、立派なおねしょシーツみたいなもんか。これならお産や出血が多い人を寝かせてもベッドが汚れる心配が減りそうだ。

「俺のときは……」

 考えたけど、だめだ。詳しくは思い出せない。
 叱られたりはしなかったと思う。しくしく泣いてたら「しょうのない子だねえ」って自分のベッドに入れてくれたような……?
 あれは、母さん? それとも、ばあちゃん……?

「いたた」
「どうした? やっぱり立つの辛いか?」

 ぎゅっと耳を塞がれるような頭痛がしたけど、ジュストにのぞき込まれてすっと引いた。

「あ…、ううん。大丈夫。起きる。これ以上寝てたら鈍っちゃうよ」
「それならいいけど。じゃあ、行こうぜ。無理すんなよ」
「行こう、行こう♪」

 マルカートが歌いながら俺の背中を押す。せめてなにか自分で持とうと思ったけど、ジュストが渡してくれたのは鞄だけだった。
 うおお、歩き出したら体中がぎしぎしと軋むこと! 今スクワットはできないな。やったら確実に転ぶ。
 階段が恐ろしくて手すりに縋るように一段ずつ降りてたら、ジュストが手を貸してくれてなんとか下まで……いや、三段目だけは怖いから一人で降りて、やっと一階だ。

「そうだ、サトル。オレたち、あんたに謝らないと」
「ん?」

 謝るってなに? 今の俺はまだ若干めまいが残ってて歩くのに集中してるから、手短にしてくれ、ジュスト!

「あんたが置いていった肉、傷むともったいないからもう食べちゃったんだよ。全然足りないだろうけど、看病はその代金の一部ってことで、このとおり!」

 言うが早いか、ジュストががばりと丁寧に頭を下げてくれて、俺は慌てて向き直ってぱたぱたと両手を振った。

「いや、謝らないで! もともと森へ帰ろうと思ったときに、ここの子どもたちが食べてくれたらいいって思ってたお肉だし」
「だって、あんたは寝込んでたのに……」

 あああ、ジュストの薄い垂れ耳と薄い尻尾がへにょっとしてる! 俺は獣人族ガルフのこれに弱いんだよ~!!

「いいってば。それより、美味しかった? よかったらまた捕って来られるようにがんばるよ」

 気合いで全力の笑顔で答えたら、ジュストもやっと笑って尻尾もぶんぶん振りながら教えてくれた。

「そりゃ、めちゃくちゃ美味かったさ! なあ、エルフィーネ!」
「はい。ヴィントさんがいろんな料理を作ってくださったんです」

 あ、エルフィーネが戻ってきた!
 居間から出てきたエルフィーネが教えてくれて、ヴィントの作ってくれたスープを思い出した俺のお腹がきゅうっと鳴る。

「あー、美味しそう! 間違いなく美味しかったでしょ!!」
「そりゃもう! 特に、挽肉を丸めて焼いて煮込んだヤツ! 思い出しただけでよだれでそう…!」

 うッ、わかった。煮込みハンバーグだ…!

「なんかいろんな具を煮た茶色いソースでさ、野菜とかもとろけてて」

 しかもデミグラスソースか! なにそれ俺も食べたい!!

「おいらはあれ! 油で揚げてサクサクになってて、パンに挟んでも美味かった~! パンも焼いてくれてさ、それもふっかふかだったし!!」

 とんかつか! しかもお手製焼きたてパンって!! こっちの製粉技術だから俺の知ってるふかふか具合には及ばないだろうけど、三人でそのパンを思い出したんだろう。うんうんうなずき合ってる顔を見てると、味の方は想像がつくよ!

「レジェやエルフィーネは、葉キャベツと挽肉を重ねて煮たスープを喜んでたよな。トマトのソースとチーズがかかっててな、あれは腹には溜まらねえけど、野菜が苦手なボッコやメルもばくばく食ってたな」

 ジュストの言ってるそれは、包んでないけどロールキャベツ的な味のやつでは!? 葉キャベツが俺の知ってるキャベツと同じかはわかんないけど!
 エルフィーネが赤くなって「はい……。ごめんなさい。とても美味しかったです」ってこくこく頷いてるのがかわいい! シスターだって遠慮しないで、お腹いっぱい食べていいよ!

「いやあ、肉を切って焼くだけでも美味いのにさ、あんなにいろんな料理になるんだな! おいらびっくりだよ!」
「ああ。ほかにも挽肉と芋とミルクで作ったソースを重ねて焼いたヤツとか、小麦粉を焦がしたソース? とタマネギと薄切りにしたヤツをじっくり煮込んだやつとか」

 俺の知ってるメニューで言ったら、コテージパイとかハヤシライスのボア版ソースみたいなやつかな!?

「肉団子もごろごろいっぱい作ってくれてさ、おいらたちだけじゃ食べきれないと思ったんだけど、ルーさんが料理を凍らせてくれたんだ。ほら、マリーベルも来てくれてるし、料理を焦がさないように温めなきゃってんで、もの凄い集中力だったぜ」
「はい。リチャードさんと、ピルピルさんが連れてきてくださったミランシャさんが火のマナの扱いを教えてあげていましたね」

 ジュストとエルフィーネがそのときのことを思い出しながらうなずき合う。

「ミランシャさんって、魔道具屋さんのお姉さんだよね! 会いたかったな~」
「はは、ミランシャさんもあんたが寝込んでるって聞いて『お大事に』って言ってたぜ。あとは、そうだな。脂身も大量に取れたから、骨から削いだ肉の細切れと塩を入れて煮込んで、氷冷庫でカチカチにしてあるんだ。ピルピルさんもルーさんも水魔法アクアスペルが得意だから、すぐ冷やせて助かったぜ。あれは早く冷やさないと味が落ちるしさ」
「はい。あれは出汁にも重宝するんです。町の食堂でも安く買えるのですが、それよりもお肉をたくさん入れてくださってますし、しばらく買わずに済みそうです」
「おかげでずーっとご馳走が続いて、もう夢のようだったぜ……」
「しかもヴィント、あったかいんだよなー! ルーさんも優しいし遊んでくれるんだけど、ヴィントが台所に立ってたら、なんかもうチビどもみんな背中に抱きつきに行ってさあ」

 うっとりしてるジュストに笑いそうになったけど、マルカートのしみじみとした言葉はちょっと切なくなった。

「はは、あの人が洗濯物干し始めたら、チビどもがよじ登りたがって大変だったよな」
「そうそう! ま、おいらも抱っこしてもらったけどな! あったかかったなあ。料理してたらいい匂いがしてさあ……」

 料理をする背中、洗濯物を干す背中、か。
 わかるよ。それってここの子どもたちにはいないお母さんだよね……。
 エルフィーネにお母さんの面影を見る子どもたちも多いだろうけど、それよりずっと大きくて頼りがいのある背中って感じがさ。守って欲しいときに守ってくれる誰かがいない、もしくは失ってしまった子が求めるものと重なったのかなって。
 いや、ヴィントは女の人じゃないし、かっこいいお兄さんというか、いい男だから本人には絶対言わないけど。
 俺もヴィントのことは何回もお母さんみたいだと思ったから、つい子どもたちの方に味方しちゃうよね。
 ただ、ルーファスネイトが遊んでくれるってのがぴんとこない。もしかしてここの子たちが遊んであげたんじゃ…ってのは考えすぎなのかな!?
 俺の中のルーファスネイトって、かっこいいより先におっとりしててマイペースと言ったら聞こえはいいけど、割と何も考えてなさそうな人なんだよなあ。

「子どもたちがいつもまとわりついてしまって、ヴィントさんには申し訳ないことをしました。でも、嫌がらずに本当によくしてくださって……。最初はみんなあなたに遠慮しようとしてたんですが、お料理を並べられたらもうだめでしたね」
「だって、作ってる最中の匂いからしてもう美味そうでなあ…!」
「近所の方々にも、なにを作ってるんだって聞かれたんですよ」
「だろうね。わかるよ!」
「サトルはもうしばらく軽いものだけですからね」
「う…はい」

 そうだよね。わかってる! わかってるけど、食べたくなるのはしょうがない……!!
 現金なもので、悶えながら歩いてたら心なしかめまいまでましになった気がする。

「だからサトル、わたしからもごめんなさいです」
「頭下げちゃダメ! 俺こそ、心配かけてごめんね」

 エルフィーネが頭を下げる前に止めて、俺の方がきちんと頭を下げ…るにはまだ脇腹が痛すぎたので、両手を合わせてぺこっとする。

「サトル……」
「あと、看病…介護? も、ごめん」

 おっと、エルフィーネが困った顔になって、ジュストもそわそわし始めた。
 うん、わかってる。こういうときはお礼だよね。

「でも、すごく助かったよ。ありがとう」
「……はい」

 正解だ。初めて会ったときに俺が見とれた、白い花が咲くような笑顔に癒やされる。
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