あそこで見てるだけ

倉入ミキサ

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自分のことを響平だと言い張る頭のおかしいストーカー女

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 あまり人通りがない夜道を、暗い顔をした女子大生が、独りで歩いている。
 彼女は、ついさっきまで愛し合っていたハズの彼氏と、ケンカをした。正確にはケンカというよりも、一方的に突き放された、と言う方が正しいかもしれない。

 女性がひとりで暗い夜道を歩くのは危険だ。もし通り魔や痴漢ちかんがいるなら、この絶好の機会を逃すハズがない。なるべく急いで通り抜けてしまいたい道だが、悲しみにくれるその女子大生の足取りは、とても重かった。
 そして今、彼女の後ろには、一人のストーカーがいた。

 「芽衣子!」

 女子大生は自分の名前を呼ばれ、振り返った。すると、そこにいたのは、自分よりも少し小柄な女だった。
 ボブカットの黒髪、幼げな顔。胸の大きさをはっきりとさせる黒いセーターを着ていて、デニムパンツをはいている。
 
 「あなたは、昨日の……」
 
 芽衣子は、その女が響平を悩ませているストーカーだということを思い出した。少し肩に力が入り、警戒心が高まる。
 しかし、その女は信じられない言葉を口にした。
 
 「俺だっ! 響平だ!!」
 「えっ……!?」
 
 その女は、「響平」だと名乗った。一瞬、戸惑いの表情を見せた芽衣子だったが、すぐにさっきの暗い顔に戻った。
 
 「……警察を呼びますよ?」
 「ちゃんと聞いてくれ、芽衣子! 俺が本物の響平なんだ!」
 「この人本当に、どうかしてる……」
 「翡翠美の……このストーカー女の体と、俺の体が、入れ替わってるんだ! 信じてくれ!」
 「さよならっ」
 
 芽衣子はストーカー女の言うことを聞かずに、また前を向いて歩き出した。
 
 「待てっ! 待ってくれ!」
 
 ストーカー女も甲高い声で叫びながら、必死に芽衣子の後を追う。
 
 「嫌っ! 来ないでっ!」
 「頼むっ! 俺を助けてくれ、芽衣子っ!」
 「やめてぇっ!」
 
 ストーカー女は必死にメイコの肩を掴み、自分の方へ向かせようとした。ここで芽衣子を説得し、協力してもらわないと、自分に男としての未来はない。そう感じて……。

 バチンッ。

 「えっ……」
 
 芽衣子は、自分こそが本物の響平だと言い張る女の頬に、平手打ちをした。
 
 「芽衣子……? なんで……?」
 「どういうつもり?」
 「な、何が……?」
 「あなたでしょ? キョウくんを、あんな風にしたのは」
 「あんな風って……?」
 「とぼけないでよっ! 脅迫でもした? 私と別れないと殺すとでも言ったの?」
 「違うんだ、芽衣子っ」
 「もういい加減にしてっ! いつもの優しいキョウくんを返してよっ!」
 「俺が響平なんだ!」
 「キョウくんは、あなたみたいな、気持ち悪いストーカー女じゃないっ!!!」
 
 芽衣子は両手に力を込め、目の前の女を突き飛ばした。押された女はバランスを崩し、地面にドシンと尻もちをついてしまった。
 そして、目を見開いたまま道に座りこんでいるストーカー女を見降ろし、芽衣子は言った。
 
 「恨むなら、私を恨みなさい。私とキョウくんは、あなたなんかに負けないっ!」
 
 芽衣子からの、堂々とした宣戦布告せんせんふこく。その言葉に反応して、響平の心はまた『翡翠美』に染まろうとしていた。
 
 (この女、殺してやる……! 私のキョウくんを、たぶらかして……!)
 
 『翡翠美』は無意識のうちに、芽衣子をギリリとにらんでいた。芽衣子もそんな『翡翠美』を、睨み返している。
 その状態でも、響平の心の中では『翡翠美』の感情を押さえ込もうと必死だった。
 
 (ダメだっ! 芽衣子は、俺の大切な彼女だろっ!)
 
 『翡翠美』の、昂ぶる感情をしずめる方法。
 彼女の前でことに、抵抗は存分にあったが、芽衣子をここで殺してしまいかねない黒い感情を消し去るには、それしか無かった。

 「……ぷちゅっ」

 『翡翠美』は芽衣子の前で、自分の左手の親指を口にくわえた。そして、黒い感情を消し去ろうと強く願いながら、その親指を唾液で包んだ。
 
 「んむっ、ちゅぱっ……」
 
 『翡翠美』にとっては、気持ちを落ち着けるための必死の行動だったが、芽衣子はその姿を、軽蔑と困惑の混じったような瞳で見ていた。
 
 「気持ち悪い子……」
 
 そう呟くと、芽衣子はきびすを返し、歩いて遠くへ行ってしまった。『翡翠美』は立ち上がることもできず、泣きそうな顔で、それを見ていることしかできなかった。

 「くっ……! うぅっ……」
 「あははっ、彼女さんにフラれちゃったんだね。キョウくん」
 
 背後から、聞き覚えのある男の声がする。響平はまだ親指をしゃぶったまま、その声の主の方を見た。
 
 「そんなにヨダレまみれにして……。私の親指、美味しい?」
 「……!」
 
 響平の体を奪った女、翡翠美がそこにいた。口調は翡翠美の女言葉だが、今では誰が見ても、彼女のことを『響平』だと認識するだろう。
 
 「それはね、私の中にある欲望や欲求を、抑える時にやるクセなんだよ? ねぇ、何かを我慢してるの?」
 「……」
 「いいんだよ、もう我慢しなくて。そろそろ完全に、私に染まってみて」
 「……っ!?」
 
 『響平』は強い力で『翡翠美』の細い腕を引っ張り、親指を口から外そうとした。『翡翠美』は体を左右にひねって抵抗をしたが、か弱い女の体では、がっしりとした男の力にかなうハズがなかった。
 『響平』に両手首を掴まれ、指もしゃぶれなくなった『翡翠美』は、感情のストッパーが外れそうになっている。
 
 「あぁんっ……! はぁ、はぁ……」
 「ふふっ。すっかり顔が赤くなってるね」
 「あ……あぁ……」
 「何か言いたいなら、聞いてあげるよ?」
 「あ……あやま……れ……」
 「えっ?」
 「今すぐ……!  芽衣子に謝ってくれ……!」
 「あの女に? 私が謝る?」
 「『さっきは言い過ぎた』って、芽衣子に言え……! 絶対に、彼女を、傷つけるな……!」
 「それは、私がキョウくんとして、謝れということ?」
 「そ、そうだ……! 今は、お前が響平だから、芽衣子を笑顔にできるのは、お前だけなんだっ!」
 「あはははっ! どこまでも彼女さん想いだね」
 「……!?」
 「いいよ、やってあげる。そのかわり、キョウくんには私の命令に従ってもらうからね。自分を失うまで」
 「えっ……?」
 
 『響平』は、学生アパートに『翡翠美』を連れて帰った。

 * * *

 それから数十分後。
 帰ろうとしていた芽衣子は、来た道を引き返していた。とても嬉しそうな顔をして、小走りで響平の部屋に向かっている。
 
 「キョウくんっ、キョウくんっ……!」
 
 彼女がその綺麗な手に握りしめているスマートフォンには、メッセージが届いていた。送信元は彼氏からだ。
 
 『さっきはごめん。ちゃんと謝りたいから、もう一度俺の部屋に来てくれないか』

 *

 そして、夜の10時を過ぎた頃。
 コツコツというハイヒールの音が、響平の部屋の前で止まった。茶髪でロングヘアの女性が胸を高鳴らせながら、その扉の前に立っている。
 
 「キョウくんっ! 私、芽衣子だけどっ!」
 「ああ、中に入ってくれ。カギは開いてる」
 「うんっ!」
 
 芽衣子は笑顔を作ってから、玄関の扉をゆっくりと開けた。そして靴を脱ぎ、光が漏れるガラス戸に遮られた、奥の部屋へと向かった。

 ガラッ。

 「やあ、芽衣子。待っていたよ」
 「えっ!? キョウくん……?」
 
 芽衣子の彼氏である『響平』は、自分のベッドの横に椅子を置き、そこに座っていた。まるで、誰かを看病かんびょうしているかのような座り位置だ。
 服は下半身に一枚しか身につけておらず、彼の股間にあるソレがはっきりと分かる形になっていた。
 
 「見えるか? 芽衣子」
 「えっ?」
 「ほら、ベッドの上。誰がいると思う? 見ていいよ」
 「なっ!? どうして、この人がここにっ!?」

 ベッドに視線を送った芽衣子は、驚きの声を上げた。

 「はぁっ……はぁっ……。ひっ、翡翠美ぃ……!」
 「なんだい? キョウくん」
 「ぬ、脱いで……いい……? 俺……わたし、もう……。抑えきれないっ……」
 「下着は脱いじゃダメだって言ってるでしょ? あんまり激しくエッチなことをすると、気を失っちゃうからダメだよ」
 
 ベッドの布団の中には、芽衣子がさっき突き飛ばしたストーカー女がいた。顔を紅潮こうちょうさせ、口からはだらだらとヨダレを垂らしている。床に散らばる服を見たところ、おそらく今の彼女は、ブラジャーとショーツしか身につけていない。
 
 「あついっ……! 体の中が、すごく、あついの……!」
 「でもダメ。我慢して」
 「あつくて、苦しいよぅ……! はぁ、ふぅ……」
 「俺の……私の方が、もっと苦しかったんだよ。これからは、あなたにいっぱい苦しんでもらうからね。響平くん」
 
 ストーカー女は、さっきより可愛く甘えるような声で、『響平』と話している。そして肩から上だけを布団の外に晒しながら、布団の中にある両手をゴソゴソと動かしている。
 
 「はぁんっ……! あっ、んっ……」
 「もしかして、下着の中に手ぇ入れて触ってる?」
 「い、入れてないっ! 上から、押さえてる、だけ……!」
 「入れたら怒るからね」
 「ふぇっ……。お、おこらないで……」
 
 ひたすら、らされているような感覚。ストーカー女は足をバタつかせ、もだえ苦しんでいる。異常なほどに分泌ぶんぴつしている彼女の汗とヨダレで、響平の枕はぐっしょりと濡れている。
 芽衣子はいまだ状況が理解できず、『響平』に尋ねた。
 
 「何をやってるの!? キョウくん……!」
 「何をしてるかって? ふふっ、何もしていないよ。何もしなかったから、彼女はこうなってるんだよ」
 「どういう意味?」
 「このベッドに寝かせて、全身を優しくでてあげたんだ。気持ち良くなるようにね。ただ、それ以上のことは本当に何もしなかったから、この子はこうなった」
 「わ、分からないっ……! ちゃんと説明してっ!」
 
 芽衣子が響平だと思っている男は、少しあきれた様子で立ち上がり、ベッドで寝ている女に話しかけた。
 
 「芽衣子が、この状況を説明してほしいって。キョウくん」
 「芽衣子が……来てるの……?」
 「うん。そこで、変わり果てた姿のあなたを見てるよ」
 「いやっ……! 心まで、翡翠美に、なっちゃうところ……見られたく……ないっ……!」
 
 ストーカー女は顔を真っ赤にして、はぁはぁと息を切らし、泣きながら訴えた。
 しかし、『響平』はその訴えを無視して、芽衣子の方を向いてはっきりと言った。
 
 「ふふっ、キョウくんの彼女さんはバカだね。俺は……本物の響平じゃない。私は翡翠美だよ」
 「えっ? キョウくん……?」
 「あなたの好きな『キョウくん』はそっち。そこで、エッチなこと考えながら身悶えているストーカー女さんよ」
 「な、何を言ってるの!?」
 「二人の体が入れ替わってるって、彼がさっきが言ってたの、覚えてない?」
 「あっ……!」
 
 芽衣子は、さっき路上でストーカー女が言っていたことを思い出した。
 
 「でも、そんなことあるハズがない……!」
 「じゃあ、本人に聞いてみれば? そこのキョウくんに」
 
 芽衣子はベッドのそばにしゃがんで、甘い吐息を漏らし続けている女に話しかけた。
 
 「まさか……あなたがキョウくんなの? 本当にっ!?」
 「うんっ……! はぁ、はぁ……しんじ、て……」
 「ごめんなさい!! 私、あなたに酷いことを……!」
 「芽衣子、助けて……! 私……このままだと、翡翠美に……なっちゃうのっ……! キョウくん、に……響平、に、戻れなくなっちゃうっ……!」
 「えっ!?」
 「体が……止まらないのっ……! もっと、気持ち良く……なろうとして……」
 
 響平は『翡翠美』へと染まろうとし、自分の大きな乳房を、ブラジャーの上からぐちゃぐちゃに揉みしだいている。芽衣子はとにかくそれをやめさせようとして、強い力で『翡翠美』の両手を掴んだ。
 
 「はぁ……はぁ……」
 「大丈夫っ!? キョウくんっ!」
 「ダメ、うずくのっ……! もう、私……何も我慢できないっ……!」

 芽衣子はそばで立っている『響平』に詰め寄って、大声で叫んだ。
 
 「やめさせてあげてっ! キョウくんを助けてっ!」
 「それは無理だよ。私の体が勝手に発情してるだけだもん」
 「キョウくんの体を返してよ!」
 「それはイヤ。でも、チャンスはあげてもいいよ」
 「チャンス……!?」
 「そう。今のあなたには、二つの選択肢がある」
 「……」
 「一つは、そこで寝ている『自分のことを響平だと言い張る頭のおかしいストーカー女』と一緒に、これから女の子同士、仲良く幸せに暮らしていくこと」
 「……!」
 
 芽衣子はチラリと、『翡翠美』を見た。
 彼女はうつ伏せになりながらお尻を上げ、両手で、布団の中にある自分の体を必死にいじっている。理性は、もうなさそうだった。
 
 「そしてもう一つは、『響平』である私と、今まで通り、男女のカップルとして過ごすの。お互いに、今夜あったことは全て忘れるという条件でね。私はそれで、キョウくんと永遠に一つになれるから」
 「なっ……!?」
 「さぁ、どちらかを選んで」
 
 芽衣子は、響平と翡翠美の顔をもう一回ずつ見てから、しばらく目を閉じて考えた。

 「……」
 
 そして、ゆっくりと目を開くと、自分の出した答えを『響平』に伝えた。

 * * *

 日曜日。何気ない休日。
 やまあらし公園の近くを、一組のカップルが楽しそうに歩いている。
 
 「芽衣子、今日も楽しかったな!」
 「うん。私も久しぶりに、いっぱい運動したよ」
 
 彼氏の方は二つのグローブとボール、彼女の方は大きなバスケットを持っていた。彼氏は元気よく大股おおまたで道を歩いているが、彼女は荷物の重さからかゆっくり歩き、少し汗をかいている。

 「……!」

 しばらく楽しそうに歩いていたが、彼氏は急に立ち止まって、後ろを振り向いた。彼女を心配しているわけではなく、視線はそのさらに後ろに向けられている。
 
 「おい、今日も来てるよ。あいつ」
 「うん……」
 
 この二人の後ろの電柱の影に、一人の女が立っていた。先ほどから常に後をつけてきている、いわゆるストーカーだ。
 
 「鬱陶うっとうしいなぁ。よし、ちょっと行ってくる」
 「やめてあげてよ。キョウくん……」
 
 芽衣子の言葉を気にとめることなく、響平はストーカー女のそばに近づいた。
 
 「おい、翡翠美」
 「は、はいっ……」
 「俺たちの半径10メートル以内には近づくなって、言ったハズだよな?」
 「でも、芽衣子のことが、心配で……」
 「は? 芽衣子、だと? 俺の彼女を呼び捨てにするのか?」
 「め、芽衣子さん……ですっ……!」
 「それで? 俺の彼女と、ストーカーのお前に、なんの関係があるんだ?」
 
 響平が語気を強めて言うと、翡翠美はぽろぽろと泣き出してしまった。
 
 「ぐすっ、ごめんなさい……! お願いだから、私を怒らないで……」
 「おいおい泣くなよ。自業自得だろ」
 「うぅっ……ひぐっ……。私の体……早く返して……」
 「それはもう無理だよ。返す気は全くない。諦めろ」
 「嫌っ……。嫌なの……! 一生、こんな体で生きていく……なんて……」
 「ははっ。また指ぐらいは舐めさせてやるから、今日はもう帰れよ」
 「……」
 
 そんなことが嬉しいハズがないのに、女の体はそれを求めていた。ストーカー女は首を小さく縦に振ったあと、誰にも見られないように、電柱の陰で静かに泣き続けた。

 「さて、帰ろうか。芽衣子」
 「……あの子に、酷いことしないで」
 「あいつがバカなことをしなければ、こっちからは何もしないよ。ずっとこのまま……あそこで見てるだけならな」
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