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リュディアスからの求婚をはっきり断ってから一週間。
ジャスミンは前にもまして、自室に閉じこもるようになってしまった。食事の時間も家族と一緒に食堂で摂っていない。
毎日のように理由をつけてはジャスミンの部屋にやってきたリュディアスが、めっきり姿を見せなくなったので、ジャスミンの引きこもりにそのことが関係しているのだろうと誰もが思っているが、口にすることはない。
当然過保護な国王とウォーレスを筆頭に、城の皆が心配していた。
唯一部屋にいれるのはキャロルだけだった。
今日もキャロルが心配そうに、消化のよさそうな食事を運んできた。
ベッドで丸くなったままのジャスミンに声をかける。
「ジャスミンさま、お食事ですよ」
ジャスミンは上掛けをかぶったまま、弱弱しい声で答える。
「……いらないわ。食欲がないの」
「いい加減にしっかりと召し上がってください! この一週間、まともにお食事されていないではないですか!」
業を煮やしたのか、キャロルは上掛けを力強くはぐ。ジャスミンの顔をのぞき込んで、うろたえ始めた。
「まぁジャスミンさまのお肌にくすみが! 目元にクマが! ど、どうしましょう……!」
「いいわよ。くすみがあろうがクマがあろうが。誰に見せるでもなし」
当事者であるジャスミンはまったく動じていない。結婚する気がないのだから、美を磨き立てる理由がないのだ。
「鏡なんかまともに見てないけれど、そりゃあくすみやクマができるわよねぇ」
「ジャスミンさま、お嫌だったらお話していただかなくても結構です。ですが、ここ最近のジャスミンさまの落ち込み用は目に余ります! 毎日いらしていたリュディアスさまもお見かけしませんし、何があったのですか?」
(余計心配かけそうで嫌だけど、どうせバレることだし……)
悩んだが、ジャスミンは打ち明けることにした。
「リュディアスさまの求婚を、はっきりお断りしたの。だから仕事でお父さまにお会いすることがあっても、私の部屋に来ることはないわ。もう」
「そう、ですか」
そのように落ち込むのなら、なぜ断ったのか、などと小言を言われると思ったが、キャロルはジャスミンの手を優しく握った。潤んだ目で見つめながら、
「わたしはジャスミンさまの味方ですよ」
「キャロル」
ジャスミンは胸がいっぱいになって、キャロルを抱きしめた。
きっと、忘れられる。忘れよう。
リュディアスも、きっとジャスミンのことをいつかは忘れてくれる。
「今はとりあえずお食事をしっかり摂ってください。美味しいものを食べれば、心も段々元気になります。そしたら、とりあえず人は大丈夫なんです」
「……ええ、そうね」
それから一か月。
「おめでとうございます。ジャスミンさま」
「ありがとうございます」
差し出されたプレゼントを、ジャスミンは笑顔で受け取った。ずっと同じ表情でいるので、頬がぴくぴくと引きつり始めている。
座りっぱなしで体は痛いし、開始から何も口にしていないので、喉が渇き始めた上に空腹を訴え始めている。
「あと少しですわ。頑張ってくださいませ、ジャスミン様」
傍らに立ったキャロルが、小声で耳打ちをしてくれる。
今日は朝からジャスミンの成人の祝いが盛大に行われていた。国内の主要貴族を始め、各国の王族も数多く呼ばれている。
招待客が次から次へとプレゼントを持って挨拶にくるので、ジャスミンは椅子から立ち上がることもできずにいた。
先ほどジャスミンの近衛騎士には、二十代半ばの腕の立つ女性騎士であるアイリーンが任命された。今は王宮内なので傍にはいないが、これからは外出するときは常に警護してくれることになる。
視界の端で、ウォーレスが貴族の娘や近隣諸国の王女に囲まれて、ひきつった笑顔で応対しているのが見える。そしてそのウォーレスを、少し離れたところで王妃が見守っている。というか、見張っている。
(頑張って! お兄さま)
ジャスミンは心の中でエールを送った。今日はウォーレスの婚約者選びも兼ねているのだ。
「お疲れ様です。ジャスミンさま。何かお持ちしましょうか?」
ようやくすべての招待客があいさつを終えたようだ。
「動きたいから自分で取ってくるわ。ありがとう」
キャロルの申し出を断って、ジャスミンは立ち上がった。
声をかけられないよう、できる限り急いで皿に料理を取り、果実水の入ったグラスを手に取る。今日の主役である以上全く声をかけられないということはなかったが、笑顔かつ端的に切り抜けた。
ジャスミンは庭で食事を取ることにした。今日は少し肌寒いため、ほとんど人気がない。その分声をかけられづらいだろう。
開いているベンチにジャスミンは腰かけた。
果実水の入ったグラスを、ジャスミンは一気に飲み干した。乾ききった喉に、冷たい果実水の甘さが染み渡る。
「美味しい……!」
空腹すぎて勢いよく食べてしまいそうだが、否が応でもジャスミンは注目の的だ。王女らしく、上品に食べる。
ウォーレスが女性たちに囲まれるのと同じように、同じく未だ婚約者のいないジャスミンに近づこうと、男性たちが気にしているのが分かる。
(せめてこのお皿食べちゃうまでは声をかけてこないで……! お願い)
心の中で祈りながら、ジャスミンは食事を続ける。男性嫌いではないので、まったく会話をしたくないが、せめて食事を邪魔されたくはない。
「お疲れ様、ジャスミン。こんなところにいたのか。探したぞ」
「お兄さま」
少し疲れた顔のウォーレスが、ジャスミンの隣に座ってきた。ウォーレスが隣にいると、男性たちも声をかけづらいだろうから、ジャスミンは内心ほっとした。それはウォーレスも同じだろうから、お互いに利点がある。
「いいお相手は見つかりまして?」
からかい交じりにジャスミンが言うと、ウォーレスは渋い顔をする。
「お前までそんなことを言うのか。やっと抜け出してきたところなのに」
「だってお兄さまが婚約なされば、お母さまもわたしにはしばらくはうるさく言わないと思って」
「私が結婚すると、ジャスミンも寂しいだろう?」
「いえ、特に」
むしろジャスミンへのシスコンっぷりが和らぎそうなので、ウォーレスの結婚はむしろ歓迎だ。
はっきりと答えたジャスミンに、ウォーレスは可哀そうなくらいにがっかりしている。可哀想になって、ジャスミンも慌ててフォローすることにした。
「もちろん寂しいです、お兄さま。でも、お兄さまが結婚して跡継ぎを作ってくださらないと国が困りますもの」
「うん、そうだな! ジャスミンは可愛い上に優しくて、本当にいい子だな。成人したことだし、これではすぐに婚約の申し込みが殺到するだろう」
破顔したウォーレスは、シスコン丸出しの発言をする。そうかと思えばさっと顔色を変えて、ぶつぶつ言い始める。
「はっ! それは困るな。ジャスミンが行き遅れても困るが、せめて私が婚約してからにしてほしい……。父上と相談しなくては。私は急用ができたので、ではな!」
まくし立てたウォーレスは、慌てた様子で立ち去ってしまった。
「……何しに来たのかしら」
あっという間に姿が見えなくなったウォーレスを、呆れた顔で見送る。
「こんにちは、ジャスミンさま」
声をかけられて顔を上げれば、そこにいたのは……リドウェルだった。ジャスミンの近衛騎士の筆頭候補だったが、一方的に苦手意識を感じていたため、断った相手だ。
手に持った皿をソファーに置き、ジャスミンは立ち上がった。
知らず知らずのうちに後ずさりながら、笑顔を浮かべる。その顔は、多少ひきつってはいたが。
「あ……ごきげんよう、リドウェル」
顔を動かさないように、目だけで周囲の様子を窺うが、数人はいたはずなのに今は誰もいない。先ほどウォーレスが現れたことで、ジャスミンとしばらく話せないと悟りいなくなってしまったのだろう。
そんなジャスミンの様子を知ってか知らずか、リドウェルは穏やかな笑みを浮かべながら、淡々と話し始める。
「私がジャスミンさまの騎士に選ばれると有力視されていて、私自身もそう思っていたのに、残念でした。アイリーンが選ばれてしまって」
「……そうね。色々事情があるから……」
ジャスミンが断ったから、などと言えるはずがない。口を濁しながら、適当に用事ができたとでも言ってこの場を立ち去ろう、そう考えを巡らせていると。
「ジャスミンさまとこうして直接お話させていただいたことはほとんどありませんが、お姿をお見かけするたび、ずっと思っていたんです」
「何、を?」
リドウェルはふっと微笑んだ。大抵の女性はその端正な笑顔に、ころっとなびいてしまうだろう。ジャスミンはまったく心を引かれることはなかったが。むしろ……。
そっとジャスミンの髪を一房手に取って、くるくると指先に巻き付けてもて遊んだ。
「いきなり何を? 無礼だわ!」
ジャスミンはその手を振り払って、きっと睨みつけた。女性に対しての行為としても十分失礼だが、ジャスミンは王女であり、リドウェルは一騎士。不敬に当たるため、打ち首か即投獄でも文句は言えない。
「……このことは不問にしておくわ。だから早くここから」
立ち去って。
そう続けようとして、できなかった。リドウェルの言葉に驚いたから。
彼はにっと笑い、
「ああ、やっぱりその表情。……おまえ、#安藤都__あんどうみやこ__#か?」
「……どうして、その名前をあなたが知っているの?」
すっとその場の空気が冷えた気がした。ジャスミンの表情が消える。
それは前世の名前だった。自分でも忘れかけて、記憶の奥底に眠っている、今はもうかなり薄れたもの。その名前を知っている。その答えは一つしかないのに、聞いた。自分の考えが間違っていてほしい、という願いを込めて。
にやり、とリドウェルが笑った。
「いた……っ」
がんっと壁に体を押し付けられる。ジャスミンは苦痛で顔をゆがめた。
肩口が勢いよく壁に当たって痛い。リドウェルが、顔を近づけてくる。今にも唇がくっつきそうなほどに。
「#柏木鷹人__かしわぎたかと__#。忘れるはずないよな? 前世では婚約者だったんだから」
ジャスミンの思い過ごしであって欲しいという願いは、完全に消えた。リドウェルの口調は、前世と同じものに変わっている。
リドウェルの答えに、ジャスミンはようやく合点がいった。なぜ彼を苦手としていたのかを。
渾身の力を込めて、ジャスミンは彼を突き飛ばした。当然ジャスミンの力は彼には遠く及ばないはずだが、油断していたせいか、リドウェルはよろけてジャスミンの肩から手を離した。
「元……でしょう。それに今は何の関係もないはずだわ」
ジャスミンの言葉が聞こえているだろうに、リドウェルは飄々とした口調で、
「お前も転生してたんだな。昔のよしみでさ、結婚しね?お前俺のこと好きだろ?王女と結婚したら出世間違いなしだしー。妻が王女なら近衛騎士になれなかったのなんかどうでもいいや。一時期竜王と結婚するんじゃって言われてたけど、最近全然姿みせないところを見ると、フラれたんだろ?」
(あー。前と全然変わってない。自分の利益優先に考えてるところ)
無言のジャスミンは、彼を冷めた目で眺める。
なぜ前世の自分は、こんな人に夢中だったのだろう。こんな人のせいで傷ついたのだろう。この人は、彼女のことなんか少しも大切に思っていなかったのに。
(この人とリュディアス様は、やっぱり全然違う……)
「今世も顔は可愛いな。前世も顔はお前のほうがよかったんだけどな。社長令嬢だったら、多少顔が悪くてもそっちいくじゃん。なぁ? 出世街道まっしぐらと思ってた矢先に、事故って即死でさー。嫌になるよなー」
「………ざけんな」
ジャスミンの言葉が聞こえなかったリドウェルは、首を傾げる。
「あ?なにー?式いつにするー?その前に国王に挨拶しないとな。もうすぐ演習があって忙しいから、それが終わってからにしよう。会場はさ、ノクタリア大聖堂とかどう? 高等貴族たちみんなそこだもんな。あー、海外でリゾート挙式みたいなのもいいよなー」
一方的に予定を語るリドウェル。よくもまあこんなにすらすらと思い浮かべるものだ、とジャスミンはあきれた。すうっと息を吸い込んで、
「いつまでもあなたのこと好きなわけないでしょ!ざっけんな!わたしの前にもう現れないで! 騎士もわたし権限で今日限り解任します!」
「は、ちょ……!」
リドウェルはジャスミンの言葉に、茫然としている。ジャスミンがそんな反撃に出るとは、思ってもいなかったのだろう。ジャスミンに対して、かなりひどいことを言っていたというのに。
安藤都はいつも彼に従順だったから。一方的に捨てられた時すら、柏木鷹人を責めることすらしなかった。
ふんっと顔をそらすと、ジャスミンは立ち尽くすリドウェルを残して、すたすたとその場を立ち去った。
(どう、して……)
歩きながら、ジャスミンは自分がぽろぽろと涙をこぼしていることに気づいた。
もちろんリドウェルを振ったことが悲しいのではない。
ああ。前世の自分が不憫だと思ったから。安藤都が可哀想だと思ったから、彼女は泣いているのだ。
「あなたの仇は取ったわよ」
ジャスミンは胸に手をあてて、ぽつりと呟いた。そこに、安藤都がいる気がしたのだ。
柏木鷹人の転生した姿であるリドウェルに、言いたいことを言ったおかげでようやく呪いが解けた気がする。
呪いが解けたことで、ようやくジャスミンも、好きな人と結ばれることができるのだと思った。
(リュディアス様……)
勝手なのは分かっていたが、ジャスミンはリュディアスに気持ちを伝えたいと思った。例え彼が、もう彼女のことを愛してくれていなくても。ジャスミンはリュディアスを、愛している、と。
ジャスミンは前にもまして、自室に閉じこもるようになってしまった。食事の時間も家族と一緒に食堂で摂っていない。
毎日のように理由をつけてはジャスミンの部屋にやってきたリュディアスが、めっきり姿を見せなくなったので、ジャスミンの引きこもりにそのことが関係しているのだろうと誰もが思っているが、口にすることはない。
当然過保護な国王とウォーレスを筆頭に、城の皆が心配していた。
唯一部屋にいれるのはキャロルだけだった。
今日もキャロルが心配そうに、消化のよさそうな食事を運んできた。
ベッドで丸くなったままのジャスミンに声をかける。
「ジャスミンさま、お食事ですよ」
ジャスミンは上掛けをかぶったまま、弱弱しい声で答える。
「……いらないわ。食欲がないの」
「いい加減にしっかりと召し上がってください! この一週間、まともにお食事されていないではないですか!」
業を煮やしたのか、キャロルは上掛けを力強くはぐ。ジャスミンの顔をのぞき込んで、うろたえ始めた。
「まぁジャスミンさまのお肌にくすみが! 目元にクマが! ど、どうしましょう……!」
「いいわよ。くすみがあろうがクマがあろうが。誰に見せるでもなし」
当事者であるジャスミンはまったく動じていない。結婚する気がないのだから、美を磨き立てる理由がないのだ。
「鏡なんかまともに見てないけれど、そりゃあくすみやクマができるわよねぇ」
「ジャスミンさま、お嫌だったらお話していただかなくても結構です。ですが、ここ最近のジャスミンさまの落ち込み用は目に余ります! 毎日いらしていたリュディアスさまもお見かけしませんし、何があったのですか?」
(余計心配かけそうで嫌だけど、どうせバレることだし……)
悩んだが、ジャスミンは打ち明けることにした。
「リュディアスさまの求婚を、はっきりお断りしたの。だから仕事でお父さまにお会いすることがあっても、私の部屋に来ることはないわ。もう」
「そう、ですか」
そのように落ち込むのなら、なぜ断ったのか、などと小言を言われると思ったが、キャロルはジャスミンの手を優しく握った。潤んだ目で見つめながら、
「わたしはジャスミンさまの味方ですよ」
「キャロル」
ジャスミンは胸がいっぱいになって、キャロルを抱きしめた。
きっと、忘れられる。忘れよう。
リュディアスも、きっとジャスミンのことをいつかは忘れてくれる。
「今はとりあえずお食事をしっかり摂ってください。美味しいものを食べれば、心も段々元気になります。そしたら、とりあえず人は大丈夫なんです」
「……ええ、そうね」
それから一か月。
「おめでとうございます。ジャスミンさま」
「ありがとうございます」
差し出されたプレゼントを、ジャスミンは笑顔で受け取った。ずっと同じ表情でいるので、頬がぴくぴくと引きつり始めている。
座りっぱなしで体は痛いし、開始から何も口にしていないので、喉が渇き始めた上に空腹を訴え始めている。
「あと少しですわ。頑張ってくださいませ、ジャスミン様」
傍らに立ったキャロルが、小声で耳打ちをしてくれる。
今日は朝からジャスミンの成人の祝いが盛大に行われていた。国内の主要貴族を始め、各国の王族も数多く呼ばれている。
招待客が次から次へとプレゼントを持って挨拶にくるので、ジャスミンは椅子から立ち上がることもできずにいた。
先ほどジャスミンの近衛騎士には、二十代半ばの腕の立つ女性騎士であるアイリーンが任命された。今は王宮内なので傍にはいないが、これからは外出するときは常に警護してくれることになる。
視界の端で、ウォーレスが貴族の娘や近隣諸国の王女に囲まれて、ひきつった笑顔で応対しているのが見える。そしてそのウォーレスを、少し離れたところで王妃が見守っている。というか、見張っている。
(頑張って! お兄さま)
ジャスミンは心の中でエールを送った。今日はウォーレスの婚約者選びも兼ねているのだ。
「お疲れ様です。ジャスミンさま。何かお持ちしましょうか?」
ようやくすべての招待客があいさつを終えたようだ。
「動きたいから自分で取ってくるわ。ありがとう」
キャロルの申し出を断って、ジャスミンは立ち上がった。
声をかけられないよう、できる限り急いで皿に料理を取り、果実水の入ったグラスを手に取る。今日の主役である以上全く声をかけられないということはなかったが、笑顔かつ端的に切り抜けた。
ジャスミンは庭で食事を取ることにした。今日は少し肌寒いため、ほとんど人気がない。その分声をかけられづらいだろう。
開いているベンチにジャスミンは腰かけた。
果実水の入ったグラスを、ジャスミンは一気に飲み干した。乾ききった喉に、冷たい果実水の甘さが染み渡る。
「美味しい……!」
空腹すぎて勢いよく食べてしまいそうだが、否が応でもジャスミンは注目の的だ。王女らしく、上品に食べる。
ウォーレスが女性たちに囲まれるのと同じように、同じく未だ婚約者のいないジャスミンに近づこうと、男性たちが気にしているのが分かる。
(せめてこのお皿食べちゃうまでは声をかけてこないで……! お願い)
心の中で祈りながら、ジャスミンは食事を続ける。男性嫌いではないので、まったく会話をしたくないが、せめて食事を邪魔されたくはない。
「お疲れ様、ジャスミン。こんなところにいたのか。探したぞ」
「お兄さま」
少し疲れた顔のウォーレスが、ジャスミンの隣に座ってきた。ウォーレスが隣にいると、男性たちも声をかけづらいだろうから、ジャスミンは内心ほっとした。それはウォーレスも同じだろうから、お互いに利点がある。
「いいお相手は見つかりまして?」
からかい交じりにジャスミンが言うと、ウォーレスは渋い顔をする。
「お前までそんなことを言うのか。やっと抜け出してきたところなのに」
「だってお兄さまが婚約なされば、お母さまもわたしにはしばらくはうるさく言わないと思って」
「私が結婚すると、ジャスミンも寂しいだろう?」
「いえ、特に」
むしろジャスミンへのシスコンっぷりが和らぎそうなので、ウォーレスの結婚はむしろ歓迎だ。
はっきりと答えたジャスミンに、ウォーレスは可哀そうなくらいにがっかりしている。可哀想になって、ジャスミンも慌ててフォローすることにした。
「もちろん寂しいです、お兄さま。でも、お兄さまが結婚して跡継ぎを作ってくださらないと国が困りますもの」
「うん、そうだな! ジャスミンは可愛い上に優しくて、本当にいい子だな。成人したことだし、これではすぐに婚約の申し込みが殺到するだろう」
破顔したウォーレスは、シスコン丸出しの発言をする。そうかと思えばさっと顔色を変えて、ぶつぶつ言い始める。
「はっ! それは困るな。ジャスミンが行き遅れても困るが、せめて私が婚約してからにしてほしい……。父上と相談しなくては。私は急用ができたので、ではな!」
まくし立てたウォーレスは、慌てた様子で立ち去ってしまった。
「……何しに来たのかしら」
あっという間に姿が見えなくなったウォーレスを、呆れた顔で見送る。
「こんにちは、ジャスミンさま」
声をかけられて顔を上げれば、そこにいたのは……リドウェルだった。ジャスミンの近衛騎士の筆頭候補だったが、一方的に苦手意識を感じていたため、断った相手だ。
手に持った皿をソファーに置き、ジャスミンは立ち上がった。
知らず知らずのうちに後ずさりながら、笑顔を浮かべる。その顔は、多少ひきつってはいたが。
「あ……ごきげんよう、リドウェル」
顔を動かさないように、目だけで周囲の様子を窺うが、数人はいたはずなのに今は誰もいない。先ほどウォーレスが現れたことで、ジャスミンとしばらく話せないと悟りいなくなってしまったのだろう。
そんなジャスミンの様子を知ってか知らずか、リドウェルは穏やかな笑みを浮かべながら、淡々と話し始める。
「私がジャスミンさまの騎士に選ばれると有力視されていて、私自身もそう思っていたのに、残念でした。アイリーンが選ばれてしまって」
「……そうね。色々事情があるから……」
ジャスミンが断ったから、などと言えるはずがない。口を濁しながら、適当に用事ができたとでも言ってこの場を立ち去ろう、そう考えを巡らせていると。
「ジャスミンさまとこうして直接お話させていただいたことはほとんどありませんが、お姿をお見かけするたび、ずっと思っていたんです」
「何、を?」
リドウェルはふっと微笑んだ。大抵の女性はその端正な笑顔に、ころっとなびいてしまうだろう。ジャスミンはまったく心を引かれることはなかったが。むしろ……。
そっとジャスミンの髪を一房手に取って、くるくると指先に巻き付けてもて遊んだ。
「いきなり何を? 無礼だわ!」
ジャスミンはその手を振り払って、きっと睨みつけた。女性に対しての行為としても十分失礼だが、ジャスミンは王女であり、リドウェルは一騎士。不敬に当たるため、打ち首か即投獄でも文句は言えない。
「……このことは不問にしておくわ。だから早くここから」
立ち去って。
そう続けようとして、できなかった。リドウェルの言葉に驚いたから。
彼はにっと笑い、
「ああ、やっぱりその表情。……おまえ、#安藤都__あんどうみやこ__#か?」
「……どうして、その名前をあなたが知っているの?」
すっとその場の空気が冷えた気がした。ジャスミンの表情が消える。
それは前世の名前だった。自分でも忘れかけて、記憶の奥底に眠っている、今はもうかなり薄れたもの。その名前を知っている。その答えは一つしかないのに、聞いた。自分の考えが間違っていてほしい、という願いを込めて。
にやり、とリドウェルが笑った。
「いた……っ」
がんっと壁に体を押し付けられる。ジャスミンは苦痛で顔をゆがめた。
肩口が勢いよく壁に当たって痛い。リドウェルが、顔を近づけてくる。今にも唇がくっつきそうなほどに。
「#柏木鷹人__かしわぎたかと__#。忘れるはずないよな? 前世では婚約者だったんだから」
ジャスミンの思い過ごしであって欲しいという願いは、完全に消えた。リドウェルの口調は、前世と同じものに変わっている。
リドウェルの答えに、ジャスミンはようやく合点がいった。なぜ彼を苦手としていたのかを。
渾身の力を込めて、ジャスミンは彼を突き飛ばした。当然ジャスミンの力は彼には遠く及ばないはずだが、油断していたせいか、リドウェルはよろけてジャスミンの肩から手を離した。
「元……でしょう。それに今は何の関係もないはずだわ」
ジャスミンの言葉が聞こえているだろうに、リドウェルは飄々とした口調で、
「お前も転生してたんだな。昔のよしみでさ、結婚しね?お前俺のこと好きだろ?王女と結婚したら出世間違いなしだしー。妻が王女なら近衛騎士になれなかったのなんかどうでもいいや。一時期竜王と結婚するんじゃって言われてたけど、最近全然姿みせないところを見ると、フラれたんだろ?」
(あー。前と全然変わってない。自分の利益優先に考えてるところ)
無言のジャスミンは、彼を冷めた目で眺める。
なぜ前世の自分は、こんな人に夢中だったのだろう。こんな人のせいで傷ついたのだろう。この人は、彼女のことなんか少しも大切に思っていなかったのに。
(この人とリュディアス様は、やっぱり全然違う……)
「今世も顔は可愛いな。前世も顔はお前のほうがよかったんだけどな。社長令嬢だったら、多少顔が悪くてもそっちいくじゃん。なぁ? 出世街道まっしぐらと思ってた矢先に、事故って即死でさー。嫌になるよなー」
「………ざけんな」
ジャスミンの言葉が聞こえなかったリドウェルは、首を傾げる。
「あ?なにー?式いつにするー?その前に国王に挨拶しないとな。もうすぐ演習があって忙しいから、それが終わってからにしよう。会場はさ、ノクタリア大聖堂とかどう? 高等貴族たちみんなそこだもんな。あー、海外でリゾート挙式みたいなのもいいよなー」
一方的に予定を語るリドウェル。よくもまあこんなにすらすらと思い浮かべるものだ、とジャスミンはあきれた。すうっと息を吸い込んで、
「いつまでもあなたのこと好きなわけないでしょ!ざっけんな!わたしの前にもう現れないで! 騎士もわたし権限で今日限り解任します!」
「は、ちょ……!」
リドウェルはジャスミンの言葉に、茫然としている。ジャスミンがそんな反撃に出るとは、思ってもいなかったのだろう。ジャスミンに対して、かなりひどいことを言っていたというのに。
安藤都はいつも彼に従順だったから。一方的に捨てられた時すら、柏木鷹人を責めることすらしなかった。
ふんっと顔をそらすと、ジャスミンは立ち尽くすリドウェルを残して、すたすたとその場を立ち去った。
(どう、して……)
歩きながら、ジャスミンは自分がぽろぽろと涙をこぼしていることに気づいた。
もちろんリドウェルを振ったことが悲しいのではない。
ああ。前世の自分が不憫だと思ったから。安藤都が可哀想だと思ったから、彼女は泣いているのだ。
「あなたの仇は取ったわよ」
ジャスミンは胸に手をあてて、ぽつりと呟いた。そこに、安藤都がいる気がしたのだ。
柏木鷹人の転生した姿であるリドウェルに、言いたいことを言ったおかげでようやく呪いが解けた気がする。
呪いが解けたことで、ようやくジャスミンも、好きな人と結ばれることができるのだと思った。
(リュディアス様……)
勝手なのは分かっていたが、ジャスミンはリュディアスに気持ちを伝えたいと思った。例え彼が、もう彼女のことを愛してくれていなくても。ジャスミンはリュディアスを、愛している、と。
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