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駅に近づくにつれて人が増えてくる。
薄井駅北口の広場に面して小さなパチンコ屋がある。
シャッターの下りたお店の前にはゴミ袋が積んである。
歩きスマホの高校生が突っ込みそうになって、変なリズムのステップを刻んでゴミの山をよけていく。
康輔だったら、まっすぐ突っ込んでコントみたいに転んでいただろうな。
スマホを取り出して、看板の文字を一つだけ指で隠して写真を撮ってみる。
『パチン』
やっぱり『コ』を隠しても面白くないよね。
あいつ、何が言いたかったんだろう。
パチン!
スイッチをオフにしたみたいに、康輔といた世界のすべてが消えてしまっていた。
でも、あたしはこの世界で生きていかなければならないんだ。
『パ』を隠してみたら、おまえ何やってるんだよなんて康輔が出てきてくれるかな。
そんなわけないか。
一応やってみる。
写真も撮ってみた。
でも、やっぱり康輔は出てこない。
当たり前か。
あきらめて駅の階段を上がる。
改札口の前で、いつものように康輔を待つ。
もちろん、来ない。
『もちろん』とか『当たり前』なんて言ってしまう自分がちょっとだけ嫌になる。
でもやっぱり、来ないものは来ない。
そんなふうに胸にチクリと刺さる小さなトゲを確認しながら、あたしは毎朝改札口を通るのだ。
いつもの電車がやってきて、いつもの車両に乗り込む。
そういう日常の小さな儀式を積み重ねていく。
ちょっと生きることに敏感になりすぎているとは思う。
でも、今はそれくらいでちょうどいい。
そうやってあたしは、この受け入れがたい世界を生きていくんだ。
印旛沼と風車を眺めながら康輔のことを考える。
カバみたいに大きな口を開けてあくびしていた姿がはっきりと思い浮かぶ。
『歯、磨いてきた?』
『顔は洗った』
夢や妄想じゃない。
そんなどうでもいい会話だってちゃんと覚えている。
病気や怪我のせいで記憶がねじれたり、いない人のことを想像したりすることってあるんだろうか。
検査の時にお医者さんに聞いてみたかったけど、お母さんと一緒だったから、そんなことを聞くわけにはいかなかった。
家族に余計な心配をさせたくはない。
脳にも身体にも異常がないんだから、お医者さんだって、それ以上のことは分からないだろう。
康輔のいない日々を過ごすことになるなんて思ってもみなかった。
でも、それが現実なんだ。
笹倉駅では、階段下でミホが待っていてくれた。
退院して以来、毎朝ずっと来てくれている。
「おはよう、ミホ。今日もありがとうね」
「はあい、かさね。すっかり鍛えられたからね」
ミホが太股のあたりをポンポンとたたく。
毎朝急な坂道を往復していたせいか、ミホはマラソン記録会ではかなり上位に食い込んでいた。
「でも、食欲倍増で体重もやばいんだよね」
「そんなことないよ」と上から下まで全身を眺めながら言うと、ミホがあたしの肩をつつく。
「コラ、今、どこ見て言った?」
「あー、えっと、全体的に?」
「ペタンコ同盟なんか組まないからね」
言葉はきついけど、ミホの目は笑っている。
「思ってないよ。ほら、行こうよ」
あたしは後ろからミホの両肩に手をかけて押した。
「電車ごっこじゃないんだからさ」と言いつつ、ミホも足取りが軽い。
すれ違う人たちも子供っぽいノリのあたしたちを見てクスリと笑みを浮かべている。
これがあたしたちの日常なんだ。
ミホは『ペタンコ同盟』の成り立ちを覚えているんだろうか。
康輔が『ガッカリ体型』って言って、あたしが『ペタンコ同盟』と名付けたんだった。
でも、ミホには聞けなかった。
そういう言葉だけはちゃんと残っていても、あたし以外の人からは康輔の記憶は消えているんだ。
確かめてみようとしたところで、友達を困らせるだけだ。
ミホにとってあたしは、大切な人を失って困っている友人ではなくて、交通事故に遭ってリハビリ中の同級生なのだ。
あたしとミホは、見ている世界が違う。
見ようとしている物が違うのだ。
この世界がいくつもあるわけじゃないのにね。
ちょっとだけ鳥肌が立つようなざわっとした感覚がわき起こる。
と、そのときだった。
「ストップ、ストップ!」
ミホがのけぞりながら後ろに体重をかけて立ち止まる。
思わずおでこからミホの後頭部につっこみそうになってしまった。
「ちょ、かさね、赤だよ、赤!」
目の前を車が通りすぎていく。
横断歩道の信号に気づいていなかった。
「ごめん、前が見えなかったよ」
「かんべんしてよ。ちょーこわかったよ」
「ごめんごめん。危ないからやめようね」
あたしはミホと並んで信号が青になるのを待った。
中一の時に康輔に後ろから抱きつかれたことを思い出す。
あのときは前にいたあたしが立ち止まって、康輔が後ろからぶつかってきたんだった。
鼻血まで出してたんだから、相当痛かったんだろうな。
ごめんね。
……康輔。
「かさね?」
いつの間にか信号が変わっていた。
ミホが横断歩道の真ん中で振り向いていた。
あたしは白いラインだけを踏みながらミホを追いかけた。
「ほんと、ごめんね」
「べつにそんなマジに受け取らなくっていいって」
今度はミホが後ろに回ってあたしの両肩をつかんだ。
「運転手交替。次は坂道です」
「あ、楽かも」
友達に背中を預けながら坂を上る。
ミホは優しい。
どんなときでもミホはあたしを受け止めてくれる。
あたしは相変わらず甘えている。
何も変わらない。
康輔がいないこと以外は……。
坂の上から顔をのぞかせる冬の朝日がまぶしい。
十二月に入って急に日差しが低くなってきた。
暗いはずの竹藪全体が黄色い斜光に染まっている。
「かさね、まぶしいでしょ」
あたしがうなずくと、ミホが後ろで笑う。
「でしょ。私の方はね、ちょうどかさねの頭が影になってくれて助かるんだ」
しまった利用されていたか。
「こっちはめっちゃまぶしいんですけど」
じゃあ、とミホがあたしの両目を手でふさいできた。
「これでどうよ」
肩を押す代わりに背中に頭をつけて押してくる。
確かにまぶしくはないけど、何も見えなくてこわい。
足下は滑りやすいし、どこで曲がればいいのかも分からない。
と、思った瞬間、ズルッと足が滑った。
「ちょ、危ないし、こわいよ」
「緊急停止。キキーッ」と、ブレーキの音まで再現しながらミホが手をどけてくれた。
目を開けるとそこは勾玉神社の前だった。
先週末までと風景が違う。
ブルーシートが撤去されていて、懐かしい風景にもどっていた。
白い石造りの立派な鳥居が立っていて、その奥に狛犬が左右に並んでいる。
「あ、元に戻ってるじゃん」
先に声を上げたのはミホの方だった。
土日に一気に工事をしたんだろうか。
あたしたちは自然と境内に足を踏み入れていた。
それほど広くない境内だけど、凜とした静けさを感じる。
鳥居をくぐっただけなのにずいぶん雰囲気が違う。
ちゃんと修理できて良かったですね。
心の中であたしは勾玉神社の神様に頭を下げた。
「ねえ、かさね。見て、この狛犬、イケメンじゃない?」
「あ、なんか洋風だね」
事故で壊れたのは左側の狛犬だけだ。
元からある右側の狛犬は鼻のつぶれた獅子舞みたいな顔つきだけど、新しくなった左側はなぜかキツネのような顔つきをしていた。
「シェルティみたいだよね」とミホが狛犬様のお顔をなでている。
「シェルティって何?」
「シェットランドシープドッグっていう、イギリスかなんかの犬」
説明しながらミホがスマホを取り出して画像検索してくれた。
「ほら、これ」
ああ、確かに洋風なおしゃれさんだ。
細長い顔に鼻筋が通っていて知性がにじみ出た表情だ。
「コーギーっていう足の短い犬も顔が似てるね」
「そうだね。それもイケメンさんだ」
ミホがフレンチブルドッグみたいで愛嬌のある右側の狛犬と比べながら首をかしげた。
「なんで左右そろえなかったんだろうね」
「だよね。なんかちぐはぐだよね。狛犬にも流行りの形とかがあるのかな」
「在庫がこれしかなかったとか」と、ミホがバチ当たりなことを言う。
「余り物とか言ったら狛犬様に怒られるよ」
「うわあ、すみませんでした。ちょーイケメンで素敵ですよ」
あわてて頭を下げたミホが狛犬様の台座におでこをぶつけてしまった。
「いったぁ!」と頭を押さえながらミホがふらつく。
「大丈夫?」
「さっそくバチが当たったよ」と涙目になりながらもケラケラ笑っている。「イケメンってほめたのにな」
「気持ちがこもってないのがお見通しだったとか」
「神様の守り神だから、それくらいばれちゃうか」と、一歩下がって距離感を確かめてからもう一度ミホが頭を下げた。「本当に失礼なことを言って済みませんでした。オンリーワンの素敵な狛犬様だと思っています」
「犬だけに?」と思わずツッコミを入れてしまった。
起き直ったミホがぽかんとした表情であたしを見ている。
「あ、ほら、オンリーワンッ!」
みるみるミホが赤くなる。
「ち、ちが……、ちょ、やめてよ。ていうか、それ、私じゃなくてかさねのダジャレだからね」
ミホが顔を手であおぎながら背中を向ける。
「あたしじゃないよ。ミホが言ったんじゃん。ワンワンッ! オンリーワンッ!」
ワンワンッ!
急に血の気が引くような感覚に襲われる。
狛犬様に向かって吠えていた康輔のことを思い出す。
顔のマッチング判定で狛犬そっくりと出たときのことだ。
康輔……。
『ハチ公並みの忠犬になるぜ』
『迎えに来てくれるか?』
あの時の康輔の言葉、しぐさ、表情。
そして、あの時のあたしの気持ち。
それまで隠していた好意を伝えようと決心したときのあの時のちょっぴりこわくて、でも、康輔のことが好きで好きでたまらなくて、絶対にこの気持ちを伝えるんだって決めたときのあの時の気持ちが一気にこみ上げてくる。
あの時の気持ちもあの時の決意も全部夢でも幻でも嘘でもなんでもないよ。
あたしは康輔が好きなんだもん。
行きたいよ。
迎えに行きたいよ。
渋谷の駅前に行けば待っていてくれるの?
あたしが迎えに行くのを待っていてくれるの?
つれない返事のように風が吹き抜けていく。
いつのまにか頬が冷たい。
「かさね?」
呼ばれて我に返ると、ミホがあたしの顔をのぞき込んでいた。
「大丈夫?」
今度はあたしが心配される番だった。
「泣いてるの?」と、ミホがハンカチを出して拭いてくれる。
「なんでもないよ。ミホが痛そうだったから、なんかあたしも鼻がジーンときちゃって」
下手くそなごまかし方だったけど、押し切るしかなかった。
「私は大丈夫だよ。もう痛くないし」と、ミホがおでこをさする。
「良かった。あ、学校行かなきゃ。遅刻しちゃうよ」
あたしはミホの手を引いて境内を出た。
道を歩いていると、他の同級生達が合流してきた。
「おっはよう、ミホ、かさね」
同じ調理科のメグとサキだ。
「あ、おはよう」
あたしたちの日常が戻ってくる。
メグがミホを指さす。
「ミホ、おでこ赤いよ」
「ちょっとぶつけちゃってさ」
「やだあ、美貌が台無しじゃん」
サキもたたみかけてくる。
「そうだよね。ミホの美貌は私たちの宝物なんだからさ」
「なにそれ」と照れ笑いを浮かべたミホがかかとでターンして背中を向けた。
ちょうど校門を通り過ぎたところで、メグが朝日に輝く校舎を指さす。
「そうそう。なにしろ、イケメン絶滅区域だからね、ここは」
「だよね。ミホはあたしたちの唯一の希望の光だもん」
二人の笑い声が澄んだ青空に舞い上がる。
「意味分かんないし」とミホが一人、口をとがらせている。
そんなミホを見て、メグが演劇口調で空に向かって手を伸ばす。
「おお、ミホ、あなたはなぜミホなの?」
ロミオとジュリエットのものまねだ。
「オヤジに聞けよ」と本人はそっけない。
「うほ、男前!」とサキが手をたたきながら笑う。「ていうか、名前つけたのお父さんなの?」
言われてミホが首をかしげる。
「あれ、どうだろうね。そういえば聞いたことないや」
「聞いときなよ」
「だよね」とメグもうなずく。
ミホが二人に聞き返す。
「メグもサキも誰が決めたか知ってるの?」
「うちはお母さん」と、メグ。
サキが自分を指さす。
「うちはね、お父さんの方のおじいちゃんおばあちゃんだって」
へえ、そうなんだとミホがうなずいている。
昇降口に着いたところで、メグがあたしの方を向いた。
「かさねは?」
「はえ?」
上履きに履き替えているときに急に話を振られたものだから、間の抜けた返事をしてしまった。
「なによ、名付け親がハエだったらやばいじゃん」と、メグが笑いだす。
「ああ、ええとね、うちはおばあちゃん。なんか松尾芭蕉がどうとか言ってた」
へえ、そうなんだとみんながうなずいている。
サキが腕を組みながら首をかしげた。
「『奥の細道』だっけ、松尾芭蕉って」
「うん、そう。旅の途中で馬を借りたときに、そこの農家の女の子がナデシコの花みたいにかわいかったんだって。その子の名前が『かさね』なんだって言ってたよ」
「へえ、松尾芭蕉公認かよ。なんかすごいね。急に由緒正しいお姫様みたいに見えてきた」
予鈴が鳴ってしまった。
「おっと、ヤバイ。一限から実習じゃん」とメグがパチンと手をたたく。
「そうだ、そうだ。おしゃべりしてる場合じゃないし」とサキがミホとあたしの背中を押した。
いったん教室に鞄を置いて、調理室に急がなければならない。
歩き出したところでメグが立ち止まる。
「で、結局、ロミオはなんでロミオなの?」
「知るかよ。あとでググれ」と、ミホがメグの両肩をつかんでくるりと回す。
メグをおいてあたしたちは駆け出した。
「もう、待ってよ。ロミホ!」
「混ざってるよ!」とミホが吹き出す。
「かっこいいじゃん。ロミホ! ロミホ!」
メグとサキが調子に乗ってはやしたてる。
ミホが腰に手を当ててあたしたちの前に立ちはだかった。
「ようし、おまえら全員、そこに並べ!」
え、あたしも?
「デコピンだ!」
ていっ!
ていっ!
ていっ!
三人連続でナイスヒット。
「これでみんなおそろだね」とミホを指さしながらサキが笑う。
「マジで? 私のたんこぶ目立つ?」
「さっきより赤いような気がするけど、そこまでじゃないよ」と教えてあげる。
「デコッパチのミホも素敵だし」とメグが片目をつむって茶化す。
手招きしながらサキが駆け出した。
「ていうか、ヤバイよ。実習遅れちゃうって。準備間に合わないと減点だよ」
サキの背中をあたしたちも追いかけた。
応援ありがとうございます!
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