首斬り源八郎と奇縁の亀若丸 ~刻まれる高貴な血~

橋本洋一

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「お前の軽い刀じゃ俺は斬れねえ」

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「三左衛門。さっさとここから出るぞ」
「追い払えたんですね……良かった……」

 安心した表情の三左衛門と亀若丸に対して「そうじゃない」と厳しい現実を告げる。

「新手が来るかもしれん。それに屋敷に入られたり火をつけられたりされたらどうにもならない」
「彼らはそこまでするんですか?」
「追い詰められた人間は何をするか分からない。玄関から出るぞ」

 すると三左衛門が「裏口から出たほうがいいのでは?」と提案してくる。

「いや。裏口は不味い。固められている可能性がある」
「なるほど。私たちが出てくるのを待ち構えているのですね」

 昔から理解の早い三左衛門だったが、この状況でも頭が回るのは頼もしく感じる。
 亀若丸のほうをちらりと見る。
 真っ青な顔で身体が震えていた。はっきりと言えば怯えている。

「怖いか?」
「こ、怖くなんかない! おいらを馬鹿にするな!」
「別に馬鹿にしていない。それに怖かったら怖いと言え。子供なんだから恥ずかしいことじゃない」
「…………」

 さて。現状を確認したところで俺たちは正面の玄関から堂々と出た。もちろん、屋敷の下男や女中も一緒だった。彼らは何が何だか分からないようだったが、指示には従ってくれた。

「これからどうする?」
「私の伝手は使えませんし……源八郎さんの家はどうですか?」
「師匠から賜わった家だ。破門された今、使っていいものか……」
「律儀ですね。返せとは言われていないのでしょう?」

 飄々ひょうひょうとしているが、あまり余裕がないらしい。
 道理や筋道を大事にする奴なので、いつもなら強引なやり方は好まないのだが、そう言っていられる状況ではないのだろう。

「そこに行くしかないか……おい、亀若丸。一人でも歩けるか?」
「うううう……」

 命を狙われたせいで足が震えて歩けないようだ。
 仕方がないなと俺は亀若丸を背負った。
 十歳とはいえ、小柄なので軽い――意外と柔らかいな。

「わわわ! は、恥ずかしいって!」
「怯えているクセに何言ってやがる……」
「まるで親子みたいですね」

 三左衛門が微笑ましいという顔をしていたので睨みつけてやる。
 俺の家は屋敷から程遠くない場所にある。奉行所に近いほうが何かと便利だと師匠に決められたのだ。

 それにしても亀若丸――未だに震えている――の事情とはなんだろうか?
 昨夜と合わせて武士が七人も狙っているなんておかしい。
 ただの百姓の子だと本人も言っているが……

 考えられる推測は三つ。
 一つは亀若丸が嘘をついているか、何か隠している。
 しかし、怖い思いをしてまで貫く秘密などあるのだろうか?
 実際に知り合いの銀次郎が死んでいるのだ。白状しても不自然ではない。

 二つは亀若丸が手違いで狙われている。
 亀若丸という名前はありきたりではない。武家の子に名付けるのに相応しい名だ。
 もしかすると、亀若丸と同名の子と間違えられて――ありえないな。あんだけ人数がいて誤解が生まれるはずがない。

 だとすれば最後の三つ目――亀若丸が自身も知らない、何か大きなものを背負っているという推測だ。もしこれならばお手上げしかない。打開策も見つけられず、このまま狙われ続けるだろう。

「あ、あの……源八郎?」
「別にさんを付けろとは言わねえが……どうかしたのか?」
「あの人、見たことある……」

 亀若丸が背中から指差したのは、堂々と正面に立っている浪人風の男だった。
 背丈は高くがっしりとした体型。月代をしているが全体的に汚れている灰色の服を着ていた。目はまん丸で鼻もデカい。三十手前という感じだ。にやにやと笑いながらこちらを見ている。

「いつ、どこでだ?」
「銀次郎と一緒にいたとき。逃げろって言って。おいらだけ走って逃げた……」

 ぶつ切りのような説明だったが、おそらく銀次郎を斬ったのは奴だろう。
 血の臭い……いや、死臭を感じさせる雰囲気がある。
 それほど、人を斬ってきたのだろう。

「俺は嶋田しまだ四之助しのすけってんだけどよ――」

 おそらくこちらの視線に気づいたのだろう。
 気の置けない友人に話しかけるような、軽い口調で名乗ってきた。

「あんたが背負っているのが亀若丸だろ? そいつ寄越してくれねえか?」
「それを聞く道理が私たちにありますか?」

 後ろを歩いていた三左衛門が強気で返す。
 おいおい、斬った張ったをするのは俺なんだけどなあ……

「寄越してくれねえと困るんだ。雇い主がうるさくてよ」
「雇い主? あなたは誰かに雇われているんですか?」

 鋭い指摘に嶋田は「あー、そうだな」とあっさりと認めた。
 馬鹿正直な奴だなと思いつつ「その雇い主って誰なんだ?」と俺は訊ねた。

「言えねえなあ。だって、俺も知らねえんだもの」
「……知らねえってことはねえだろ。話を持ってきた野郎がいるはずだ」
「それがさ。仲介人に言われてここにいるんだよ。だからなんでそのガキが狙われているのか分からねえ」

 本気で何も知らないのか?
 それなのに、命のやりとりをしようとしている……度し難い……

「まったく、他の連中は使えねえな。あんだけ人数がいて逃げられるなんてよ」
「……亀若丸。三左衛門と一緒に離れてろ」

 羽毛のように軽い言葉遣いだが、殺気が徐々に出てきているのが分かる。
 亀若丸が下りて三左衛門のところにいるのを確認すると「あんたは強そうだな」と俺は刀を抜いた。

「おいおい。ちょっと待ってくれよ。もうお楽しみを始めちまうのか?」
「時間稼ぎしても無駄だ。さっきは斬らなかったが、今度は容赦しない」

 仲間が包囲するのを待っている――誰だって考えることだ。
 嶋田は「腕も達者だが頭も切れるんだねえ」といやらしい笑顔で言う。

「いいねえ……久々に良い獲物だ……」
「ふん。狩られるのはどっちだろうな」

 嶋田も刀を抜いて――八双の構えになる。
 俺はやや刀を下に向けた。

「一つ言っておこう。俺は剣士ではない」
「は? おい、兄ちゃん。おかしなこと言うなよ。お前が大立ち回りしたってのは聞いているんだぜ」
「まあ聞け。俺は剣士ではなく――介錯人だ」

 嶋田が漂わせている死臭よりもさらに濃く、そして黒いものを俺は背負っている。

「罪人を斬ってきた重みが俺の刀にある。ひるがえってお前はどうだ?」
「刀の重みなんて感じねえなあ。ていうかそりゃ罪悪感じゃねえのか?」
「罪は罪として負う。罰は罰としてあがなう。その覚悟が無ければ人間終わりだ」

 嶋田はじりじりと迫る。
 それを見過ごす俺ではない。

「お前の軽い刀じゃ俺は斬れねえ」
「だったらその重み、感じさせてくれよ――なあ!」

 一足飛びに俺まで迫った嶋田はそのまま袈裟斬りをした。
 受けることはできたが、ここは躱そう――

「しゃらああああああ!」

 俺が躱すのを想定していたのか、素早く手首を反転させて斬り上げてくる。
 その速度は彗星のようだった――

「――オラァ!」

 その刀を叩き斬る勢いで俺は振り下ろした。
 ずっしりとした重みが手首だけではなく腕全体に広がる。
 痺れが走る前に素早く離れる。向こうも同じく一歩下がった。

「ひやあ。こんなんじゃ、刀が折れちまうよ」

 嶋田はそう言うが平然としていた。
 見た目通り力強いのかもしれない。

「これで終わりじゃねえよな?」

 刀を片手でぶんぶん素振りする嶋田に対し「ふん。当たり前だ」と再び刀を下段に構えた。

「源八郎さん! 一人で大丈夫ですか!?」
「悪いが三左衛門。お前の実力では加勢したら死ぬ」
「じゃ、じゃあ、私はこの子を連れて逃げます!」

 三左衛門が亀若丸の手を引っ張る――だけど動かない。

「な、なんで――」
「おいら、逃げない! 源八郎を見捨てられない!」

 一瞬、その言葉に驚いた自分がいた。
 俺みたいな人殺しのために自分が死ぬかもしれない状況のままでいるなんて――

「どうした? 余所見している暇、あんのかよ?」

 嶋田が横薙ぎをしてくる――刀の刃で受ける。
 先ほどと違ってあまり衝撃は来ない――牽制のようだった。

 そして嶋田は奇をてらわずに中段の構えをした。
 流石に心得ていやがる。
 さて、どうしたものか……
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