首斬り源八郎と奇縁の亀若丸 ~刻まれる高貴な血~

橋本洋一

文字の大きさ
22 / 31

「そいつは重い約束だな」

しおりを挟む
「果し合いだと? 何をふざけたことを――」

 最後まで言えなかった。
 顎で乃村がさし示した――その方向に目をやってしまった。
 亀若丸とふでが二人の浪人に捕らえられていた。

「――っ! この野郎!」
「おっと。動くなよ……有利なのは俺たちなんだぜ?」

 いやらしい笑顔を浮かべた乃村に対して、俺は何もできず、ただただ相手の様子を窺うしかなかった。
 一方、少なくない怪我を負う周助は「腐っているな、あんた」と怒りを込めた声を発する。

「果し合いをすると言いながら、人質を取るとは。俺が憧れた武士はそんな卑怯な振る舞いをするのか?」
「なんとでも言え……それに果し合いをしないとは言ってない」

 乃村はすらりと刀を抜いた。
 俺と周助は臨戦態勢となる。

「今ここでだ。お前と戦いたいんだよ、三輪源八郎」
「……何故だ? このまま二人を連れて逃げればいいだろう。報酬の五十両も手に入る」
「手練れ二人に追いかけられて、無事でいられると思うほど、俺は甘くはない。さらに言えば――単純な話、血がたぎってんだよ」

 こいつ、周助以上の剣術馬鹿……いや、戦うことへの飢えを感じる。
 周りの野次馬が少しずつ後ろへ下がっていた。乃村の殺気に圧されているのだろう。

「そうかい。なら――受けるしかねえな」
「源八郎殿! 本当にいいのか!?」
「人質取られてんだ。ハナっから選べねえ」

 刀を抜いて相対する。
 乃村は「そうこなくっちゃいけねえ」と犬歯を剥き出しにして笑った。
 野良犬よりも獰猛な仕草だった。

 奴の突き技――躱した方向に来る斬撃は脅威だ。それを攻略しなければ勝機はない。
 自信はあるが……確信がないのは痛いな。

「源八郎!」

 後ろで亀若丸が俺の名を呼ぶ。
 泣いているのが分かった。
 怖いだろうな。今、助けてやる。

「さて。そろそろやるか」

 乃村は構えた――身体を前に倒して、刃先を俺に向ける。明らかに突きを放つ体勢だ。
 よほどその技を信頼しているようだ。
 ――面白い。

「周助。俺が死んだら二人を任せる」
「縁起でもないことを! 弱気になったのか!?」
「死を覚悟しなければ、奴には勝てない」

 俺は中段に構えつつ、乃村に近づく。

「……武運を祈る」

 周助の呟きには応じられなかった。
 目の前の乃村に神経を尖らせていたからだ。
 奴の突きを攻略するには――

「行くぞ……源八郎!」

 吼えた乃村は気合を込めて――突きを放った。
 その速度はかろうじて目で追えるが、躱すことは叶わない。後ろに下がることも、刀出跳ね飛ばすこともできない。
 それならば、受ける以外に道はない。

「なあ!? お前――」

 驚愕する乃村の声。
 周助や捕まっている亀若丸とふで、周りの野次馬や浪人も驚天動地な気持ちだろう。

 俺は己の腕を犠牲にした。

「イカれていやがる!」

 左の前腕に突き刺さる刀。
 凄まじい痛みだが、覚悟を決めていたのと力を込めているため、最小限の損傷に留めていた。

 そもそも乃村は突きを主眼としていない。
 躱された後の斬撃に重きを置いていた。
 ならば突きは速さのみを求めている。ゆえに致命傷になりにくいのだ。

 また乃村は内小手に怪我をしている。
 十分な威力ではない。
 それも勝機だった。

 この欠点は顔の治療をしているときに思いついた。
 実際に戦うとしたらこの方法しかない――そう決断した。

「突き刺さった分、次の攻撃が遅れる――」

 俺は右手の刀を振って――間合いに入っている――乃村の胴を左下から斬り上げた。両手の斬撃ではないが、斬るには十分だ。血飛沫が舞って乃村は仰け反った。

「かっは、馬鹿な……」

 どたんと仰向けに倒れる乃村。
 突き刺さった刀をそのままに、俺はその場に座り込む。

「悪いな乃村。俺の勝ちだ」
「は、ははは。なんてこと考えやがる……」

 口から赤い血を吐いていた。
 おそらく助からないだろう。

「惜しかったな。もし突きを重視していれば……俺を殺せただろう」
「ふ、ふふ。四之助の野郎にも、同じこと言われたよ……」

 嶋田と親しい関係なのだろうか。
 いや、商売敵と言っていた気がする。
 人を斬って金を稼ぐ、この世の中でも下賤な商売だ。

「乃村殿! くそ、このままでいられるかよ!」

 亀若丸たちを捕らえていた浪人が脇差を二人に向ける。
 短い悲鳴をふでは上げた。

「おい! こいつらがどうなってもいいのか!?」
「この下衆共! 果し合いは終わったじゃねえか! さっさと二人を放せ!」

 周助が木刀を浪人たちに向ける。
 しかし追い詰められている奴らは「知ったことか!」と怒鳴った。

「五十両は俺たちのもんだ! 道を――」

 そのとき、後ろで乃村がゆらりと立ち上がった。
 目がまだ生きている――

「くそ! まだ生きて――」

 周助が乃村に注目した。
 刀が刺さっている俺は動くことはできない。

「お前ら、何をしているんだ……」

 滴り落ちる血を押さえようともせず、乃村は浪人二人に近づく。
 死にかけているのに、威圧感がある。

「の、乃村殿……」
「俺に、恥をかかせるな……!」

 緩慢な動きだから逃げられるのに、浪人二人は息を飲んで止まっている。
 よほど恐ろしいのだろう。
 周りの野次馬たちも黙り込んでしまった。

「さっさと……そいつらを、放せ……」

 あと一歩のところで、乃村はうつ伏せに倒れた。
 その瞬間、浪人たちは我先に逃げ出す。
 その顔は恐怖が貼りついていた。

 亀若丸とふでは乃村を避けて俺たちのところへ寄ってくる。
 俺は「よく無事だったな」と右手で亀若丸の頭を撫でる。

「げ、源八郎……あの人……死ぬの?」

 悲しいという言葉しか似合わない顔で、亀若丸は俺に言う。

「ああ。俺が殺した」

 迂回せずに真っすぐ伝えると亀若丸は泣き出した。

「じゃあ、なんで、助けてくれたの?」

 そんな亀若丸をふでは抱きしめた。
 大切なものを壊さないような優しさだった。

「……乃村と言っていたよな」

 神妙な顔で周助は乃村に近づく。

「あんたの技、俺の天然理心流に取り入れていいか?」
「……何を、言っているんだ?」
「そのままの意味さ。あの技はあんた一代で無くすには惜しい」

 死に瀕している乃村に周助は「あんたが死んでも、技は残る」と強い口調で言う。

「俺の代で完成しなくても、次代で完成するかもしれない。いや、させてみせる」
「…………」
「だから安心して逝くがいい」

 それを聞いた乃村は実に楽しそうな笑顔で「そいつは、いいな」と頷いた。

「俺が生きた証が、続くのか……ふふふ、痛快だな」

 そして今わの際に乃村はこう言った。

「なんて満ち足りた、最期なんだ……」


◆◇◆◇


 それから三日が経った。
 傷は癒えていないものの、旅を続けられるくらいまで回復した俺は、亀若丸と共に桜田村を目指すことにした。

 しかし、周助やふでとはここで別れる。
 理由は太郎兵衛と譲吉に泣きつかれたからだ。

「譲吉は怪我までしたんですぜ。姐さんが戻ってくれねえと報われません」

 元々、ふでのわがままな出奔だったので、そう言われたら立つ瀬はない。
 仕方なしにとふでは江戸の牛込に帰ることにした。

「短い間だったけど、世話になったわ」

 粕壁の宿から出る際、別れの挨拶をふではした。
 俺は「世話になったのは俺のほうだ」と応じた。

「三日の間、亀若丸の面倒を看てくれたんだろう」
「まあね。いろいろと教えてあげないといけないこともあったから」
「なんだそれは?」
「殿方には言えないことよ」

 そんな言い回しをされたら追及できない。
 亀若丸もふでとの別れを惜しんでいた。

「また、絶対に会おうね」
「ええ。そのときはもてなしてあげる。あなたも、源八郎さんも」

 亀若丸の手を握って約束した後、俺に「だから死なないでよね」とふでは言った。

「必ず座敷に来てね。死んだら許さないから」
「そいつは重い約束だな」
「あら。女との約束はいつだって重いのよ」

 そして周助に「三人を頼んだ」と告げた。

「ああ。俺の顔は奴らに割れている。だから二手になって敵を分散させるんだな」
「俺たちが桜田村に向かっていることは、知られていないはずだ」

 本音を言えばこれ以上、周助は巻き込めない。
 少なくない怪我を負ってしまった今、それが最上だろう。

「元気でね、周助。おいらを守ってくれて嬉しかったよ」
「……亀若丸。俺はお前がどんな大きな秘密を背負っているのか、想像もつかない」

 優しげな口調で周助は「でもな、お前は生きていいんだ」と諭す。

「苦しい決断をしなくちゃいけないこともある。そのときは自分の命を優先しろ」
「でも、源八郎が危ないときもあるよね」
「馬鹿言え。子供の命をないがしろにしていいわけねえだろ。秤にかけるまでもない」

 最後に「そうだろう? 源八郎殿」と俺に投げかけた。

「うるせえ。野暮なこと言うんじゃねえよ」
「あっはっは。なあ亀若丸。源八郎殿は照れ屋だよな」

 みんなでひとしきり笑った後、俺は「そろそろ行く」と亀若丸を促した。

「うん。周助、ふでさん。太郎兵衛と譲吉。さようなら」
「おいおい、亀若丸。言葉が違うだろう」

 周助はやれやれと言った感じで俺を見た。
 ふでも太郎兵衛も譲吉も、俺に期待の目を向けた。
 はあ。こういうのは得意ではないのだが……

「皆の者、また会おう」

 俺の言葉に亀若丸は目を丸くして――それから笑顔になった。

「みんな――またね!」

 別れではなく再会の約束をして、俺たちは桜田村に向かう。
 そこに待ち受けているものは何か分からない。
 しかし約束のため、前に進むのだ。
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし

かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし 長屋シリーズ一作目。 第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。 十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。 頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。 一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。

【完結】ふたつ星、輝いて 〜あやし兄弟と町娘の江戸捕物抄〜

上杉
歴史・時代
■歴史小説大賞奨励賞受賞しました!■ おりんは江戸のとある武家屋敷で下女として働く14歳の少女。ある日、突然屋敷で母の急死を告げられ、自分が花街へ売られることを知った彼女はその場から逃げだした。 母は殺されたのかもしれない――そんな絶望のどん底にいたおりんに声をかけたのは、奉行所で同心として働く有島惣次郎だった。 今も刺客の手が迫る彼女を守るため、彼の屋敷で住み込みで働くことが決まる。そこで彼の兄――有島清之進とともに生活を始めるのだが、病弱という噂とはかけ離れた腕っぷしのよさに、おりんは驚きを隠せない。 そうしてともに生活しながら少しづつ心を開いていった――その矢先のことだった。 母の命を奪った犯人が発覚すると同時に、何故か兄清之進に凶刃が迫り――。 とある秘密を抱えた兄弟と町娘おりんの紡ぐ江戸捕物抄です!お楽しみください! ※フィクションです。 ※周辺の歴史事件などは、史実を踏んでいます。 皆さまご評価頂きありがとうございました。大変嬉しいです! 今後も精進してまいります!

裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する

克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。

アブナイお殿様-月野家江戸屋敷騒動顛末-(R15版)

三矢由巳
歴史・時代
時は江戸、老中水野忠邦が失脚した頃のこと。 佳穂(かほ)は江戸の望月藩月野家上屋敷の奥方様に仕える中臈。 幼い頃に会った千代という少女に憧れ、奥での一生奉公を望んでいた。 ところが、若殿様が急死し事態は一変、分家から養子に入った慶温(よしはる)こと又四郎に侍ることに。 又四郎はずっと前にも会ったことがあると言うが、佳穂には心当たりがない。 海外の事情や英吉利語を教える又四郎に翻弄されるも、惹かれていく佳穂。 一方、二人の周辺では次々に不可解な事件が起きる。 事件の真相を追うのは又四郎や屋敷の人々、そしてスタンダードプードルのシロ。 果たして、佳穂は又四郎と結ばれるのか。 シロの鼻が真実を追い詰める! 別サイトで発表した作品のR15版です。

『五感の調べ〜女按摩師異聞帖〜』

月影 朔
歴史・時代
江戸。盲目の女按摩師・市には、音、匂い、感触、全てが真実を語りかける。 失われた視覚と引き換えに得た、驚異の五感。 その力が、江戸の闇に起きた難事件の扉をこじ開ける。 裏社会に潜む謎の敵、視覚を欺く巧妙な罠。 市は「聴く」「嗅ぐ」「触れる」独自の捜査で、事件の核心に迫る。 癒やしの薬膳、そして人情の機微も鮮やかに、『この五感が、江戸を変える』 ――新感覚時代ミステリー開幕!

日露戦争の真実

蔵屋
歴史・時代
 私の先祖は日露戦争の奉天の戦いで若くして戦死しました。 日本政府の定めた徴兵制で戦地に行ったのでした。  日露戦争が始まったのは明治37年(1904)2月6日でした。  帝政ロシアは清国の領土だった中国東北部を事実上占領下に置き、さらに朝鮮半島、日本海に勢力を伸ばそうとしていました。  日本はこれに対抗し開戦に至ったのです。 ほぼ同時に、日本連合艦隊はロシア軍の拠点港である旅順に向かい、ロシア軍の旅順艦隊の殲滅を目指すことになりました。  ロシア軍はヨーロッパに配備していたバルチック艦隊を日本に派遣するべく準備を開始したのです。  深い入り江に守られた旅順沿岸に設置された強力な砲台のため日本の連合艦隊は、陸軍に陸上からの旅順艦隊攻撃を要請したのでした。  この物語の始まりです。 『神知りて 人の幸せ 祈るのみ 神の伝えし 愛善の道』 この短歌は私が今年元旦に詠んだ歌である。 作家 蔵屋日唱

古書館に眠る手記

猫戸針子
歴史・時代
革命前夜、帝室図書館の地下で、一人の官僚は“禁書”を守ろうとしていた。 十九世紀オーストリア、静寂を破ったのは一冊の古手記。 そこに記されたのは、遠い宮廷と一人の王女の物語。 寓話のように綴られたその記録は、やがて現実の思想へとつながってゆく。 “読む者の想像が物語を完成させる”記録文学。

花嫁御寮 ―江戸の妻たちの陰影― :【第11回歴史・時代小説大賞 奨励賞】

naomikoryo
歴史・時代
名家に嫁いだ若き妻が、夫の失踪をきっかけに、江戸の奥向きに潜む権力、謀略、女たちの思惑に巻き込まれてゆく――。 舞台は江戸中期。表には見えぬ女の戦(いくさ)が、美しく、そして静かに燃え広がる。 結城澪は、武家の「御寮人様」として嫁いだ先で、愛と誇りのはざまで揺れることになる。 失踪した夫・宗真が追っていたのは、幕府中枢を揺るがす不正金の記録。 やがて、志を同じくする同心・坂東伊織、かつて宗真の婚約者だった篠原志乃らとの交錯の中で、澪は“妻”から“女”へと目覚めてゆく。 男たちの義、女たちの誇り、名家のしがらみの中で、澪が最後に選んだのは――“名を捨てて生きること”。 これは、名もなき光の中で、真実を守り抜いたひと組の夫婦の物語。 静謐な筆致で描く、江戸奥向きの愛と覚悟の長編時代小説。 全20話、読み終えた先に見えるのは、声高でない確かな「生」の姿。

処理中です...