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「殺したくなければ殺さなくていいだろう」
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「どうして旦那やあいつは、あっさりと人を斬れるんですか?」
三下の太郎兵衛と共にひたすら粕壁の宿を目指していると、唐突に話しかけられた。
答えに困る問いではなかったので、己の理を話すことにした。
「乃村は知らんが、俺は斬るための修練を重ねてきた。だから斬れるのだ」
「まったく分かりません……」
「町人のお前には分からん。というより分からないほうがいい。武士は常に人を傷つける」
浮かんだのは多摩の光景だ。
青々とした田畑は百姓が育てている。それを年貢の名目で一方的に奪っていく。今まで当たり前だった事柄だが、よくよく考えると罪深く思える。
その行為と似ているが、人を斬ることは本来容易くやってはいけないのだ。俺には介錯という責務がある。しかし決して許されることではない。乃村も同様でどんな理由があろうがなかろうが、人斬りに正当性はないだろう。
俺たち武士は人を斬る。
浪人の身の上だろうが関係ない。
果たして――そこに義はあるのだろうか?
「俺は仕事上、他人を殴ります。正直、殴って気分が良かったこともあります。相手が悪人だと尚更です」
太郎兵衛の語る言葉、正直な気持ちだとよくよく伝わってきた。
俺は「それで?」と続きを促した。
「しかし殺したことはありません。臆病者だと罵られても、それだけはしちゃあいけねえと……思うんです」
淀んだのは俺に配慮したからだろう。
太郎兵衛から見れば俺は人斬りだ。
務めを知らないとはいえ、その評価は正しい。
「殺したくなければ殺さなくていいだろう」
「それなら、旦那は……」
「好んで斬るわけではない。ただ俺は――」
亀若丸を守るために斬る。
そう言いかけて口を噤んだ。
誰かを守るために斬るなんて、その誰かに罪を押し付けるのではないか?
千住の宿で亀若丸と話したはずだ。
己の罪悪を他人のせいにするのは――卑怯な振る舞いだ。
武士にあるまじきことだ。
「……旦那? どうなさったんですか?」
黙ったせいか、太郎兵衛は不安そうな顔になる。
別にこいつを安心させる道理はないが、手当の道具を持ってきたときの借りがあるので「なんでもない」と言う。
「とにかく、俺は人斬りを好んでやってないんだ」
「はあ……あれ? あそこ、人が集ってますね……」
日光街道は旅人が行き交う。先ほどから数人とすれ違ったり追い抜いたりしていた。
十人前後が慌てた様子で何か騒いでいた。また厄介事に関わるのは勘弁だ。迂回して行こうと太郎兵衛に言おうとして――人が倒れている。
「――譲吉!」
叫んだと思えば太郎兵衛が慌てて駆け出す。
知り合いかと思えば――もう片方の三下だ。まさかと思い俺も走り出す。
「はあ、はあ、太郎兵衛……」
顔中あざだらけだ。暴行を受けていたに違いない。
激しい痛みで苦しんでいる。
その三下――譲吉と呼んでいた――に手当する者がいた。
俺は周りの人間に「何があった?」と訊ねる。
「道端に倒れていて……そこの人が手当してくれています」
どうやら通りすがった医者らしい。
太郎兵衛が真っ青な顔になる中、その医者は「心配するな。命は助かる」と告げる。
「酷くやられているが、問題はない。すぐに休めるところを探せ」
「ありがとうございます!」
太郎兵衛が頭を下げる――譲吉が手を差し伸ばす。
その手は俺に向けられていた。
「どうした?」
「す、すみません。旦那のお仲間のこと、あの乃村に話してしまいました……」
そいつはずいぶんとまずいな……
譲吉は腫れている目から涙を流した。
「殺されると思って……粕壁の宿にいることを……面目ねえ……!」
「いや、いい。乃村の野郎は粕壁の宿に向かったんだな?」
「そ、そうです。仲間も引き連れていくと呟いていました」
太郎兵衛に「こいつを見てやってくれ」と肩を叩く。
「旦那は、どうなさるつもりですか?」
「粕壁の宿に向かう。そこで乃村との決着をつける」
「顔の傷、痛むんじゃないですか?」
俺は「あの乃村は内小手を怪我している」と言う。
「有利なのは俺だ」
「でも……」
「悪かったな、巻き込んでしまって。ふでのことも任せてくれ。必ずお前たちの元に返す」
太郎兵衛と譲吉に約束すると俺は立ち上がって走り出す。
あの危険な乃村が仲間を連れてくる。
嫌な予感しかしなかった。
◆◇◆◇
「大変だ! 喧嘩が始まっているぞ! それも武士同士のだ!」
粕壁の宿に着くと、大騒ぎしている者が多数いた。
逃げる者や野次馬になろうとしている者、あるいは真実を見極めずに騒いでいるだけの者でいっぱいだった。
騒動の中心へと駆け出す。
皆、無事でいてくれよ――
「なかなかにやるな。というより、凄まじいとも言える」
聞き覚えのある声――乃村だ。
人だかりをかき分けて前のほうへ行くと、乃村がその仲間と思わしき者たちに周助を追い込んでいた。
宿の入り口で周助は五人に囲まれていた。
その後ろで心配そうに亀若丸とふでが見守っている。
斬られているのか、周助の身体から血が滴り落ちていた。
三人の浪人が地べたに倒れていた。
周助が倒したのだろう。
しかし多数の戦いで疲弊しているようだ。肩で息をしている。
「よく頑張ったほうだ。褒めてやる。安心して――死ね」
「はっ。負けておいて、安心して死ぬなんて剣士としてできるかよ」
周助はこんな状況なのに笑っていた。
そして木刀を高々と上げて――上段に構えた。
「御託はいいからさっさとかかって来い」
「今ここで死ぬには惜しいが……仕方あるまい」
乃村は仲間の浪人たちに「五十両の仕事だ」と告げる。
「油断なく殺せ」
浪人たちは刀を握り直す――俺は「待て!」と大声で怒鳴った。
「お前ら……! いい加減にしろよ!」
突然乱入したものだから、浪人たちは面食らったが、乃村は「やっぱり来たか」と笑った。
「顔の傷は良さそうだな」
「お前のほうは腕が痛むようだな。仲間を集めて、一人を寄ってたかって斬ろうとしているんだから」
俺の挑発を「まあな」と乃村は軽く受け流す。
周助は油断なく「生きていたのか」と俺に投げかける。
「殺されてたまるか。それよりこいつらを片付けるか。何人いける?」
「三人ぐらいなら余裕だ」
「いいだろう」
俺は刀を抜いた――周りの野次馬は悲鳴をあげて下がった。
二人の浪人が殺気立った目でこちらにやってくる。
俺は刀を中段に構えた。
「やっちまえな!」
乃村の号令に二人が一斉にかかってくる。
一人が先行して、もう一人はその後ろから様子を窺っている。
俺は浪人の袈裟斬りを後ろに躱して、死に体となったその顔に刀を持ったままで殴ってやる。鼻血を噴き出した浪人が後ろに倒れる。すると様子を窺っていた浪人が突いてきた。
乃村に比べたら拙くて遅い一撃だった。
右から左に跳ね飛ばして軌道を逸らす。
こちらも死に体となったので――胴を斬ってやる。
「ぐああああ!」
浪人の悲鳴で野次馬が徐々に逃げていく。
その場に倒れ伏す浪人から目を切った。
二人を無力化したので、周助のほうを手伝うことにする。
既に一人を気絶させた周助は二人相手でも余裕で対処していた。
「おい! 俺もいるぞ!」
その言葉に一人の浪人が振り返り――俺に斬りかかってきた。
乃村や嶋田と違って軽い斬撃だったので真正面から受けてやる。
鍔迫り合いとなったが別段、戸惑うことはない。
俺は腹を思いっきり蹴って――胃液を吐き出した――体勢を崩した瞬間にそのまま斬ってしまう。
「かっは……」
倒れてはいるが息はまだある。
俺はとどめを刺そうとする――
「待て源八郎殿!」
刀を逆手に持って刺そうとする――周助がその手を掴んだ。
「もういい。勝負ありだ」
「……甘い男だな」
血ぶるいして懐紙で刀を拭く。
そこに乃村が「見事としか言えないな」と言ってきた。
「どうする? お前もやるか?」
「……果し合いをしたい」
乃村は周助や野次馬がいる中で、俺だけを見据えて言う。
「三輪源八郎吉昌。お前とサシで勝負だ」
三下の太郎兵衛と共にひたすら粕壁の宿を目指していると、唐突に話しかけられた。
答えに困る問いではなかったので、己の理を話すことにした。
「乃村は知らんが、俺は斬るための修練を重ねてきた。だから斬れるのだ」
「まったく分かりません……」
「町人のお前には分からん。というより分からないほうがいい。武士は常に人を傷つける」
浮かんだのは多摩の光景だ。
青々とした田畑は百姓が育てている。それを年貢の名目で一方的に奪っていく。今まで当たり前だった事柄だが、よくよく考えると罪深く思える。
その行為と似ているが、人を斬ることは本来容易くやってはいけないのだ。俺には介錯という責務がある。しかし決して許されることではない。乃村も同様でどんな理由があろうがなかろうが、人斬りに正当性はないだろう。
俺たち武士は人を斬る。
浪人の身の上だろうが関係ない。
果たして――そこに義はあるのだろうか?
「俺は仕事上、他人を殴ります。正直、殴って気分が良かったこともあります。相手が悪人だと尚更です」
太郎兵衛の語る言葉、正直な気持ちだとよくよく伝わってきた。
俺は「それで?」と続きを促した。
「しかし殺したことはありません。臆病者だと罵られても、それだけはしちゃあいけねえと……思うんです」
淀んだのは俺に配慮したからだろう。
太郎兵衛から見れば俺は人斬りだ。
務めを知らないとはいえ、その評価は正しい。
「殺したくなければ殺さなくていいだろう」
「それなら、旦那は……」
「好んで斬るわけではない。ただ俺は――」
亀若丸を守るために斬る。
そう言いかけて口を噤んだ。
誰かを守るために斬るなんて、その誰かに罪を押し付けるのではないか?
千住の宿で亀若丸と話したはずだ。
己の罪悪を他人のせいにするのは――卑怯な振る舞いだ。
武士にあるまじきことだ。
「……旦那? どうなさったんですか?」
黙ったせいか、太郎兵衛は不安そうな顔になる。
別にこいつを安心させる道理はないが、手当の道具を持ってきたときの借りがあるので「なんでもない」と言う。
「とにかく、俺は人斬りを好んでやってないんだ」
「はあ……あれ? あそこ、人が集ってますね……」
日光街道は旅人が行き交う。先ほどから数人とすれ違ったり追い抜いたりしていた。
十人前後が慌てた様子で何か騒いでいた。また厄介事に関わるのは勘弁だ。迂回して行こうと太郎兵衛に言おうとして――人が倒れている。
「――譲吉!」
叫んだと思えば太郎兵衛が慌てて駆け出す。
知り合いかと思えば――もう片方の三下だ。まさかと思い俺も走り出す。
「はあ、はあ、太郎兵衛……」
顔中あざだらけだ。暴行を受けていたに違いない。
激しい痛みで苦しんでいる。
その三下――譲吉と呼んでいた――に手当する者がいた。
俺は周りの人間に「何があった?」と訊ねる。
「道端に倒れていて……そこの人が手当してくれています」
どうやら通りすがった医者らしい。
太郎兵衛が真っ青な顔になる中、その医者は「心配するな。命は助かる」と告げる。
「酷くやられているが、問題はない。すぐに休めるところを探せ」
「ありがとうございます!」
太郎兵衛が頭を下げる――譲吉が手を差し伸ばす。
その手は俺に向けられていた。
「どうした?」
「す、すみません。旦那のお仲間のこと、あの乃村に話してしまいました……」
そいつはずいぶんとまずいな……
譲吉は腫れている目から涙を流した。
「殺されると思って……粕壁の宿にいることを……面目ねえ……!」
「いや、いい。乃村の野郎は粕壁の宿に向かったんだな?」
「そ、そうです。仲間も引き連れていくと呟いていました」
太郎兵衛に「こいつを見てやってくれ」と肩を叩く。
「旦那は、どうなさるつもりですか?」
「粕壁の宿に向かう。そこで乃村との決着をつける」
「顔の傷、痛むんじゃないですか?」
俺は「あの乃村は内小手を怪我している」と言う。
「有利なのは俺だ」
「でも……」
「悪かったな、巻き込んでしまって。ふでのことも任せてくれ。必ずお前たちの元に返す」
太郎兵衛と譲吉に約束すると俺は立ち上がって走り出す。
あの危険な乃村が仲間を連れてくる。
嫌な予感しかしなかった。
◆◇◆◇
「大変だ! 喧嘩が始まっているぞ! それも武士同士のだ!」
粕壁の宿に着くと、大騒ぎしている者が多数いた。
逃げる者や野次馬になろうとしている者、あるいは真実を見極めずに騒いでいるだけの者でいっぱいだった。
騒動の中心へと駆け出す。
皆、無事でいてくれよ――
「なかなかにやるな。というより、凄まじいとも言える」
聞き覚えのある声――乃村だ。
人だかりをかき分けて前のほうへ行くと、乃村がその仲間と思わしき者たちに周助を追い込んでいた。
宿の入り口で周助は五人に囲まれていた。
その後ろで心配そうに亀若丸とふでが見守っている。
斬られているのか、周助の身体から血が滴り落ちていた。
三人の浪人が地べたに倒れていた。
周助が倒したのだろう。
しかし多数の戦いで疲弊しているようだ。肩で息をしている。
「よく頑張ったほうだ。褒めてやる。安心して――死ね」
「はっ。負けておいて、安心して死ぬなんて剣士としてできるかよ」
周助はこんな状況なのに笑っていた。
そして木刀を高々と上げて――上段に構えた。
「御託はいいからさっさとかかって来い」
「今ここで死ぬには惜しいが……仕方あるまい」
乃村は仲間の浪人たちに「五十両の仕事だ」と告げる。
「油断なく殺せ」
浪人たちは刀を握り直す――俺は「待て!」と大声で怒鳴った。
「お前ら……! いい加減にしろよ!」
突然乱入したものだから、浪人たちは面食らったが、乃村は「やっぱり来たか」と笑った。
「顔の傷は良さそうだな」
「お前のほうは腕が痛むようだな。仲間を集めて、一人を寄ってたかって斬ろうとしているんだから」
俺の挑発を「まあな」と乃村は軽く受け流す。
周助は油断なく「生きていたのか」と俺に投げかける。
「殺されてたまるか。それよりこいつらを片付けるか。何人いける?」
「三人ぐらいなら余裕だ」
「いいだろう」
俺は刀を抜いた――周りの野次馬は悲鳴をあげて下がった。
二人の浪人が殺気立った目でこちらにやってくる。
俺は刀を中段に構えた。
「やっちまえな!」
乃村の号令に二人が一斉にかかってくる。
一人が先行して、もう一人はその後ろから様子を窺っている。
俺は浪人の袈裟斬りを後ろに躱して、死に体となったその顔に刀を持ったままで殴ってやる。鼻血を噴き出した浪人が後ろに倒れる。すると様子を窺っていた浪人が突いてきた。
乃村に比べたら拙くて遅い一撃だった。
右から左に跳ね飛ばして軌道を逸らす。
こちらも死に体となったので――胴を斬ってやる。
「ぐああああ!」
浪人の悲鳴で野次馬が徐々に逃げていく。
その場に倒れ伏す浪人から目を切った。
二人を無力化したので、周助のほうを手伝うことにする。
既に一人を気絶させた周助は二人相手でも余裕で対処していた。
「おい! 俺もいるぞ!」
その言葉に一人の浪人が振り返り――俺に斬りかかってきた。
乃村や嶋田と違って軽い斬撃だったので真正面から受けてやる。
鍔迫り合いとなったが別段、戸惑うことはない。
俺は腹を思いっきり蹴って――胃液を吐き出した――体勢を崩した瞬間にそのまま斬ってしまう。
「かっは……」
倒れてはいるが息はまだある。
俺はとどめを刺そうとする――
「待て源八郎殿!」
刀を逆手に持って刺そうとする――周助がその手を掴んだ。
「もういい。勝負ありだ」
「……甘い男だな」
血ぶるいして懐紙で刀を拭く。
そこに乃村が「見事としか言えないな」と言ってきた。
「どうする? お前もやるか?」
「……果し合いをしたい」
乃村は周助や野次馬がいる中で、俺だけを見据えて言う。
「三輪源八郎吉昌。お前とサシで勝負だ」
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