首斬り源八郎と奇縁の亀若丸 ~刻まれる高貴な血~

橋本洋一

文字の大きさ
21 / 31

「殺したくなければ殺さなくていいだろう」

しおりを挟む
「どうして旦那やあいつは、あっさりと人を斬れるんですか?」

 三下の太郎兵衛と共にひたすら粕壁の宿を目指していると、唐突に話しかけられた。
 答えに困る問いではなかったので、己の理を話すことにした。

「乃村は知らんが、俺は斬るための修練を重ねてきた。だから斬れるのだ」
「まったく分かりません……」
「町人のお前には分からん。というより分からないほうがいい。武士は常に人を傷つける」

 浮かんだのは多摩の光景だ。
 青々とした田畑は百姓が育てている。それを年貢の名目で一方的に奪っていく。今まで当たり前だった事柄だが、よくよく考えると罪深く思える。

 その行為と似ているが、人を斬ることは本来容易くやってはいけないのだ。俺には介錯という責務がある。しかし決して許されることではない。乃村も同様でどんな理由があろうがなかろうが、人斬りに正当性はないだろう。

 俺たち武士は人を斬る。
 浪人の身の上だろうが関係ない。
 果たして――そこに義はあるのだろうか?

「俺は仕事上、他人を殴ります。正直、殴って気分が良かったこともあります。相手が悪人だと尚更です」

 太郎兵衛の語る言葉、正直な気持ちだとよくよく伝わってきた。
 俺は「それで?」と続きを促した。

「しかし殺したことはありません。臆病者だと罵られても、それだけはしちゃあいけねえと……思うんです」

 淀んだのは俺に配慮したからだろう。
 太郎兵衛から見れば俺は人斬りだ。
 務めを知らないとはいえ、その評価は正しい。

「殺したくなければ殺さなくていいだろう」
「それなら、旦那は……」
「好んで斬るわけではない。ただ俺は――」

 亀若丸を守るために斬る。
 そう言いかけて口を噤んだ。

 誰かを守るために斬るなんて、その誰かに罪を押し付けるのではないか?
 千住の宿で亀若丸と話したはずだ。
 己の罪悪を他人のせいにするのは――卑怯な振る舞いだ。
 武士にあるまじきことだ。

「……旦那? どうなさったんですか?」

 黙ったせいか、太郎兵衛は不安そうな顔になる。
 別にこいつを安心させる道理はないが、手当の道具を持ってきたときの借りがあるので「なんでもない」と言う。

「とにかく、俺は人斬りを好んでやってないんだ」
「はあ……あれ? あそこ、人が集ってますね……」

 日光街道は旅人が行き交う。先ほどから数人とすれ違ったり追い抜いたりしていた。
 十人前後が慌てた様子で何か騒いでいた。また厄介事に関わるのは勘弁だ。迂回して行こうと太郎兵衛に言おうとして――人が倒れている。

「――譲吉じょうきち!」

 叫んだと思えば太郎兵衛が慌てて駆け出す。
 知り合いかと思えば――もう片方の三下だ。まさかと思い俺も走り出す。

「はあ、はあ、太郎兵衛……」

 顔中あざだらけだ。暴行を受けていたに違いない。
 激しい痛みで苦しんでいる。
 その三下――譲吉と呼んでいた――に手当する者がいた。
 俺は周りの人間に「何があった?」と訊ねる。

「道端に倒れていて……そこの人が手当してくれています」

 どうやら通りすがった医者らしい。
 太郎兵衛が真っ青な顔になる中、その医者は「心配するな。命は助かる」と告げる。

「酷くやられているが、問題はない。すぐに休めるところを探せ」
「ありがとうございます!」

 太郎兵衛が頭を下げる――譲吉が手を差し伸ばす。
 その手は俺に向けられていた。

「どうした?」
「す、すみません。旦那のお仲間のこと、あの乃村に話してしまいました……」

 そいつはずいぶんとまずいな……
 譲吉は腫れている目から涙を流した。

「殺されると思って……粕壁の宿にいることを……面目ねえ……!」
「いや、いい。乃村の野郎は粕壁の宿に向かったんだな?」
「そ、そうです。仲間も引き連れていくと呟いていました」

 太郎兵衛に「こいつを見てやってくれ」と肩を叩く。

「旦那は、どうなさるつもりですか?」
「粕壁の宿に向かう。そこで乃村との決着をつける」
「顔の傷、痛むんじゃないですか?」

 俺は「あの乃村は内小手を怪我している」と言う。

「有利なのは俺だ」
「でも……」
「悪かったな、巻き込んでしまって。ふでのことも任せてくれ。必ずお前たちの元に返す」

 太郎兵衛と譲吉に約束すると俺は立ち上がって走り出す。
 あの危険な乃村が仲間を連れてくる。
 嫌な予感しかしなかった。


◆◇◆◇


「大変だ! 喧嘩が始まっているぞ! それも武士同士のだ!」

 粕壁の宿に着くと、大騒ぎしている者が多数いた。
 逃げる者や野次馬になろうとしている者、あるいは真実を見極めずに騒いでいるだけの者でいっぱいだった。

 騒動の中心へと駆け出す。
 皆、無事でいてくれよ――

「なかなかにやるな。というより、凄まじいとも言える」

 聞き覚えのある声――乃村だ。
 人だかりをかき分けて前のほうへ行くと、乃村がその仲間と思わしき者たちに周助を追い込んでいた。

 宿の入り口で周助は五人に囲まれていた。
 その後ろで心配そうに亀若丸とふでが見守っている。
 斬られているのか、周助の身体から血が滴り落ちていた。

 三人の浪人が地べたに倒れていた。
 周助が倒したのだろう。
 しかし多数の戦いで疲弊しているようだ。肩で息をしている。

「よく頑張ったほうだ。褒めてやる。安心して――死ね」
「はっ。負けておいて、安心して死ぬなんて剣士としてできるかよ」

 周助はこんな状況なのに笑っていた。
 そして木刀を高々と上げて――上段に構えた。

「御託はいいからさっさとかかって来い」
「今ここで死ぬには惜しいが……仕方あるまい」

 乃村は仲間の浪人たちに「五十両の仕事だ」と告げる。

「油断なく殺せ」

 浪人たちは刀を握り直す――俺は「待て!」と大声で怒鳴った。

「お前ら……! いい加減にしろよ!」

 突然乱入したものだから、浪人たちは面食らったが、乃村は「やっぱり来たか」と笑った。

「顔の傷は良さそうだな」
「お前のほうは腕が痛むようだな。仲間を集めて、一人を寄ってたかって斬ろうとしているんだから」

 俺の挑発を「まあな」と乃村は軽く受け流す。
 周助は油断なく「生きていたのか」と俺に投げかける。

「殺されてたまるか。それよりこいつらを片付けるか。何人いける?」
「三人ぐらいなら余裕だ」
「いいだろう」

 俺は刀を抜いた――周りの野次馬は悲鳴をあげて下がった。
 二人の浪人が殺気立った目でこちらにやってくる。
 俺は刀を中段に構えた。

「やっちまえな!」

 乃村の号令に二人が一斉にかかってくる。
 一人が先行して、もう一人はその後ろから様子を窺っている。
 俺は浪人の袈裟斬りを後ろに躱して、死に体となったその顔に刀を持ったままで殴ってやる。鼻血を噴き出した浪人が後ろに倒れる。すると様子を窺っていた浪人が突いてきた。

 乃村に比べたら拙くて遅い一撃だった。
 右から左に跳ね飛ばして軌道を逸らす。
 こちらも死に体となったので――胴を斬ってやる。

「ぐああああ!」

 浪人の悲鳴で野次馬が徐々に逃げていく。
 その場に倒れ伏す浪人から目を切った。
 二人を無力化したので、周助のほうを手伝うことにする。
 既に一人を気絶させた周助は二人相手でも余裕で対処していた。

「おい! 俺もいるぞ!」

 その言葉に一人の浪人が振り返り――俺に斬りかかってきた。
 乃村や嶋田と違って軽い斬撃だったので真正面から受けてやる。
 鍔迫り合いとなったが別段、戸惑うことはない。
 俺は腹を思いっきり蹴って――胃液を吐き出した――体勢を崩した瞬間にそのまま斬ってしまう。

「かっは……」

 倒れてはいるが息はまだある。
 俺はとどめを刺そうとする――

「待て源八郎殿!」

 刀を逆手に持って刺そうとする――周助がその手を掴んだ。

「もういい。勝負ありだ」
「……甘い男だな」

 血ぶるいして懐紙で刀を拭く。
 そこに乃村が「見事としか言えないな」と言ってきた。

「どうする? お前もやるか?」
「……果し合いをしたい」

 乃村は周助や野次馬がいる中で、俺だけを見据えて言う。

「三輪源八郎吉昌。お前とサシで勝負だ」
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし

かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし 長屋シリーズ一作目。 第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。 十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。 頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。 一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。

【完結】ふたつ星、輝いて 〜あやし兄弟と町娘の江戸捕物抄〜

上杉
歴史・時代
■歴史小説大賞奨励賞受賞しました!■ おりんは江戸のとある武家屋敷で下女として働く14歳の少女。ある日、突然屋敷で母の急死を告げられ、自分が花街へ売られることを知った彼女はその場から逃げだした。 母は殺されたのかもしれない――そんな絶望のどん底にいたおりんに声をかけたのは、奉行所で同心として働く有島惣次郎だった。 今も刺客の手が迫る彼女を守るため、彼の屋敷で住み込みで働くことが決まる。そこで彼の兄――有島清之進とともに生活を始めるのだが、病弱という噂とはかけ離れた腕っぷしのよさに、おりんは驚きを隠せない。 そうしてともに生活しながら少しづつ心を開いていった――その矢先のことだった。 母の命を奪った犯人が発覚すると同時に、何故か兄清之進に凶刃が迫り――。 とある秘密を抱えた兄弟と町娘おりんの紡ぐ江戸捕物抄です!お楽しみください! ※フィクションです。 ※周辺の歴史事件などは、史実を踏んでいます。 皆さまご評価頂きありがとうございました。大変嬉しいです! 今後も精進してまいります!

裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する

克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。

アブナイお殿様-月野家江戸屋敷騒動顛末-(R15版)

三矢由巳
歴史・時代
時は江戸、老中水野忠邦が失脚した頃のこと。 佳穂(かほ)は江戸の望月藩月野家上屋敷の奥方様に仕える中臈。 幼い頃に会った千代という少女に憧れ、奥での一生奉公を望んでいた。 ところが、若殿様が急死し事態は一変、分家から養子に入った慶温(よしはる)こと又四郎に侍ることに。 又四郎はずっと前にも会ったことがあると言うが、佳穂には心当たりがない。 海外の事情や英吉利語を教える又四郎に翻弄されるも、惹かれていく佳穂。 一方、二人の周辺では次々に不可解な事件が起きる。 事件の真相を追うのは又四郎や屋敷の人々、そしてスタンダードプードルのシロ。 果たして、佳穂は又四郎と結ばれるのか。 シロの鼻が真実を追い詰める! 別サイトで発表した作品のR15版です。

『五感の調べ〜女按摩師異聞帖〜』

月影 朔
歴史・時代
江戸。盲目の女按摩師・市には、音、匂い、感触、全てが真実を語りかける。 失われた視覚と引き換えに得た、驚異の五感。 その力が、江戸の闇に起きた難事件の扉をこじ開ける。 裏社会に潜む謎の敵、視覚を欺く巧妙な罠。 市は「聴く」「嗅ぐ」「触れる」独自の捜査で、事件の核心に迫る。 癒やしの薬膳、そして人情の機微も鮮やかに、『この五感が、江戸を変える』 ――新感覚時代ミステリー開幕!

日露戦争の真実

蔵屋
歴史・時代
 私の先祖は日露戦争の奉天の戦いで若くして戦死しました。 日本政府の定めた徴兵制で戦地に行ったのでした。  日露戦争が始まったのは明治37年(1904)2月6日でした。  帝政ロシアは清国の領土だった中国東北部を事実上占領下に置き、さらに朝鮮半島、日本海に勢力を伸ばそうとしていました。  日本はこれに対抗し開戦に至ったのです。 ほぼ同時に、日本連合艦隊はロシア軍の拠点港である旅順に向かい、ロシア軍の旅順艦隊の殲滅を目指すことになりました。  ロシア軍はヨーロッパに配備していたバルチック艦隊を日本に派遣するべく準備を開始したのです。  深い入り江に守られた旅順沿岸に設置された強力な砲台のため日本の連合艦隊は、陸軍に陸上からの旅順艦隊攻撃を要請したのでした。  この物語の始まりです。 『神知りて 人の幸せ 祈るのみ 神の伝えし 愛善の道』 この短歌は私が今年元旦に詠んだ歌である。 作家 蔵屋日唱

古書館に眠る手記

猫戸針子
歴史・時代
革命前夜、帝室図書館の地下で、一人の官僚は“禁書”を守ろうとしていた。 十九世紀オーストリア、静寂を破ったのは一冊の古手記。 そこに記されたのは、遠い宮廷と一人の王女の物語。 寓話のように綴られたその記録は、やがて現実の思想へとつながってゆく。 “読む者の想像が物語を完成させる”記録文学。

花嫁御寮 ―江戸の妻たちの陰影― :【第11回歴史・時代小説大賞 奨励賞】

naomikoryo
歴史・時代
名家に嫁いだ若き妻が、夫の失踪をきっかけに、江戸の奥向きに潜む権力、謀略、女たちの思惑に巻き込まれてゆく――。 舞台は江戸中期。表には見えぬ女の戦(いくさ)が、美しく、そして静かに燃え広がる。 結城澪は、武家の「御寮人様」として嫁いだ先で、愛と誇りのはざまで揺れることになる。 失踪した夫・宗真が追っていたのは、幕府中枢を揺るがす不正金の記録。 やがて、志を同じくする同心・坂東伊織、かつて宗真の婚約者だった篠原志乃らとの交錯の中で、澪は“妻”から“女”へと目覚めてゆく。 男たちの義、女たちの誇り、名家のしがらみの中で、澪が最後に選んだのは――“名を捨てて生きること”。 これは、名もなき光の中で、真実を守り抜いたひと組の夫婦の物語。 静謐な筆致で描く、江戸奥向きの愛と覚悟の長編時代小説。 全20話、読み終えた先に見えるのは、声高でない確かな「生」の姿。

処理中です...