猿の内政官の息子 ~小田原征伐~

橋本洋一

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奴らの狙いは?

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 それから一ヶ月、江戸城の包囲は続いた。
 如水の交渉以来、何の反応も見せない敵に、若干の不気味さを覚えていた。
 城から打って出ることもなければ、士気が下がる様子も見せない。
 本当に――何を考えているのか分からなかった。

「殿。何かお悩みですか?」

 陣の外から江戸城を眺めていた俺に、忠勝が話しかけてきた。
 俺は首を横に振って「悩み? 決まっているだろう」と応じた。

「あの江戸城だ。中の様子も探れず、ただ包囲しているのは……」
「もどかしい、とおっしゃりたいのですね」
「そうだ。忌々しいほど――もどかしい」

 忠勝は「猿楽師や遊女を呼んでいるじゃないですか」と指摘した。

「暇ならそれらを眺めて楽しめばいい」
「一ヶ月もすれば飽きる。遊女は元から興味がない」
「ほう。奥方を大切にしているのですね」
「というより、なつ以外に興味はない」

 はっきりと断言すると「跡継ぎが生まれて良かったですね」と軽く忠勝は笑った。
 俺は老境に差しかかった武将である忠勝を見る。
 そういえば、父さまと同世代だったなと思い出す。

「俺は雲之介――先代ではありませんよ」
「……よく分かったな」
「ふふふ。武人の勘というものです」

 それは恐れ入ったと手を挙げてみる。
 忠勝は「俺にも息子が居ますよ」と話す。
 そういえば忠政といった気がする。忠勝の部隊に居るはずだ。

「なあ忠勝。父とはなんだ?」
「あなたも父親でしょう?」
「そうではない。その、あなたも伝説の武人だ。ならば――息子をどう思うんだ?」

 曖昧な言い方だが、忠勝には伝わったようだった。
 顎に手を置いて「ただ幸せであってほしいと願うだけです」と答えた。

「……それだけか? 息子に望むことはないのか?」
「ありませんよ。息子は息子です」
「だが、子は親に重圧を感じることがある」

 忠勝は真面目な顔で、一切笑うことなく、俺に言った。

「それもまた、子の人生です」
「……割り切ると言いたいのか?」
「ええ。むしろ悩んだ末に、己の答えを見出してくれれば、親としては嬉しいことですね」

 子の成長は親の喜びか。
 そういえば、父さまも同じことを言っていた。

「なあ忠勝。父さまはどういう人だった?」
「まあ、優しき人でしたね」
「それは聞き飽きた。他にはないのか?」

 忠勝は少し黙って「常識外れなところがありましたな」と答えた。

「常識外れ?」
「初めて会ったとき、武士の魂である刀を、他人である俺に預けようとしていました」
「…………」
「呆れて物が言えませんでした。しかし――この歳になって思ったことがあります」

 忠勝は空を見上げた。
 雲一つない晴天。
 まるで透き通るような青。

「先代は――武士に向いていなかったのではないかと」
「それは、思ったことがある」
「でも、武士になるしかなかったのでしょう。不向きなのに、それしか生きる道がなかった」

 商人や百姓、僧侶になる道もあったかもしれない。
 過去を思えば、公家となって気楽な毎日を送れたかもしれない。
 でも、かもしれないは実際になかったことだから。

「父さまは悲しいお人か?」
「それは違いますね。否定でしかありません。先代は先代で楽しく生きていたと思いますよ」

 そうだと俺も信じたい。
 父さまは幸せだったと。

「殿。ふと思ったのですが、元主君の家康殿の狙いはなんでしょうか?」
「狙い? 戦に勝つことだろう?」
「それはそうですが、この状況が続けば、いずれ江戸城は落ちます」

 それは自明だった。いずれは兵糧が無くなるし、城方にも内応してくる者が出てくるだろう。

「家康殿のことはよく存じております。家臣でしたから。あの方は勝てぬ戦はしません。篭城し続けて勝てるわけがないと分かりきっています。我らを打ち破る兵力が無いのにも関わらず、篭城を続ける意味が分からない」

 それもそうだ。戦巧者の家康や如水ならそんなことは戦が始まる前に考えていることだろう。
 つまり、勝算があって、北条家に寝返ったのだ。
 ではその勝算とはなんだ?

「……皆を集めてくれ。軍議を行なう」



「二人の名将の狙い……俺には到底思い浮かびません」

 雪隆は腕組みをして考え込んでいる。
 島も考えてはいるものの、案すら浮かばないようだった。
 俺も忠勝も皆が集まる前に話し合ったが、何も思い浮かばなかった。
 軍議が進まない。まるで二人の名将に踊らされているようだった。

「すこし、いいか?」

 側近の弥助が口を開いた。
 珍しいと思った。何故なら軍議のときに意見を出したことがないから。

「どうした? 何か、思いついたのか?」
「おもいついたんじゃない。おもいだしたんだ」

 弥助は皆の注目が集まる中、呼吸を整えて言う。

「これ、ほんのうじに、にている」

 本能寺――かの織田信長公が逆賊明智光秀に殺された変事。
 だが、それは考えづらかった。

「公方さまは大坂城で守られている。それに畿内の大和国には弟君の秀長さまもいらっしゃる。大軍が空から降るか、地から湧かない限り、ありえないだろう」

 島の指摘に弥助は「それもそうだな」と認めた。

「でも、なにか、こころがざわざわする」
「勘、というものか?」
「そうかもしれない」

 島と弥助のやりとりを聞いていて、俺は「一つ確かめたいことがある」と言う。

「この戦は、どうすれば北条家、家康と如水の勝利となる?」

 皆が顔を見合わせて、それから答えたのは雪隆だった。

「それは、本軍や北軍を撤退させることです」
「ああ、そうだ。撤退させること。それはどうやって――」

 そこまで言ったとき――つながった。

「まさか、狙いは秀勝さまか?」

 古今東西、総大将を討ち取れば軍は容易く崩れる。
 先ほどの織田信長公も桶狭間で今川義元を倒して窮地を脱した。

「ありえますな。秀勝さまを打ち取れば一気に瓦解します」
「ああ。もしかすると北条家に寝返る者も出るかもしれません。そうなれば一気に戦国乱世へと逆戻りです」

 雪隆と島の会話で確信が大きくなる。
 だがここで問題があった。

「どうやって、秀勝さまを討ち取ると言うんだ? 野戦でも臨むのか?」

 俺の疑問はそこだった。大坂城ほど守られていないとはいえ、本陣にいる兵は多い。
 そこを悩んでいると、忠勝が「しまった! そういうことか!」と怒鳴った。

「くそ、なんで気がつかなかったんだ!」
「どうしたんですか、義父上!」

 忠勝は目を向いて、はっきりと言う。
 家康と如水の策略を――

「服部半蔵だ! 伊賀の残党を使って、暗殺するつもりだ!」
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