猿の内政官 ~天下統一のお助けのお助け~

橋本洋一

文字の大きさ
183 / 256

足掻き

しおりを挟む
 良い知らせと最悪の知らせが同時に舞い込んできた。

 まずは良い知らせから話そう。
 以前手取川で戦い、織田家が敗北してしまった上杉家当主、上杉謙信が病死したという。
 死因はよく分かっていない――いやそれはどうでもいいことだ。
 このことで織田家が有利になることは間違いなかった。軍神と崇められるほどの英傑が亡くなったのだ。もし上杉謙信が存命だったら、おそらく北陸から上洛し、畿内を脅かされていただろう。
 しかし、その危機は無くなった。まさに九死に一生を得たと言える。

 それに他にも利益があった。
 上杉家の後継者争い――上杉景勝と上杉景虎、二人の養子が跡目を争っているらしい。
 できることなら、景勝が勝つことが望ましい。これは黒田に教えてもらったのだが、もし景虎が上杉家当主となれば織田家を危ぶませるほどの大勢力になるのだ。
 というのも、景虎は元々北条家から人質として送られている。つまり、北条家の現当主北条氏政の弟だ。また、武田家と北条家は婚姻による同盟を結んでいる。
 もし景虎が上杉家を継いでしまったら――上杉、北条、武田の強力な同盟が結ばれてしまう。

 だから織田家とすれば景勝が家督を継げば問題ないのだ。そうすれば北条家と上杉家は手切れとなり、武田家とも同盟を結びづらくなる。
 まあいろいろ言ってみたものの、どうなるかは予測できないし、今は上杉家の領地を削れる好機でしかない。それに北陸方面の軍団長は柴田さまなのだ。織田家にとっては喜ばしいことだが、羽柴家にとっては直接的な利益はない。
 だからこそ、最良ではなく良い知らせなのだ。

 では最悪の知らせとは何か?
 ――毛利家と宇喜多家が上月城に攻め入ったことである。


「雲之介。宇喜多直家という男は、信用できるか?」
「できないよ」

 秀吉の問いに僕は即答した。
 苦笑しながら「優しいおぬしにそこまで言わせる男なのだな」と秀吉は言う。

「織田家に従うことが最善であるとか、利益が大きいとか。そういうことでしか物事を計れない、打算だけの大名だよ。忠義も恐怖もありはしない」
「ふむ。では上手くすればこちらに寝返ると?」
「寝返ってもいつ叛かれるか分からないよ? それでもいいのか?」

 秀吉は面倒といった風に伸びをした。

「だがまあ、目の前の光景に比べたら、いつ裏切られても構わないから、こちらの味方についてほしいがな」

 目の前の光景――高倉山に陣をはり、外に出た僕たちは、上月城を包囲されているのが見えていた。
 ぐるりと囲まれた城。河口には村上水軍と思われる船があり、陸には総勢三万の兵があらゆる道を塞いでいた。

「三木城攻めもあるというのに、厄介なことだ……」
「この場に半兵衛さんが居たら良かったのに」
「居ない者に頼っても仕方あるまい。それに官兵衛が居るではないか」

 居ることは居るけど、こちらは一万しかいないのに、いかに天才軍師といえども、難しい相談ではないだろうか?

「頼りの援軍は皆、三木城に向かってしまった……わしたちはこうして呆然と見るしかないのか?」

 秀吉は飄々としているけど、内心は熱い男だ。
 現に今、血が滲むほど唇を噛んでいる。

「……上様は、三木城の攻略を優先した。つまり上月城は、尼子家は、捨て駒にされたのか?」

 言いたくないことを言ってしまった。
 言わずとも良いことを、言ってしまった。

「なあ雲之介。わしは少しばかり、調子に乗っていたのかもしれんな」

 いつもは自信家のくせに、しみじみと後悔するようなことを言うものだから「何弱気になってるんだよ」と怒る。

「別所家の裏切りもそうだが、わしは案外、嫌われ者なのかもな」
「それは秀吉を知らないからだ。というか人たらしのくせにそんなことを言うな」

 なおも弱音を吐こうとしたとき、本陣から黒田が出てきた。

「羽柴殿。荒木村重殿が援軍としてきたぞ」
「おおそうか! して兵はいかほどだ?」

 黒田は無表情のまま「一千だ」と伝えた。

「……たったの一千? ま、真か?」
「間違いない。なんでも本願寺と別所家の守りのため、これしか出せないと……」

 期待していたわけではないけど、実際に現実を突きつけられると、きついものがある。

「……上様に援軍を頼もう」

 顔が険しい。しかしそれ以外に取るべき手段が無いのも事実だ。
 敵の将は毛利家の両川、吉川元春と小早川隆景なのだから。
 宇喜多家は弟の忠家らしい。直家でないのが不幸中の幸いだろう。

「官兵衛。どうにかして敵の包囲を破り、物資を届けることはできぬか?」
「決死隊を作り、一点集中してやっても、あの包囲を潜り抜けて上月城には……」

 無理だろうと最後まで言わなかった。
 秀吉は疲れた様子で「そうか……」と呟いた。

「立場は違うが、尼子殿は織田家に、山中殿は、尼子家に忠義を尽くす忠臣だ」
「…………」
「できれば助けてやりたかったのだが」

 諦めたことを言うなと言いたかったけど。
 この時点で僕にも分かっていた。

 上月城が落城し、二人は命を落とすと――



 織田家の援軍は、来なかった。
 畿内で洪水が起きたのだ。
 天災に人は敵わない。たとえ数多くの国を従わせる大名だとしても。

 それでも諦め切れなかった。
 何とか助けようと思った。
 あまり良い思い出はないけど、それでも一緒に戦う仲間なのだから。

 数日後、僕は安土城の館に居た。
 上様に援軍を送ってもらうためだ。
 どうにかできないことをどうにかしてもらおうと足掻いていたのだ。

「諦めよ。上月城は――見捨てる」

 開口一番に上様は言った。
 いつになく暗い顔をしている。

「…………」
「内政官だとしても、上月城を見捨てる他ないと分かっているだろう」

 言葉が無かった。
 一つ一つの言葉が、胸に突き刺さる。

「し、しかし――」
「尼子や山中に情でも移ったか? 貴様は――悲しいほど優しいな」

 呆れたように吐き捨てる上様。
 僕は平伏したまま、動けなかった。

「下がれ。そして猿に伝えよ。上月城を見捨てろとな」
「…………」
「――下がれというのが、分からんのか!」

 上様の怒りが、僕の頭から足の先まで、突き抜ける。

「俺とて助けたい気持ちは山々だ! できぬことをいつまでも悩むな!」

 僕は顔を上げた。
 上様の顔をじっと見る。
 怒りで染まった上様を――見る。

「なんだその目は――抉ってやろうか?」
「恐れながら、上様にお訊ねしたいことがございます」

 怯まずに堂々と言う。
 怒りを買わないことはできないけど、きちんと自分の言いたいことは言わせて貰う。

「尼子家の降伏をお許し願いたい」
「…………」
「せめて、命だけでも。彼らに生き恥をかかせることになったとしても。僕は生きていてほしいから」

 上様は立ち上がり、僕の前に来た。

「それは貴様の自己満足だ。分かっているのか?」
「分かっています」
「……信行のときと同じ目をしよって」

 溜息を吐いて――僕の顔を足蹴した。
 後ろに倒れ込む僕に上様は言い放った。

「貴様の好きにしろ! もしそれであやつらが織田家の敵になれば、貴様の目を抉る! 真のことが見えぬ目など不要だ!」
「……それこそ、好きにして構いませぬ」

 口元の血を拭いながら、姿勢を正して、僕は言う。

「許可をくださり、ありがとうございます」
「……このうつけが!」

 上様はその場を去ってしまった。
 小姓たちは上様の怒りのせいで、動けない。唯一動けた森乱丸くんは、ハッとして小姓たちに指示を出す。

「……大丈夫ですか? 雨竜殿」

 指示を出し終えた乱丸くんが僕の元にやってくる。

「ははは。怒られてしまった……」
「斬られてもおかしくなかったですよ?」
「まあね……」

 しばらく休んでから、僕は早馬で上月城を目指す。
 落城してしまわぬうちに知らせなければ……!
しおりを挟む
感想 8

あなたにおすすめの小説

織田信長 -尾州払暁-

藪から犬
歴史・時代
織田信長は、戦国の世における天下統一の先駆者として一般に強くイメージされますが、当然ながら、生まれついてそうであるわけはありません。 守護代・織田大和守家の家来(傍流)である弾正忠家の家督を継承してから、およそ14年間を尾張(現・愛知県西部)の平定に費やしています。そして、そのほとんどが一族間での骨肉の争いであり、一歩踏み外せば死に直結するような、四面楚歌の道のりでした。 織田信長という人間を考えるとき、この彼の青春時代というのは非常に色濃く映ります。 そこで、本作では、天文16年(1547年)~永禄3年(1560年)までの13年間の織田信長の足跡を小説としてじっくりとなぞってみようと思いたった次第です。 毎週の月曜日00:00に次話公開を目指しています。 スローペースの拙稿ではありますが、お付き合いいただければ嬉しいです。 (2022.04.04) ※信長公記を下地としていますが諸出来事の年次比定を含め随所に著者の創作および定説ではない解釈等がありますのでご承知置きください。 ※アルファポリスの仕様上、「HOTランキング用ジャンル選択」欄を「男性向け」に設定していますが、区別する意図はとくにありません。

四代目 豊臣秀勝

克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。 読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。 史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。 秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。 小牧長久手で秀吉は勝てるのか? 朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか? 朝鮮征伐は行われるのか? 秀頼は生まれるのか。 秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?

幻の十一代将軍・徳川家基、死せず。長谷川平蔵、田沼意知、蝦夷へ往く。

克全
歴史・時代
 西欧列強に不平等条約を強要され、内乱を誘発させられ、多くの富を収奪されたのが悔しい。  幕末の仮想戦記も考えましたが、徳川家基が健在で、田沼親子が権力を維持していれば、もっと余裕を持って、開国準備ができたと思う。  北海道・樺太・千島も日本の領地のままだっただろうし、多くの金銀が国外に流出することもなかったと思う。  清国と手を組むことも出来たかもしれないし、清国がロシアに強奪された、シベリアと沿海州を日本が手に入れる事が出来たかもしれない。  色々真剣に検討して、仮想の日本史を書いてみたい。 一橋治済の陰謀で毒を盛られた徳川家基であったが、奇跡的に一命をとりとめた。だが家基も父親の十代将軍:徳川家治も誰が毒を盛ったのかは分からなかった。家基は田沼意次を疑い、家治は疑心暗鬼に陥り田沼意次以外の家臣が信じられなくなった。そして歴史は大きく動くことになる。 印旛沼開拓は成功するのか? 蝦夷開拓は成功するのか? オロシャとは戦争になるのか? 蝦夷・千島・樺太の領有は徳川家になるのか? それともオロシャになるのか? 西洋帆船は導入されるのか? 幕府は開国に踏み切れるのか? アイヌとの関係はどうなるのか? 幕府を裏切り異国と手を結ぶ藩は現れるのか?

裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する

克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。

滝川家の人びと

卯花月影
歴史・時代
勝利のために走るのではない。 生きるために走る者は、 傷を負いながらも、歩みを止めない。 戦国という時代の只中で、 彼らは何を失い、 走り続けたのか。 滝川一益と、その郎党。 これは、勝者の物語ではない。 生き延びた者たちの記録である。

【架空戦記】狂気の空母「浅間丸」逆境戦記

糸冬
歴史・時代
開戦劈頭の真珠湾攻撃にて、日本海軍は第三次攻撃によって港湾施設と燃料タンクを破壊し、さらには米空母「エンタープライズ」を撃沈する上々の滑り出しを見せた。 それから半年が経った昭和十七年(一九四二年)六月。三菱長崎造船所第三ドックに、一隻のフネが傷ついた船体を横たえていた。 かつて、「太平洋の女王」と称された、海軍輸送船「浅間丸」である。 ドーリットル空襲によってディーゼル機関を損傷した「浅間丸」は、史実においては船体が旧式化したため凍結された計画を復活させ、特設航空母艦として蘇ろうとしていたのだった。 ※過去作「炎立つ真珠湾」と世界観を共有した内容となります。

対米戦、準備せよ!

湖灯
歴史・時代
大本営から特命を受けてサイパン島に視察に訪れた柏原総一郎大尉は、絶体絶命の危機に過去に移動する。 そして21世紀からタイムリーㇷ゚して過去の世界にやって来た、柳生義正と結城薫出会う。 3人は協力して悲惨な負け方をした太平洋戦争に勝つために様々な施策を試みる。 小説家になろうで、先行配信中!

札束艦隊

蒼 飛雲
歴史・時代
 生まれついての勝負師。  あるいは、根っからのギャンブラー。  札田場敏太(さつたば・びんた)はそんな自身の本能に引きずられるようにして魑魅魍魎が跋扈する、世界のマーケットにその身を投じる。  時は流れ、世界はその混沌の度を増していく。  そのような中、敏太は将来の日米関係に危惧を抱くようになる。  亡国を回避すべく、彼は金の力で帝国海軍の強化に乗り出す。  戦艦の高速化、ついでに出来の悪い四姉妹は四一センチ砲搭載戦艦に改装。  マル三計画で「翔鶴」型空母三番艦それに四番艦の追加建造。  マル四計画では戦時急造型空母を三隻新造。  高オクタン価ガソリン製造プラントもまるごと買い取り。  科学技術の低さもそれに工業力の貧弱さも、金さえあればどうにか出来る!

処理中です...