猿の内政官 ~天下統一のお助けのお助け~

橋本洋一

文字の大きさ
200 / 256

番外編 或る雨の日の手紙

しおりを挟む
 文を拝見いたしました。私(わたくし)のような者にまで、とても丁寧な手紙を綴ってくださるとは、あなたさまの人徳のなさるところなのですね。いたく心より感激しております。しかしせっかくのご提案なのですが、お断りさせていただきます。今は亡き母から断るときは早めに言うべしと教えられたものなので。ご無礼いたします。

 あなたさまをがっかりさせてしまうのは忍びないので、少しだけ父の思い出話をさせていただきます。あなたさまはいつも私の父の話を喜んでお聞きなりますものね。それほどあなたさまの中で父は偉大なのでしょう。

 あなたさまの父、石田治部少輔さまもとにかく父を尊敬しておりました。崇拝と言っても良いでしょう。しかし、治部少輔さまは知ってのとおり、命を助けられたからこそ父を崇拝していたわけで、あなたさまが想像するような勇猛果敢な武将ではなかったのです。今は口が裂けても言えませんが、父は『猿の内政官』と昔呼ばれておりました。それを知ればあなたさまは目を丸くして驚かれることでしょう。ですので黙っておりました。お許しください。

 そんな父ですから武将としてではなく、内政官として評価していただくほうが嬉しく思います。今は京暮らしをしていますが、生まれ故郷の北近江の長浜や第二の故郷は父のおかげで発展したと言ってもおかしくはありません。身内の評価ですが、これだけは真実であると感じております。

 でも娘の私が言うのもおかしな話ですが、父は優しすぎたのかもしれません。出自がそうですから、人に優しくしたいと思うのは当然の話ですが、それでも優しすぎたのかもしれません。ひどいことをした兄を許したのは腹違いとはいえ、妹としてはとても嬉しかったのですが、それでも少しばかりの罰を与えたほうが、兄のためだったと老境に差し掛かってから思うようになりました。

 父よりも年老いた今だから言えるのですが、人間は優しすぎてはいけないのだと思います。あなたさまが尊敬し崇拝している父を悪く言うのをお許しください。でも娘だからこそ、言えることがあるのです。あなたさまよりもちょっとだけ年上の老女の戯言と思って流しても結構です。

 私の父は優しすぎました。母にも兄にも姉にも孫にも優しすぎたのです。自分だけの身内ならば良いのですが、それを他人にまで広げたのが問題だったのかもしれません。他人に優しさを強いることがなかったのが救いだったのかもしれません。

 私はそんな父を愛しておりましたが、反対に怖がっていました。同時に不思議に思っていました。どうして人に優しくできるのかと常々思っていました。父に訊ねたこともありました。一度だけですが、父は当たり前のように言いました。『優しさに理由なんかないよ』と確かにそう言いました。

 理由なんかない。そう、父にとって優しさとは呼吸のように自然であり、瞬きのように当然な行ないだったのです。そう聞いて私は父を理解することを放棄しました。私にも優しさというものは少なからずありますが、それでも私は父のようになれないと思いました。憧れもありません。軽蔑もありません。ただ父はそういう人だと認めるしかなかったのです。

 それでもあなたさまは尊敬や崇拝をやめないのでしょうね。政(まつりごと)を行なう者としての崇め奉りたい気持ちは重々承知しております。しかしながら、さほど立派な人間ではないと知ってもらいたいのです。

 自分の優しさを押し付ける人ではなかったのですが、押し通す人であったのは、大返しの逸話でお分かりでしょう? まあもしも父がその決断をしなければ、今の政権は存在しなかったのですが。

 あなたさまが憧れるような人ではありませんでした。天下の名宰相として民に崇められている現状でさえ、私にとっては不本意なのです。決して父を貶めたい気持ちはないのですが、過度な信仰は父も嫌がると思います。

 私の子や孫は父のことをほとんど知りません。私が話していないということもありますが。父のことを知った我が家の嫡男は『どうして教えてくれないんですか!?』と大層立腹でしたね。

 戦国乱世だった日の本を知る人は少なくなりました。天下人の織田信長公や豊臣秀吉公の名は既に威光無く、私の兄のことを知る人が少なくいるぐらいで、ほとんどが過去のものへとなってしまいました。

 それでいいのだと最近思うようになりました。戦国乱世に生きた人間など思い返すことなく、毎日何も考えずに生き、昔の武将に憧れながらも想像に留まり、太平の世を楽しむ軟弱者が居ることこそ、父が望んだ日の本なのですから。

 そうそう。最後に言っておかねばなりません。今は伝説となっている秀吉公の草履の話。実は父が発端だったらしいのです。大昔、父に聞きました。これだけは伝えておかないといけませんね。詳しい話は直接会ったときに言います。

 とりとめもない話を書いてしまいました。というわけで大坂で家族と一緒に暮らすのはお断りさせていただきます。京には父の妻、私の母ではない母が眠っていますし、その隣には父の分骨も眠っていますので。

 外は雨が降っております。まるで父が歴史を変えたときと同じ天気です。もしくは父が運命の出会いをしたときと同じ天気です。雨竜雲之介とは上手く名付けられたものですね。 かしこ

織田 雹

石田少納言重家さまへ
しおりを挟む
感想 8

あなたにおすすめの小説

猿の内政官の息子 ~小田原征伐~

橋本洋一
歴史・時代
※猿の内政官 ~天下統一のお助けのお助け~という作品の外伝です。猿の内政官の息子の続編です。全十話です。 猿の内政官の息子、雨竜秀晴はある日、豊臣家から出兵命令を受けた。出陣先は関東。惣無事令を破った北条家討伐のための戦である。秀晴はこの戦で父である雲之介を超えられると信じていた。その戦の中でいろいろな『親子』の関係を知る。これは『親子の絆』の物語であり、『固執からの解放』の物語である。

猿の内政官の孫 ~雷次郎伝説~

橋本洋一
歴史・時代
※猿の内政官シリーズの続きです。 天下泰平となった日の本。その雨竜家の跡継ぎ、雨竜秀成は江戸の町を遊び歩いていた。人呼んで『日の本一の遊び人』雷次郎。しかし彼はある日、とある少女と出会う。それによって『百万石の陰謀』に巻き込まれることとなる――

戦国終わらず ~家康、夏の陣で討死~

川野遥
歴史・時代
長きに渡る戦国時代も大坂・夏の陣をもって終わりを告げる …はずだった。 まさかの大逆転、豊臣勢が真田の活躍もありまさかの逆襲で徳川家康と秀忠を討ち果たし、大坂の陣の勝者に。果たして彼らは新たな秩序を作ることができるのか? 敗北した徳川勢も何とか巻き返しを図ろうとするが、徳川に臣従したはずの大名達が新たな野心を抱き始める。 文治系藩主は頼りなし? 暴れん坊藩主がまさかの活躍? 参考情報一切なし、全てゼロから切り開く戦国ifストーリーが始まる。 更新は週5~6予定です。 ※ノベルアップ+とカクヨムにも掲載しています。

織田信長 -尾州払暁-

藪から犬
歴史・時代
織田信長は、戦国の世における天下統一の先駆者として一般に強くイメージされますが、当然ながら、生まれついてそうであるわけはありません。 守護代・織田大和守家の家来(傍流)である弾正忠家の家督を継承してから、およそ14年間を尾張(現・愛知県西部)の平定に費やしています。そして、そのほとんどが一族間での骨肉の争いであり、一歩踏み外せば死に直結するような、四面楚歌の道のりでした。 織田信長という人間を考えるとき、この彼の青春時代というのは非常に色濃く映ります。 そこで、本作では、天文16年(1547年)~永禄3年(1560年)までの13年間の織田信長の足跡を小説としてじっくりとなぞってみようと思いたった次第です。 毎週の月曜日00:00に次話公開を目指しています。 スローペースの拙稿ではありますが、お付き合いいただければ嬉しいです。 (2022.04.04) ※信長公記を下地としていますが諸出来事の年次比定を含め随所に著者の創作および定説ではない解釈等がありますのでご承知置きください。 ※アルファポリスの仕様上、「HOTランキング用ジャンル選択」欄を「男性向け」に設定していますが、区別する意図はとくにありません。

四代目 豊臣秀勝

克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。 読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。 史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。 秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。 小牧長久手で秀吉は勝てるのか? 朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか? 朝鮮征伐は行われるのか? 秀頼は生まれるのか。 秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?

天竜川で逢いましょう 〜日本史教師が石田三成とか無理なので平和な世界を目指します〜

岩 大志
歴史・時代
ごくありふれた高校教師津久見裕太は、ひょんなことから頭を打ち、気を失う。 けたたましい轟音に気付き目を覚ますと多数の軍旗。 髭もじゃの男に「いよいよですな。」と、言われ混乱する津久見。 戦国時代の大きな分かれ道のド真ん中に転生した津久見はどうするのか!!??? そもそも現代人が生首とか無理なので、平和な世の中を目指そうと思います。

織田信長IF… 天下統一再び!!

華瑠羅
歴史・時代
日本の歴史上最も有名な『本能寺の変』の当日から物語は足早に流れて行く展開です。 この作品は「もし」という概念で物語が進行していきます。 主人公【織田信長】が死んで、若返って蘇り再び活躍するという作品です。 ※この物語はフィクションです。

滝川家の人びと

卯花月影
歴史・時代
勝利のために走るのではない。 生きるために走る者は、 傷を負いながらも、歩みを止めない。 戦国という時代の只中で、 彼らは何を失い、 走り続けたのか。 滝川一益と、その郎党。 これは、勝者の物語ではない。 生き延びた者たちの記録である。

処理中です...