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優しさの力
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死の淵に居る今、僕が考えていることは、長浜に居るはるやかすみ、そして雹のことじゃなかった。もちろん心配はしていたし、明智の軍勢に攻められたかもしれないと思うと不安になる。
でも一番に思うことは、秀吉たちが姫路城に逃げ切れたかということだ。これでも一日は時間を稼げた。戦下手な僕にしてみれば十分すぎる戦果だった。
まったく。家族よりも秀吉のことを考えるなんて。いつから僕は家族に対する情を無くしたんだ? だけど、秀吉が明智を討たなければならないことは重々承知していた。
だから秀吉が明智を討って天下人になる礎になること――つまり僕が死ぬこと――は、しんがりを進言してから覚悟していた。何なら自然と飲み込めた。秀吉は否定したけど、そのために拾われたと心から思える。
ここで討ち死にすることに問題はない。
僕が死ぬことに対して何も後悔はない。
家臣と山中殿と兵たちには申し訳ないと思う。僕の無謀な戦に付き合わせて、本当にすまないと思う。だけどやるしかなかったんだ。できるできないじゃなく、やるしかなかった。
心残りはないわけではない。上様を討った明智をこの手で倒せなかったのは、とてもとても悔しい。きっと秀吉が討ってくれるだろうけど、直接倒したかった。
狂おしき 怒りを湛え 是非もなし 今は亡き妻の 顔が浮かばん
辞世の句も懐に忍ばせて、僕は死地へと向かう。
和睦を破り、信義を失った吉川を――食い止めるために。
「現状はどうなっている?」
自分の刀も槍も折れ、手元には自害のための短刀しか残されていない僕。周りを見渡せば、だいたい同じ状態の兵が疲れたように伏している。
「残ったのは、八百程度。敵は一万二千ほど」
島が周りを見渡して、報告する。
ぐるりと囲まれたこの状況を打破などできないと分かっていたけど。
敵は僕らが逃げこんだ吉備津神社の周囲に陣形を敷いていて、鼠一匹逃がさないという気構えを見せている。
隣で座り込んでいる雪隆くんは野太刀の刀身を見て「まだ斬れる」と呟いていた。
「流石に雲之介さんに頂いた野太刀。切れ味は衰えないな」
「そんな悠長なこと、言えないぞ」
島がどかりと座り込む。疲労困憊だと分かってしまう顔色だった。
「どうする? 潔く腹を切るか? 殿」
「……いや。まだその段階じゃない」
僕は島――周りに居る兵に向かって言う。
「腹を切るくらいなら一人でも倒して、討ち死にするよ。それが嫌な者はここに残ってくれ。僕が死んでから降伏を願い出てほしい」
僕の言葉に雪隆くんは「雲之介さんらしくないな」と笑った。
この状況の中、笑みを見せた。
「ここは自分が死ぬから、皆降伏してくれって言うのが、あなたって人だろ?」
「平時だったからそうかもね。でもそれは駄目だ」
「どうして?」
「秀吉が姫路城に着くまで、時間を稼がないといけない」
本当に度し難いな僕は。
「ここでできる限り吉川軍の兵を減らして追撃を断念させる。そうしないと先に死んだ頼廉や山中殿に合わせる顔がない」
「…………」
「死にたくない者はここに残るように」
法螺貝の音が聞こえる。
いよいよ敵の総攻撃が始まる。
「島。残った兵をまとめてくれ。そして僕が死んだら降伏するように――」
「……はあ。もう少し利口な方だと思っていたが」
島は自分の槍を杖代わりにして立ち上がった。
「俺が殿を残して、のうのうと生きられるわけない」
「……でも、そしたら兵が」
すると一人の兵が「何を水臭いことを言っているんですか!」と怒鳴った。
「どうせ皆殺しに決まっているでしょう! だったら死に花咲かせてやりますよ!」
その言葉に兵たちが次々と賛同する。
「大将は伊勢長島で俺と家族を助けてくれた!」
「ああ、俺もだ。長浜でも仕事をくれた!」
「俺にだって優しい言葉をかけてくださったんだ!」
僕は彼らに「馬鹿なことを言うな!」と叫んだ。
「そんなことを恩義に感じて、死ににいくことはないんだ!」
すると一人の兵が「大将。俺の名前、分かりますか?」と問う。
「ああ、権兵衛だろ。それがどうしたんだ」
「あんただけだ。一人一人の名前を覚えて、声をかけてくれたのは」
それは、兵の管理をしているから、当然の行ないだった。
「兵を雑に扱わないお人を、お前ら死なせていいのか!? 助けてやろうぜ!」
権兵衛の言葉に全員が「応!」と言った。
なんだよ。せっかく生かしてやろうと思ったのに。
「ああもう。皆死にたがりの馬鹿だ」
「雲之介さんだけには言われたくないな」
雪隆くんが呆れた顔をしている。
「主君のために死んでもしんがりを達成しようとしているんだから」
「まあそうだけど……」
「うだうだ言ってないで、命じてくれ」
僕は溜息を吐いて――それから命じた。
「まだ討ち死にするのは早い。ここを死守する。槍衾を作り、弓矢で攻撃し、一兵も近づかせるな!」
全員が「応!」と叫んだ。
僕は「丈吉。そして忍び衆」と短く言う。
すると丈吉と五人の忍びがやってきた。
「君たちは――」
「話し合った結果、ここで死ぬことにしました」
丈吉が僕を制して言う。
「いいのか?」
もはややめておけとか言う気にならなかった。
彼はもう覚悟を決めていたから。
「妻子を助けてくれて、しかも面倒まで看てくれた。逃げるなどもってのほかです」
「……ありがとう」
それしか言えない自分が情けなかった。
丈吉たちはにやりと笑った。
「それでは、皆」
僕は家臣と兵、そして忍びたちに言う。
「悪いけど、命を賭して、全てを懸けて、戦ってほしい」
四方を囲まれているが、参道は一本しかない。
敵はそこから攻めてくる。だからそこだけを守れば良かった。
それに周りの木々を焼いての火攻めはない。吉備津神社という神聖な場所であること、今は晴れであっても前日まで雨が降っていて湿っていたこと。この二つからないことは分かる。
毛利家の兵は、何故降伏しないのだろうと不思議がっていた。
一万二千と八百の戦いなんて勝負にもならない。
それでも――諦めずに死兵となって戦い続ける意味が、彼らには分からないだろう。
八百が徐々に減っていき、わずか二百となってしまっても僕は戦をやめなかった。
兵の一人一人の死に顔が忘れない。
残されたわずかな生涯だけど、一生忘れないだろう。
「駄目だ。矢がもう無くなってしまった。向こうも本格的に攻めてくるだろう」
返り血と自身の血で真っ赤に染まった島がそう報告してきた。
「殿。一応、合わせて一日と半日稼ぎました」
「……これなら秀吉も無事だろうな」
残った二百の兵。
あの権兵衛という兵は真っ先に死んでしまった。
もはやこれまでか。
「これより――」
僕が次の指示をしようとしたときだった。
「雲之介さん! 敵が崩れているぞ!」
雪隆くんが大声で喚く。
僕は何があったのかと思い、敵を見た。
「な、なんだあれは!?」
島が隣で叫んでいる。
見知らぬ軍勢が、吉川軍に向けて、鉄砲を撃っている?
おそらく五千か六千の兵だろう。かなりの錬度と統制で動き、縦横無尽に敵方を翻弄している。
「どこの軍勢だ?」
呟いて旗を見る――そして分かった。
――三本足の八咫烏。
「ど、どうして、雑賀衆が?」
何が起こっているのか、理解できない。
吉川軍は総崩れとなって、次々と撤退していく。
「……よく分からないけど、俺たちは助かったのか?」
雪隆くんの言葉に兵たちは歓声をあげた。
呆然とする中、雑賀衆の軍勢がこちらに近づく。
「手を出すな! おとなしく通せ!」
島の命令が発する前に兵は道をあけていた。
前方の人物――見覚えがある――が僕に笑いかける。
「約束どおり、窮地のときに駆けつけてやったぜ」
雑賀衆の元頭領、鈴木孫市だった。
相変わらず派手な衣装な洒落者だ。
いやそんなことはどうでもいい。
「どうしてここに……?」
「おせっかいな女が、あんたが窮地に陥っているかもしれないって言ったんだよ」
顎をしゃくって、その人を紹介する、孫市。
後ろに居たのは――
「な、なんで君が……」
「なんかさ。後味悪いじゃない。かつての主君が窮地なのに、見て見ぬふりするなんて」
はにかんで笑うなつめは、僕に言う。
「これで貸し借りなしだからね」
でも一番に思うことは、秀吉たちが姫路城に逃げ切れたかということだ。これでも一日は時間を稼げた。戦下手な僕にしてみれば十分すぎる戦果だった。
まったく。家族よりも秀吉のことを考えるなんて。いつから僕は家族に対する情を無くしたんだ? だけど、秀吉が明智を討たなければならないことは重々承知していた。
だから秀吉が明智を討って天下人になる礎になること――つまり僕が死ぬこと――は、しんがりを進言してから覚悟していた。何なら自然と飲み込めた。秀吉は否定したけど、そのために拾われたと心から思える。
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「現状はどうなっている?」
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「残ったのは、八百程度。敵は一万二千ほど」
島が周りを見渡して、報告する。
ぐるりと囲まれたこの状況を打破などできないと分かっていたけど。
敵は僕らが逃げこんだ吉備津神社の周囲に陣形を敷いていて、鼠一匹逃がさないという気構えを見せている。
隣で座り込んでいる雪隆くんは野太刀の刀身を見て「まだ斬れる」と呟いていた。
「流石に雲之介さんに頂いた野太刀。切れ味は衰えないな」
「そんな悠長なこと、言えないぞ」
島がどかりと座り込む。疲労困憊だと分かってしまう顔色だった。
「どうする? 潔く腹を切るか? 殿」
「……いや。まだその段階じゃない」
僕は島――周りに居る兵に向かって言う。
「腹を切るくらいなら一人でも倒して、討ち死にするよ。それが嫌な者はここに残ってくれ。僕が死んでから降伏を願い出てほしい」
僕の言葉に雪隆くんは「雲之介さんらしくないな」と笑った。
この状況の中、笑みを見せた。
「ここは自分が死ぬから、皆降伏してくれって言うのが、あなたって人だろ?」
「平時だったからそうかもね。でもそれは駄目だ」
「どうして?」
「秀吉が姫路城に着くまで、時間を稼がないといけない」
本当に度し難いな僕は。
「ここでできる限り吉川軍の兵を減らして追撃を断念させる。そうしないと先に死んだ頼廉や山中殿に合わせる顔がない」
「…………」
「死にたくない者はここに残るように」
法螺貝の音が聞こえる。
いよいよ敵の総攻撃が始まる。
「島。残った兵をまとめてくれ。そして僕が死んだら降伏するように――」
「……はあ。もう少し利口な方だと思っていたが」
島は自分の槍を杖代わりにして立ち上がった。
「俺が殿を残して、のうのうと生きられるわけない」
「……でも、そしたら兵が」
すると一人の兵が「何を水臭いことを言っているんですか!」と怒鳴った。
「どうせ皆殺しに決まっているでしょう! だったら死に花咲かせてやりますよ!」
その言葉に兵たちが次々と賛同する。
「大将は伊勢長島で俺と家族を助けてくれた!」
「ああ、俺もだ。長浜でも仕事をくれた!」
「俺にだって優しい言葉をかけてくださったんだ!」
僕は彼らに「馬鹿なことを言うな!」と叫んだ。
「そんなことを恩義に感じて、死ににいくことはないんだ!」
すると一人の兵が「大将。俺の名前、分かりますか?」と問う。
「ああ、権兵衛だろ。それがどうしたんだ」
「あんただけだ。一人一人の名前を覚えて、声をかけてくれたのは」
それは、兵の管理をしているから、当然の行ないだった。
「兵を雑に扱わないお人を、お前ら死なせていいのか!? 助けてやろうぜ!」
権兵衛の言葉に全員が「応!」と言った。
なんだよ。せっかく生かしてやろうと思ったのに。
「ああもう。皆死にたがりの馬鹿だ」
「雲之介さんだけには言われたくないな」
雪隆くんが呆れた顔をしている。
「主君のために死んでもしんがりを達成しようとしているんだから」
「まあそうだけど……」
「うだうだ言ってないで、命じてくれ」
僕は溜息を吐いて――それから命じた。
「まだ討ち死にするのは早い。ここを死守する。槍衾を作り、弓矢で攻撃し、一兵も近づかせるな!」
全員が「応!」と叫んだ。
僕は「丈吉。そして忍び衆」と短く言う。
すると丈吉と五人の忍びがやってきた。
「君たちは――」
「話し合った結果、ここで死ぬことにしました」
丈吉が僕を制して言う。
「いいのか?」
もはややめておけとか言う気にならなかった。
彼はもう覚悟を決めていたから。
「妻子を助けてくれて、しかも面倒まで看てくれた。逃げるなどもってのほかです」
「……ありがとう」
それしか言えない自分が情けなかった。
丈吉たちはにやりと笑った。
「それでは、皆」
僕は家臣と兵、そして忍びたちに言う。
「悪いけど、命を賭して、全てを懸けて、戦ってほしい」
四方を囲まれているが、参道は一本しかない。
敵はそこから攻めてくる。だからそこだけを守れば良かった。
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毛利家の兵は、何故降伏しないのだろうと不思議がっていた。
一万二千と八百の戦いなんて勝負にもならない。
それでも――諦めずに死兵となって戦い続ける意味が、彼らには分からないだろう。
八百が徐々に減っていき、わずか二百となってしまっても僕は戦をやめなかった。
兵の一人一人の死に顔が忘れない。
残されたわずかな生涯だけど、一生忘れないだろう。
「駄目だ。矢がもう無くなってしまった。向こうも本格的に攻めてくるだろう」
返り血と自身の血で真っ赤に染まった島がそう報告してきた。
「殿。一応、合わせて一日と半日稼ぎました」
「……これなら秀吉も無事だろうな」
残った二百の兵。
あの権兵衛という兵は真っ先に死んでしまった。
もはやこれまでか。
「これより――」
僕が次の指示をしようとしたときだった。
「雲之介さん! 敵が崩れているぞ!」
雪隆くんが大声で喚く。
僕は何があったのかと思い、敵を見た。
「な、なんだあれは!?」
島が隣で叫んでいる。
見知らぬ軍勢が、吉川軍に向けて、鉄砲を撃っている?
おそらく五千か六千の兵だろう。かなりの錬度と統制で動き、縦横無尽に敵方を翻弄している。
「どこの軍勢だ?」
呟いて旗を見る――そして分かった。
――三本足の八咫烏。
「ど、どうして、雑賀衆が?」
何が起こっているのか、理解できない。
吉川軍は総崩れとなって、次々と撤退していく。
「……よく分からないけど、俺たちは助かったのか?」
雪隆くんの言葉に兵たちは歓声をあげた。
呆然とする中、雑賀衆の軍勢がこちらに近づく。
「手を出すな! おとなしく通せ!」
島の命令が発する前に兵は道をあけていた。
前方の人物――見覚えがある――が僕に笑いかける。
「約束どおり、窮地のときに駆けつけてやったぜ」
雑賀衆の元頭領、鈴木孫市だった。
相変わらず派手な衣装な洒落者だ。
いやそんなことはどうでもいい。
「どうしてここに……?」
「おせっかいな女が、あんたが窮地に陥っているかもしれないって言ったんだよ」
顎をしゃくって、その人を紹介する、孫市。
後ろに居たのは――
「な、なんで君が……」
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