猿の内政官 ~天下統一のお助けのお助け~

橋本洋一

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交渉の末に

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「そのような要求、飲めるわけがなかろう!」

 怒声を発したのは徳川家筆頭家老の酒井忠次だった。それに同調するように榊原康政、鳥居元忠、大久保忠世ら武将たちが立ち上がった。他にも武将は居るけど、唯一激高しなかったのは本多正信だけだった。彼は主君の横で目を閉じていた。

「飲めなければ徳川家は滅ぶ」

 冷静に僕は事実を告げる。隣の三成は内心不安そうだったけど、僕に倣ってそんな素振りは見せずに居た。
 僕は騒ぎ喚く徳川家家臣たちを半ば無視して、徳川家康殿に問いかける。

「服従するか滅亡するか。あなたの決断で全てが決まりますよ」

 対して、家康殿は平然と僕を見つめるだけだった――



「先生。敵中にこれから乗り込む前に、教えて欲しいことがあります」

 徳川家との交渉が始まる半刻前、僕は雨竜家の陣中で三成に問われていた。
 僕は「教えて欲しいこと?」と問い返す。

「僕に教えられることなんてないよ」
「またまたご謙遜を。伊勢長島の活躍は耳にしています」

 三成はやや緊張した面持ちで「それで、交渉において一番大事なことはなんでしょうか?」と難しいことを訊ねる。

「一番大事なこと……一つに絞れないな」
「そうなんですか?」
「剣術や兵法の奥義でも、複数あるだろう? 一撃必殺の技なんてないのと一緒さ」

 僕は顎に手を置いて「そうだね。僕が思う大事なことを挙げていこう」と言った。会話で三成の緊張をほぐすためでもあった。

「まずは相手の考えを読むこと。自分が相手の立場になって、どんなことを言われたら妥協するかを探るんだ」
「妥協、ですか?」
「ああ。こちらの要求が全て通ることを目指したら思考が頑なになってしまう。そうすると言葉も固くて刺々しいものになる。そんな人間の言葉に従う者なんてそうそう居ない」

 三成は心当たりがあるようで「な、なるほど……」と呟いた。

「次に相手の心を掴むこと。言葉を使って解きほぐす必要がある。敵意をなるべく無くすんだ」
「敵意を、無くす……」
「秀吉は掴むだけじゃなくて、心を奪ったり支配したりする。僕には到底できないけどね」

 三成は納得したように頷いた。

「後は……強く己を律すること。相手も僕たちを篭絡してくるだろう。ましてや相手は徳川家康殿だ。どんな風に僕たちを制するのか、予想がつかない。だから自分を保つんだ」

 これには自信があるようで三成は「分かりました」と強く答えた。

「よし。そろそろ浜松城に行こう」
「相手の城に乗り込むのは、度胸が要りますね」
「こちらの誠意と度胸を見せるためだよ。ま、虎穴に入らずんば虎子を得ずだね」

 陣を出る際、外で僕を待っていたらしい秀晴に「御武運を」と声をかけられた。

「ありがとう。雪隆くんはどうかな?」
「安静にしています。骨は折れているようで、回復には時間がかかるでしょう」
「そうか。本多忠勝殿は?」
「意識は戻りましたけど、黙して何も語りません」

 一応、自害させないようにと言っておいた。
 交渉前に会おうか迷っていたが、帰ってきてからにしようと思った。

「さあ。行こうか」



 秀吉の要求を告げると、浜松城の大広間に居た武将たちが憤った。それは予想の範疇だった。
 問題は徳川家康殿の対応だった。下手を打てば僕と三成は殺されるだろう。しかし冷静に考えれば、その瞬間、徳川家の滅亡が決定する。それは家康殿自身、分かっているはずだ。

「……皆の者、退座してくれ」

 家康殿が静かに命じると、騒がしかった声がすぐに消え去った。

「雨竜殿と石田殿とだけ話がしたい」

 もちろん納得できないだろうが、主君の命令に従わない者は居ない。それも忠誠心の高い徳川家家臣だ。僕たちを睨むものの異論を挟むことなく、全員退座した。
 先ほどとはうって変わって、静まり返った大広間で、家康殿は「すまなかったな」と困った顔で謝る家康殿。

「我が家臣には頑固者が多い。忠義者であるのは確かだが」
「……そんなに心配しなくても、あのことは言いませんよ」

 わざと含む言い方をすると「はて。何のことかな」ととぼける家康殿。
 三成は僕たちのやりとりを訝しげに見ていた。

「それで、僕たちに何を話すつもりですか?」
「甲斐国と信濃国の割譲と従属は受け入れるが、隠居は御免被る」

 三成はそのとき、思わず喜色を浮かべた。確かに徳川家の力をを削げて、なおかつ従属をするのなら、交渉は大成功と言えるだろう。
 しかし僕は首を横に振った。

「駄目です。他の二つは譲歩しても、隠居はしてもらいます」

 家康殿は慎重に「……理由を聞いてもよろしいか?」と問う。

「あなたは隠居して徳川家の権力を取り上げない限り――天下を望むことを諦めない」

 はっきりと何の衒いも無く、真っ直ぐに述べる。

「はっはっは。甲斐国も信濃国も取り上げられて、いかにして天下を望めると申すか?」
「周りの大名を抱きこむことくらい、あなたならできる」

 薄っぺらい笑い顔をばっさりと斬り捨てる。

「東海道を支配しているあなたは本当に危険です。上様が最後まで警戒していた理由がよく分かります」
「…………」
「しかし、野心と叛意のある家康殿が従ってくれれば、他の大名も従ってくれる」

 それからしばらく沈黙が続いた。
 家康殿はこちらを穴が空くほど見つめた。

「……現在、殿に皆が従って、日の本を太平の世へと導かんとしているのです」

 三成が堪えきれずに、家康殿に訴えた。

「何故、天下を望まれる? 上様が亡くなったことで自信が出てきたのですか?」
「……違う。今、徳川家が天下を取らねば、羽柴家に従うだけの大名に成り下がるからだ」

 家康殿はようやく、本音を話してくれた。

「それのどこが悪いのですか? 親兄弟が戦うことなく、日々平穏に暮らせる世のほうが尊い――」

 その言葉が琴線に触れたのか「貴様のような若造に、何が分かる!」と家康殿は怒鳴った。

「従属大名の息子や孫として、生きることのつらさを知らぬ者が! 己は人質になったことがあるのか! 幼い頃より父母と離れて暮らすことの寂しさが分からぬのか! 己の妻や息子を命じられるまま殺した気持ちも、強大で敵わぬ者に飼い殺しにされる苦しみも、天下を差配できずにこき使われるだけの情けない身分に落ち込むことの情けなさも、貴様は知らぬであろう!」

 はあ、はあ、と息が乱れ、声を荒げるその姿は、今まで我慢していた積もり積もったものを爆発させた老人そのものだった。
 三成は目を丸くして、ただ言われるがままだった。

「……涎、出ていますよ」

 僕が静かに指摘すると、家康殿は口元を着物で拭いた。

「……すまぬ。お前たちに言うべきことではなかった」

 感情のまま自分の苦労を吐露したおかげで、憑き物が取れたように穏やかな表情になった家康殿。

「……この場で本能寺の変のことを話してもよろしいですか?」
「ああ、構わぬ」

 僕はあくまで冷静に「どうして明智と組んで上様を殺そうとしたのか、今ようやく理由が分かりました」と言う。
 三成が驚愕の表情を見せた。

「な、何を――」
「明智から話を切り出された。それに断れば我が徳川家は滅びていた」

 三成を半ば無視して、家康殿は語り出した。

「私と徳川家の重臣を一挙に殺し、その混乱に乗じて三河国に攻め入る――織田殿が本当にそう企んでいたのかは定かではない。しかし、明智に唆されてしまった」
「ええ。明智はそういう人間だった」
「何故、雨竜殿は真相を知っていた?」
「明智殿が僕に手紙を遺していました。おそらく、成功と失敗を同時に考えていたのでしょう」

 家康殿は軽く笑いながら「こんなことなら、積極的に協力するべきだったな」と愚痴った。

「先生……その話が真実だとすると、徳川家は織田家を裏切ったことに……」
「いや、最初に裏切ったのは上様だと考えられる。それに家康殿は積極的に裏切っていないし、手も下していない」

 三成の言葉に反論する僕。

「しかし、驚いたのは信康が生きていたことだ。半蔵め、わしに嘘をつくとは」
「信康殿なら、立派に後を継げるでしょう。それでも不満はあるのなら、僕が秀吉に従属大名の扱いを良くするように言っておきます」

 最後通牒だった。僕は決断を家康殿に迫った。

「まだ本能寺の真実は明るみに出ていません。今ならまだ徳川家が汚名を着ることはありませんよ」

 家康殿は天を仰いで「ここが落としどころか」と呟いた。

「どうせ、家臣の説得はしてくれないのだろう?」
「家康殿が言えば従うでしょう」
「そんな簡単なものではない」

 家康殿は困ったような疲れたような顔をした。

「三河国の武士が律儀だが、それ以上に頑固者なのだ」
「……それは同情しますけど」
「それから、数正はどうなる? 徳川家に帰参するのか?」
「ええ、信康殿と一緒にという条件で、羽柴家に寝返りましたから」

 家康殿は「あれは私以上にせがれを可愛がる。昔からそうだった」と苦笑した。

「後悔は多々あるが、従うしかないな」

 ようやく、その言葉を引き出せた。
 こうして徳川家は羽柴家に従うこととなった。
 しかしまだ安心はできなかった。
 僕にはまだ、一人だけ説得しなければならない男が居るからだ。
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