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兄弟分の死
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蜂須賀正勝――僕の兄弟分である彼を評するなら、豪胆とか豪快、いわゆる器の大きい男だろう。豪放磊落や放蕩無頼でもいい。乱暴かつ大雑把な話し方や考え方をするが、考えすぎる僕にとって、正勝の一言は金言と同等だった。彼の言葉は僕を落ち着かせて救ってくれた。
たとえば僕が初めて人を殺したときだって、あの言葉が無ければ苦しみ続けていただろう。向き合うことができなかった。秀吉と同じくらいの大恩人と言うべきだろう。
そんな男が――死に瀕している。
僕の傍らで、布団の上で寝ている。
他には誰も居ない。家政くんが気を利かせて二人きりにしてくれた。
「ううん? なんだ、兄弟か……」
目を覚ました正勝は僕を確認すると、僅かに微笑んだ。
まるで寝小便が見つかって、ばつの悪い顔をする悪童みたいだった。
でもその頬はこけていて、生気が無い。
僕は医者ではないけど分かる。
僕も死にかけてるから分かる。
もう永くないと――
「へへへ。やっぱり兄弟には分かるか」
身体を起こそうとして、起き上がらない正勝。
そこまで弱っているのか。
「俺も歳だな。ちょっと風邪を引いちまったくらいで……」
「そのままでいいよ」
僕は静かに言った。
「いつから悪くなった?」
「せがれが阿波国の大名になったくらいだな。実は口止めしてたんだよ。でも、なんとなくお前は分かっていただろう?」
「見舞いに来なかったからね。身体を悪くしていたのだとなんとなく……」
「忙しいから来れなかった、とは思わないのか?」
「忙しくても来る人間だろう? 僕のほうこそ、悪かったね」
正勝は首を横に振ろうとしたけど、小さく動かすのが精一杯だった。
「良いんだよ。お前だって――死にそうなんだ」
胸が締め付けられる気持ちだった。
自分が死ぬことは諦めがついている。
でも、今まで一緒に戦ってきた仲間が死ぬのは、耐えられそうになかった。
「なあ。兄弟。俺は――お前と出会えて良かったよ」
正勝は口元を歪ませた。もう大笑いできないのだろう。
「墨俣でお前が勇気を出して、俺に言ってくれた言葉、覚えているか?」
「……どうだろう。昔のことだから、覚えてないよ」
「はは。まあそうだろうな。でもよ、俺は覚えているぜ」
正勝は目を閉じて、それから言う。
「確か、こう言ったんだ。『やりたくもない山賊を続けて生き恥を晒すか、死ぬかもしれない墨俣築城で名を馳せるか。ここで動かなかったら男じゃないぞ! どうするんだ、蜂須賀小六!』ってな。あんとき動いたから――俺は男になったんだと思う。動かなかったら、後悔して死んでいた」
少しだけ思い出した。
あのときは考えなしの若造だったな。
「なあ、正勝の兄さん」
僕は正勝の兄さんにしか訊けないことを――問う。
「死ぬのは、怖くないか?」
正勝はあっさりと「ああ、怖い」と答えた。
「お前はどうなんだ?」
今度は僕に問う正勝。
「……怖いに決まっているじゃないか」
初めて本音を吐露できた。
本当は怖くて怖くてたまらないんだ。
夜、一人で寝ているとき、もしも目覚めなかったらと考えると、気が狂いそうになる。
「人間、生に執着するのは当然だ。だから恐怖も当然だと思う」
「分かっているけど、どうにも消えないんだ」
「というより、消せないだろうよ。だってお前は――」
言葉の途中で正勝が咳き込んだので、近くの水入れを取ろうとする。
でも正勝は「大丈夫だ」と断った。
「だって、お前は生きているんだから、怖いのは当然だ」
「兄さん……」
「思うんだけどよ。人間、どう足掻いても、生にしがみつくのはやめられないんじゃねえか?」
正勝は咳払いして「たとえばだけどよ」と言い出した。
「今、病気が一瞬で治って寿命も延びる薬があるとする。お前は飲むか?」
「飲むと思う」
「そう、俺だって飲む。当たり前さ。誰だって死にたくねえよ」
正勝はふうっと溜息を吐いた。
「でもよ。死を受け入れられなくても、恐怖を軽くすることはできるんじゃねえかって思うんだよ」
「……どうやって?」
「たとえば坊さんが唱える輪廻転生とかよ。俺は信じちゃいねえが、そういうのを信じる気持ちは分かる気がするんだ。いや、縋りたいのかもしれねえな」
「縋る、か……」
「俺が思うに、死は自然なことだと思うんだ」
正勝は僕を見つめている。
「季節が巡るような自然な感覚。そう思えば、少しだけ怖くなくなる。あるいは俺はせがれを大名にしてやった。子々孫々、末代まで家名が残るかもしれない。そう考えれば、生きた意味がある」
「…………」
「気休めでも誤魔化しでも、いいじゃねえか」
僕は――涙を零していた。
それは正勝の死を悲しむわけでも。
僕自身の死を悔やんでいるわけでもなく。
少しだけ救われた気分になったからだ。
「もっと、話してくれ」
「…………」
「そんな話が聞きたかった」
正勝は僕に「ようやく泣けたんだな」と笑いかけた。
「悔やむんじゃなくて、怒るでもない。安心の涙が流せたんだな」
「うん……」
正勝は「俺は坊さんじゃねえから、説法なんてできねえけど」と言う。
「もしもあの世があるんならよ。一足先に行って待ってやる」
「兄さん……」
「志乃さんや半兵衛と一緒にな。お前には待ってくれる人がたくさん居る」
正勝はそのまま笑みを大きくした。
元気な頃と変わらない、豪放な笑い方だった。
「だから、安心して死ね――兄弟」
正勝とはそれっきりだった。
僕が帰った後、容態が悪化したのだ。
そして僕が京に向かう頃に、亡くなってしまった。
また一人、大事な人を亡くしてしまった。
でも、正勝の兄さんから貰った言葉は僕の中に残っている。
正勝の兄さんが生きていた頃の思い出も僕の中に残っている。
だから――正勝の兄さんは生きていた。
戦国乱世で確かに生きていた。
それで――十分なんだ。
京で静養生活を送っていると、こんな噂が入ってきた。
秀吉が九州攻めをするらしい。
大軍をもって、島津家やそれに組する大名を討伐する。
もちろん、丹波国の大名である秀晴も出陣する。
それを補佐するために、雪隆くんも出陣するらしい。大坂城に集結する前に、わざわざ訪ねにきてくれた。
「久しぶりだね。雪隆くん」
「ご隠居さまもお元気そうで」
これは顔色が良いという意味だった。
「忠勝の娘とは仲良くやっているのかな?」
「いや、その……喧嘩ばかりで……」
雪隆くんは口ごもってしまった。
夫婦仲は上手くいっていないようだった。
「そうか。大変だね」
「ご隠居さまはどうやって志乃さんやはるさんと仲良くできていたのですか?」
雪隆くんの疑問に「年上は年下のように扱い、年下は年上のように扱うのが上手くいくらしいけど」と前置きをした。
「でも、性格が違うんだから、そんなんで上手くいくわけないよね」
「はあ……」
「互いに尊重して、譲れないところは話し合う。それしかないよ」
「…………」
「雪隆くんは、奥方に手をあげたりしないだろう? 喧嘩は一方的だと思うけど」
雪隆くんは不思議そうに「どうして分かるんですか?」と言う。
「なんとなくだね。それと僕は志乃に手をあげたことは一度しかない」
「えっ!? あるんですか!?」
「死のうとしていたから。日常では手をあげたりしていないよ」
僕は雪隆くんに告げた。
「夫婦の問題は当人同士でしか解決できない。でも一つだけ助言するとしたら――」
僕はそこで笑った。
「愛をもって接しなさい。愛が無ければ言葉は響かない。その人を大事に思っていれば、相手にも伝わるよ」
雪隆くんは複雑そうな顔をした。
まあ我ながら恥ずかしいことを言ってしまったが、そのくらい言わないと伝わらないことがある。
もうすぐ、時代が変わる。
このとき、ようやく僕は、死の準備を終えていた。
たとえば僕が初めて人を殺したときだって、あの言葉が無ければ苦しみ続けていただろう。向き合うことができなかった。秀吉と同じくらいの大恩人と言うべきだろう。
そんな男が――死に瀕している。
僕の傍らで、布団の上で寝ている。
他には誰も居ない。家政くんが気を利かせて二人きりにしてくれた。
「ううん? なんだ、兄弟か……」
目を覚ました正勝は僕を確認すると、僅かに微笑んだ。
まるで寝小便が見つかって、ばつの悪い顔をする悪童みたいだった。
でもその頬はこけていて、生気が無い。
僕は医者ではないけど分かる。
僕も死にかけてるから分かる。
もう永くないと――
「へへへ。やっぱり兄弟には分かるか」
身体を起こそうとして、起き上がらない正勝。
そこまで弱っているのか。
「俺も歳だな。ちょっと風邪を引いちまったくらいで……」
「そのままでいいよ」
僕は静かに言った。
「いつから悪くなった?」
「せがれが阿波国の大名になったくらいだな。実は口止めしてたんだよ。でも、なんとなくお前は分かっていただろう?」
「見舞いに来なかったからね。身体を悪くしていたのだとなんとなく……」
「忙しいから来れなかった、とは思わないのか?」
「忙しくても来る人間だろう? 僕のほうこそ、悪かったね」
正勝は首を横に振ろうとしたけど、小さく動かすのが精一杯だった。
「良いんだよ。お前だって――死にそうなんだ」
胸が締め付けられる気持ちだった。
自分が死ぬことは諦めがついている。
でも、今まで一緒に戦ってきた仲間が死ぬのは、耐えられそうになかった。
「なあ。兄弟。俺は――お前と出会えて良かったよ」
正勝は口元を歪ませた。もう大笑いできないのだろう。
「墨俣でお前が勇気を出して、俺に言ってくれた言葉、覚えているか?」
「……どうだろう。昔のことだから、覚えてないよ」
「はは。まあそうだろうな。でもよ、俺は覚えているぜ」
正勝は目を閉じて、それから言う。
「確か、こう言ったんだ。『やりたくもない山賊を続けて生き恥を晒すか、死ぬかもしれない墨俣築城で名を馳せるか。ここで動かなかったら男じゃないぞ! どうするんだ、蜂須賀小六!』ってな。あんとき動いたから――俺は男になったんだと思う。動かなかったら、後悔して死んでいた」
少しだけ思い出した。
あのときは考えなしの若造だったな。
「なあ、正勝の兄さん」
僕は正勝の兄さんにしか訊けないことを――問う。
「死ぬのは、怖くないか?」
正勝はあっさりと「ああ、怖い」と答えた。
「お前はどうなんだ?」
今度は僕に問う正勝。
「……怖いに決まっているじゃないか」
初めて本音を吐露できた。
本当は怖くて怖くてたまらないんだ。
夜、一人で寝ているとき、もしも目覚めなかったらと考えると、気が狂いそうになる。
「人間、生に執着するのは当然だ。だから恐怖も当然だと思う」
「分かっているけど、どうにも消えないんだ」
「というより、消せないだろうよ。だってお前は――」
言葉の途中で正勝が咳き込んだので、近くの水入れを取ろうとする。
でも正勝は「大丈夫だ」と断った。
「だって、お前は生きているんだから、怖いのは当然だ」
「兄さん……」
「思うんだけどよ。人間、どう足掻いても、生にしがみつくのはやめられないんじゃねえか?」
正勝は咳払いして「たとえばだけどよ」と言い出した。
「今、病気が一瞬で治って寿命も延びる薬があるとする。お前は飲むか?」
「飲むと思う」
「そう、俺だって飲む。当たり前さ。誰だって死にたくねえよ」
正勝はふうっと溜息を吐いた。
「でもよ。死を受け入れられなくても、恐怖を軽くすることはできるんじゃねえかって思うんだよ」
「……どうやって?」
「たとえば坊さんが唱える輪廻転生とかよ。俺は信じちゃいねえが、そういうのを信じる気持ちは分かる気がするんだ。いや、縋りたいのかもしれねえな」
「縋る、か……」
「俺が思うに、死は自然なことだと思うんだ」
正勝は僕を見つめている。
「季節が巡るような自然な感覚。そう思えば、少しだけ怖くなくなる。あるいは俺はせがれを大名にしてやった。子々孫々、末代まで家名が残るかもしれない。そう考えれば、生きた意味がある」
「…………」
「気休めでも誤魔化しでも、いいじゃねえか」
僕は――涙を零していた。
それは正勝の死を悲しむわけでも。
僕自身の死を悔やんでいるわけでもなく。
少しだけ救われた気分になったからだ。
「もっと、話してくれ」
「…………」
「そんな話が聞きたかった」
正勝は僕に「ようやく泣けたんだな」と笑いかけた。
「悔やむんじゃなくて、怒るでもない。安心の涙が流せたんだな」
「うん……」
正勝は「俺は坊さんじゃねえから、説法なんてできねえけど」と言う。
「もしもあの世があるんならよ。一足先に行って待ってやる」
「兄さん……」
「志乃さんや半兵衛と一緒にな。お前には待ってくれる人がたくさん居る」
正勝はそのまま笑みを大きくした。
元気な頃と変わらない、豪放な笑い方だった。
「だから、安心して死ね――兄弟」
正勝とはそれっきりだった。
僕が帰った後、容態が悪化したのだ。
そして僕が京に向かう頃に、亡くなってしまった。
また一人、大事な人を亡くしてしまった。
でも、正勝の兄さんから貰った言葉は僕の中に残っている。
正勝の兄さんが生きていた頃の思い出も僕の中に残っている。
だから――正勝の兄さんは生きていた。
戦国乱世で確かに生きていた。
それで――十分なんだ。
京で静養生活を送っていると、こんな噂が入ってきた。
秀吉が九州攻めをするらしい。
大軍をもって、島津家やそれに組する大名を討伐する。
もちろん、丹波国の大名である秀晴も出陣する。
それを補佐するために、雪隆くんも出陣するらしい。大坂城に集結する前に、わざわざ訪ねにきてくれた。
「久しぶりだね。雪隆くん」
「ご隠居さまもお元気そうで」
これは顔色が良いという意味だった。
「忠勝の娘とは仲良くやっているのかな?」
「いや、その……喧嘩ばかりで……」
雪隆くんは口ごもってしまった。
夫婦仲は上手くいっていないようだった。
「そうか。大変だね」
「ご隠居さまはどうやって志乃さんやはるさんと仲良くできていたのですか?」
雪隆くんの疑問に「年上は年下のように扱い、年下は年上のように扱うのが上手くいくらしいけど」と前置きをした。
「でも、性格が違うんだから、そんなんで上手くいくわけないよね」
「はあ……」
「互いに尊重して、譲れないところは話し合う。それしかないよ」
「…………」
「雪隆くんは、奥方に手をあげたりしないだろう? 喧嘩は一方的だと思うけど」
雪隆くんは不思議そうに「どうして分かるんですか?」と言う。
「なんとなくだね。それと僕は志乃に手をあげたことは一度しかない」
「えっ!? あるんですか!?」
「死のうとしていたから。日常では手をあげたりしていないよ」
僕は雪隆くんに告げた。
「夫婦の問題は当人同士でしか解決できない。でも一つだけ助言するとしたら――」
僕はそこで笑った。
「愛をもって接しなさい。愛が無ければ言葉は響かない。その人を大事に思っていれば、相手にも伝わるよ」
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