東洲斎写楽の懊悩

橋本洋一

文字の大きさ
4 / 31

懇願

しおりを挟む
 無事に江戸へと帰ってきた重三郎が真っ先に行なったことはシャーロックを匿うための住居の用意だった。異国人である彼をいかにして人目に触れないようにするべきか。旅の最中も考えていたことなので、後は実行に移すだけだった。

 重三郎は別宅を数軒持っている。そのうちの一つをとりあえず使うことにした。必要とあれば私財を投じてシャーロックのための家を作ってもいいが、別宅で用足りるのであればそれでいい。

 旅から帰ってすぐにシャーロックを別宅に住まわせると、今度は世話をする者が必要であると重三郎は考えた。自分は版元を営む商家の主だから四六時中面倒を見るわけにはいかない。それにシャーロックが一人で暮らせるとは思えなかった。

 口が固く決して重三郎を裏切らず異国人を見ても恐れたりしない――そんな世話人が要る。幸いにも重三郎に心当たりがあった。というよりもこの者でなければ務まらないだろう。

「誰か、お雪を呼んでくれ――」

 使用人を通じてお雪を呼んだ重三郎。
 しばらくして「失礼します」と涼やかな声がした。

 そこには若い女性、お雪がいた。若いと言っても二十二歳で世間的にはいい歳になっている。細やかな眼はどこか狐を思わせるが、面長の美人であることに変わりはない。口元のほくろが艷やかな印象を与える。かなり大事にされているのだろう、纏う着物は上質なものだった。

「何の御用でしょうか?」
「ああ、来てくれたか。とりあえず座ってくれ」

 店の一室で重三郎がすまなそうに「頼みたいことがある」と言ってきたときに、お雪は何かおかしいなと感づいていた。しかし養女である自分は断れないとも考えていた。

「義父上、そのようにかしこまらないでください。私にできることならなんでもしますよ」
「そう言ってくれるのはありがたい。とても重大な頼みで、お雪しか頼れないのだ」
「嬉しいですけど……何をすればいいのですか?」

 御恩を返す気持ちが少なからずあるお雪は快く引き受ける――それにつけ込む形になってしまった重三郎はますます申し訳ない顔になった。

「まだ言えぬ。しかしこの場で受けてくれると言ってもらいたい」
「はあ……」
「全くもって筋の通らない話だが頼む」

 すっと頭を下げる重三郎にお雪はどんな頼みなのだろうと不安が深まっていく。
 それでもお雪は「いいですよ」と答えた。

「義父上の頼みを私が断るわけがありません」
「そう言ってくれるか……ありがとう」

 お雪はなんだってやるつもりだった。
 自分を救ってくれた恩人の頼みならば、自身を犠牲してもいいとさえ覚悟している。
 それに余程の頼みでもないだろうとタカをくくっていた。優しくて面倒見の良い義父上が私に危険な頼みをするわけがない。そのことは数年一緒に暮らしていて分かっていた。

 しかし、お雪は考えもしなかった。
 よもやそれが余程の頼みでしかも危険な頼みだということに。


◆◇◆◇


 お雪が連れてこられたのは、普段は使われていない別宅だった。それも重三郎自ら案内してのことである。店主で忙しいはずなのにと彼女は訝しがったが、詳しい事情は聞けなかった。

 それは重三郎の挙動のせいだった。誰かにつけられていないかと何度も後ろを振り返る。それでいて一言も喋らない。いったいどうしてだろうとお雪は不思議に感じた。
 別宅に入り奥の間の襖を開ける前に「一つ言っておく」と念を押す重三郎。

「何があろうとも決して大声をあげてはならぬ」
「……まさか、幽霊などいるのですか?」

 冗談を言ったわけではない。そのくらい真剣な表情を重三郎はしていたので、お雪はそれしか思いつかないからそう言った。

「幽霊ではない。しかし……」
「……義父上?」
「まあ実際見れば分かるであろう。くどいが決して大声をあげるなよ」

 お雪の緊張感が高まった――重三郎が襖を開ける。
 そこには一心不乱に絵を描いているシャーロックがいた。
 頭巾も布も纏っていない状態のままで――

「……義父上。あれは、なんでしょうか?」

 初めて見る異国人に驚き過ぎてそれしか言えないお雪。
 重三郎はそんな彼女に「異国人のシャーロック・カ―ライルだ」と告げる。

「エゲレスという国から来た。言葉は通じないがこちらの言うことは聞く」
「そ、それで私に何をさせようというのですか……?」

 お雪が核心となる問いを発すると重三郎はその場にひれ伏し「頼む! お雪!」と懇願した。明らかな土下座である。

「この者の世話をしてくれ!」

 とんでもない頼みをしてきた。
 お雪は土下座のままの重三郎と描くことに夢中なシャーロックを見比べて――

「……い」
「い?」

 お雪は頬を両の手で押さえて、引きつった表情で、口を大きく開いた――

「いやああああああああああああああああ!」


◆◇◆◇


「落ち着いてくれたか、お雪」
「……ええ、なんとか」

 取り乱したお雪を宥めるのには相当の時間が必要だった。そのせいで先ほどまで楽しそうに絵を描いていたシャーロックが怯えてしまっている。今は部屋の隅で震えながら二人の様子を窺っていた。

「というわけで、わしは押しつけられた形でシャーロックを江戸まで連れてきたのだ」
「それで私に押しつけるのですか? やっていることは御奉行様と変わりないではありませんか」

 ぐうの音の出ない正論である。
 非難の眼をしているお雪に対し、重三郎はシャーロックを見つめながら「あの者が何者なのか、よう分かっておらぬ」と言った。

「しかしだ。非凡な才を持っていることは分かる。長年培ったわしの審美眼に間違いない」
「そこは疑いを持ちませんが……異国人を江戸に連れてくることは重罪なんですよ。義父上は私よりも分かっておいでですよね?」

 お雪が気にしている問題はシャーロックの存在そのものである。はっきり言って絵師の才とか重三郎のお人好しとかどうでもいい。異国人のシャーロックがこの場にいることが由々しき事態なのだ。

「分かっておる。十分に分かっておるとも」
「分かっておりませぬ! ここに連れ込んでいることが――」

 最後まで言い終わる前に、シャーロックが突然立ち上がった。お雪は驚いて声を失くす。そしてそのまますたすたと近づいてくる。

「な、なによあんた。悪いけどね、世話なんかできないわよ!」

 シャーロックはいつの間にか持っていた紙をお雪に差し出す。なんのつもりだろうと見てみると、そこには一輪の花が描かれていた。

 野に咲く花である。墨が使われているが、陰影がきっちりと仕上げられているので、細やかで繊細なものに描かれていた。
 大きく花弁が開いていて、茎や葉がみずみずしく生えている。地面もまたしっとりと水分が含まれていると思わせていた。雨上がりの花を描いたと分かる作品である。

「な、なに? その絵をどうしろって言うの?」
「……アー、プレゼント」

 エゲレスの言葉が分からないお雪だが、微笑みながら絵を渡そうとしてくるシャーロックに「わ、私にくれるの?」と確認する。
 返事がないがお雪は紙を手に取った。シャーロックは嬉しそうに何度も頷いた。

「あ、ありがとう……で、でも! それとこれとは別の話だからね!」

 久しぶりに男から物を貰ったとお雪は思いつつ、重三郎に「絶対に無理です」と冷たい眼を見せる。

「義父上には大恩ありますが、異国人の世話をするのは無理です!」
「無理ではあるが嫌ではないのであろう?」
「言葉尻を捕らえないでください!」

 重三郎は顎に手を置いて「それではこうしよう」と提案する。

「信頼できる者を探す故、それまで世話をしてもらいたい。なに、ひと月だけだ。それが過ぎたらもうやめていい」
「……本当ですか? なあなあで続けたくないですよ?」

 お雪の疑いの目に対してしっかりと頷く重三郎。
 それが落としどころかとお雪はため息をついた。

「分かりました。ではひと月だけですよ」
「おお! やってくれるか!」

 もしシャーロックのことが誰かに判明したら重三郎は破滅するしかない。
 そうなれば養女である自分も路頭に迷うことになる。
 打算的な考えが少なからずお雪の中にあったのは事実だ。

 しかし御恩を返したいという気持ちに偽りはなかった。
 かつて地獄から救ってくれた重三郎のために一肌脱ごうと決意する。

 そんなお雪の覚悟を知らずに、シャーロックは再び絵を描き始めた。
 実に楽しそうに山の絵を描く――
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

剣客居酒屋草間 江戸本所料理人始末

松風勇水(松 勇)
歴史・時代
旧題:剣客居酒屋 草間の陰 第9回歴史・時代小説大賞「読めばお腹がすく江戸グルメ賞」受賞作。 本作は『剣客居酒屋 草間の陰』から『剣客居酒屋草間 江戸本所料理人始末』と改題いたしました。 2025年11月28書籍刊行。 なお、レンタル部分は修正した書籍と同様のものとなっておりますが、一部の描写が割愛されたため、後続の話とは繋がりが悪くなっております。ご了承ください。 酒と肴と剣と闇 江戸情緒を添えて 江戸は本所にある居酒屋『草間』。 美味い肴が食えるということで有名なこの店の主人は、絶世の色男にして、無双の剣客でもある。 自分のことをほとんど話さないこの男、冬吉には実は隠された壮絶な過去があった。 多くの江戸の人々と関わり、その舌を満足させながら、剣の腕でも人々を救う。 その慌し日々の中で、己の過去と江戸の闇に巣食う者たちとの浅からぬ因縁に気付いていく。 店の奉公人や常連客と共に江戸を救う、包丁人にして剣客、冬吉の物語。

与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし

かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし 長屋シリーズ一作目。 第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。 十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。 頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。 一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。

【時代小説】 黄昏夫婦

蔵屋
歴史・時代
 江戸時代、東北地方の秋田藩は貧かった。  そんな中、真面目なひとりの武士がいた。同僚からは馬鹿にされていたが真面目な男であった。俸禄は低く貧しい。娘二人と実母との4人暮らし。  秋田藩での仕事は勘定方である。  仕事が終わると真っ直ぐ帰宅する。 ただひたすら日中は城中では勘定方の仕事をまじめにして、帰宅すれば論語を読んで知識を習得する。   そんな毎日であった。彼の名前は立花清左衛門。年齢は35歳。  娘は二人いて、一人はとめ15歳。もう一人は梅、8歳。  さて|黄昏《たそがれ》は、一日のうち日没直後、雲のない西の空に夕焼けの名残りの「赤さ」が残る時間帯のことを言う。「|黄昏時《たそがれどき)」。 「黄昏れる《たそがれる》」という動詞形もある。    「たそがれ」は、江戸時代になるまでは「たそかれ」といい、「たそかれどき」の略でよく知られていた。夕暮れの人の顔の識別がつかない暗さになると誰かれとなく、「そこにいるのは誰ですか」「誰そ彼(誰ですかあなたは)」とたずねる頃合いという意味で日常会話でよく使われた。  今回の私の小説のテーマはこの黄昏である。  この風習は広く日本で行われている。  「おはようさんです」「これからですか」「お晩でございます。いまお帰りですか」と尋ねられれば相手も答えざるを得ず、互いに誰であるかチェックすることでヨソ者を排除する意図があったとされている。  「たそかれ」という言葉は『万葉集』に 誰そ彼と われをな問ひそ 九月の 露に濡れつつ 君待つわれそ」 — 『万葉集』第10巻2240番 と登場するが、これは文字通り「誰ですかあなたは」という意味である。  「平安時代には『うつほ物語』に「たそかれどき」の用例が現れ、さらに『源氏物語』に 「寄りてこそ それかとも見め たそかれに ほのぼの見つる 夕顔の花」 — 『源氏物語』「夕顔」光源氏 と、現在のように「たそかれ」で時間帯を表す用例が現れる。  なおこの歌は、帖と登場人物の名「夕顔」の由来になった夕顔の歌への返歌である。  またこの言葉の比喩として、「最盛期は過ぎたが、多少は余力があり、滅亡するにはまだ早い状態」をという語句の用い方をする。 漢語「|黄昏《コウコン》」は日没後のまだ完全に暗くなっていない時刻を指す。「初昏」とも呼んでいた。十二時辰では「戌時」(午後7時から9時)に相当する。  「たそがれ」の動詞化の用法。日暮れの薄暗くなり始めるころを指して「空が黄昏れる」や、人生の盛りを過ぎ衰えるさまを表現して「黄昏た人」などのように使用されることがある。  この物語はフィクションです。登場人物、団体等実際に同じであっても一切関係ありません。  それでは、小説「黄昏夫婦」をお楽しみ下さい。  読者の皆様の何かにお役に立てれば幸いです。  作家 蔵屋日唱    

無用庵隠居清左衛門

蔵屋
歴史・時代
前老中田沼意次から引き継いで老中となった松平定信は、厳しい倹約令として|寛政の改革《かんせいのかいかく》を実施した。 第8代将軍徳川吉宗によって実施された|享保の改革《きょうほうのかいかく》、|天保の改革《てんぽうのかいかく》と合わせて幕政改革の三大改革という。 松平定信は厳しい倹約令を実施したのだった。江戸幕府は町人たちを中心とした貨幣経済の発達に伴い|逼迫《ひっぱく》した幕府の財政で苦しんでいた。 幕府の財政再建を目的とした改革を実施する事は江戸幕府にとって緊急の課題であった。 この時期、各地方の諸藩に於いても藩政改革が行われていたのであった。 そんな中、徳川家直参旗本であった緒方清左衛門は、己の出世の事しか考えない同僚に嫌気がさしていた。 清左衛門は無欲の徳川家直参旗本であった。 俸禄も入らず、出世欲もなく、ただひたすら、女房の千歳と娘の弥生と、三人仲睦まじく暮らす平穏な日々であればよかったのである。 清左衛門は『あらゆる欲を捨て去り、何もこだわらぬ無の境地になって千歳と弥生の幸せだけを願い、最後は無欲で死にたい』と思っていたのだ。 ある日、清左衛門に理不尽な言いがかりが同僚立花右近からあったのだ。 清左衛門は右近の言いがかりを相手にせず、 無視したのであった。 そして、松平定信に対して、隠居願いを提出したのであった。 「おぬし、本当にそれで良いのだな」 「拙者、一向に構いません」 「分かった。好きにするがよい」 こうして、清左衛門は隠居生活に入ったのである。

裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する

克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。

【完結】ふたつ星、輝いて 〜あやし兄弟と町娘の江戸捕物抄〜

上杉
歴史・時代
■歴史小説大賞奨励賞受賞しました!■ おりんは江戸のとある武家屋敷で下女として働く14歳の少女。ある日、突然屋敷で母の急死を告げられ、自分が花街へ売られることを知った彼女はその場から逃げだした。 母は殺されたのかもしれない――そんな絶望のどん底にいたおりんに声をかけたのは、奉行所で同心として働く有島惣次郎だった。 今も刺客の手が迫る彼女を守るため、彼の屋敷で住み込みで働くことが決まる。そこで彼の兄――有島清之進とともに生活を始めるのだが、病弱という噂とはかけ離れた腕っぷしのよさに、おりんは驚きを隠せない。 そうしてともに生活しながら少しづつ心を開いていった――その矢先のことだった。 母の命を奪った犯人が発覚すると同時に、何故か兄清之進に凶刃が迫り――。 とある秘密を抱えた兄弟と町娘おりんの紡ぐ江戸捕物抄です!お楽しみください! ※フィクションです。 ※周辺の歴史事件などは、史実を踏んでいます。 皆さまご評価頂きありがとうございました。大変嬉しいです! 今後も精進してまいります!

アブナイお殿様-月野家江戸屋敷騒動顛末-(R15版)

三矢由巳
歴史・時代
時は江戸、老中水野忠邦が失脚した頃のこと。 佳穂(かほ)は江戸の望月藩月野家上屋敷の奥方様に仕える中臈。 幼い頃に会った千代という少女に憧れ、奥での一生奉公を望んでいた。 ところが、若殿様が急死し事態は一変、分家から養子に入った慶温(よしはる)こと又四郎に侍ることに。 又四郎はずっと前にも会ったことがあると言うが、佳穂には心当たりがない。 海外の事情や英吉利語を教える又四郎に翻弄されるも、惹かれていく佳穂。 一方、二人の周辺では次々に不可解な事件が起きる。 事件の真相を追うのは又四郎や屋敷の人々、そしてスタンダードプードルのシロ。 果たして、佳穂は又四郎と結ばれるのか。 シロの鼻が真実を追い詰める! 別サイトで発表した作品のR15版です。

石榴(ざくろ)の月~愛され求められ奪われて~

めぐみ
歴史・時代
お民は江戸は町外れ徳平店(とくべいだな)に夫源治と二人暮らし。  源治はお民より年下で、お民は再婚である。前の亭主との間には一人息子がいたが、川に落ちて夭折してしまった。その後、どれだけ望んでも、子どもは授からなかった。  長屋暮らしは慎ましいものだが、お民は夫に愛されて、女としても満ち足りた日々を過ごしている。  そんなある日、徳平店が近々、取り壊されるという話が持ちあがる。徳平店の土地をもっているのは大身旗本の石澤嘉門(いしざわかもん)だ。その嘉門、実はお民をふとしたことから見初め、お民を期間限定の側室として差し出すなら、長屋取り壊しの話も考え直しても良いという。  明らかにお民を手に入れんがための策略、しかし、お民は長屋に住む皆のことを考えて、殿様の取引に応じるのだった。 〝行くな!〟と懸命に止める夫に哀しく微笑み、〝約束の1年が過ぎたから、きっとお前さんの元に帰ってくるよ〟と残して―。

処理中です...