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決意
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「というわけで、絵比べは仕切り直しとなった。シャーロック、お前にはもう一枚、絵を描いてもらうぞ」
別宅にて、事の仔細をシャーロックに伝えた重三郎。
神妙な面持ちのまま「ワカッタ」と頷く。
「ワタシ、アノバラヨリ、スゴイモノ、カク」
「あれを超える作品か……傑作を超えた、まさに名作を描かねばならぬな」
重三郎は腕組みをしつつ、頭を悩ませていた。
あの薔薇の絵は長年芸術に親しんだ彼にしてみれば世に二つとない傑作だった。
しかし、勝川春朗の作品もまた――二つとない。
逆さ富士を描くならば、実在の富士の山も描く。季節も冬に合わせるだろう。それらを無視してでも描きたかったのだ。一種の執念を感じられる傑作だった。
「お前には案があるのか? 薔薇の絵のように赤い紙など用意したほうがいいか?」
「ウウン。ワタシ、カンガエアル。マカセテ」
いつになく自信に満ちた表情のシャーロック。
重三郎は「ならば任せた」と頷いた。
絵師に考えがあるのなら、版元は口を出す必要はない。
「ダケド、シュンローサン、カクトハオモワナカッタ」
「そうなのか? わしは会ったことはないのだが……」
「キット、ジジョウガアル」
「まあ確かに、勇助には旗を手に入れる目的があるが、春朗殿にはまるでないな」
一応、調べておく必要があるなと重三郎は考えた。
それから少し会話をして、重三郎は去っていった。
十日の絵比べに間に合うようにと念を押すのは忘れなかった。
「あら。義父上帰ったの?」
「オユキサン。ソウナノ」
シャーロックが構図を考えていると、ふすまが開いてお雪がやってきた。
家事をしていたので、二人の会話は聞いていない。
シャーロックは時間をかけて、お雪に説明した。
「じゃあまた描かないといけないわね……」
「ウン……オユキサン、オネガイシマス」
おもむろにシャーロックはお雪に頭を下げた。
訝しがる彼女に「エノダイザイ、ナッテホシイ」と頼んだ。
「……前に描けなかったのに、また挑戦するの?」
「イマナラ、カケル……タブン」
「私は、旗を手に入れるための題材にはなりたくないわ」
はっきりとした拒絶を示したお雪。
理由が分かっているので、シャーロックは彼女の言葉を待った。
「そりゃあ地獄を見たけど、日の本全て滅べとは思っていないわ。守屋と違って、私には義父上がいてくれたから」
「…………」
「だから日の本を滅ぼす手助けはしたくない」
シャーロックは「アンシンシテ」とお雪を宥めるように説く。
「ワタシ、ゼッタイ、ハタハワタサナイ。イノチニ、カエテモ」
「じゃあなんで旗を手に入れようとしているのよ?」
「ソレハナイショ」
肝心なところを隠されて、内心もやもやしてしまったお雪。
それでもシャーロックは「シンジテクレル?」と続けた。
青い眼がじっとお雪の目を覗き込んでくる――
「……いいわよ。題材にしてちょうだい」
折れたのか、それとも熱意に負けたのか、お雪は許してしまった。
途端に嬉しそうな顔になるシャーロック。
仕方ないわねとお雪は「どんな格好がいいの?」と訊ねる。
「スワッテル、ダケデイイ」
「本当に? それだけでいいの?」
楽できて良いけどとお雪は正座になった。
ゆっくりとお雪の周囲を見渡して――斜め右寄りの方角に決めたようだ。
急いで紙を取りに行くシャーロック。
「吹っ切れたようだけど……本当に大丈夫かしら?」
お雪の心配そうな声は閉じたふすまに当たって消えた。
◆◇◆◇
「どういうことだ? 約束が違うじゃねえか!」
「手前も予想外ですよ。あなたの傑作があの写楽の作品と等しい評価しか得られないとは」
件の神社で春朗は勇助に食ってかかっていた。
春朗の表情は必死だが、勇助はあくまでも表情を崩さない。
「約束と言いますが、あなたは誰にも負けない傑作を描くと誓ったではないですか。しかし現実として写楽と引き分けた……どちらが違反していると思いますか?」
「そ、そりゃあ詭弁だろ! 少なくとも俺は全力を尽くした!」
「手前としては良いのですよ……この取引を反故しても」
そうは言うものの、他の優れた絵師の心当たりなどない勇助。
これは賭けだった。春朗にもう一作、絵を描かせるためには脅すしかない。
けれども、気づかない春朗は「この外道め!」と罵った。
「頼むよ……あご――俺の娘には時間がないんだ。今も熱病に苦しんでいる」
「承知の上で頼んでいるのです。もし手前との取引に応じなければ――手配した医師を引き上げさせます」
「ひ、人の心はないのか!?」
蒼白な顔で喚く春朗。
つまり彼は娘の病気を治すために勇助と取引したのだ。
売れない絵師である春朗では医師に支払う金がない。
だから不本意ながら絵比べのために絵を描いたのだった。
「幼気な少女が病に苦しむ……ええ、悲劇と言えましょう。ですが、手前にもやらねばならぬことがあるのですよ」
「たかが絵比べだろう? 俺の娘の命より大切なのか!?」
すると勇助はずいっと春朗に近づいた。
その迫力に春朗は――身構えてしまう。
「そうです。今回の絵比べは――人の命よりも大切です」
「な、なにを――」
「あなたには分からないでしょうよ――」
勇助が言葉を止めた。
春朗の後ろをじっと見つめている。
何が何だか分からない――振り返ると、そこには男が一人いた。
「分からないのなら、教えてあげればよろしいではないですか。やる気が出て傑作を描けるかもしれないですし」
「……誰だい、あんたは」
春朗の問いに男は「私の名は守屋です」と名乗った。
例によって例のごとく、煙水晶の眼鏡をかけている。
そして口元を歪めながら「勇助さんに依頼した者です」と続けた。
「つまり、あなたの依頼主でもあります」
「じゃあ報酬はあんたからくれるってのか? なら今――」
「勇助さんのおっしゃるとおり、まだ取引は成立しておりませんよ」
まるで崖から突き落とすようなことを言う守屋。
絶句する春朗を余所に「何をしに来たんですか?」と勇助が問う。
「手前に任せていただけると思ったのですが」
「どうもあなたは春朗さんの信頼を得られていないようですので。そこは蔦屋さんとは違いますねえ」
重三郎と比較され、しかも下位に置かれる――勇助の顔が屈辱に染まる。
守屋は「確実に旗を手に入れてください」と念を押した。
「あなた方の働きで全てが決まります」
「……承知の上ですよ」
「それでは頼みましたよ、勇助さん、春朗さん」
そう言い残して去ろうとする守屋――その後ろへ「待ってくれ!」と春朗が呼び止めた。
「あんたの目的はなんだ! 勇助さんから旗を手に入れろと言われたが、それはつまり、あんたが欲しがっているってわけか!?」
「いかにもそうです……しかしあなたは全て知る必要はない」
踵を返して、守屋は春朗に歩み寄る。
そして――眼鏡を取った。
「そ、その目は……!」
「あなたはやるしかないのですよ。写楽に勝って、旗を手に入れるしか、娘は助からない。あの可愛らしい少女を見殺しにするわけにはいかないでしょう?」
沼の泥土のように濁った、青くて青い眼。
日の本においては異常な眼。
春朗は次第に吐き気を催してきた。
「こうして私と会った時点で、逃げられないのです。分かりますよね? 勝川春朗さん――」
◆◇◆◇
「……オユキサン。ワタシ、エドニキテ、ヨカッタ」
筆を動かしながらシャーロックはお雪に告げる。
改まって言われたので「どうしたの?」と彼女は不思議そうな顔になる。
「ジューザブロー、オユキサン、ソシテ、シュンローサン。ワタシ、エガウマクナッタ」
「出会わなくたって、あなたなら上手になったわよ」
「ソンナコト、ナイ」
シャーロックはにっこりと微笑んだ。
陰謀に巻き込まれたけれど、それだけは良かったと言えるような、確実な何かを彼は感じていた。
「オユキサン、アリガト。ワタシ、メイサクカケル」
「描けそう、じゃなくて、描ける……その意気よ、シャーロック」
シャーロックは楽しげに筆を動かす。
見ている者さえ楽しい気分にさせる――お雪は自然に笑えていた。
別宅にて、事の仔細をシャーロックに伝えた重三郎。
神妙な面持ちのまま「ワカッタ」と頷く。
「ワタシ、アノバラヨリ、スゴイモノ、カク」
「あれを超える作品か……傑作を超えた、まさに名作を描かねばならぬな」
重三郎は腕組みをしつつ、頭を悩ませていた。
あの薔薇の絵は長年芸術に親しんだ彼にしてみれば世に二つとない傑作だった。
しかし、勝川春朗の作品もまた――二つとない。
逆さ富士を描くならば、実在の富士の山も描く。季節も冬に合わせるだろう。それらを無視してでも描きたかったのだ。一種の執念を感じられる傑作だった。
「お前には案があるのか? 薔薇の絵のように赤い紙など用意したほうがいいか?」
「ウウン。ワタシ、カンガエアル。マカセテ」
いつになく自信に満ちた表情のシャーロック。
重三郎は「ならば任せた」と頷いた。
絵師に考えがあるのなら、版元は口を出す必要はない。
「ダケド、シュンローサン、カクトハオモワナカッタ」
「そうなのか? わしは会ったことはないのだが……」
「キット、ジジョウガアル」
「まあ確かに、勇助には旗を手に入れる目的があるが、春朗殿にはまるでないな」
一応、調べておく必要があるなと重三郎は考えた。
それから少し会話をして、重三郎は去っていった。
十日の絵比べに間に合うようにと念を押すのは忘れなかった。
「あら。義父上帰ったの?」
「オユキサン。ソウナノ」
シャーロックが構図を考えていると、ふすまが開いてお雪がやってきた。
家事をしていたので、二人の会話は聞いていない。
シャーロックは時間をかけて、お雪に説明した。
「じゃあまた描かないといけないわね……」
「ウン……オユキサン、オネガイシマス」
おもむろにシャーロックはお雪に頭を下げた。
訝しがる彼女に「エノダイザイ、ナッテホシイ」と頼んだ。
「……前に描けなかったのに、また挑戦するの?」
「イマナラ、カケル……タブン」
「私は、旗を手に入れるための題材にはなりたくないわ」
はっきりとした拒絶を示したお雪。
理由が分かっているので、シャーロックは彼女の言葉を待った。
「そりゃあ地獄を見たけど、日の本全て滅べとは思っていないわ。守屋と違って、私には義父上がいてくれたから」
「…………」
「だから日の本を滅ぼす手助けはしたくない」
シャーロックは「アンシンシテ」とお雪を宥めるように説く。
「ワタシ、ゼッタイ、ハタハワタサナイ。イノチニ、カエテモ」
「じゃあなんで旗を手に入れようとしているのよ?」
「ソレハナイショ」
肝心なところを隠されて、内心もやもやしてしまったお雪。
それでもシャーロックは「シンジテクレル?」と続けた。
青い眼がじっとお雪の目を覗き込んでくる――
「……いいわよ。題材にしてちょうだい」
折れたのか、それとも熱意に負けたのか、お雪は許してしまった。
途端に嬉しそうな顔になるシャーロック。
仕方ないわねとお雪は「どんな格好がいいの?」と訊ねる。
「スワッテル、ダケデイイ」
「本当に? それだけでいいの?」
楽できて良いけどとお雪は正座になった。
ゆっくりとお雪の周囲を見渡して――斜め右寄りの方角に決めたようだ。
急いで紙を取りに行くシャーロック。
「吹っ切れたようだけど……本当に大丈夫かしら?」
お雪の心配そうな声は閉じたふすまに当たって消えた。
◆◇◆◇
「どういうことだ? 約束が違うじゃねえか!」
「手前も予想外ですよ。あなたの傑作があの写楽の作品と等しい評価しか得られないとは」
件の神社で春朗は勇助に食ってかかっていた。
春朗の表情は必死だが、勇助はあくまでも表情を崩さない。
「約束と言いますが、あなたは誰にも負けない傑作を描くと誓ったではないですか。しかし現実として写楽と引き分けた……どちらが違反していると思いますか?」
「そ、そりゃあ詭弁だろ! 少なくとも俺は全力を尽くした!」
「手前としては良いのですよ……この取引を反故しても」
そうは言うものの、他の優れた絵師の心当たりなどない勇助。
これは賭けだった。春朗にもう一作、絵を描かせるためには脅すしかない。
けれども、気づかない春朗は「この外道め!」と罵った。
「頼むよ……あご――俺の娘には時間がないんだ。今も熱病に苦しんでいる」
「承知の上で頼んでいるのです。もし手前との取引に応じなければ――手配した医師を引き上げさせます」
「ひ、人の心はないのか!?」
蒼白な顔で喚く春朗。
つまり彼は娘の病気を治すために勇助と取引したのだ。
売れない絵師である春朗では医師に支払う金がない。
だから不本意ながら絵比べのために絵を描いたのだった。
「幼気な少女が病に苦しむ……ええ、悲劇と言えましょう。ですが、手前にもやらねばならぬことがあるのですよ」
「たかが絵比べだろう? 俺の娘の命より大切なのか!?」
すると勇助はずいっと春朗に近づいた。
その迫力に春朗は――身構えてしまう。
「そうです。今回の絵比べは――人の命よりも大切です」
「な、なにを――」
「あなたには分からないでしょうよ――」
勇助が言葉を止めた。
春朗の後ろをじっと見つめている。
何が何だか分からない――振り返ると、そこには男が一人いた。
「分からないのなら、教えてあげればよろしいではないですか。やる気が出て傑作を描けるかもしれないですし」
「……誰だい、あんたは」
春朗の問いに男は「私の名は守屋です」と名乗った。
例によって例のごとく、煙水晶の眼鏡をかけている。
そして口元を歪めながら「勇助さんに依頼した者です」と続けた。
「つまり、あなたの依頼主でもあります」
「じゃあ報酬はあんたからくれるってのか? なら今――」
「勇助さんのおっしゃるとおり、まだ取引は成立しておりませんよ」
まるで崖から突き落とすようなことを言う守屋。
絶句する春朗を余所に「何をしに来たんですか?」と勇助が問う。
「手前に任せていただけると思ったのですが」
「どうもあなたは春朗さんの信頼を得られていないようですので。そこは蔦屋さんとは違いますねえ」
重三郎と比較され、しかも下位に置かれる――勇助の顔が屈辱に染まる。
守屋は「確実に旗を手に入れてください」と念を押した。
「あなた方の働きで全てが決まります」
「……承知の上ですよ」
「それでは頼みましたよ、勇助さん、春朗さん」
そう言い残して去ろうとする守屋――その後ろへ「待ってくれ!」と春朗が呼び止めた。
「あんたの目的はなんだ! 勇助さんから旗を手に入れろと言われたが、それはつまり、あんたが欲しがっているってわけか!?」
「いかにもそうです……しかしあなたは全て知る必要はない」
踵を返して、守屋は春朗に歩み寄る。
そして――眼鏡を取った。
「そ、その目は……!」
「あなたはやるしかないのですよ。写楽に勝って、旗を手に入れるしか、娘は助からない。あの可愛らしい少女を見殺しにするわけにはいかないでしょう?」
沼の泥土のように濁った、青くて青い眼。
日の本においては異常な眼。
春朗は次第に吐き気を催してきた。
「こうして私と会った時点で、逃げられないのです。分かりますよね? 勝川春朗さん――」
◆◇◆◇
「……オユキサン。ワタシ、エドニキテ、ヨカッタ」
筆を動かしながらシャーロックはお雪に告げる。
改まって言われたので「どうしたの?」と彼女は不思議そうな顔になる。
「ジューザブロー、オユキサン、ソシテ、シュンローサン。ワタシ、エガウマクナッタ」
「出会わなくたって、あなたなら上手になったわよ」
「ソンナコト、ナイ」
シャーロックはにっこりと微笑んだ。
陰謀に巻き込まれたけれど、それだけは良かったと言えるような、確実な何かを彼は感じていた。
「オユキサン、アリガト。ワタシ、メイサクカケル」
「描けそう、じゃなくて、描ける……その意気よ、シャーロック」
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