邪気眼侍

橋本洋一

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邪気眼侍を産みし者 其ノ弐

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「父上、どうしてここが――」
「お前の隣にいる子のおかげさ」

 桐野の父親の指摘に「あたしのおかげ?」と首を傾げるさくら。
 意味が分からないという二人に「そういえば、自己紹介がまだだったね」と優男は微笑む。

「桐野政春という。政明の父親さ。君は桜桃神社の跡取り娘のさくらさんだね」
「そうだけど、なんであたしの名を……」
「弥助から聞いていた。政明に師事している愉快な女の子がいるってね」
「我が相棒、そのようなことまで話していたのか……」
「当然だろ政明。弥助は俺が雇っている使用人だ。報告ぐらいするに決まっている」

 政春は微笑みをやめずに「だからその子がここに連れてくると分かっていた」と続けた。

「江戸市中でお前が逃げそうな場所はいくらでもあるけれど、その子と共に逃げ込むところはここしかない。焦っていれば尚更さ。後はここの禰宜や巫女に政明の居場所を聞けばいい。さくらさんはともかく、邪気眼侍を庇う理由は彼らにはない」

 理路整然とした推察に桐野とさくらは言葉を挟めない。ただ圧倒されるだけだ。

「さて。ここからが本題なのだが――俺はお前を連れ戻すつもりはないよ」
「なんだと? ならば何故、我のもとに訪れた?」
「万屋のお前に依頼しに来たんだ――白衣の僧侶を止めておくれ、と」

 またも出た白衣の僧侶の話題。
 さくらは「止めるって……あの人はいったい何者なの!?」と喚いた。

「あたしには分からない! 桐野が知っていた理由も、あなたが止めようとする理由も!」
「詳しい話をしたほうが良さそうだね。時間はないのだけれど……まあ困るのは俺じゃないしいいだろ」

 不思議な物言いだと桐野は気づいたが「あの者を語るのか」と呟くだけに留めた。

「語るという形ですら、関わりたくないが」
「ずいぶんと嫌っているんだね――」

 政春は急に無表情になった。
 さくらの心にざわつくものが訪れた。

「――あれは、お前の兄だろ」
「――っ!?」

 驚愕のあまりさくらは声を出せなかった。
 思わず桐野の顔を見る。
 痛みを堪えている顔をしていた。
 人生における瑕疵だと言わんばかりだった。

「まあ正江との間の子ではないから、半分しか血がつながっていないけどね。それでも兄は兄だ。俺がいうのもなんだけどお前は兄の――政直を止めなければならない」
「父上では止められないのか?」
「知ってのとおり、俺は政直のせいで半分隠居みたいな形になっている。先手を打たれたって感じかな。昔から小賢しいところのある子だった……」

 政春は大きく伸びをした。
 それから「あれが企んでいることを言おう」と改めて言う。

「幕府の側用人を脅し、己の意のままに幕政を操ることだ」
「なんだと……?」

 側用人とは将軍の側近に当たる役職で、幕政を運営している老中との取次を行なう。
 将軍と直接話せる近習の最高位であるがゆえ、時として老中よりも権力を持つことが多かった。もしも側用人を意のままにすることができれば将軍すら手中に収められるかもしれない。

「まあ大きな変革はしないだろうが……徐々に政直の思うとおりに幕府を動かすだろうね」
「そうなれば日の本はおしまいだ……すべてが台無しになる」

 暗い顔で頷く桐野に対し「白衣の僧侶の目的は何なの?」とさくらは問う。

「日の本を支配するのが目的なの?」
「支配、とは異なるな。あれはいつだって混乱と混沌をもたらす。おそらくだが日の本を巻き込んだ大騒動を起こすだろう」
「ますます分からないわ……得がないじゃない!」

 喚くさくらに「あれは損得勘定で動いていないよ」と政春は苦い顔になった。
 身内の恥をさらしているような感情なのだろう。

「もう少し話しておきたいところだったけど……時間切れかな」

 その言葉どおりだった。
 政春の後ろから「政明ちゃん! こんなところにいたの!」と喚く正江が来ていた。
 まずいと思ったさくらが桐野を見ると「は、母上……」と明らかに怯えていた。

「もう遊ぶのはやめなさい! 家に戻って父の跡を継ぐのです!」
「わ、我は遊んでなどいない!」
「遊んでいないですって? じゃあ真面目に働いているっていうの!? 弥助から聞いているわよ! 仕事がないって! 仕事があってもいいわけじゃないけど!」

 キンキンと響く声に辟易しつつ「あのう、お母様……」とさくらがおずおずと話しかける。
 釣り上がった目で「なによ!」と正江が怒鳴った。

「そもそもあなたは誰なのよ! 政明ちゃんとどういう関係なの!?」

 率直に聞かれた関係性。
 さくらは圧倒されていたけれど、ここではっきりと言っておかねばならないと思った。
 そうでなければ邪気眼侍の仲間ではなくなってしまう――

「あたしは桐野の仲間! 邪気眼侍の仲間よ!」
「な、な、なんですって!? こんなおかしな格好をしていて、仲間ですって!」
「お母様! 一言申し上げるわ!」

 さくらは正江に負けないように声を張り上げた。

「確かに桐野はおかしい格好をしているし子供に笑われるような言動をしているわ! 正直、一緒に歩きたくない! それでも――」

 さくらは言葉を切って、それからさらに大きな声で宣言した。

「あたしは邪気眼侍の仲間である自分を恥ずかしいと思っていないわ! むしろ誇らしいと思う!」
「ば、馬鹿なこと――」
「桐野はあたしを助けてくれた恩人よ! いつだって見守ってくれた! あたしにとって大事な人だから、それ以上、悪く言わないで!」

 思いの丈を言ったさくらに口をわなわなさせて、正江は反論しようとする――

「母上。もう帰ってください」

 桐野はさくらを守るように前に出た。
 邪気眼侍は己の壁と相対した。

「我にはやらねばならないことがあります」
「なによ! 言ってみなさいよ!」
「……白衣の僧侶、つまり兄の政直を止めます」

 政直の名が出ると正江は顔を真っ青にした。

「あ、あの子を止めるですって!? 旦那様にもできなかったのよ! あなたにできるわけないじゃない!」
「できるできないの話ではありません。やるべきことなのです。理解ってください、母上」
「駄目よ! 万が一、あなたにもしものことがあれば、私は――」

 するとここで政春が「もういいじゃないか、正江」と止めてきた。
 助け舟を出してきた形となったのを正江は感じ取り「旦那様!」と喚いた。

「いいから。政明、確かに頼んだからね」
「……ああ。承知した。任せてくれ」
「おいおい、そうじゃないだろ」

 政春はにやにやしている。
 桐野が困惑する中、彼は「邪気眼侍らしくないじゃないか」と言う。

「いつものように大仰に構えた口上を述べてくれ」
「……ククク。そうだったな」

 黒い着物をはためかせて、怪しげな雰囲気を醸し出し、さくらと正江、そして政春が見ている中で邪気眼侍は誓った。

「かの者を必ずや止めてみせる――邪気眼の名のもとに!」
「その意気だよ、政明」

 父の言葉に満足そうに頷いた桐野は「行くぞ、さくら」と歩き出す。
 さくらは、いつもの邪気眼侍ねと嬉しくなった。
 両親の前で奇矯に振る舞うのは当然の行ないだった。それが見られて嬉しかったのだ。

「まずは我が相棒のもとへ行くぞ」
「弥助に白衣の僧侶のことを話すのね」
「ああ。弥助にとって仇だからな」

 さくらを伴って邪気眼侍は桜桃神社を出た。
 すでに覚悟は決まっていたのだ。


◆◇◆◇


「旦那様。本当に良かったのですか?」

 桐野が去った後、未練がましく正江は政春に問う。

「桐野家が断絶してしまいそうなのですよ。それでも――」
「廃嫡してもなお、動き続ける政直を止めない限り俺たちに未来はない」
「分かっていますが……」
「分かっているのなら口を噤んでくれ」

 政春はそこで邪悪な笑みを浮かべた。
 優男には似合わないほどの悪辣とした表情に正江は何も言えなくなる。

「政明は俺の息子だ。いつか必ず桐野家を継ぐさ」

 すべてを確信しているような瞳。
 彼もまた――邪気眼侍を産みし者だった。

「だってそうだろ。子は親に逆らえないんだからな……」
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