ドブネズミの刀×追われた姫

橋本洋一

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最後の戦い

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 ラットとオウル――互いに互いを失いし者。
 彼らの戦う理由は、失ったものを取り戻すこと。
 言ってしまえば単純なことだ。かつてラットがスフィアに言った『人を殺す理由』としては、あまりに軽すぎる。

 だが戦う者にしてみれば、そもそも理由などどうでもいいのだと、ラットは兄弟分と斬り合いながら思っていた。ただ戦いたいから戦う。もちろん、戦いたくなければ戦わないという選択肢もあった。逃げることも立派な戦略の一つだ。

 だが、ラットは逃げては駄目だと心の奥底で思っていた。逃げずに戦うこと、立ち向かうことは――人が生きる上で大切なことだとオウルとの戦いで感じ始めていた。相手を上回ることはどうでもよくて、相手を負かすことは二の次で、戦いを楽しむことは論外で――ただ生きるために戦う。それだけだ。それだけでいい。

 一方、ラットと刀を交えながら、互いの血を流し続けるオウルは、戦うことに理由は必要だと思っていた。目の前の兄弟に負けたくない。将軍になれずに死にたくない。それは恐怖ではなく、武士の意地としてそう思っていた。

 人は理由なしに戦うことなどできない。理由ありきの戦いこそ、武士がこの世界に持ち込んだ最大の変革だと思っていた。意地と意地。誇りと誇り。そして理由と理由。それがなければ、もはや武士とは言えない。ただの殺戮する人外になってしまう――

 二人の考えはまったく逆だったけど、それでも彼らは流血しながらも踊るように戦い続ける。まるで世界にたった二人しかいないと互いに思ってしまうような、無我の境地ならぬ、心が通じ合って血が通い合った――世界。

 長刀『麒麟』を自在に操るオウルは一瞬、懐かしく思ってしまったが、すぐにその感情を捨てた。自分には不要だ。過去など要らない。掴むのは栄光のみ。
 だからこそ、オウルは三つの奥義を内包し組み合わせた最終奥義、『梟』をラットに繰り出した。躊躇などしない。互いにいろんな意味で血を流しすぎた――

 最終奥義『梟』はまず、連続技の『啄木鳥』に返し技の『隼』を混ぜつつ、刀を弾き飛ばした瞬間、先制技の『白鳥』を繰り出す、三段構えの技だ。まさに完全無欠の至高にして究極の奥義。対処法など――ない!

 斬り合っていたラットが少し後退したのを見て、オウルは構えて――『梟』を繰り出した。まさに絶妙のタイミングだった。避けることも逃げることも受けることもできない。

 そもそもオウルが考えるラットの優れたところは、回避力と防御力にある。派手な技を持たないが、相手の殺気を感じる才能を持っていた。自分をどうやって守ればいいのか、感覚で分かっていた。相手の斬撃がどこから来るのか、先読みする才覚を持っていた。

 だからこそ、ラットは素早い動きで小太刀を振るうドクに勝ち続けた。オウル自身、先日の戦い以外は負けが多い。ゆえにラット対策で『梟』を編み出したと言っても過言ではない。ラットを倒すために練りに練った奥義だったのだ。

 だが、ここでラットが取った対策に目を疑った。否、対策ではなく、対処でもなく、解決でもなかった――評するなら狂気だった。

「な、にぃいいいい!?」

 思わず漏れた言葉。攻撃している側から零れた驚愕の声。オウルは目の前の現実が信じられなかった。身体が驚きで硬直してしまう。

「――っ」

 ラットは自分の左腕――手首と肘の中間辺りだ――にわざとオウルの刀に刺されにいった。肉を切り裂き骨まで達したあろう感触をオウルは覚えた。

 オウルの頭の中は疑問が一杯で混乱していた。何が目的だ? 一体何のために? 刀を止めてもこちらは長刀だ。間合いからは程遠い。斬ることなど不可能だ――

 ここでラットは再び予想外の動きを見せた。右手で握った刀を的当てのように、オウル目がけて投げつけた。身体が驚きで硬直していて、刀を押さえられているオウルに防ぐ手段はなく、そのまま刀は腹部へ刺さる。

 よろめくオウル。しかしこれは致命傷ではない。落ち着いて対処すれば、ラットを倒せる。まずは左腕から刀を引き抜かなければ――

 それを許すことなく、いつのまにかラットはオウルの懐に入っていた。逆にオウルの腹から刀を引き抜いて、右手で袈裟切りをする――だが浅い。

「うおおおおおお!」

 オウルは軽くなった長刀を苦し紛れに振り回す。ラットは素早く間合いから逃れた。腹部に熱いような冷たいような痛みを感じながら、オウルは一連の動きの秘密を、ラットの姿を見て分かった。分かってしまった。

「て、てめえ……左腕を……」

 口から噴き出る血を吐きながら、オウルはしっかりとラットに向かって吼えた。

「――左腕を、捨てやがったな! ラット!」

 ラットは右手だけで左腕にヒモを結んだ。そうしないと、斬られた断面から血が溢れ出て、失血死してしまうからだ。

「ああ。そうしないとお前に勝てないからな」

 冷静に言うラットの足元には、握りこぶしの形で斬りおとされた左腕があった。そう。診療所でドクに話した、肉を切らせて骨を立つ戦法とはこのことだった。ラットは兄弟分を倒すために、自身の左腕を捨てたのだ。

「ふざけるなよ……片手で刀、振れないだろ」
「そうだな。もう二度と振れない」
「なんで、そこまでするんだよ……」

 オウルは心に去来した深い悲しみと虚しさで一杯だった。殺す覚悟はあった。しかし、目の前の光景には耐えられなかった。

「良いんだ。刀が振れなくても。大事な何を取り戻せるならな」

 ラットはもう長く戦えないなと感じた。視界がぼやけて意識が朦朧としている。次で勝負するしかない。

「……馬鹿野郎が。翼を折られた鳥見ているようで、気分が悪いぜ」

 オウルはそう吐き捨てて、刀を八双に構え直す。
 ラットも応ずるように中段に構えた。

「これで終わりだ――ホーク!」

 オウルはそのまま、ラットに向かって駆けた。この傷では『梟』どころか、奥義すら使えないが、相手は左腕を失った堕ちた武士だ。一撃で勝負がつく。さらに言えば、この期に及んで策などありはしない。

 オウルが眼前まで迫ったとき、ラットは何かを蹴り上げた――

 オウルは視界が定まらず、身体もぐらついているのを感じた。たたらを踏んでいるのも分かった。ふらふらふらついて、目の前に迫るラットに刀を構えることができなかった。

「しゃあああああああ!」

 ラットの声を遠くに聞きながら、オウルは自分の体内に刀が入り、そして引き抜かれた瞬間、ああ、自分は負けたのだと思った――

 ラットはオウルから離れた。大の字で倒れている彼の傍に落ちている『蹴り上げた自分の左腕』を見つめる。拳を作ってから、わざと斬られたのは、オウルの顎に当たったときに、上手く脳を揺らすためだった。もちろん、左腕を斬られたときの攻撃が上手くいっていれば、こんなことしなくて済んだ。しかしこうまでしなかったら、とてもオウルには勝てなかった。

「……終わったの?」

 振り向くとスフィアが無表情で片腕を無くしたラットと倒れているオウルを見つめている。ラットは刀を置いて「ああ、終わった」と右手でスフィアの頭を撫でた。スフィアは二人の戦いをずっと見ていた。終わるまで見届けていた。

「もうお前は――復讐なんて考えなくていいんだ」
「……初めから、私の復讐なんて、なかったのかもね」

 とても悲しそうにスフィアはそう言って――それから「ラット! オウルが!」と叫んだ。ラットが振り向くと、オウルは手をつきながら立ち上がろうとする。だが、何度やっても立ち上がれない。

「オウル……もう、終わったんだ……」

 ラットの静かな言葉にオウルは「そう、みたいだな」と諦めて胡坐をかいた。

「致命傷、ってやつだな……」
「……ああ、そうだ」
「なあ、兄弟……一つ頼んでいいか?」

 ラットは静かに頷いた。そしてスフィアに自分の刀を手渡す。

「な、なに?」
「介錯。お前がするか?」

 それは強制ではなく、選択だった。ラットはスフィアにけじめをとる機会を与えた。
 穴が開くほど、スフィアはラットの顔を見た。言っている意味が分からないわけではなく、それを選ぶのに時間を要したのだ。

「…………」
「もし、いやなら俺がする。だが、片手では上手くできるかは分からない」

 スフィアはオウルが懐の短刀を取り出して、鞘を抜いて自分とラットを待っている姿を見てしまった。
 そして、覚悟を決めた。

「……ようやく、分かったわ。あなたの『人を殺すことは重い』って」
「…………」
「介錯、するわ」

 ラットの刀を受け取ったスフィアは、オウルの斜め後ろに立つ。
 オウルは意識を朦朧とさせながら、ラットに言う。

「俺の遺体は、妹の墓の隣に埋めてくれ」
「ああ。承った」

 それからスフィアに向かって言う。

「頼んだぜ……」
「任せて、ちょうだい」

 オウルは正面を向いて――短刀を構える。

「それじゃあな。兄弟」

 オウルは目を閉じた。思い起こすのはラットとエリザとの日々。楽しくてたまらなかった毎日。それが遠い過去になるのを感じて――

「――ふんっ!」

 オウルが自分の腹に短刀を突き刺して、一文字に斬る。それを見届けて――スフィアはオウルの首目がけて――刀を振り落とした。



 全てが終わった頃、天守の間に複数人踏み込んでいる音がした。

「ホーク! 大丈夫――」

 血塗れの傷だらけのドクは、片腕を失くしたラットの姿を見て、絶句した。
 次に入ってきたダニエルも「あ、兄貴……」と上手く言葉が出てこない。
 三番目に入ったプルートも言葉がないようだった。

「そんな顔をするな。なに、片腕でもなんとかするさ」

 彼には珍しい明るい言葉だったが、三人は何も答えられなかった。

「そういえば、金庫はどうやって開けるんだ?」

 話題を変えようとラットが金庫を指差す。プルートは「分かりません」と短く答えた。

「それまでは、イースン家には伝わっていませんでした」
「そうか……小太刀を調べるしかないな」

 そのとき、オウルの首を布で包んでいたスフィアが「ルビィが最後に言い残したことがあるわ」と言う。

「確か、『湿らすものを、取り除く』って言ったわ」
「……なんですか? 暗号みたいですけど?」

 ダニエルは首を傾げた。プルートも意味が分からなかった。ドクは茫然自失のままだった。
 ラットはスフィアの小太刀を持ってきて「なるほどな」と頷いた。

「湿らすものを取り除く。だから誰にも気づかれなかった」
「どういうことなの?」

 スフィアの問いにラットはあっさりと答えを示した。

「小太刀を解体しよう。ダニエル、お前手先が器用だったな。やってくれ。俺はこのとおりだからな」
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