文学少女のラブレター

シャルロット(Charlotte)

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3. ラブレター

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僕はようやく気がついた。

「そうか、だから四本の線が引いてあったんだ」

「え、分かったの?」

先輩が驚いてずんと僕に顔を寄せる。僕は平常心を保ちつつ答えた。

「た、多分ですけど」

ダメだ。とにかく、僕は単行本から暗号文を抜き取るとそれを本を元に戻してから、改めて真由と先輩の前に示した。

「これ、文庫本の帯だと思うんです」

すぐさま真由がなるほど、という顔をした。一瞬遅れて先輩も気がついた。

「そっか、この線で折るとそれくらいになるね」

「真由、これに合う文庫本を持ってきてくれる?」

真由はえっと言って驚いた様子だったが、すぐに頷くと司書室に駆け込み、鞄を少しガサゴソト探して一冊の文庫本を持って来た。『虹の初恋』という本だった。僕はまず暗号文を線に合わせて折り、真由の持ってきた本を受け取ってくるりと巻きつけた。暗号の紙はバッチリおさまった。

「なるほどね。でも俊介君、これどう読むのよ」

「これはきっと特殊なスキュレーター暗号なんです。スキュレーター暗号って言うのは、細長い紙を棒か何かに巻きつけて、横に文字を書くんです。で、それをほどくと文字の順番が入れ替わって読めなくなります。もう一度読むためには、書いたときと同じ太さの棒が必要なので、当人同士だけに通じる暗号になるんです。これは言ってみれば、文庫本に巻きつけるタイプのスキュレーター暗号なんです」

話す相手が真由と先輩なので、自然と話す言葉が先輩に合わせて敬語になってしまう。

「でもこれじゃあ文字が横になって読めないわよ」

先輩が文庫本を指差した。確かに普通の向きに文庫本を置くと、帯に書かれた文字は横になっている。でも僕の推理通りならこれで間違いない。

「これは文庫本の帯だから、帯らしく読むんです」

「へ?」

「つまりまず表紙の八文字を二文字ずつ縦に読みます。そして次に裏表紙の十文字も同じように右から左へ読むんです。本の内側に折り込まれた部分は読まなくていい部分。その十文字はカットしてしまいます。背表紙になる部分に何も漢字がなかったのは、背表紙は読む順番が決まらないからです」

「とりあえず書きだしてみますね」

真由が近くの紙に鉛筆で順番に漢字を写していった。そして出来たのは十八文字の文。「新年之初者弥年尓雪踏平之常如此尓毛我」だった。

「でもこれも漢文じゃないような気がするけど」

先輩が書かれた文をなぞりながら言った。

「これ漢文じゃないですよ、きっと」

「じゃあ漢字だらけの文をどうやって読む……」

そこまで言って先輩がハッとした。

「まさか万葉仮名?」

「その通りです」

平安時代に平仮名や片仮名が出来るまでの間、日本では中国から伝わった漢字をそのまま音に当てはめて使っていた。それが万葉仮名だ。

「でも万葉仮名なんて読めないよ」

「わざわざ現代の文を万葉仮名で書くよりは、元々万葉仮名の文を書き写したと考える方が自然です。つまりこれ、万葉集に収められている和歌の一つだと思います」

「万葉集の和歌ですか。でも万葉集自体は多分閉架に保管されていて、司書さんに頼まないと取り出せないですよ」

真由が心配そうに言ったので僕はさらに推理を続けた。

「それは送り主も一緒だから、わざわざ閉架の本を指定することはないはず。それよりは真由がすぐに気付くような本を選んだほうが良いだろうね。せっかく暗号が解けてもその本が見つからなければ意味がないから。それを考え合わせると、おそらくこれの示す本は今度の選書会で買われた本、『古典入門 ~歌集ごとに詠む和歌~』です。その中にこの和歌の書かれたページがあればそれが答えです」

「早速見てみようよ」

少し興奮気味の先輩が急かす。

「でもその本は新刊なのに、そのテーブルに並んでないから借りられているんじゃないかしら」

真由がカウンター前のあのテーブルを指差した。僕も探したから本が載っていないことは知っている。

「いやその本は多分、開架の本棚にあるはずだよ」

 二人は半信半疑の様子だったけど、とにかく調べてみようと三人で本棚に向かった。多分古典入門というくらいだから、文学の棚ではなく参考書のコーナーにあるはずだ。三人でそれぞれ本棚を探すと、すぐに真由が見つけた。僕と先輩が両側から覗き込むようにして、真由が本をめくってみた。すると真ん中あたりのページを開いたところで、小さな黒い四角いプラスチックの板が出てきた。

 真由が取り上げたそれをよく見ると、板はmicroSDカードだった。そのページにはさっき僕らが読み解いた暗号、「新年之初者弥年尓雪踏平之常如此尓毛我」が載っていた。読み方は「新しき 年の初めは いや年に 雪踏み平(なら)し 常かくにもが」。意味は「新しい年の初めには毎年雪を踏みならしていつもこうしていたいものですね」と書いてあった。それにしてもSDカードには何が入っているのか。それを真由に尋ねようとして僕は固まってしまった。彼女の目から涙がこぼれていたからだ。そして渡来先輩が僕の制服の袖をくっくと引いた。僕はその意味を察知して、

「僕たちはこの辺で」

と一言だけいってその場を去ると、図書館の出口へと歩いて行った。



   * * *

 私は二人が帰ったことに気付きながら、でも何も言えなかった。本に挟まれていたSDカードを見て、彼が何を渡そうとしたか分かったからだ。そしてあの約束を今でも覚えていてくれたんだと思うと、胸がいっぱいになってしまった。

 本当のことを言うと、この手紙の送り主は最初から分かっていた。小学校五年生のとき好きだった男の子がいたけれど、その子とは彼の転校のせいで離れ離れになってしまった。彼が私のことを好きだったかは分からないけど、でも彼にとっても私は少し特別な存在だったと思う。お互い読書が大好きで、妄想を膨らませて二人で物語を作ったりするのが好きだった。二人が好きだったのがあの『虹の初恋』だったのだ。彼は最後に会ったとき、「いつか真由が主人公のお話をつくってあげるよ」と言っていたのだ。あの日は珍しく雪が降っていたから良く覚えている。それで万葉集から雪の歌を取り出すなんて、ちょっと幻想的だと思った。

 それ以来ずっと会っていなかったから、高校に入って図書館で彼を見かけたときにはびっくりした。向こうも私に気付いたけれど、お互い何だか照れくさくて声をかけられなかった。それから数日後、私がカウンターで貸し出しの番をしていた時、席を立ってしばらくしてから戻って来ると読みかけの本に栞がはさんであった。それを取り出すと、裏に短い手紙が書いてあった。“久しぶり”と。はっとして顔を上げると丁度彼と目があった。そして彼は照れたように少し笑った。それから二人の不思議な文通が始まった。

 このSDカードにはきっとあの日約束した物語が入っている。そのカードを見ていたらすごく嬉しくて、わくわくしてきた。後ろに人の気配がした。振り向くと、はじめて手紙をくれたときと同じ照れた表情の彼が立っていた。私は涙の跡を急いで指で拭きながら、にこっと笑って言った。

「ありがとう」



   * * *

 図書館を出た瞬間、先輩はさっと僕の方をみると待ちきれなさそうに質問した。

「で、あのSDカードの中身は何なの?」

「いや僕に聞かれても知らないですけど……。多分自作の小説、じゃないですか」

「えっ小説?あたしはラブレターかと思ったんだけど」

「僕も最初はそうかなって思ったんですけど、ラブレターだったらこの送り主はきっと直筆でかくだろうと考えたんです。だから普通の手紙じゃ書けないもので人に贈るものとなると、例えば小説とか詩とかじゃないかなって思ったんです」

「なるほどね」

先輩は納得したようにこくっと頷いた。僕は少し気になっていたことがあったので、それを先輩に尋ねてみた。

「あの、真由は送り主が誰か分かっていたと思うんですけど、先輩はどう思いますか」

「俊介君も?」

「『も』って先輩も気づいてたんですか?」

「いや気付くって程じゃないんだけど、女の勘かな。もしかして送り主は麒麟を教えてくれた男の子じゃないかなって」

「涼太ですか。そうなんです、僕もそう考えてました。でもなんで?」

「麒麟を教えてくれた後であの子帰ったでしょ。その後ろ姿を見送る真由ちゃんの目が恋する乙女の目だったから」

「あのとき見てたのは涼太の方じゃなくて、真由の方だったんですか」

「そうよ。それなのに俊介君、勘違いするんだもん」

先輩の声がちょっと拗ねたように聞こえたのは気のせいだろうか。

「俊介君はどうして気付いたの?」

「真由は始めから僕にまったく送り主について聞かなかったんで。暗号のことについてしか聞かないのは、送り主に興味がないというより、送り主を知っているからだと思ったんです。それで暗号文が文庫本の帯だと気づいた時、彼女にわざと『ちょうどいい文庫本を』って言ってみたんです。送り主が文庫本を使った暗号を考えたのは、送り主と真由の共通の品だからではないか。だとしたら真由はとっさに手元にあった文庫本を使わずに、その思い出の文庫本を取りに行くだろう。思った通り真由はわざわざ自分の荷物から本を取りに行きましたから」

「あの子を試したのね」

「言い方悪く言えばそうなっちゃいます。それと、本で手紙を交換するには、その本が誰にも借りられずに真由が探すまで残っている必要があります。他の人に借りられることなくそれをするためには、自分が直前まで持っていて、真由が来たときに本棚に並べるのが一番です。だから、普段から誰よりも早く図書館に行く涼太が送り主だと思ったわけです」

さすが俊介君ね、と先輩は呟いた。

「ところで、さ」

先輩の声のトーンがちょっと変わった。

「明後日は俊介君の誕生日だよね」

「そうですけど」

「そしたらあたしと同い歳になるんだよね」

「そう、ですね……」

何が言いたいんだろう、と思った。すると先輩はたったと僕の前に回り込むと正面から僕の腕をつかんだ。そして下から僕をじっと見つめる。僕の心臓が急に早く動き始める。数秒無言でにらめっこが続いた後、ふっと先輩は視線を下に落とした。

「あたしは……いつまで俊介君にとって先輩なの……?」

「はい?」

「だって、まだ一度もあたしのこと名前で呼んでくれないから」

その拗ねたようなお願いするような声の響きに、僕の頭が正常な思考能力をどんどん失っていくのが分かる。

「……真衣さん、って呼べばいいですか?」

「ううん、呼び捨てが良い」

小さな声で言うと、先輩は僕を掴んでいた手を放した。そしてくるりと背を向けた。
「じゃあ先輩の誕生日まではそう呼ぶことにします」

僕が言うと彼女はこくっと頷いた。

「あたしの誕生日、忘れても怒んないことにする」

可愛い、可愛すぎる。先輩の後ろ姿が愛らしくて仕方なかった。

「でもプレゼントだけは覚えておきますね」

くすっと笑う声が聞こえた。僕は先輩の肩に手を置いた。彼女が首だけ僕の方を向く。ちょっと困ったような笑い顔だった。

「真衣」

ちょっと照れくさい。先輩も、いや真衣も頬を赤くしながら、でも大きく頷いた。

「今度どこか遊びに行こうよ、俊介」

「真衣が好きなところでいいよ」

「じゃあ本屋さん!」

真衣らしいや。そんな事を思ったら、自然と二人で笑いだしていた。
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