伯爵令息の僕だけど、姉上のフリをして初恋の彼女の教師になります!? ~偽りの姿をした僕と、優しい嘘を言う君が、陽の光の下でワルツを踊るまで~

杵島 灯

文字の大きさ
55 / 64
第4章

髪飾りの理由

しおりを挟む
 僕はさっさとドネロン伯爵邸へ向かいたかった。
 今週は本来なら“エレノア”がサラのもとへ通う週だ。本来のエレノアである姉上は王都の別邸に、つまり、まさに僕の背後にあるこの建物の中にいるってわけ。
 姉上は「その週は外へ出ずに暮らしますの」と言ってたけど、外に出ないだけなら何かのはずみで門を見るかもしれない。そうしたら僕がここにいることにも気がつくだろうし、そのあとの悶着だって……うわあ、考えるだけでぞっとするよ!

 だけどニコールは目を細めてパートリッジの別邸を見上げる。

「私はここ数年、王都で暮らしておりますが、エレノア様にお目にかかる機会はなかなかございませんでした。特に最近のエレノア様はお忙しく、隔週ごとに王都を離れておられるとも伺っております。――ちょうど今週は移動の日だったと記憶しておりましたが、今日はグレアム様が女性の姿になるのをお手伝いをなさっていらしたんですよね。こちらのお屋敷にいらっしゃるのなら、ぜひご挨拶を申し上げたいのです」

 うわあ、しまった。ニコールは姉上の事情を知っていたんだ!
 でも、考えてみたら当然かもしれない。だってここは王都、貴族の屋敷も多いし、使用人たちだって情報に通じてる。パートリッジ本邸は周囲から孤立してるんでそこまで気が回らなかったよ。
 とにかくなんとか誤魔化さなきゃ。どうしようかな。えーと。

「じ、実はさ、今週は予定が変わったけど、姉上は今から出かけるらしいんだ。それで今は仕度に追われてるから、また今度にした方がいいと思うよ」

 僕が言うとニコールは怪訝そうな様子になったけど、さすがは人に仕える人物だけあるね。無理に情報を聞き出そうとすることも、取り下がることもなく、

「そうですか。では、ご挨拶はまたの機会にいたしますね」

 って少し残念そうに答えてくれた。
 罪悪感が湧くけど、姉上と会ってもらうわけにはいかないんだ、ごめん。

「ところでドネロン伯爵ってどんな人なの?」

 歩き出したニコールについて行きながら僕は尋ねる。

 ドネロン伯爵については僕も少しばかり知ってる。ただしそれは「政治的な立場は強いわけじゃないけど、古くから続く家柄なので王宮内での発言権はある」という、ドネロンという“家”に関することだけ。伯爵個人については、今年で四十九歳になる男性だっていう程度の知識しかないんだ。

 僕の質問を受けて、ニコールは微笑む。

「理知的で静かなお方ですよ。ほかの貴族のように舞踏会や茶会を開かれることはないのですが、芸術や演劇をとても愛しておられるので、そういった方面での活躍をされてる方や、いずれ活躍したいと望む方を、自邸へお招きになることはよくあります。見込みのある方の後援もなさっておられるので、招かれたいと考える方は多いとも聞きますね」
「へえ……」
「ただ……旦那様は若いころに奥様を亡くされてからというもの、長くお一人でいらっしゃって」

 ……ん?

「さすがにお寂しいのではないかと、私どもは思っているのですよねえ」

 続いての「後継ぎには甥御様を指名なさっておいでなので、伯爵家の今後に不安ないのですけれど」という次の言葉は僕の頭の上を通りすぎていく。
 だって、僕にとって重要なのはそこじゃないから。

 ちょ、ちょ、ちょっと待ってよ。
 ニコールはいま、なんて言った?
 ドネロン伯爵は奥様をなくされてお一人?

 僕は必死で考える。
 姉上が僕に送ってきた黄金の髪飾り、そしてそれを見て狼狽したルークの意味を。
 もしかしてドネロン伯爵が髪飾りを姉上に贈ったのは、お礼とか社交の一環とかじゃなくて……。

 ……姉上を後妻に迎えたい、とか……?

 うわああ!
 そういうことかああああ!
 なるほど、ルークが狼狽した意味も含めて、ここで全部が繋がったよ!

 ドネロン伯爵と姉上は年齢差が三十一になる。
 ちょっと離れすぎじゃないかとは思うけど「持参金がなくてもお嫁に来てもらいたい」って言えるのはこういう人になるのかもね。若い男性だと父親あたりが反対するだろうしさ。

 幸いというか、僕がいま向かっているのは姉上の将来に関係するかもしれない家だ。姉上のためにもちゃんと視察はしておこう。
 あと、今日の僕も姉上と似てるらしいから、ちゃんと顔は隠しておこう。貸衣装屋から帽子を借りてきたのは正解だったな。追加料金はかかったけど。

「ねえ、ニコール。姉上への挨拶は、意外とすぐできるかもしれないよ……」
「どうしたんですか、急に」

 姉上の三年にわたる社交の努力が実りそうなんだ。とはまだ言えない。
 嬉しさ半分、しんみり半分の気持ちを抱えつつ、僕はニコールと一緒にドネロン伯爵邸への道を進む。


***


 ドネロン伯爵邸は、洒落た空気感を持つ屋敷だった。
 蝶と花の意匠が刻まれた門の向こうには形よく刈り込まれた低木があって、奥にそびえる屋敷は灰白色の石でできた三階建てだ。壁には見事な彫刻が多くあって、どことなく劇場の姿を思い出すよ。

「こちらから入りますよ」

 ニコールはそう言って裏手側に回り、通用門を通って中に入る。
 石畳の細い通路を横切って裏庭を抜け、壁沿いを進むと、どこからともなく音楽が流れてきた。劇の曲かな? もう準備が始まってるみたいだね。

 奥へ進むにつれて少しずつ人が多くなる。僕に向けられる視線も多くなる。……たぶん、服が派手なせいだろうね……。
 できるだけ小さくなって進んでると、通路の突き当たりでニコールが足を止めた。

「ほら、ここが小ホールの入り口よ。今日の劇、楽しみね」

 ニコールの物言いが砕けたものになってるのは、周りに人がいっぱいだからだ。僕はニコールの娘として来てるんだもんね、いつまでも「グレアム様」なんて呼ばれるわけにいかない。
 了承した、という証拠に、僕はにっこり笑ってみせた。

 今日の劇を演じるのは、ドネロン伯爵が所有する劇場の若手役者たち。
 普段は小劇場にいる彼らが特別に伯爵邸まで来て、『約束の花束をあなたに』を通しで演じるってわけ。

「そのあとはお屋敷の広間で立食パーティもあるんですよ」

 ドネロン伯爵邸へ来る道すがら、ニコールがそう教えてくれた。

 立食パーティって、たくさん食べてもいいのかなあ。
 いや、あんまりがっついたらニコールに恥をかかせちゃうかもしれないし、ほどほどにしよう。それに劇を観たあとは胸がいっぱいになって、意外と食べられないかもしれない。

 ……大丈夫、分かってる。今回のドネロン伯爵邸訪問は、僕にとってあくまで情報収集の一環だ。
 でも観劇なんて子どものころ以来なんだよね。ああ、はやく中に入りたいなあ。うずうずして足が勝手に動いちゃうよ。

 そんな僕の気持ちを察したかのように、ギィィ……と音を立てて重厚な扉が開く。
 周りの人たちがしんと静まり返った。
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

転生したら乙女ゲームの主人公の友達になったんですが、なぜか私がモテてるんですが?

山下小枝子
恋愛
田舎に住むごく普通のアラサー社畜の私は車で帰宅中に、 飛び出してきた猫かたぬきを避けようとしてトラックにぶつかりお陀仏したらしく、 気付くと、最近ハマっていた乙女ゲームの世界の『主人公の友達』に転生していたんだけど、 まぁ、友達でも二次元女子高生になれたし、 推しキャラやイケメンキャラやイケオジも見れるし!楽しく過ごそう!と、 思ってたらなぜか主人公を押し退け、 攻略対象キャラからモテまくる事態に・・・・ ちょ、え、これどうしたらいいの!!!嬉しいけど!!!

子供にしかモテない私が異世界転移したら、子連れイケメンに囲まれて逆ハーレム始まりました

もちもちのごはん
恋愛
地味で恋愛経験ゼロの29歳OL・春野こはるは、なぜか子供にだけ異常に懐かれる特異体質。ある日突然異世界に転移した彼女は、育児に手を焼くイケメンシングルファザーたちと出会う。泣き虫姫や暴れん坊、野生児たちに「おねえしゃん大好き!!」とモテモテなこはるに、彼らのパパたちも次第に惹かれはじめて……!? 逆ハーレム? ざまぁ? そんなの知らない!私はただ、子供たちと平和に暮らしたいだけなのに――!

モブの私がなぜかヒロインを押し退けて王太子殿下に選ばれました

みゅー
恋愛
その国では婚約者候補を集め、その中から王太子殿下が自分の婚約者を選ぶ。 ケイトは自分がそんな乙女ゲームの世界に、転生してしまったことを知った。 だが、ケイトはそのゲームには登場しておらず、気にせずそのままその世界で自分の身の丈にあった普通の生活をするつもりでいた。だが、ある日宮廷から使者が訪れ、婚約者候補となってしまい…… そんなお話です。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

身代わりの公爵家の花嫁は翌日から溺愛される。~初日を挽回し、溺愛させてくれ!~

湯川仁美
恋愛
姉の身代わりに公爵夫人になった。 「貴様と寝食を共にする気はない!俺に呼ばれるまでは、俺の前に姿を見せるな。声を聞かせるな」 夫と初対面の日、家族から男癖の悪い醜悪女と流され。 公爵である夫とから啖呵を切られたが。 翌日には誤解だと気づいた公爵は花嫁に好意を持ち、挽回活動を開始。 地獄の番人こと閻魔大王(善悪を判断する審判)と異名をもつ公爵は、影でプレゼントを贈り。話しかけるが、謝れない。 「愛しの妻。大切な妻。可愛い妻」とは言えない。 一度、言った言葉を撤回するのは難しい。 そして妻は普通の令嬢とは違い、媚びず、ビクビク怯えもせず普通に接してくれる。 徐々に距離を詰めていきましょう。 全力で真摯に接し、謝罪を行い、ラブラブに到着するコメディ。 第二章から口説きまくり。 第四章で完結です。 第五章に番外編を追加しました。

次期国王様の寵愛を受けるいじめられっこの私と没落していくいじめっこの貴族令嬢

さくら
恋愛
 名門公爵家の娘・レティシアは、幼い頃から“地味で鈍くさい”と同級生たちに嘲られ、社交界では笑い者にされてきた。中でも、侯爵令嬢セリーヌによる陰湿ないじめは日常茶飯事。誰も彼女を助けず、婚約の話も破談となり、レティシアは「無能な令嬢」として居場所を失っていく。  しかし、そんな彼女に運命の転機が訪れた。  王立学園での舞踏会の夜、次期国王アレクシス殿下が突然、レティシアの手を取り――「君が、私の隣にふさわしい」と告げたのだ。  戸惑う彼女をよそに、殿下は一途な想いを示し続け、やがてレティシアは“王妃教育”を受けながら、自らの力で未来を切り開いていく。いじめられっこだった少女は、人々の声に耳を傾け、改革を導く“知恵ある王妃”へと成長していくのだった。  一方、他人を見下し続けてきたセリーヌは、過去の行いが明るみに出て家の地位を失い、婚約者にも見放されて没落していく――。

寵愛の花嫁は毒を愛でる~いじわる義母の陰謀を華麗にスルーして、最愛の公爵様と幸せになります~

紅葉山参
恋愛
アエナは貧しい子爵家から、国の英雄と名高いルーカス公爵の元へと嫁いだ。彼との政略結婚は、彼の底なしの優しさと、情熱的な寵愛によって、アエナにとってかけがえのない幸福となった。しかし、その幸福を妬み、毎日のように粘着質ないじめを繰り返す者が一人、それは夫の継母であるユーカ夫人である。 「たかが子爵の娘が、公爵家の奥様面など」 ユーカ様はそう言って、私に次から次へと理不尽な嫌がらせを仕掛けてくる。大切な食器を隠したり、ルーカス様に嘘の告げ口をしたり、社交界で恥をかかせようとしたり。 だが、私は決して挫けない。愛する公爵様との穏やかな日々を守るため、そして何より、彼が大切な家族と信じているユーカ様を悲しませないためにも、私はこの毒を静かに受け流すことに決めたのだ。 誰も気づかないほど巧妙に、いじめを優雅にスルーするアエナ。公爵であるあなたに心配をかけまいと、彼女は今日も微笑みを絶やさない。しかし、毒は徐々に、確実に、その濃度を増していく。ついに義母は、アエナの命に関わるような、取り返しのつかない大罪に手を染めてしまう。 愛と策略、そして運命の結末。この溺愛系ヒロインが、華麗なるスルー術で、最愛の公爵様との未来を掴み取る、痛快でロマンティックな物語の幕開けです。

処理中です...