37 / 37
Secret File
しおりを挟む
暦の上では、もう7月に入っていた。今年は比較的暑さはマシだということらしいけど、それでも茹だるような暑さだった。
私は今日も、病院に足を運んでいた。お見舞いということで、彼の好きなお菓子を持ってきた。喜んでくれるだろうか。
「……あ、美幸さん」
彼は病室のベッドで眠っていたようだが、私に気付き体を起こしてくれた。あの日から2週間がたち、少しは体を動かせるようになったみたい。一時は命も危ない状況だったけど、今はその心配はない。
「今日も来てくれたんですね」
「そりゃあ来ますよ。はい、これどうぞ」
私はそう言って、持参していたお菓子たちを渡した。彼はチョコレート菓子が昔から好きだった。数種類のお菓子を見た彼の瞳がキラキラと輝いている。まるでおもちゃを買ってもらった子どもみたい。
「ありがとうございます。しっかり堪能します」
「うん、思いっきり堪能して」
彼はまだ楽しそうにお菓子と戯れている。その様子を見ていると、あの事故のことが嘘のように思えてくる。今でも信じたくない。まさか、彼が交通事故に遭うなんて。
あれは、彼とデートをしている時だった。お昼ごはんを食べに行こうと、そのお店を目指して歩いていた。そして横断歩道を渡ろうとしていたその時、一台の乗用車が私たちを目掛け突っ込んできた。
突然のことに、私は反応することすらできなかった。彼だけは、私を突き飛ばし助けてくれた。でも、そのせいで彼は……。
「……どうしました?」
「え?」
「いや、何だか暗い顔をしていたので」
「あ、うん。大丈夫大丈夫。何でもないから」
彼の記憶のなかに、私はいない。事故の衝撃で、一部の記憶を失ってしまったらしい。自分の名前や、仕事関係のことは覚えているみたい。でも、私との思い出や子どもの頃のことは覚えていない。
……私たちが、夫婦になったことも。
彼が目を覚ましてから、私はその話は一度もしていない。もしかしたら、私たちが夫婦だと言えば、それがキッカケで思い出してくれるかもしれない。でも、それでも思い出してくれなかったら。
そう考えると、怖くて言い出せない。
「大丈夫なら、いいんですけど」
彼は怪訝そうに私を見つめていたけど、またお菓子たちに視線を移した。
今は、こうやって話ができるだけでいい。そのうち、私のことを思い出してくれるだろう。それまで、我慢しよう。
「そういえば」
特に話題があるわけでもないけど、気持ちを切り替えようとそう切り出した。自分から話しかけたものの、何を話そうか迷っていると、彼の方から話しかけてきた。
「あの、今年の夏は、どこか遊びに行くんですか?」
「遊びにか……」
社会人になってから、中々プライベートの時間は確保できないでいた。彼にプロポーズされるまでは、東京でそれなりにバリバリ仕事をこなしていたからだ。
でも、彼からのプロポーズを機に、私は生まれ育ったこの街に帰ってきた。またOLとして働こうかとも思ったけど、両親の好意にあやかり、実家の農業を手伝うことにした。
それからは、ありがたいことに時間に融通が効くようになった。彼との時間も充分に確保できていたの。本当だったら、今年の夏だって一緒に花火大会に行こうと計画していたのに。こうなってしまっては、その計画もパアだ。
「誰かさんがドタキャンしたんで、予定なくなりましたよ」
「え、そうなんですか。それは残念ですね」
夏はまだ始まったばかり。とはいえ、彼がいつ記憶を取り戻すかなんて見当もつかない。もしかしたら、このまま失ったままってことも……。
「あの……」
「ん?」
私のマイナス思考を遮るように、彼が話しかけてきた。
「もし、僕がこの夏に外出れるようになったら、えと……」
彼の体は、事故直後に比べれば、かなり回復してきている。でも、まだ歩けような状態ではない。この夏が終わるまでにそこまで回復できるとは思えない。
「もしよかったらなんですけど……」
……なのに、私はどうしてか、ドキドキしていた。それは、未来への期待。さっきまで不安でいっぱいだったのに。
「お祭りに行きませんか。僕と」
いつから自分のことを僕なんて呼ぶようになったんだこの人は。
「……はい、喜んで」
返事を聞いた彼は、嬉しそうに笑った。その笑顔が、本当に好き。ううん、笑顔も好き。全部好きだよ。
……私が好きって言ったら、ちょっとは思い出すかな?
「……じゃあ、屋台全部まわろうね! 純平のお金で!」
「はい! もちろ………ん?」
もし、彼の記憶が戻らなかったら。その時は、もう一度好きになってもらおう。そしてまた、プロポーズしてもらう。あーでも、今度は私からしようかな。
ふと、窓の外を見ると、雲ひとつない青空が見えた。夏はまだ始まったばかり。セミのうるさい鳴き声も、今は何だか心地よい。
私の気分は、不思議と高揚していた。
夏祭り、どんな浴衣を着ていこうかな。
~fin~
私は今日も、病院に足を運んでいた。お見舞いということで、彼の好きなお菓子を持ってきた。喜んでくれるだろうか。
「……あ、美幸さん」
彼は病室のベッドで眠っていたようだが、私に気付き体を起こしてくれた。あの日から2週間がたち、少しは体を動かせるようになったみたい。一時は命も危ない状況だったけど、今はその心配はない。
「今日も来てくれたんですね」
「そりゃあ来ますよ。はい、これどうぞ」
私はそう言って、持参していたお菓子たちを渡した。彼はチョコレート菓子が昔から好きだった。数種類のお菓子を見た彼の瞳がキラキラと輝いている。まるでおもちゃを買ってもらった子どもみたい。
「ありがとうございます。しっかり堪能します」
「うん、思いっきり堪能して」
彼はまだ楽しそうにお菓子と戯れている。その様子を見ていると、あの事故のことが嘘のように思えてくる。今でも信じたくない。まさか、彼が交通事故に遭うなんて。
あれは、彼とデートをしている時だった。お昼ごはんを食べに行こうと、そのお店を目指して歩いていた。そして横断歩道を渡ろうとしていたその時、一台の乗用車が私たちを目掛け突っ込んできた。
突然のことに、私は反応することすらできなかった。彼だけは、私を突き飛ばし助けてくれた。でも、そのせいで彼は……。
「……どうしました?」
「え?」
「いや、何だか暗い顔をしていたので」
「あ、うん。大丈夫大丈夫。何でもないから」
彼の記憶のなかに、私はいない。事故の衝撃で、一部の記憶を失ってしまったらしい。自分の名前や、仕事関係のことは覚えているみたい。でも、私との思い出や子どもの頃のことは覚えていない。
……私たちが、夫婦になったことも。
彼が目を覚ましてから、私はその話は一度もしていない。もしかしたら、私たちが夫婦だと言えば、それがキッカケで思い出してくれるかもしれない。でも、それでも思い出してくれなかったら。
そう考えると、怖くて言い出せない。
「大丈夫なら、いいんですけど」
彼は怪訝そうに私を見つめていたけど、またお菓子たちに視線を移した。
今は、こうやって話ができるだけでいい。そのうち、私のことを思い出してくれるだろう。それまで、我慢しよう。
「そういえば」
特に話題があるわけでもないけど、気持ちを切り替えようとそう切り出した。自分から話しかけたものの、何を話そうか迷っていると、彼の方から話しかけてきた。
「あの、今年の夏は、どこか遊びに行くんですか?」
「遊びにか……」
社会人になってから、中々プライベートの時間は確保できないでいた。彼にプロポーズされるまでは、東京でそれなりにバリバリ仕事をこなしていたからだ。
でも、彼からのプロポーズを機に、私は生まれ育ったこの街に帰ってきた。またOLとして働こうかとも思ったけど、両親の好意にあやかり、実家の農業を手伝うことにした。
それからは、ありがたいことに時間に融通が効くようになった。彼との時間も充分に確保できていたの。本当だったら、今年の夏だって一緒に花火大会に行こうと計画していたのに。こうなってしまっては、その計画もパアだ。
「誰かさんがドタキャンしたんで、予定なくなりましたよ」
「え、そうなんですか。それは残念ですね」
夏はまだ始まったばかり。とはいえ、彼がいつ記憶を取り戻すかなんて見当もつかない。もしかしたら、このまま失ったままってことも……。
「あの……」
「ん?」
私のマイナス思考を遮るように、彼が話しかけてきた。
「もし、僕がこの夏に外出れるようになったら、えと……」
彼の体は、事故直後に比べれば、かなり回復してきている。でも、まだ歩けような状態ではない。この夏が終わるまでにそこまで回復できるとは思えない。
「もしよかったらなんですけど……」
……なのに、私はどうしてか、ドキドキしていた。それは、未来への期待。さっきまで不安でいっぱいだったのに。
「お祭りに行きませんか。僕と」
いつから自分のことを僕なんて呼ぶようになったんだこの人は。
「……はい、喜んで」
返事を聞いた彼は、嬉しそうに笑った。その笑顔が、本当に好き。ううん、笑顔も好き。全部好きだよ。
……私が好きって言ったら、ちょっとは思い出すかな?
「……じゃあ、屋台全部まわろうね! 純平のお金で!」
「はい! もちろ………ん?」
もし、彼の記憶が戻らなかったら。その時は、もう一度好きになってもらおう。そしてまた、プロポーズしてもらう。あーでも、今度は私からしようかな。
ふと、窓の外を見ると、雲ひとつない青空が見えた。夏はまだ始まったばかり。セミのうるさい鳴き声も、今は何だか心地よい。
私の気分は、不思議と高揚していた。
夏祭り、どんな浴衣を着ていこうかな。
~fin~
0
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
冷徹公爵の誤解された花嫁
柴田はつみ
恋愛
片思いしていた冷徹公爵から求婚された令嬢。幸せの絶頂にあった彼女を打ち砕いたのは、舞踏会で耳にした「地味女…」という言葉だった。望まれぬ花嫁としての結婚に、彼女は一年だけ妻を務めた後、離縁する決意を固める。
冷たくも美しい公爵。誤解とすれ違いを繰り返す日々の中、令嬢は揺れる心を抑え込もうとするが――。
一年後、彼女が選ぶのは別れか、それとも永遠の契約か。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
幼馴染の許嫁
山見月 あいまゆ
恋愛
私にとって世界一かっこいい男の子は、同い年で幼馴染の高校1年、朝霧 連(あさぎり れん)だ。
彼は、私の許嫁だ。
___あの日までは
その日、私は連に私の手作りのお弁当を届けに行く時だった
連を見つけたとき、連は私が知らない女の子と一緒だった
連はモテるからいつも、周りに女の子がいるのは慣れいてたがもやもやした気持ちになった
女の子は、薄い緑色の髪、ピンク色の瞳、ピンクのフリルのついたワンピース
誰が見ても、愛らしいと思う子だった。
それに比べて、自分は濃い藍色の髪に、水色の瞳、目には大きな黒色の眼鏡
どうみても、女の子よりも女子力が低そうな黄土色の入ったお洋服
どちらが可愛いかなんて100人中100人が女の子のほうが、かわいいというだろう
「こっちを見ている人がいるよ、知り合い?」
可愛い声で連に私のことを聞いているのが聞こえる
「ああ、あれが例の許嫁、氷瀬 美鈴(こおりせ みすず)だ。」
例のってことは、前から私のことを話していたのか。
それだけでも、ショックだった。
その時、連はよしっと覚悟を決めた顔をした
「美鈴、許嫁をやめてくれないか。」
頭を殴られた感覚だった。
いや、それ以上だったかもしれない。
「結婚や恋愛は、好きな子としたいんだ。」
受け入れたくない。
けど、これが連の本心なんだ。
受け入れるしかない
一つだけ、わかったことがある
私は、連に
「許嫁、やめますっ」
選ばれなかったんだ…
八つ当たりの感覚で連に向かって、そして女の子に向かって言った。
靴屋の娘と三人のお兄様
こじまき
恋愛
靴屋の看板娘だったデイジーは、母親の再婚によってホークボロー伯爵令嬢になった。ホークボロー伯爵家の三兄弟、長男でいかにも堅物な軍人のアレン、次男でほとんど喋らない魔法使いのイーライ、三男でチャラい画家のカラバスはいずれ劣らぬキラッキラのイケメン揃い。平民出身のにわか伯爵令嬢とお兄様たちとのひとつ屋根の下生活。何も起こらないはずがない!?
※小説家になろうにも投稿しています。
私に告白してきたはずの先輩が、私の友人とキスをしてました。黙って退散して食事をしていたら、ハイスペックなイケメン彼氏ができちゃったのですが。
石河 翠
恋愛
飲み会の最中に席を立った主人公。化粧室に向かった彼女は、自分に告白してきた先輩と自分の友人がキスをしている現場を目撃する。
自分への告白は、何だったのか。あまりの出来事に衝撃を受けた彼女は、そのまま行きつけの喫茶店に退散する。
そこでやけ食いをする予定が、美味しいものに満足してご機嫌に。ちょっとしてネタとして先ほどのできごとを話したところ、ずっと片想いをしていた相手に押し倒されて……。
好きなひとは高嶺の花だからと諦めつつそばにいたい主人公と、アピールし過ぎているせいで冗談だと思われている愛が重たいヒーローの恋物語。
この作品は、小説家になろう及びエブリスタでも投稿しております。
扉絵は、写真ACよりチョコラテさまの作品をお借りしております。
友達婚~5年もあいつに片想い~
日下奈緒
恋愛
求人サイトの作成の仕事をしている梨衣は
同僚の大樹に5年も片想いしている
5年前にした
「お互い30歳になっても独身だったら結婚するか」
梨衣は今30歳
その約束を大樹は覚えているのか
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる