紳士は若女将がお好き

LUKA

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 「待ちましたか?」

待ち合わせの鳥居前で、夕貴は先に到着していた恋人へ訊いた。

「いいえ、今来たところです」

にこやかに微笑み返しながら、香は首を横に振った。

夕貴はデートを敢行する予定に合わせ、平時からよく着ているスーツではなく、自前の洋服姿で現れた。

色遣いやデザインなどが特別洒落ているというわけではなかったが(というより無地)、名の知れたブランドものの、シンプルなスタイルは、俳優並みに背丈のある彼に、とてもよく似合っていた。

また、色調も全体的に落ち着いたトーンではあったが、暗い色ばかりを選ばず、清潔感を演出する白のTシャツを着込んだ夕貴は、誰の目から見ても、上品で爽やかな紳士だった。

その上、何か香水でも着けているのだろうか、秋のそよ風が心地好く吹く度、ほのかな芳しい香りが彼から漂い、傍らで鳥居を出入りする中高生くらいの少女たちから、中高年の婦人たちまでもが、胸を密かに躍らせつつ、香の恋人をこぞって顧みた。

そして夕貴が行きましょうかと語り掛けたとき、ちょうど鳥居の奥の方から、子供たちの威勢の良い、「わっしょい!」「わっしょい!」という掛け声が聴こえ、二人の視線はすかさずそちらへ移った。

見ると、浅葱色の法被を羽織り、捻じった手ぬぐいを額に回した、大勢の小学生の男の子と女の子が、小さいが、どっしりと存在感のある子供神輿を担いでやって来た。

子供たちの中では、本格的に紺の脚絆を穿く子がいる一方、単にジーンズを穿いた子もいた。

彼らから少し間を置いたところには、笛を口に挟んだ付き添いの大人や保護者らが、後をせかせかとついて行きつつ、短く笛を吹き、掛け声への合図を送っていた。

「可愛らしいですね」

一行が過ぎ去ってしまうと、夕貴は香へ向き直った。

「実物を見たのは初めてです。香さんも担いだことがあるんですか?」

鳥居をくぐりながら、夕貴は訊ねた。

「はい。小さい頃に何度か」

照れた香ははにかんだ。

「それは良かったですね。是非見てみたかったです」

境内には出店が並び、たくさんの子供たちが大人と混じり、買い物と催しを思い思いに楽しんでいた。

ある子はお面の屋台からどれを被ろうか悩み、ある子は水に弱い紙皿を使って、赤い金魚をすくおうと奮闘し、またある子は、釣り上げた水風船を鞠つきのように延々と弾ませ、射的に興じる子は、狙いを欲しい景品へじっと定めていた。

むろん、子供らと一緒に大人たちも、綿菓子やりんご飴、溶けたチョコレートがかかったバナナ、焼きそば、たこ焼きなど、祭りならではの食べ物を頬張り、祭りをのんびりと満喫していた。

「何だかフェアーと似ていますね」

物珍しい夕貴は、辺りを眺め回していたが、やがてこう呟いた。

「フェアー?」

「移動遊園地のことです」

境内の真ん中辺り、賽銭箱の横には、豪華で立派な山車が高々とそびえ立ち、神輿を担いでいた子供たちと同じく、青い法被を着た中高生の青少年たちが中へ乗り込み、かすれた音色の横笛をピイピイ吹き、破いてしまわないよう、太鼓を慎重に叩き、お囃子の最終調整を行っていた。

その奥では複数の男たちが、太い梁と頑丈な綱によって設営された円形の囲いの中で、連れてきた馬の尻を叩いて、囲いの内側を走らせ、段々とスピードを増す馬の首にしがみついては、半ば引きずられるようにして、囲いの内側をぐるぐると駆け回っていた。

中には、馬の速度に追いつけず、転んでしまう者も現れた。

見物人たちは、飛び散る土や砂埃から一歩下がり、囲いの外側で肝を冷やしながら、男たちの度胸を見入っていた。

時折小馬が投入されると、車夫のような恰好をした小さな男の子が、大の男たちと同じように、駆ける小馬の首にしがみつき、囲いの内側を果敢に駆けずり回った。

夕貴はそれを目の当たりにして、ロデオのようだと、関心を示した。

また、別の場所では櫓が組まれ、袴を穿いた神社の人間が、紅白の餅やお菓子を覗かせた段ボール箱を準備しており、疑問に思った夕貴は香へ訊ねた。

「あの櫓は何のためにあるんです?」

「あれは、神主さんたちが上からお菓子やお餅をばら撒いて、それをわたしたちが下で掴み取るんです」

「へえ・・・」

その後、どこからか、境内に放送が響き渡り、これから神社の離れにある舞台で子供歌舞伎が行われるため、誰でも観に来てくれという案内が入ると、子供歌舞伎を知らない夕貴は、興味津々で香を誘ったのだった。


 「おー、カズ!来てたんか!」

「森」

一年は高校の同級生だった友人の名を呼んだ。

青い法被を身に着けた森は、度胸試しの駆け馬のために、高校球児のように泥だらけではあったが、級友を偶然にも見つけ、心底愉快そうな笑みをこぼしていた。

二人は大人になって以来、普段からあまり交流することのない間柄だったが、祭りにおける高揚感の前では、よそよそしさなど、入る隙間はないようだった。

「久しぶりだなー!元気してるかー?」

「まあな」

地が素っ気ない一年は、久方ぶりに会った同級生に対しても、恐ろしく愛想がなかった。

だが、彼にとってはそれが面白いようで、森は快活に笑ってみせた。

「変わんねぇなー、お前!」

「お前もな。祭りの実行委員、まだやってるのか」

「当たり前。青年部の副長やってんだぜ」

「あっそ」

するとどこからともなく、一年を呼ぶ声が響いた。

「おじさ~ん!」

とある少年が、屋台が並ぶ向こうで手招きをして、一年を呼んでいた。

「おじさ~ん!こっちこっち~!」

「お前の子ども?」

「馬鹿言え。姉貴の子どもだよ」

少年は尚も叔父を呼び続けた。

「お金~!お金払って~!」

「叔父さんていうより、財布だな」

「お前も似たようなもんだろ。じゃあな」

「おう」

クラスメイトと別れると、一年は甥のもとへ向かった。

「一年遅えよ~」

甥は文句を言った。

年齢が二桁にも達していない小さな子供に、生意気にも、呼び捨てにされ、むかっ腹が立った一年は、神経質に眼鏡を押し上げ、威厳のある声で命じた。

「呼び捨てにするな。叔父さんと呼べ」

しかしながら甥は、お母さんはそう呼んでるよ?と、純粋な問いを口にしたので、一年はむっつりした表情を変えず、大人げない台詞を吐いた。

「口答えする奴には買ってやらない」

「ええ~」

成す術のない少年は、困り顔で嘆いた。

「じゃあ、お姉さんが買ってあげるね」

唐突に、横から声をかけられた甥と叔父は、声の方へ振り向いた。

「渡邉さん!?」

一年は驚いた。視線の先には、巫女の衣装を纏った市役所の後輩、渡邉水奈がいた。

「えーと、三百円ね」

水奈は料金を確かめると、手に持っていたがま口の財布から小銭を三枚取り出し、腰を折って、少年へ手渡した。

「はい」

しかし、どうしたらいいか分からない甥は、受け取る前に叔父を見上げ、意思を仰いだ。

「いいよ、渡邉さん」

「いいんです。ここは私に持たせてください。はい、どうぞ」

半ば押し付けるようにして水奈は小銭を渡すと、ちゃんとお礼言えよ、と一年に命ぜられた少年は、もじもじと気恥ずかしそうに、・・・ありがとうございます、と感謝を表してから、早速屋台主へ支払い、数本の輪を手に入れた。

「可愛いですね。甥っ子くん」

輪投げに興じる少年を見ながら、水奈は柔和に微笑んだ。

「憎たらしいけどね」

水奈は一年へ向き直った。

「海瀬さん。この前はどうもありがとうございました。黒木さん、あれからご飯行こうって、声かけなくなって・・・」

「・・・ああ」

言葉につられ、一年は先の場面を思い出した。


 少し前、仕事の合間に、飲み物を自動販売機から買っている時、上司の黒木が、水奈を口説いている現場にちょうど居合わせた一年は、ゴシップとして周囲に知れ渡ることを理解しつつ、彼女は黒木と食事へは行かない、何故ならば、自分たちは付き合っているからだと、嘘の宣言をした。

すると、黒木は一年の仏頂面にたじろぎ、あ、そうだったの?と、状況をごまかすために、ヘラヘラと笑い、自動販売機が立ち並ぶ小部屋から、そそくさと撤収していったのだった。


 「・・・あの。もしよければ、今度、一緒に食事にでも行きませんか・・・!?」

後輩は顔をほの赤くさせ、努めて言った。

「お礼に、ごちそうさせてください!」

「ああ、そんなの別に―――」

無表情だが、微かに参ったといった面持ちで、一年は目線を外した。

するとふいに、誰か男と歩いている香が目に入り、言葉は言い終えずに消えていった。

「? 海瀬さん?」

反応がないため、水奈は一年が向く方へ顔をやった。

それから思いもがけず、彼女は馴染みの顔を発見すると、手を振りつつ、呼びかけた。

「香!久しぶり!」

その時、香は夕貴の話に耳を傾けていた。

夕貴は、初めて観賞した子供歌舞伎が、合衆国でちょうどこの時期に祝う、感謝祭で見られる子供たちの劇を彷彿とさせ、非常に興味深かったと、恋人へ語っていた。

次いで、同じく水奈を見出すと、香は明るい顔をそちらへ向けた。

「水奈!」

お知り合いですか?と夕貴が訊くので、従妹だと答えると、輪投げ屋台の傍らで立つ水奈のもとへ、香は恋人と一緒に足を運んだ。

「来てたんだ!・・・あれ、そちらの方は?もしかして?彼氏?」

「どうも。明日葉と申します」

夕貴は輝く真っ白な歯をこぼし見せ、挨拶と同時に、手を水奈へ差し出した。

「あ、どうも~。渡邉といいます~」

水奈は見目麗しい夕貴に舞い上がりつつ、彼の手を握った。

(かっこいい・・・!)

続けて、一年について訊かれた水奈が、職場の先輩~と答える傍ら、顔を背けていた一年は、絶体絶命のような感覚に陥った。

だがしかしながら、悪しくもちょうどその時、輪投げを終え、景品のカードゲーム用のカードを手にした甥が、彼のもとへ喜々と戻ってきた。

「いえ~い、カードゲットだぜ~!一年、後で一緒に対戦しよーぜー!」

「・・・海瀬さん・・・!」

香は驚きを露わにした。

「あれ、知り合いだったの?」

水奈は驚く従姉と、眼鏡を気まずそうに押し上げる先輩を、交互に見た。

「う、うん・・・。まあ・・・」

「・・・」

「すっげ~、かっこいい~!イケメンだ~!」

夕貴を目の当たりにすると、少年は思った事をそのまま口に出した。

「こら」

一年は無礼な甥を窘めた。

しかし、夕貴は至ってにこやかに少年へ誘いかけた。

「きみもカードゲームをするんだね。よかったら、俺と対戦してくれないかい?」

「えっ、いいの!?」

少年は顔を明るく輝かせると、一年にも訊かず、夕貴の袖を取り(「じゃあ、向こうでやろ!」)、開けた場所へ移動していった。

「あ、こら・・・」

叔父は小さくなっていく甥の背中へ呼びかけた。

「どういう知り合い?」

水奈は従姉へ探りを入れた。

「えっ・・・と」

「・・・」

しかしながら、腕時計が二時を報せると、水奈は、もうこんな時間!?餅撒きの準備しなきゃ!と、答えを訊く前に、慌ただしく去っていってしまった。

「海瀬さん、また月曜日に!またね、香!彼氏明日葉さんによろしく!」

水奈が行ってしまうと、重たい沈黙がその場に流れた。

「・・・元気?」

一年の口が先に開いた。

「・・・はい。まあ、元気・・・です」

「・・・あの人、カレシだったんだ」

「・・・不倫じゃありませんよ?」

「何だ。だけど、住む世界が違うって言ってなかった?」

「それは・・・そうですけど・・・。でも、それはもう解決しましたから」

「それはどうかな。あれだけの見た目じゃあ、知らないところで他に何人も女がいそうだな」

相変わらず癪に障り、不安にさせるような言い方をする男だと、香は憤慨した。

「~~そんなこと・・・ないです・・・」

「いいや、遊ばれてるね」

人目がなかったら、殴ってやるのに。

香は密かに息巻いた。

「~~そうだとしても、あなたに関係ないじゃないですか・・・!」

「関係?な―――」

「・・・?」

「・・・」

一年は眼鏡を軽く持ち上げたが、黙ったままだった。

一方、夕貴は一年の甥とカードゲームを遊びつつ、少し離れたところから、そのような二人を静かに見つめていたのだった。
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