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心の変わり目
しおりを挟むあの後、侍女に事の始終を伝えてアレンを部屋まで運んでもらった。今、彼の部屋ではこの領で一番腕の良いお医者様とアレン専属のメイドが診察を行なっている。部屋の前には事故の事を知った侍女達が皆不安げな様子でお医者様達が出てくるのを待ちわびていた。
"またティア様の所為で"
"あの方には人の痛みなどわからない"
そんな声がちらほら聞こえてくる。
(悔しいけど……その通りだから、何も言い返せないな)
私の考え無しの行動がアレンを傷付けたのは事実だ。ただアレンを心配する彼女達の言葉に言い返す権利なんてどこにも無い。
「お嬢様……」
他の侍女達から少し離れた所でアレンが診察結果を待っていると、そんな私に近寄ってくる人影がある。見れば、さっきアレンを部屋に運んでくれたあの若い侍女だ。
「お兄様を部屋まで運んで下さって、本当にありがとうございました」
感謝の思いを込めて頭を下げると彼女は顔を真っ青にして首をブンブン横に振った。
「そんな、顔をお上げくださいっ!私達下々の者に頭など下げてはいけません!」
「関係ないよ。貴女には本当に感謝してるの」
「……お嬢様は、本当は心の優しい方なのですね」
ふと顔を上げると柔らかに微笑む彼女の顔が目に入る。
「私はつい先日、雇われたばかりなのですが……なんというか、ここにいらっしゃるお嬢様はこう……気難しいお方だと噂で聞いておりましたので」
なんとも言いづらそうにしながらも「あぁですが、今はそんな事思っておりませんよ!?」と続ける。
「ですがあの時、お嬢様の声からはアレンお坊ちゃまを助けたいという強い思いが伝わりましたし、今もこうして私めなどに感謝の言葉を述べられている。これのどこが心の無い人形でしょうか。そこらのご令嬢よりよっぽど心優しい証拠ですよ。
……ですから、お嬢様が気に病む必要などどこにもありません。お坊ちゃまはきっと大丈夫です!」
「……ありがとう」
彼女の励ましがどれだけ心強いことか。さっきまでどんより沈んでいた気持ちがあっという間に晴れてしまったのだから。
(そう。きっとお兄様は大丈夫。目が覚めたら、話をするんだ)
ーーガチャ
「アレンお坊ちゃまが目を覚ましました」
待機していた侍女達が一斉に扉の前に集まり「アレンお坊ちゃまは!?」と出てきたお医者様に詰め寄る。そのあまりの勢いに若干気押されつつ、お医者様は一つ咳払いした、
「軽度の打撲ですな。全治一週間程でしょう」
お医者様がにこやかに言うと侍女達は皆一応に安心した面持ちでアレンの無事を喜び合った。
かく言う私も心底安心している。なんだったら今すぐそこにいる侍女達とハイタッチして回りたい気分だけど、流石に自重しておこう。
「お嬢様!よかったですね!さっ、早くお坊ちゃまの元へ」
「うん!そうする!」
その言葉に頷いてアレンの部屋に入ろうとした、が、その前に大事な事を忘れていた。彼女の名前。聞いておかないと、会いたいって時に、100人以上いる使用人の中から名前も知らない侍女を探すのは中々骨が折れる。
「ごめんなさい、貴女の名前を聞いてなかったわ」
「あっ!も、申し訳ありません。申し遅れました、私、リーシェと申します!」
「リーシェ、本当にありがとう!今度またゆっくりお礼させてね」
もう一度彼女に軽く会釈をしてアレンの部屋の前へと向かう。部屋の前に集まっていた侍女達からの視線が一気に集まるけど、もう気にならない。扉をノックして、中から声がするのを確認すると「失礼致します」とだけ告げて部屋の中へ入った。
初めて入ったアレンの部屋には背の高い本棚が並べられ、机の上にも山程の書物が積み重ねられている。これが、アレンの部屋……さすが、机の上以外は全て綺麗に整頓されている。
(整理整頓が大苦手な私とは大違いだな……。)
「ティア……」
「お兄様っ!」
ベッドから身を起こしたアレンの元へ駆け出し、そのままぎゅっと彼に抱き着いた。それを見た彼専属の侍女は慌てて私を引き剝がさんとしたが、アレンは「大丈夫」と一言制す。
「ごめんなさい!私の所為で、お兄様が怪我を……本当にごめんなさいっ!」
「……ティアは、怪我は無かった?」
アレンはこんな時まで私の心配をする。その優しさに胸がぎゅと締め付けられるように痛かった。
「はいっ…!お兄様が庇ってくださったから…っ!……どうして、私を庇ってくださったんですか……?」
私はお兄様を傷付けていたのだから、そんなことしてもらう資格は無いのに。
遠回しにそう聞いたら、彼はまるで困ったように微笑む。
「それが、僕もわからないんだ。気が付いたら体が勝手に動いてた。……でも、後悔はしてないよ。ティアに怪我が無くて本当に良かった」
「お兄様……」
「ずっと話し掛けてくれたのに無視してごめん。避けてごめん。」
「っ!なんでお兄様が謝るんですか!謝らなくちゃいけないのは私ですっ!お兄様の事いっぱい傷付けてごめんなさい!私の事苦手なのに無理矢理話しかけてごめんなさい!あと、馬鹿でごめんなさいっ!……助けてくれてありがとうございました!」
ずっと言葉にしたかったものが一気に流れ出した。堪えきれずに涙も一緒になって。そんな私をアレンは笑いながら「ティアが泣いてる所、初めてみた」なんて。
「これからも話しかけてくれる?」
「もちろんです!いっぱい話しかけます!ううん、それだけじゃ無くてお兄様の話も聞きたいです!」
「僕の?」
驚いたような声を上げる彼に頷いて顔を上げる。
「お兄様が今まで読んだ本のお話とか!」
「うーん……あんまり面白いお話とかはないかもしれないけど」
「それでもいいです!」
お願いしますっと頼み込むと彼は少しだけ考えた後に「わかった。いいよ」と言ってくれた。その事が嬉しくて嬉しくて、つい頬が緩んでしまう。
「約束ですよ!」
「!!」
「あんまり長くここにいたら、お兄様がお休みになれませんよね……。では、私はこれで失礼します!また明日来ますね!」
「あ、あぁ、うん。また明日ね」
名残惜しいがアレンから体を離し、部屋を後にする。色々あったが、結果オーライ。これで一つ未来が変えられた。ティアの事を許してくれた彼の為にも、絶対にバッドエンドになんてなるわけにいかない。
(どうしよう、まだ顔のにやけが直らないよっ)
アレンにどんな話をしようか、彼からどんな話が聞けるかな、明日からの事を考えると心がふわふわして自然と駆け足になる。
「あぁ、早く明日にならないかなーっ!」
「ティアが、笑った……」
ティアが出て行った扉を見つめながら脳裏に残るティアの笑みを思い浮かべる。
物心ついた頃から一度も感情を表に出さなかった彼女が。いや、ティアの涙にも心底驚いたが、彼女が最後に見せたあの笑みはそれを遥かに超える衝撃だった。
衝撃の可愛さ
「っ……」
アレンは自分の頬の熱さを隠すように掛け布団を深く被った。
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