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渡りに船とはこの事か
しおりを挟む「つ、疲れた……」
二階を一回りしてきた私は自室に戻ってきた途端、どさりと畳に倒れ込んだ。
というのもこの見世、男遊郭随一と謳われるだけあってとんでもなく広い。その為覚えなきゃいけない事が沢山ありすぎて元々容量の少ない脳内メモリーがパンク寸前。
その上、追い討ちをかけるようにちょくちょく松風さんからからかわれるものだからたまったもんじゃない。
自室に帰ってくる頃には肉体的にも精神的にも疲弊しきっていた。
「どうだった?初めての遊郭は」
部屋の入り口にもたれ掛かりながらクスクスと笑う彼を何も言わずにジト目で見上げる。
せっかく忙しい中、案内してくれた松風さんに貴方の所為で余計に疲れました。なんて事は口が裂けても言えない。
言えないけど、せめて視線だけでも訴えさせてほしい。
「ははっ、からかいすぎちゃったかな?ごめんね」
言いたい事は充分に理解してもらえたようだ。
悪びれもなく謝ってる辺り、確実に反省はしてないと思うけど。
「兎に角、今日はもう疲れただろうからゆっくり休んで。他の男娼とか奉公人への挨拶はまた明日でも良いからさ」
「わかりました。松風さん、今日はありがとうございました」
改めて彼にお礼を言って頭を下げると、彼は微笑を浮かべて此方こそ。と言った。
「とても楽しい時間だったよ。それじゃあ、また明日ね」
「はい。おやすみなさい」
手を振りながら廊下の先に消えていく松風さんの背中を少しの間眺めてから部屋の戸を閉め、部屋の隅にある布団と枕をセットする。それから、照明器具の灯りを落として布団の中に滑り込んだ。
「はぁ……ふっかふか……」
流石は高級妓楼、まさか奉公人の布団までこんなにふかふかとは……っ!
……というかただ単にうちにあった敷布団が古すぎて潰れてるだけだったような気もするけど。
明かりが消え、真っ暗になったこの部屋に、はじめのうちはまだ二階で開かれている宴席の喧騒が遠く聞こえていたが、そのうちにその声も聞こえなくなっていった。
どうやらお開きになったようだ。
辺りはしーんと静まり返り、真っ暗な世界で一人だけになった私はぼんやりと天井を眺めながら、元の時代にいる家族の事を思い出して急に怖くなった。
もし、このまま帰る方法が見つからなかったらどうしよう。
もし、このまま本当に家に帰れなくなったらどうしよう。
そうなったら、私は一生ここで生きていかなければいけないのだろうか。
恐怖と不安で胸がいっぱいになり、頬に暖かいものが伝う。それを右手で拭い去ると掛け布団を深めに被って目を閉じた。これが夢である事を願うように。目が覚めたら、自分の部屋の布団の上であるようにと。
「家に……帰りたい……」
吐き出した弱音は、誰にも届く事なく部屋の隅に消えていった。
翌朝、どこからか聴こえる鐘の音で目を覚ました。
薄い障子越しに窓からの朝日が部屋に差し込んでいるのを見て、ここが何処なのかを思い出した。
あぁ、やっぱり夢じゃなかったんだ。
「起きよう……」
眠い目をこすりながらもぞもぞと布団から抜け出した私は、昨夜おやじさんから刀と一緒に貰った着物を手に取った。
そして今更にして気がつく。
「どうしよ…私、着物の着方、わからないや……」
失敗した、こんな事なら昨日松風さんにでも聞いておくんだった。
着物を手に持ったまま、暫くの間考える。
誰かに聞く?でもここにいる人はみんな男の人だしなぁ……流石に男の人に着物の着方を教えて貰うのはちょっと気がひけるし……。
でも、どのみちこれからしばらくは着物を着なくちゃならないんだし、それならちゃんとした着方は知っておきたい。
うん。やっぱり、誰かに着方を聞いた方が良いかもしれない。
そう考えた私は着物を手にしたまま、廊下へ飛び出した。
「……って飛び出したは良いけど、誰に教えてもらおう……」
やっぱり、教えてもらうなら松風さん。と思ったが、まだ結構早い時間だし、今部屋に押しかけるのは迷惑かもしれないと考えて階段を登りきった所で足を止めた。
もう少し遅い時間に出直そうかな……。
くるりと踵を返そうとしたその時だった。
「ふぁぁぁ……ん?なんだ、那月じゃねぇか」
「あっ」
廊下の曲がり角から大欠伸をしながら現れたのは胡蝶だった。
寝起きらしく着物が若干崩れていて、昨夜会った時よりも色気を纏った姿に咄嗟に視線を彷徨わせる。
本当に朝から心臓に悪い。
「何してんだよ。もしかして、俺らの寝こみを襲いに……」
「んな訳あるか!……着物の着方がわからないから教わろうと思って」
よりにもよってこいつにこんな事を言わなくてはいけないのが屈辱的で俯向きながら口元で呟いた。
が、相手にはバッチリ聞こえてたみたいで、胡蝶は私と手の中の着物を交互に見た後で呆れた顔になった。
「はぁ?お前、着付けの仕方もしらねぇのかよ」
「し、仕方ないじゃん!着物なんて着た事ないんだから!」
「着物を着た事ないってお前。そんじゃ、いつもその奇妙な着物着てんのかよ」
胡蝶の言葉に小さく頷いた。
こちとら現役の女子高生だ、土日祝日以外は基本的に学校の制服に日頃からお世話になっている。
着物なんて着たのは七五三が最後。
花火大会なんかの日には友達全員着物だったのに対し、一人だけTシャツにジーパンで行くような女だ。
笑いたければ笑うがいい。と次の胡蝶の言葉を待った。
たが、完璧に馬鹿にされる。と覚悟を決めていた私の予想に反して、胡蝶は頭の後ろをガシガシと掻くと仕方ねぇな。と背を向けてこう言った。
「着付けの仕方だろ。教えてやるから付いて来いよ」
「……ふぇ?」
彼の意外な言葉に虚を突かれた私の口からは、なんとも情け無い声が漏れて出た。
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