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プロローグ
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いきなり変なことを言うようだけど、世界で一番すてきなのは、目が覚めたあと。
まどろみの中で覚醒を待つ、あの時間だと思う。
今、わたしの人生で最も幸福な時間を、心ゆくまで味わっている。
天蓋付きのベッドの中はわたしのための城。
綿のシーツは肌の上を滑らかに流れ、羽毛の枕はわたしの頭を雲みたいに受け止めてくれる。完璧だ。
これ以上の幸福がこの世界のどこにあるというのだろう。
わざわざ服を着て、靴を履いて、外に出る人の気持ちがわたしには少しもわからない。
ちり、と窓から差し込む朝の光がわたしの瞼を刺激した。
不快指数、中くらい。わたしの完璧な微睡みを妨げる無遠慮な侵入者だ。
あれを避けるために、寝返りを打つのさえ億劫。
……太陽のほうが、少しだけ、ずれてくれればいいのに。
心の中でそう思った瞬間、絶妙なタイミングで雲が太陽を覆い部屋の光がふわりと柔らかくなった。
うん、それでいい。世界はこうあるべきだ。
わたしが最小限の努力で最大限の快適さを得られるように、常に調整されていなくては。
──コン、コン。
控えめなノックの音。
わたしの完璧な時間を終わらせる合図。
専属侍女のセラが、朝食を運んできたのだ。
「ルミナ様、おはようございます」
わたしは名残惜し気にベッドから体を起こす。
朝食はもちろんベッドの上で。それがこの城のルールだから。
今日のジャムは木苺だった。
……昨日のアプリコットの方が、今の気分だった。
わたしは、それを口には出さない。
セラを困らせるのは余計なエネルギーを使うから好きじゃない。
代わりに、パンに塗られたジャムに指先でそっと触れる。
頭の中で、アプリコットの甘酸っぱい味と香りを思い浮かべる。
わたしの膨大な魔力が指先から極小の術式を編み上げ、木苺ジャムの原子配列を瞬時に組み替えていく。
わたしにとっては、お茶をかき混ぜるのと同じくらい簡単なこと。
一口食べると、口の中に広がるのはわたしの望んだ完璧なアプリコットの味。
自分のわがままは、自分で満たす。
それがわたしの快適な引きこもり生活を維持するための、一番楽な方法。
その、はずだった。
わたしの完璧な日常を破壊する音は、いつも唐突にそして無遠慮に響く。
重々しいノックの音。セラではない。父様だ。
「ルミナ。王家より、勅命が下った」
父様の手にした一通の封蝋書簡が、これから語られる言葉がわたしの完璧な一日を台無しにすることを雄弁に物語っていた。
父様の口から告げられたのは、王宮で開かれる『星降り祭』への絶対的な参加命令だった。
星降り祭。
その言葉に含まれる無数の知らない人間。評価するような視線。予測不能な会話。
そして何より、わたしの制御できないこの巨大な力がまたあの時のように暴走してしまうかもしれない恐怖。
無理だ。不可能だ。わたしの完璧な日常が面倒ごとと恐怖で上書きされてしまう。
父様の揺るぎない視線を受け止めながら、わたしはこれまでの穏やかな演技をかなぐり捨て、心の底からの拒絶を込めてはっきりと告げた。
「……お断り、します」
だが、父様の目は「決定事項だ」と語っていた。
わたしの完璧だった箱庭の世界に、拒否権のない、絶対的な外部のルールが今まさに侵食しようとしている。
わたしの、長くてとてつもなく面倒な闘いの始まりだった。
まどろみの中で覚醒を待つ、あの時間だと思う。
今、わたしの人生で最も幸福な時間を、心ゆくまで味わっている。
天蓋付きのベッドの中はわたしのための城。
綿のシーツは肌の上を滑らかに流れ、羽毛の枕はわたしの頭を雲みたいに受け止めてくれる。完璧だ。
これ以上の幸福がこの世界のどこにあるというのだろう。
わざわざ服を着て、靴を履いて、外に出る人の気持ちがわたしには少しもわからない。
ちり、と窓から差し込む朝の光がわたしの瞼を刺激した。
不快指数、中くらい。わたしの完璧な微睡みを妨げる無遠慮な侵入者だ。
あれを避けるために、寝返りを打つのさえ億劫。
……太陽のほうが、少しだけ、ずれてくれればいいのに。
心の中でそう思った瞬間、絶妙なタイミングで雲が太陽を覆い部屋の光がふわりと柔らかくなった。
うん、それでいい。世界はこうあるべきだ。
わたしが最小限の努力で最大限の快適さを得られるように、常に調整されていなくては。
──コン、コン。
控えめなノックの音。
わたしの完璧な時間を終わらせる合図。
専属侍女のセラが、朝食を運んできたのだ。
「ルミナ様、おはようございます」
わたしは名残惜し気にベッドから体を起こす。
朝食はもちろんベッドの上で。それがこの城のルールだから。
今日のジャムは木苺だった。
……昨日のアプリコットの方が、今の気分だった。
わたしは、それを口には出さない。
セラを困らせるのは余計なエネルギーを使うから好きじゃない。
代わりに、パンに塗られたジャムに指先でそっと触れる。
頭の中で、アプリコットの甘酸っぱい味と香りを思い浮かべる。
わたしの膨大な魔力が指先から極小の術式を編み上げ、木苺ジャムの原子配列を瞬時に組み替えていく。
わたしにとっては、お茶をかき混ぜるのと同じくらい簡単なこと。
一口食べると、口の中に広がるのはわたしの望んだ完璧なアプリコットの味。
自分のわがままは、自分で満たす。
それがわたしの快適な引きこもり生活を維持するための、一番楽な方法。
その、はずだった。
わたしの完璧な日常を破壊する音は、いつも唐突にそして無遠慮に響く。
重々しいノックの音。セラではない。父様だ。
「ルミナ。王家より、勅命が下った」
父様の手にした一通の封蝋書簡が、これから語られる言葉がわたしの完璧な一日を台無しにすることを雄弁に物語っていた。
父様の口から告げられたのは、王宮で開かれる『星降り祭』への絶対的な参加命令だった。
星降り祭。
その言葉に含まれる無数の知らない人間。評価するような視線。予測不能な会話。
そして何より、わたしの制御できないこの巨大な力がまたあの時のように暴走してしまうかもしれない恐怖。
無理だ。不可能だ。わたしの完璧な日常が面倒ごとと恐怖で上書きされてしまう。
父様の揺るぎない視線を受け止めながら、わたしはこれまでの穏やかな演技をかなぐり捨て、心の底からの拒絶を込めてはっきりと告げた。
「……お断り、します」
だが、父様の目は「決定事項だ」と語っていた。
わたしの完璧だった箱庭の世界に、拒否権のない、絶対的な外部のルールが今まさに侵食しようとしている。
わたしの、長くてとてつもなく面倒な闘いの始まりだった。
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