辺境の付与術師のスローライフはままならない? ~Sランクパーティーを追い出された無能な俺、実は世界で唯一の概念付与の使い手でした~

沢谷 暖日

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第三十話 ままならない追跡劇

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 俺は屋根から飛び降り裏路地を駆け出す。
 それと同時に、倉庫の扉が蹴破られて黒いマントの男たちが飛び出してきた。

「いたぞ! 追え! 絶対に逃がすな!」

 背後から複数の足音と風を切る短剣の音が迫る。
 祭りの陽気な音楽が、今はまるで自分の心臓の音をかき消すための不協和音のように聞こえた。
 アリアとクローナは、今頃武術大会の次の試合や市場の散策を楽しんでいるはずだ。
 俺が一人で今、こんなことに巻き込まれていることには気づかないだろう。
 それでいい。この厄介事は、俺一人で撒かなければ。

「────」

 俺は迷路のように入り組んだ職人街の裏路地へとさらに深く潜り込んだ。

「こっちだ! 追い込め!」

 しかし撒けない。
 追手は明らかにこの辺りの地理に詳しい。
 俺は、あっという間に三方を壁に囲まれた行き止まりへと追い詰められてしまった。

 くそ。なんでこんなことに。
 俺は静かに暮らしたかっただけなのに。
 いや。完全に自業自得ではあるんだけども。
 なんというか……ままならないな。俺の人生は。

 だがここで終わるわけにはいかない。
 前までの俺にはどうにもならなかったかもしれない。
 しかし今は、アリアと見つけ出した新しい戦い方がある。
 俺は壁際に無造作に積まれていた古い木箱に手を触れた。

 ――膨らめ。この路地を、完全に塞ぐまで。

「――【膨張】!」

 付与した瞬間、ただの木箱がミシミシと音を立てて膨れ上がり、路地を完全に塞ぐ巨大な障害物となった。

「なっ……!? なんだ、今の……!?」

 追手たちの驚く声が壁の向こうから聞こえる。
 俺はその隙に、身軽に建物を駆け上がり屋根の上へと飛び出した。
 眼下にはランタンの灯りで彩られた、美しい祭りの夜景が広がっている。
 だが、感傷に浸っている暇はなかった。
 ヒュンと風を切る音がして矢が俺の頬を掠める。
 屋根の上には、すでに別の追手が回り込んでいた。
 その中でも一人だけ動きの質が違う男がいる。
 おそらく、こいつがリーダー格だ。

「くそっ……!」

 俺は屋根から屋根へと飛び移りながら必死で逃げる。
 追手の一人が俺を追って向かいの建物の屋根に飛び移ろうとする。
 俺はその着地地点の瓦に意識を集中させた。

 ――滑れ。磨き上げた氷よりも、滑らかに。

「――【潤滑】」
「うわっ!?」

 俺の狙い通り、その屋根に飛び移った追手は見事に足を滑らせて派手に転倒。
 だがリーダー格の男はそれを見て舌打ちすると、転んだ仲間を無視してさらに速度を上げて俺を追ってきた。
 まずい、このままでは追いつかれる。
 それに付与を続ければ、俺の負担にもなる。
 しかし今は、この痛みには耐えるしかない。

「────」

 俺は眼下の、祭りの出店が並ぶ通りへと飛び降りた。
 人々が驚いて道を開ける。その混乱に紛れて逃げる算段だ。
 だが追手たちも躊躇なく飛び降りてくる。

「きゃあ!」

 誰かの悲鳴が上がる。
 まずい! 一般人を巻き込むわけにはいかない。
 俺は近くにあった大きな水樽に手を触れた。

 ――弾けろ。霧になれ。

「――【沸騰】」

 樽の中の水が、一瞬で沸騰し爆発的な水蒸気を発生させる。
 濃い霧が一瞬で通りを覆い尽くした。

「ぐっ……!」

 俺はその隙に、再び路地裏へと駆け込む。
 だが無理な概念を使った反動で、俺の体に熱がこもりめまいがした。
 もう、体力が限界に近い。

「なっ──」

 そんな絶望的な状況にも関わらず、目の前には恐ろしい光景が広がっていた。
 建物と建物の間に到底飛び越えられない、暗く広い隙間が空いている。
 背後からは追手たちの足音が、再び迫ってきていた。

 ここまで、か。
 俺にしてはよくやった方、だが。
 ここで捕まったらどうなる?
 終わるわけにはいかない。
 そうだ。アリアの言葉を思い出す。
 俺の能力は、現実からは遠くかけ離れた『概念付与』。

 そうだ。俺の力は常識外の能力。
 つまるところ──常識に、囚われるな。

「いっ────けぇぇぇええ!!」

 俺は意を決して、その闇へと跳んだ。
 そして空中で、自らが羽織るマントの裾を力いっぱい掴む。

 ――風を孕め。【帆】のように!

 俺のマントは一瞬だけ風を受けて大きく膨らみ、その浮力で俺の体を数メートル先へと滑空させた。

「なっ……!?」

 追手たちの信じられないといった声が、背後で遠のいていく。
 俺は広場の喧騒の中に、なんとか着地する。
 すぐに祭りの人混みに紛れ込み、追手の視界から完全に消えることに成功した。

「……はぁ……はぁっ……!」

 荒い息を整えながら俺はアリアたちがいるであろう賑やかな広場には戻らず、一人図書館へと続く静かな道を選んだ。

 屋根裏部屋に戻り鍵をかける。
 俺は壁に手をつき、その場にへたり込んだ。
 『黄昏の蛇』……そして『理の編纂者』。
 初めて聞く言葉だった。
 だが『編纂者』……理を、編む者。
 その響きは俺の持つ『概念付与』の力と不気味なほどよく似ている。
 アリアが話していたこの土地に眠るという『失われた術理』。まさか、それが……?

 分からない。
 だが、一つだけ確かなことがある。
 奴らは俺やアリアが追い求める謎のど真ん中にいる。
 そしてその目的のためなら、平気でこの街の祭りを台無しにするような連中だ。

 アリアに話すべきか?
 クローナさんに、助けを求めるべきか?
 いや、ダメだ。俺は頭を振る。
 あの二人の楽しそうな笑顔が脳裏をよぎる。
 俺がこの厄介事を持ち込めば、あの笑顔は曇ってしまうだろう。
 俺のせいで、彼女たちを、この街の穏やかな日常を危険に晒すわけにはいかない。

 これは俺が一人でどうにかしなければならない問題だ。
 俺は机の上に置かれた『概念辞書』を、決意の目で睨みつけた。
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