辺境の付与術師のスローライフはままならない? ~Sランクパーティーを追い出された無能な俺、実は世界で唯一の概念付与の使い手でした~

沢谷 暖日

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第三十五話 二人の誓い

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【三人称視点】

 金麦祭の最終日の夜。
 街の中心広場は祭りのフィナーレである『天への種蒔き』を待つ人々の熱気で溢れかえっていた。
 だがアリアとクローナの心は、その喧騒から遠く離れた場所にあった。

「……遅い」

 クローナが苛立ちを隠せない声で呟く。
 武術大会の決勝で負け、落ち込んでいた彼女をアリアがずっと慰めていた。
 だがもうすぐ神事が始まろうというのに、部屋に戻ると言っていたはずのノアが一向に姿を現さない

「……何か、あったのでしょうか」

 アリアの顔にも不安の色が浮かんでいた。
 今朝のノアの無理したような笑顔。
 何かを決意したような遠くを見る目。

 と。何か嫌な予感がしたその時だった。
 広場の一角から、悲鳴のような声が上がる。

「大変だ! 神殿の神官様たちが全員眠らされている!」
「なんだって!?」
「『豊穣の種火』が……安置されていた箱が空っぽだ!」

 その言葉は波紋のように広がり、祭りの熱狂は一瞬にして不安と混乱に変わった。
 街を彩っていた麦のリースの黄金色が、急速に色褪せていくのが分かる。
 夜空を照らしていたランタンの光も心なしか弱々しくなったようだ。

「そんな……!」

 クローナが絶句する。
 だがアリアは、それよりもずっと恐ろしい可能性に思い至っていた。
 神殿の襲撃。眠らされた神官。そして今ここにいない、ノア。

「クローナ!」

 アリアの切羽詰まった声に、クローナが驚いて振り返る。

「ノアさんの部屋に行きます! 嫌な予感がします!」
「う、うん! 私もそう思う!」

 二人が混乱する人々をかき分け、図書館へと駆け戻る。
 屋根裏部屋の扉には鍵がかかっていたが、クローナが力ずくでそれをこじ開けた。

「ノア!」

 部屋はもぬけの殻だった。
 そして机の上には走り書きのメモが残されていた。

『二人とも、祭りのフィナーレを楽しんでくれ。すぐに戻る』

「ノア……! やっぱり一人で!」

 クローナが怒りと心配で拳を握りしめる。
 だがアリアの視線は、そのメモの横に置かれた一冊の分厚い本に釘付けになっていた。

 それは二人の研究の成果である『概念辞書』。

 ノアにとって。
 今の彼にとって命の次に大事なはずの、その本がここに。

「……馬鹿な人です」

 アリアがぽつり、呟く。

「あの人は一人で行く気です。私たちを巻き込まないために……。『概念辞書』を置いていったのは、万が一自分が戻れなかった時のために……!」
「そんな……」

 アリアの言葉に、クローナは自分の無力さに唇を噛み締めた。
 武術大会で負け、アリアに勇者の称号を捧げることもできなかった。
 クローナにとって、ノアはアリアとの時間を邪魔する人間である。
 だが。ノアがアリアにとって、大切な人間だということは知っていた。
 そんな友人の大切な人の危機にも気付けない自分が、歯がゆい。

「私は……。アリアに勝って見せることもできないで。あいつ一人のことも、気づけないで……」

 無力感にクローナの肩が震える。
 その震える肩を、アリアがそっと抱いた。

「いいえクローナ。あなたは、負けてなんかいません」

 彼女はクローナの目の端の涙を拭ってやると、決意の目で親友を見つめた。

「今から、勝ちにいくんです。私たちの仲間を独りにはさせません」

 アリアの言葉に、クローナはハッと顔を上げた。

「……仲間かどうかは、知らないけど」

 彼女はぶっきらぼうにそう言うと、残った涙を乱暴に拭った。

「あいつのせいで、アリアがそんな悲しい顔をしてるのは私が許さない! 今は、それだけよ!」

 アリアはそんな親友の強がりを理解して力強く頷いた。
 彼女は、ノアが残した『概念辞書』を力強く抱きしめる。

「でも、どこに行ったっていうのよ? あてもなく探したって」

 クローナが首をかしげる。
 無理もない問いだった。
 ノアの書き置きはあの一文のみ。
 どこに行ったか分からないんじゃ探しようもない。

「そう、ですね」

 アリアは研究者の顔で言葉を吐き出す。
 彼女は手がかりが無いか、部屋の隅々まで鋭い観察眼で調べ始めた。
 開けっ放しの窓。消えた麻縄と石ころ。そして……。

「……これ」

 アリアが指さしたのは、机の上に広げられたままになっていたミストラルの古い地図だった。
 一見ただの地図だ。だが、彼女はその上に落ちている不自然なものに気づいた。

「水滴……?」

 地図の西の職人街を示すあたりに、一滴だけぽつんと水の跡があったのだ。
 だがそれはただの水滴ではなかった。
 祭りの熱気で蒸し暑いこの屋根裏部屋で、その水滴だけがまるで真冬のように薄く凍り付いていたのだ。

「……間違いない」

 アリアは確信を持って言った。

「これはノアさんが残したメッセージです。私は彼が水の状態を操れることを知っています」
「み、水の力を? ノアってそんなことまでできるの?」
「えぇ。彼の力は、ただ概念を付与するだけではない。そのものに意味を宿すことができる」
「えぇ……ノアって一体何者なの?」

 クローナの素っ頓狂な、それでいてもっともな疑問にアリアは子供っぽくわらって答える。

「ふふ。だから私は、彼に興味を持ったんですよ」

 アリアの言葉に、クローナは腑に落ちないように頷くのみだった。
 アリアは微笑まし気にクローナを見ると「さておいて」と切り出す。

「彼は自分の最後の力で、この一滴の水を凍らせ私たちに自分の行き先を伝えようとしたんですね」

 クローナがなるほどと頷きながら地図を眺める。
 やがて彼女は何かに気付いたようにハッとした。

「西の職人街……。あそこには、古い倉庫街があるわね」
「はい。そしてこの水滴は、地下水路の入り口を示しています」

 アリアは地図のその地点を指でなぞり、二人は顔を見合わせた。

「行きましょう、クローナ!」
「当たり前でしょ!」

 広場で、祭りのフィナーレの中止を告げる悲しい鐘の音が鳴り響き始めた。
 だが二人はもう、その音に振り返らない。
 クローナは敗北の悔しさを友を守るための怒りに変えて、槍を握りしめる。
 アリアはノアが託した知識と最後のメッセージを希望に変えて、前を見据える。

 ミストラルの街を、二つの影が疾風のように駆け抜けていった。
 たった一人の仲間を、孤独な戦いから救い出すために。
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