辺境の付与術師のスローライフはままならない? ~Sランクパーティーを追い出された無能な俺、実は世界で唯一の概念付与の使い手でした~

沢谷 暖日

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第四十一話 祭りの終わり

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 最初に感じたのは陽だまりの匂いだった。
 カビ臭い地下水路の湿った空気でも血の鉄錆びた匂いでもない。
 干したてのシーツと薬草が混じった、穏やかで懐かしい匂い。

「ん……」

 重い瞼をゆっくりと持ち上げる。
 ぼやけた視界に映ったのは、見慣れた俺の屋根裏部屋の木の天井だった。
 左肩に鈍い痛みが走る。だが、あの短剣に貫かれた時の焼け付くような激痛ではない。
 きれいに手当てされた、治りかけの傷の痛みだ。
 体を起こそうとすると、ベッドの脇でうたた寝をしていた誰かがはっと顔を上げた。

「……ノア!」

 視界の端で揺れるのは、燃えるような赤い髪。クローナだった。

「……やっと起きたのね! 三日も寝てたのよ、この馬鹿!」

 彼女は怒ったような口調だったが、その翠色の瞳が安堵に潤んでいるのを俺は見逃さなかった。

「……三日も?」
「そうよ! アリアが街の人たちを呼んであんたをここまで運んだんだから! 覚えてないでしょうけど!」

 そうか。俺は、あの後……。

「祭りは……」
「とっくに終わったわよ」

 とクローナは少しだけ誇らしげに笑った。

「最高のフィナーレでね。街のみんな、『天への種蒔き』の奇跡だって、今でも大騒ぎしてる」

 俺たちが地下であんな死闘を繰り広げていたことなど誰も知らないらしい。
 ただ俺は、興味本位で地下水路に忍び込んだただの一般人。
 それでいい。

「……あの、黒マントの奴らは」
「アリアが呼んだ衛兵たちが残党を捕まえたわ。でもリーダー格のあんたを刺したっていう一番偉いやつだけ、どうしても見つからなかったって」
「見つからなかった……?」

 まさか、まだこの街のどこかに……?

「ええ。その通りです」

 部屋の入り口から静かな声がした。
 アリアがスープの盆を手にそこに立っていた。
 彼女は俺が目を覚ましたのを見ると、盆を机に置き駆け寄ってきた。
 その顔には安堵と俺への心配が浮かんでいる。

「……彼は、消滅しました」

 アリアは俺のベッドの脇に座ると静かに語り始めた。

「ノアさん。あなたが気を失った後、私あなたの手に触れました。そしてあなたの力を借りたのではなく、あなたの力に『定義』を送ったんです」

 アリアが言うには、俺たちの力は共鳴していたらしい。
 術者である俺の意識がなくても、俺の魂に眠る力がアリアという理解者の言葉に応えたのだと。

「あなたが最後に付与した【奔流】の概念は、あなたの記憶と思考を儀式の中心である『豊穣の種火』に、そして私に届けてくれました。だから私には分かったんです。奴らの儀式の全てと、それを止めるたった一つの方法が」

 彼女が定義した【過剰結実】。
 それは「破壊」という概念とは真逆の、あまりに純粋であまりに強大な「生」と「祝福」の概念だった。

「あの男は、浄化されたのではありません」

 アリアは俺の疑問に答えるように言葉を続けた。

「彼の存在と、彼が行っていた『強奪』という邪悪な儀式は『与え、育む』という豊穣の概念とは、完全に真逆の相容れない理でした。彼は爆風に吹き飛ばされたのではない。あまりに純粋で、あまりに強大な『生』の概念の奔流に、彼の『死』と『破壊』を望む存在そのものが耐えきれず、上書きされ崩壊したんです」

 そしてその黄金色の奔流は、アリアの「天へと芽吹かせる」という的確な定義によって、俺たちを傷つけることなく空へと駆け上がっていった。
 全てはアリアの知識と、俺を信じてくれた彼女の心が起こした奇跡だったのだ。

「……そっか」

 俺は心の底から安堵のため息をついた。

「……あんた、本当に馬鹿なんだから。一人で全部背負い込もうとして」

 クローナが俺の頭を小突く。
 その時、俺の腹がぐぅと大きな音を立てた。
 途端に部屋の空気が和らぐ。
 クローナは呆れたように笑い、アリアは「スープ、もう一つ持ってきますね」と嬉しそうに立ち上がった。

 窓の外からは、祭りの後片付けをする街の穏やかな音が聞こえてくる。
 ベッドの上で、俺は二人の少女に世話を焼かれている。
 追放された俺がようやく手に入れた温かい日常。
 俺のままならなかったスローライフは、今確かにここにあった。
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