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本編
35 社交界の薔薇(リヒトside)
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屋敷に戻ってから数日が経過した。
立て込んでいた仕事がやっと一段落したというのに、今夜はかねてより父上から言われていた社交界デビューをするために夜会に出向かなければならない。
セレスとの関係は相変わらずだ。
毎夜、抵抗するセレスを押さえつけ強引に体を重ねる──そんな日々を繰り返すうちに、ここ数日は行為を終えた後に襲ってくる罪悪感がなくなってきていることに気づいた。
以前の俺は、「どうしても思いを遂げたい」という気持ちと、「大切な人を汚してしまった」という罪悪感の間で葛藤していた。
だが、今は『愛する人との子供がほしい』という気持ちのほうが勝っていて、その罪悪感すら消え失せてしまったのだ。
俺は病気だ。自分でも自覚ができるほどに、日に日に理性が効かなくなってきている。
この病が進行すれば、いずれ自分が『心の病に侵されている』という事実すら認識できなくなってしまうのだろうか……。
そう考えながら、俺はパーティー用のフォーマルなスーツに袖を通した。
「まあ、リヒト様……本当によくお似合いですわ。想像通り……いえ、想像以上に素敵です」
隣で着替えを手伝っていたアルメルが頬に手を当て、うっとりとした表情でそう言った。
魔術研究所での泊まり込みを終えて屋敷に戻った日、アルメルは妙にそわそわして落ち着かない様子で俺を出迎えた。
寝室に生けた薔薇がどうとか言っていたので、もしかしたら、薔薇をすぐに枯らして無駄にしまったことを咎められると思ったのかもしれない。
自分で言うのもなんだが、俺は使用人であるアドレーとアルメルに対して怒ったことは一度もない。
もっとも……二人は本当によく働いてくれるし、気が利くし、主人である俺に尽くしてくれるので、わざわざ叱る必要もないのだが。
きっと、二人は俺のことを心から信頼してくれているのだろう。
だが、そんな二人に対して俺は嘘をついている。セレスとの関係は従姉弟同士だと言い張り、その上彼女は病気だと偽って監禁の手伝いをさせているのだ。
最初はセレスのことと同様、自分を信頼し慕ってくれる使用人達を騙していることに後ろめたさを感じていた。
けれども、最近は嘘をつくことにも抵抗がなくなってきている。嘘に嘘を重ね、表面上はいいマスターを演じる──そんなことを平然とやって退ける自分自身が怖い。
はっきり言って、俺は異常だ。そんなことはとっくの昔から──前世で、実の姉である千鶴を愛していることを自覚した瞬間からわかっていた。
でも、もしかしたら、「自分が怖い」と思えるうちはまだ正常なのかもしれない。
誰でもいい。俺が俺でなくなってしまう前に、どうか助けてほしい。暗い深淵に堕ちた俺を、底から救い出してほしい。
「リヒト様……? いかがなされましたか? 先程から、顔色が優れないようですが……」
「ああ、いや……気にしないでくれ。それより、この礼服はお前が見立ててくれたものなんだろう? なかなかいい趣味をしているな」
「そ、そうでしょうか……? お褒め頂き光栄です。その……今日はリヒト様が夜会に初出席される日だと伺ったので、気合いを入れて見立てたもので……」
「そうだったのか……ありがとう」
「いいえ、とんでもございません! 私は当然のことをしたまでです。主人のお役に立てないようでは、使用人は務まりませんからね」
アルメルはそう言いながら、いそいそと俺が脱いだ上着を畳み鞄を持ってきた。
「舞踏会が始まるまで、まだお時間がございますが……どうなさいますか? 少し休憩をされてから行かれるのであれば、今からお茶をお淹れ致しますが……」
「いや、いい。少し早いが、もう出発することにする」
俺はアルメルにそう返事をすると、鞄を受け取りすぐに屋敷を出た。
◆
「ええと……パーティー会場はどこにあるんだ?」
列車を下りた俺は先日届いた夜会の招待状に添えられていた地図を鞄から取り出し、独り言を零す。
こんなことを言うと贅沢だと思われそうだが、俺は舞踏会や晩餐会などといった貴族の娯楽には全く興味がない。だから正直、今夜行われる夜会に出席するのもあまり気が進まなかった。
だが、伯爵家の長男として生まれてしまった以上、やはり義務は全うしなければならない。
十五分ほど歩いていると、会場と思しき建物が見えてきた。念のため、地図と照らし合わせてみる。どうやら、この建物で間違いなさそうだ。
入り口から中に入ると、まず綺羅びやかなシャンデリアと赤い絨毯が敷かれた大階段が目に飛び込んできた。王族・貴族ご用達の大ホールだけあって、生家であるローズブレイド邸よりも豪華な内装だ。少し圧倒されてしまう。
ダンスホールに入ると、辺りにちらほらと人影が見えた。少し早すぎたかもしれないと思っていたが、そんなことはなかったようだ。
周囲を見渡していると、不意に見覚えのある姿が視界に入った。高級なドレスを身に纏った、やたら気位の高そうな令嬢が数人の令嬢に囲まれながら談笑している。
長い銀髪に、少しつり目がちな切れ長の目──間違いない、あの女はジゼル・キャンベルだ。
だいぶ性格に難がある女ではあるが、彼女だって貴族の端くれだ。この夜会に来ていたとしてもおかしくはない。
そのままジゼルを睨むように凝視していると、彼女もこちらに気づいたらしく、途端に困惑した表情を浮かべた。ジゼルは一緒にいた取り巻き達に何かを告げると、こちらに向かって歩いてきた。
「ねえ……向こうにいらっしゃる方って、リヒト様じゃないかしら?」
「まあ、本当だわ! 確か、あの若さで国王直属の宮廷魔術師を務めていらっしゃるのよね。世界でもトップクラスの魔力を持つエリートな上に、あんなに美形だなんて……はぁ、素敵だわ~」
「そうそう、素敵よね~。私、写真でしかお顔を拝見したことがなかったのだけれど……実物はさらに麗しくて失神してしまいそう!」
「ジゼル様とは、一体どういうご関係なのかしら? 気になるわ~!」
俺の存在に気づいた取り巻き達は、こちらまで聞こえる程のボリュームで黄色い声を上げていた。
何だかんだと好き放題言っているようだが……あの様子から察するに、ジゼルが俺の元縁談相手だということは知らないらしい。
「ごきげんよう、リヒト様。まさか、こんなところでお会いするなんて思ってもみませんでしたわ」
「こんばんは、ジゼル嬢。奇遇ですね。またお会いできて嬉しいです」
皮肉を込めてそう言うと、ジゼルは眉を吊り上げ、悔しそうな表情を浮かべた。だが、すぐに気を取り直し、何かを思い立ったように俺の耳元に唇を寄せてきた。
「あの件については、一切口外しておりません。ですから、どうかわたくしのことは……」
「言われなくても、わかっていますよ。約束さえ守って頂ければ、僕だってあなたの名誉を台無しにするつもりは毛頭ありませんし……」
不安そうな声音で囁いてきたジゼルに向かって、同じように耳元で囁き返す。わざわざ「約束を守っている」と報告しに来るくらいだから、余程あのことが気がかりだったのだろう。
「これも何かの縁です。せっかくだから、一曲お相手願えませんか?」
再び、圧力をかけてやろうと思った。弱みを握られている相手と踊るなんて、きっとこの上ない屈辱だろう。少し意地悪かもしれないが、彼女のような高飛車な女を服従させるにはこれくらいがちょうどいい。
「なっ……わ、わたくしと……ですか?」
「ええ。駄目でしょうか?」
周囲に意図が悟られないように、あくまで紳士的な態度でにっこりと微笑みかける。
「わ、わかりました……そのお誘い、謹んでお受けいたしますわ」
「ありがとうございます」
そんなやり取りを終え、暫くの間はお互い探り合いの会話をした。
表面上は仲睦まじく会話をしているように見えるらしく、ジゼルの取り巻き達はますます高調子になって騒ぎ立てている。
そうこうしているうちに音楽が流れ始め、舞踏会が始まった。
音楽は舞踏会の定番であるワルツだ。
俺は徐ろにジゼルの右手を取り、自分の左手を組み合わせた後、右手を彼女の左肩の後ろに添えた。すると、ジゼルもそれに応えるように渋々俺の右肩の後ろに左手を添えた。
お互いの準備が整ったことを確認し、俺とジゼルは緩やかにステップを踏み始めた。ジゼルの取り巻き達はこちらに近寄り、食い入るように俺達のダンスを眺めている。
こうやって踊っていると、セレスと一緒にダンスのレッスンを受けていた頃のことを思い出す。
彼女は前世から料理以外のことに関しては不器用だった。だから、レッスン中もいつも上手く踊れず講師を困らせていた。練習相手になっていた俺も何度足を踏まれたかわからない。でも、俺はそんなセレスが可愛くて仕方がなかった。
不器用なところも、「リヒトに迷惑をかけたくないから上手く踊れるようになりたい」と言って努力してくれるところも、全てが愛おしくて仕方がなくて……絶対、誰にも渡したくないと思った。
順調に行けば、セレスはあのまま伯爵家の令嬢として教養を積み、どこかの家に嫁いでいただろう。
でも、俺は彼女が他の男のものになるなんて耐えられない。だから、いずれにせよ何かしらの策は講じていたと思う。
「リヒト様、曲が終わりましたわよ」
あれこれと思いを巡らせているうちに、気づけば曲が終わっていた。いつまでも肩から手を退けない俺を怪訝に思ったのか、ジゼルは不思議そうに顔を覗き込んできた。
「ああ、すみません……あまりにも素敵な時間だったもので、つい余韻に浸ってしまいました。あなたと踊れてとても光栄です。ジゼル嬢」
心にもない美辞麗句を並べ立てた俺を見て、ジゼルは再び眉をぴくりと吊り上げる。
「もう、行ってもよろしいでしょうか……? わたくし、これから色々と予定がありますの」
「勿論ですよ。引き止めてしまってすみません。また機会があれば、その時はよろしくお願い致します」
「……ええ、また機会があれば」
ジゼルは小声でそう言うと、そそくさと取り巻き達のほうへ戻っていった。
その背中を見送っていると、ふと疲労を感じた。ここ数ヶ月、激務が続いていたせいか、一曲踊っただけで疲れてしまったようだ。
それにしても……近頃、やけに疲れやすい。だからといって仕事を休むわけにもいかないので、体力を上昇させるための魔法や魔法薬を使用しつつ何とか職務に励んでいたのだが、過労死をしてしまっては元も子もない。
そのため、最近は程々に手を抜くことを覚えたのだが、それでも体に相当な負担がかかっているようだ。
──仕方がないから、少し休憩するか……。
そう思いながら、俺はホールの出入り口の方に向かおうと踵を返した。
「リヒト・ローズブレイドくんだね。少しいいかな?」
突然、背後から声をかけられた。
後ろを振り向くと、漆黒の長髪と真紅の瞳を持つ長身の男が何やらこちらをじっと見据えていた。
「確かにそうですが……。あなたは一体……?」
俺が質問を投げかけるや否や、すぐそばにいた姉妹と思しき令嬢三人組が突然騒ぎ始めた。
「見て! 『社交界の薔薇』よ! クリスフェル様がおいでなさったわ!」
「本当だわ! ああ、なんて美しいのかしら……!」
「あの……お姉さま方? 『社交界の薔薇』って……?」
「そう言えば、あなたは初めて夜会に出席したから知らないのよね。あのお方は名門ラティモア公爵家のご子息で、優れた魔力と美貌と知性を兼ね備えている、それはもう素晴らしいお方なの。エーデルシュタイン王立魔術大学を主席で卒業されていて、現在は国の代表として親善大使を務められているのよ。その上、ダンスの腕前も超一流なことから通称『社交界の薔薇』と呼ばれているの。いい? こんなに間近でお目にかかれることなんて、めったにないのよ。しっかりとお姿を目に焼き付けておきなさい」
「まあ! そんなにすごいお方だったのですね……! わかりましたわ! お姉さま! 私、しっかりと目に焼き付けておきます!」
三女らしき令嬢は目をきらきらと輝かせると、『社交界の薔薇』を崇めるように熟視していた。
ラティモア家か……。名前は聞いたことがある。過去にリアンが一人も出たことがない名家らしく、つい最近「次男が親善大使に抜擢された」という内容の記事を新聞で読んだ記憶がある。すると、あの男がラティモア公爵家の次男本人なのだろうか。
「やれやれ……有名になりすぎるのも困りものだな。場所を変えよう。悪いが、付き合ってくれないか?」
クリスフェルと呼ばれた男は俺のそばまで歩いてくると、小声でそう提案してきた。
「それは構いませんけど……。あの……失礼ですが、どのようなご用件でしょうか?」
そう聞き返すと、クリスフェルはますます声を潜め俺の耳元でゆっくりと囁いた。
「今から十一年前、王都の魔術研究所で極秘に行われた『人体実験』について詳しく聞きたい──こう言えば、わかってもらえるかな」
「なっ……」
用件を囁いてきたクリスフェルの声色は酷く冷徹で、まるで何もかも見透かされているようだった。
立て込んでいた仕事がやっと一段落したというのに、今夜はかねてより父上から言われていた社交界デビューをするために夜会に出向かなければならない。
セレスとの関係は相変わらずだ。
毎夜、抵抗するセレスを押さえつけ強引に体を重ねる──そんな日々を繰り返すうちに、ここ数日は行為を終えた後に襲ってくる罪悪感がなくなってきていることに気づいた。
以前の俺は、「どうしても思いを遂げたい」という気持ちと、「大切な人を汚してしまった」という罪悪感の間で葛藤していた。
だが、今は『愛する人との子供がほしい』という気持ちのほうが勝っていて、その罪悪感すら消え失せてしまったのだ。
俺は病気だ。自分でも自覚ができるほどに、日に日に理性が効かなくなってきている。
この病が進行すれば、いずれ自分が『心の病に侵されている』という事実すら認識できなくなってしまうのだろうか……。
そう考えながら、俺はパーティー用のフォーマルなスーツに袖を通した。
「まあ、リヒト様……本当によくお似合いですわ。想像通り……いえ、想像以上に素敵です」
隣で着替えを手伝っていたアルメルが頬に手を当て、うっとりとした表情でそう言った。
魔術研究所での泊まり込みを終えて屋敷に戻った日、アルメルは妙にそわそわして落ち着かない様子で俺を出迎えた。
寝室に生けた薔薇がどうとか言っていたので、もしかしたら、薔薇をすぐに枯らして無駄にしまったことを咎められると思ったのかもしれない。
自分で言うのもなんだが、俺は使用人であるアドレーとアルメルに対して怒ったことは一度もない。
もっとも……二人は本当によく働いてくれるし、気が利くし、主人である俺に尽くしてくれるので、わざわざ叱る必要もないのだが。
きっと、二人は俺のことを心から信頼してくれているのだろう。
だが、そんな二人に対して俺は嘘をついている。セレスとの関係は従姉弟同士だと言い張り、その上彼女は病気だと偽って監禁の手伝いをさせているのだ。
最初はセレスのことと同様、自分を信頼し慕ってくれる使用人達を騙していることに後ろめたさを感じていた。
けれども、最近は嘘をつくことにも抵抗がなくなってきている。嘘に嘘を重ね、表面上はいいマスターを演じる──そんなことを平然とやって退ける自分自身が怖い。
はっきり言って、俺は異常だ。そんなことはとっくの昔から──前世で、実の姉である千鶴を愛していることを自覚した瞬間からわかっていた。
でも、もしかしたら、「自分が怖い」と思えるうちはまだ正常なのかもしれない。
誰でもいい。俺が俺でなくなってしまう前に、どうか助けてほしい。暗い深淵に堕ちた俺を、底から救い出してほしい。
「リヒト様……? いかがなされましたか? 先程から、顔色が優れないようですが……」
「ああ、いや……気にしないでくれ。それより、この礼服はお前が見立ててくれたものなんだろう? なかなかいい趣味をしているな」
「そ、そうでしょうか……? お褒め頂き光栄です。その……今日はリヒト様が夜会に初出席される日だと伺ったので、気合いを入れて見立てたもので……」
「そうだったのか……ありがとう」
「いいえ、とんでもございません! 私は当然のことをしたまでです。主人のお役に立てないようでは、使用人は務まりませんからね」
アルメルはそう言いながら、いそいそと俺が脱いだ上着を畳み鞄を持ってきた。
「舞踏会が始まるまで、まだお時間がございますが……どうなさいますか? 少し休憩をされてから行かれるのであれば、今からお茶をお淹れ致しますが……」
「いや、いい。少し早いが、もう出発することにする」
俺はアルメルにそう返事をすると、鞄を受け取りすぐに屋敷を出た。
◆
「ええと……パーティー会場はどこにあるんだ?」
列車を下りた俺は先日届いた夜会の招待状に添えられていた地図を鞄から取り出し、独り言を零す。
こんなことを言うと贅沢だと思われそうだが、俺は舞踏会や晩餐会などといった貴族の娯楽には全く興味がない。だから正直、今夜行われる夜会に出席するのもあまり気が進まなかった。
だが、伯爵家の長男として生まれてしまった以上、やはり義務は全うしなければならない。
十五分ほど歩いていると、会場と思しき建物が見えてきた。念のため、地図と照らし合わせてみる。どうやら、この建物で間違いなさそうだ。
入り口から中に入ると、まず綺羅びやかなシャンデリアと赤い絨毯が敷かれた大階段が目に飛び込んできた。王族・貴族ご用達の大ホールだけあって、生家であるローズブレイド邸よりも豪華な内装だ。少し圧倒されてしまう。
ダンスホールに入ると、辺りにちらほらと人影が見えた。少し早すぎたかもしれないと思っていたが、そんなことはなかったようだ。
周囲を見渡していると、不意に見覚えのある姿が視界に入った。高級なドレスを身に纏った、やたら気位の高そうな令嬢が数人の令嬢に囲まれながら談笑している。
長い銀髪に、少しつり目がちな切れ長の目──間違いない、あの女はジゼル・キャンベルだ。
だいぶ性格に難がある女ではあるが、彼女だって貴族の端くれだ。この夜会に来ていたとしてもおかしくはない。
そのままジゼルを睨むように凝視していると、彼女もこちらに気づいたらしく、途端に困惑した表情を浮かべた。ジゼルは一緒にいた取り巻き達に何かを告げると、こちらに向かって歩いてきた。
「ねえ……向こうにいらっしゃる方って、リヒト様じゃないかしら?」
「まあ、本当だわ! 確か、あの若さで国王直属の宮廷魔術師を務めていらっしゃるのよね。世界でもトップクラスの魔力を持つエリートな上に、あんなに美形だなんて……はぁ、素敵だわ~」
「そうそう、素敵よね~。私、写真でしかお顔を拝見したことがなかったのだけれど……実物はさらに麗しくて失神してしまいそう!」
「ジゼル様とは、一体どういうご関係なのかしら? 気になるわ~!」
俺の存在に気づいた取り巻き達は、こちらまで聞こえる程のボリュームで黄色い声を上げていた。
何だかんだと好き放題言っているようだが……あの様子から察するに、ジゼルが俺の元縁談相手だということは知らないらしい。
「ごきげんよう、リヒト様。まさか、こんなところでお会いするなんて思ってもみませんでしたわ」
「こんばんは、ジゼル嬢。奇遇ですね。またお会いできて嬉しいです」
皮肉を込めてそう言うと、ジゼルは眉を吊り上げ、悔しそうな表情を浮かべた。だが、すぐに気を取り直し、何かを思い立ったように俺の耳元に唇を寄せてきた。
「あの件については、一切口外しておりません。ですから、どうかわたくしのことは……」
「言われなくても、わかっていますよ。約束さえ守って頂ければ、僕だってあなたの名誉を台無しにするつもりは毛頭ありませんし……」
不安そうな声音で囁いてきたジゼルに向かって、同じように耳元で囁き返す。わざわざ「約束を守っている」と報告しに来るくらいだから、余程あのことが気がかりだったのだろう。
「これも何かの縁です。せっかくだから、一曲お相手願えませんか?」
再び、圧力をかけてやろうと思った。弱みを握られている相手と踊るなんて、きっとこの上ない屈辱だろう。少し意地悪かもしれないが、彼女のような高飛車な女を服従させるにはこれくらいがちょうどいい。
「なっ……わ、わたくしと……ですか?」
「ええ。駄目でしょうか?」
周囲に意図が悟られないように、あくまで紳士的な態度でにっこりと微笑みかける。
「わ、わかりました……そのお誘い、謹んでお受けいたしますわ」
「ありがとうございます」
そんなやり取りを終え、暫くの間はお互い探り合いの会話をした。
表面上は仲睦まじく会話をしているように見えるらしく、ジゼルの取り巻き達はますます高調子になって騒ぎ立てている。
そうこうしているうちに音楽が流れ始め、舞踏会が始まった。
音楽は舞踏会の定番であるワルツだ。
俺は徐ろにジゼルの右手を取り、自分の左手を組み合わせた後、右手を彼女の左肩の後ろに添えた。すると、ジゼルもそれに応えるように渋々俺の右肩の後ろに左手を添えた。
お互いの準備が整ったことを確認し、俺とジゼルは緩やかにステップを踏み始めた。ジゼルの取り巻き達はこちらに近寄り、食い入るように俺達のダンスを眺めている。
こうやって踊っていると、セレスと一緒にダンスのレッスンを受けていた頃のことを思い出す。
彼女は前世から料理以外のことに関しては不器用だった。だから、レッスン中もいつも上手く踊れず講師を困らせていた。練習相手になっていた俺も何度足を踏まれたかわからない。でも、俺はそんなセレスが可愛くて仕方がなかった。
不器用なところも、「リヒトに迷惑をかけたくないから上手く踊れるようになりたい」と言って努力してくれるところも、全てが愛おしくて仕方がなくて……絶対、誰にも渡したくないと思った。
順調に行けば、セレスはあのまま伯爵家の令嬢として教養を積み、どこかの家に嫁いでいただろう。
でも、俺は彼女が他の男のものになるなんて耐えられない。だから、いずれにせよ何かしらの策は講じていたと思う。
「リヒト様、曲が終わりましたわよ」
あれこれと思いを巡らせているうちに、気づけば曲が終わっていた。いつまでも肩から手を退けない俺を怪訝に思ったのか、ジゼルは不思議そうに顔を覗き込んできた。
「ああ、すみません……あまりにも素敵な時間だったもので、つい余韻に浸ってしまいました。あなたと踊れてとても光栄です。ジゼル嬢」
心にもない美辞麗句を並べ立てた俺を見て、ジゼルは再び眉をぴくりと吊り上げる。
「もう、行ってもよろしいでしょうか……? わたくし、これから色々と予定がありますの」
「勿論ですよ。引き止めてしまってすみません。また機会があれば、その時はよろしくお願い致します」
「……ええ、また機会があれば」
ジゼルは小声でそう言うと、そそくさと取り巻き達のほうへ戻っていった。
その背中を見送っていると、ふと疲労を感じた。ここ数ヶ月、激務が続いていたせいか、一曲踊っただけで疲れてしまったようだ。
それにしても……近頃、やけに疲れやすい。だからといって仕事を休むわけにもいかないので、体力を上昇させるための魔法や魔法薬を使用しつつ何とか職務に励んでいたのだが、過労死をしてしまっては元も子もない。
そのため、最近は程々に手を抜くことを覚えたのだが、それでも体に相当な負担がかかっているようだ。
──仕方がないから、少し休憩するか……。
そう思いながら、俺はホールの出入り口の方に向かおうと踵を返した。
「リヒト・ローズブレイドくんだね。少しいいかな?」
突然、背後から声をかけられた。
後ろを振り向くと、漆黒の長髪と真紅の瞳を持つ長身の男が何やらこちらをじっと見据えていた。
「確かにそうですが……。あなたは一体……?」
俺が質問を投げかけるや否や、すぐそばにいた姉妹と思しき令嬢三人組が突然騒ぎ始めた。
「見て! 『社交界の薔薇』よ! クリスフェル様がおいでなさったわ!」
「本当だわ! ああ、なんて美しいのかしら……!」
「あの……お姉さま方? 『社交界の薔薇』って……?」
「そう言えば、あなたは初めて夜会に出席したから知らないのよね。あのお方は名門ラティモア公爵家のご子息で、優れた魔力と美貌と知性を兼ね備えている、それはもう素晴らしいお方なの。エーデルシュタイン王立魔術大学を主席で卒業されていて、現在は国の代表として親善大使を務められているのよ。その上、ダンスの腕前も超一流なことから通称『社交界の薔薇』と呼ばれているの。いい? こんなに間近でお目にかかれることなんて、めったにないのよ。しっかりとお姿を目に焼き付けておきなさい」
「まあ! そんなにすごいお方だったのですね……! わかりましたわ! お姉さま! 私、しっかりと目に焼き付けておきます!」
三女らしき令嬢は目をきらきらと輝かせると、『社交界の薔薇』を崇めるように熟視していた。
ラティモア家か……。名前は聞いたことがある。過去にリアンが一人も出たことがない名家らしく、つい最近「次男が親善大使に抜擢された」という内容の記事を新聞で読んだ記憶がある。すると、あの男がラティモア公爵家の次男本人なのだろうか。
「やれやれ……有名になりすぎるのも困りものだな。場所を変えよう。悪いが、付き合ってくれないか?」
クリスフェルと呼ばれた男は俺のそばまで歩いてくると、小声でそう提案してきた。
「それは構いませんけど……。あの……失礼ですが、どのようなご用件でしょうか?」
そう聞き返すと、クリスフェルはますます声を潜め俺の耳元でゆっくりと囁いた。
「今から十一年前、王都の魔術研究所で極秘に行われた『人体実験』について詳しく聞きたい──こう言えば、わかってもらえるかな」
「なっ……」
用件を囁いてきたクリスフェルの声色は酷く冷徹で、まるで何もかも見透かされているようだった。
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