土方歳三ら、西南戦争に参戦す

山家

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第9章 鹿児島上陸作戦と鹿児島占領

第6話

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「本当に、我々も西郷軍にとっても、お互いに地獄のような日々ですね」
 6月に入って、北白川宮大尉が何とも言えない顔色をして、本多幸七郎少佐に言っていた。
「全くだな」
 本多少佐も同様の顔色をして、北白川宮大尉に同意した。

 既に鹿児島攻防戦が始まってから、1月程が経とうとしていた。
 政府軍は、鹿児島奪還を図る西郷軍に対して、兵力的に劣勢という現状に陥っていた。
 そのために、政府軍は増援を希求していたが、ほぼ同時期に行われた人吉攻防戦に対して、政府軍の補充等までも優先的に回されたり、まずは人吉を奪還してからという態度を、山県有朋参軍が固守したりしたために、鹿児島に政府軍の増援は結果的に送られなかった。
 川村純義参軍は、山県参軍の態度に、腸が煮えくり返る思いをしていたが、総司令官の有栖川宮は、山県参軍と同道しており、山県参軍の判断≒有栖川宮の判断という現状の前には如何ともし難かった。

 だからといって、西郷軍が鹿児島攻防戦で優位に立っていたわけではない。
 地元の鹿児島の住民の多くは、政府軍の鹿児島に対する放火戦術への反感も加わり、西郷軍の側に立っていたし、兵力的にも西郷軍は優位に立っていたが、それを補うだけの政府軍には火力と補給の優位があった。
 砲弾を1発撃つたびに、次の砲弾が無事に届くかどうか心配しないといけない西郷軍に対し、政府軍はそこまで補給の面では追い込まれてはいなかった。

(これは政府軍が、補給に苦慮していなかった、ということではない。
 政府軍も、苦慮はしている。
 だが、西郷軍に対して、その補給量は圧倒的に優位だった。
 例えば、政府軍は、苦労しながらも鹿児島防衛軍に、1日に3食食べさせていたが、西郷軍は1日2食が限界で、それも芋だけの1食も含めた上で、という惨状だったのだ)

 更に政府軍は、西郷軍に対して、火力面で圧倒的に優位に立っていた。
 1発撃たれたら、2発は撃ち返せ、という政府軍の前に、西郷軍の砲火は徐々に沈黙を強いられつつあった。

 それに対して、西郷軍は夜襲を駆使し、政府軍の火力の猛威を、減殺しようとした。
 さすがに夜襲に対しては、政府軍の火力の優位も生かせない。
 西郷軍が夜襲で鹿児島奪還を図り、1つの陣地を夜間に奪取する。
 それに対して、昼間には政府軍が奪われた陣地に対して砲撃を加えた後、歩兵を突撃させて陣地を奪還するというシーソーゲームが行われていた。

 川村参軍は、上記のような状況の中で、簡潔な命令を発した。
「政府軍は現在の陣地を死守せよ。
 反撃は増援を待ってから行う」

「死守せよ、というのは簡単ですが、故郷奪還のために奮闘する西郷軍相手には困難な戦いですね」
「全くだ。その度に多くの兵が死んでいく」
 北白川宮大尉の問いに、本多少佐は半分嘆くように答えた。

 海兵隊は、西郷軍の夜襲の度に、それに対応する部隊の一員として送り込まれている、といっても過言では無い状況に追い込まれていた。
 そして、海兵隊は奮戦の末、陣地死守に成功することもあり、失敗することもある。
 だが、その度に、海兵隊には死傷者が続出しているのだ。
 実際、北白川宮大尉までが、かすり傷とはいえ戦傷を負う惨状なのだ。
 懐良親王以来の名誉の戦傷、と北白川宮大尉は笑ったが、本多少佐は背中に冷や汗をかいた。

 かといって、政府軍にとって陣地を放棄しての退却は論外だった。
 6月上旬現在、鹿児島にいる政府軍は、鹿児島のみを確保していると言っても過言ではない。
 退却できる余地が、政府軍にはないのだった。
 従って、陣地を死守するしかない。

「1日でも早く増援が来ないと崩壊するぞ」
 本多少佐は、海兵隊を始めとする政府軍の現状に、焦慮の念をひたすら抱く有様だった。
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