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第2章・楡森屋敷の人々
楡森屋敷とメイド長
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ここで少し、「楡森屋敷」に着いたときのことを書いておこう。
楡森屋敷のある伯爵領は、王都から西へ汽車で数時間、更に馬車で一時間ほどのところにある。
汽車の駅の前には屋敷の馬車が迎えが来てくれていた。西部地方も、一人でのこんな長距離の汽車移動も初めてだったが、迎えの二輪馬車はぴかぴかに磨き上げられていたし、御者さんも親切で感じがよかった。座席も清潔で、上等な布張りのクッションはふかふかだった。屋敷までの田舎道は都会のように全面石畳とはいかなかったが、砂利を入れて丁寧に踏み固められているらしく、思いのほか乗り心地は良好だった。
広大な牧草地と、名前の由来である楡の木立の向こうに見えてきた屋敷は、白石の壁が眩しい壮麗な建物だった。
馬車は刈り込まれた長い生け垣の間を抜け、屋敷正面の車寄せへ——は、入らずに、東翼を回り込む道から裏口に着いた。
まあ一応使用人として呼ばれてるわけだから、これは当然の扱いであろう。近いうちに正面の庭園と玄関もちゃんと見たいな、と思ったが、ここはお行儀よく我慢だ。
これまで勤めていた子爵家も割と裕福な方だったが、エストコート伯爵家は水運業や毛織物事業に成功している富豪と聞いていた。馬車を降り、荷物を運んでくれるのを待ちながら、屋敷裏側の意匠と戸口周りを眺めて、なるほど上級貴族でお金持ちはこういうところにお金と手間をかけるのね、と感心していた。裏口ながら清潔に片付いていて、台所仕事の痕跡や塵・不用品が出されている様子もなかったのだ。
割と立派なお屋敷でも、裏口は結構雑然としているものだが、ここはその辺りも厳しいお屋敷なんだろうか? あるいは、まさか、日頃ほとんど使われない入り口にこっそり連れて来られた——?
「キャサリン・デュー?」
あたしの不穏な想像はドアから出てきた女性の言葉で遮られた。
おや美人——と、目を見張ったが、整った顔立ちよりも、硬質の表情の印象が強かった。明るい茶色の瞳に、黒に近い褐色の髪をきっちり結い上げ、襟元の詰まった黒服に、真っ白なエプロンとキャップを着けている。
「——違ったかしら? 電報にあった汽車の到着時間に迎えに出てもらったのだけど」
「いえっ、合ってます! キャサリンです!」
「無事の到着何より。お入りなさい。
私はメイド長のメアリ・レインズ。家政婦のドライバー夫人が中でお待ちです。」
あたしを招き入れて案内しながらも、メイド長の顔は仮面のように動かない。説明する声も淡々としていた。
このときあたしは、初対面から何か気に障ったかしら、と不安になったのだが、後にだんだん分かってきた。どうやらメイド長は、常にこういう人なのだ。にこりともせず、お愛想など人生に不要、といった様子で。
「ああ、それから——『花嫁選抜』のことはあまり口外しないように」
「は」
「ここでそのことを知っているのは今のところ、私とドライバー夫人、執事のベンソン氏と侍従のアンダーソン氏、だけなので。他の使用人や、村から来る出入り業者などには、知られないほうが良いでしょう。
ここの使用人達も躾は行き届いている方だけど、田舎のことで皆退屈していますからね。噂話に飢えている、というところはある。それに今回の計画は、あまり普通ではないやり方ですから」
「はあ……」
そういうのは覚えがある。前の屋敷でもそうだった。色恋関係、まして主人との身分違いの、なんて、使用人部屋の格好の話題だろう。
でも気をつけたってこんなの、いずれ知られちゃうんじゃないかな。いや変な噂流されたくはないけど。
そこでふと、気がついた。「躾の行き届いた」使用人に加わる新人メイドが、主人とどうこうなることを許す、なんて、このメイド長としてはどうなんだろう。普通なら許されない「ふしだら」な行為じゃないのか?
それとも、「花嫁選抜」の候補に限って目をつぶる、ということ?
勿論そんなこと、このメイド長に訊けるわけもなかったのだが。
楡森屋敷のある伯爵領は、王都から西へ汽車で数時間、更に馬車で一時間ほどのところにある。
汽車の駅の前には屋敷の馬車が迎えが来てくれていた。西部地方も、一人でのこんな長距離の汽車移動も初めてだったが、迎えの二輪馬車はぴかぴかに磨き上げられていたし、御者さんも親切で感じがよかった。座席も清潔で、上等な布張りのクッションはふかふかだった。屋敷までの田舎道は都会のように全面石畳とはいかなかったが、砂利を入れて丁寧に踏み固められているらしく、思いのほか乗り心地は良好だった。
広大な牧草地と、名前の由来である楡の木立の向こうに見えてきた屋敷は、白石の壁が眩しい壮麗な建物だった。
馬車は刈り込まれた長い生け垣の間を抜け、屋敷正面の車寄せへ——は、入らずに、東翼を回り込む道から裏口に着いた。
まあ一応使用人として呼ばれてるわけだから、これは当然の扱いであろう。近いうちに正面の庭園と玄関もちゃんと見たいな、と思ったが、ここはお行儀よく我慢だ。
これまで勤めていた子爵家も割と裕福な方だったが、エストコート伯爵家は水運業や毛織物事業に成功している富豪と聞いていた。馬車を降り、荷物を運んでくれるのを待ちながら、屋敷裏側の意匠と戸口周りを眺めて、なるほど上級貴族でお金持ちはこういうところにお金と手間をかけるのね、と感心していた。裏口ながら清潔に片付いていて、台所仕事の痕跡や塵・不用品が出されている様子もなかったのだ。
割と立派なお屋敷でも、裏口は結構雑然としているものだが、ここはその辺りも厳しいお屋敷なんだろうか? あるいは、まさか、日頃ほとんど使われない入り口にこっそり連れて来られた——?
「キャサリン・デュー?」
あたしの不穏な想像はドアから出てきた女性の言葉で遮られた。
おや美人——と、目を見張ったが、整った顔立ちよりも、硬質の表情の印象が強かった。明るい茶色の瞳に、黒に近い褐色の髪をきっちり結い上げ、襟元の詰まった黒服に、真っ白なエプロンとキャップを着けている。
「——違ったかしら? 電報にあった汽車の到着時間に迎えに出てもらったのだけど」
「いえっ、合ってます! キャサリンです!」
「無事の到着何より。お入りなさい。
私はメイド長のメアリ・レインズ。家政婦のドライバー夫人が中でお待ちです。」
あたしを招き入れて案内しながらも、メイド長の顔は仮面のように動かない。説明する声も淡々としていた。
このときあたしは、初対面から何か気に障ったかしら、と不安になったのだが、後にだんだん分かってきた。どうやらメイド長は、常にこういう人なのだ。にこりともせず、お愛想など人生に不要、といった様子で。
「ああ、それから——『花嫁選抜』のことはあまり口外しないように」
「は」
「ここでそのことを知っているのは今のところ、私とドライバー夫人、執事のベンソン氏と侍従のアンダーソン氏、だけなので。他の使用人や、村から来る出入り業者などには、知られないほうが良いでしょう。
ここの使用人達も躾は行き届いている方だけど、田舎のことで皆退屈していますからね。噂話に飢えている、というところはある。それに今回の計画は、あまり普通ではないやり方ですから」
「はあ……」
そういうのは覚えがある。前の屋敷でもそうだった。色恋関係、まして主人との身分違いの、なんて、使用人部屋の格好の話題だろう。
でも気をつけたってこんなの、いずれ知られちゃうんじゃないかな。いや変な噂流されたくはないけど。
そこでふと、気がついた。「躾の行き届いた」使用人に加わる新人メイドが、主人とどうこうなることを許す、なんて、このメイド長としてはどうなんだろう。普通なら許されない「ふしだら」な行為じゃないのか?
それとも、「花嫁選抜」の候補に限って目をつぶる、ということ?
勿論そんなこと、このメイド長に訊けるわけもなかったのだが。
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