堕ちる犬

四ノ瀬 了

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精神性まで犬に落ちぶれて哀れだな。

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廊下の窓を開け、縁に腕をかけて風に当たっていた。美里の視線の先、空の高いところを鳥が一羽旋回しながら飛んでいた。背後でドアの開く音がして、川名の部屋の太陽の香りが漂った。

すぐそばに気配を感じて振り向いた。北条だった。無視しようかと思ったが、彼らが霧野に対してどんな感想を言うのか気になった。川名にただ立たされているだけなのか、何かされているのか。
北条の背後で、久瀬がほとんど感情のない顔で北条の背中を見てから、そのまま美里の方に視線を動かした。黙ってろよという意味だろう。言われなくてもそうする。

「中の彼はなんだ。」
北条は茶化した様子で言ったが、どこか声色が真剣みを帯びていて笑えた。霧野がどういう状態で中にいるかは知らないが、何か見てはいけない物を見たようだ。
「俺に聞かないで下さいよ。知ってて、言うわけねぇでしょ。」

北条は笑っていたが、後ろ手八代が見下すような目をしてこちらを睨んでいた。人を軽蔑しきった表情は、時に霧野がする表情と重なったが、全くつまらないと思った。美しくも、迫力もない。八代が霧野の代わりに来ていたとして、対等に接そうとは思えないだろう。八代の方をじっと見ながら言った。

「川名さんいないとこで、こそこそと嗅ぎ回って相変わらず汚い。下品でがめつくてその癖いつまでも自分が正しい、正義だと意地を張るんだから、馬鹿なんだよ。嗚呼、本当に嫌だね、大嫌いです。」

久瀬が一瞬自分の顔を手で覆ってから剥がした。外れた手の下の表情には、笑っていた名残があった。
「あまり失礼なこと言うな、美里。北条さん達もこれ以上無駄に首突っ込まんでくださいよ、ね。さ、行きましょう。」

彼らが階段を下っていくのを見送る。八代に向かって小さく手を振ってやると、あからさまに嫌な顔をしていた。まだ、霧野が中から出てくる様子が無い。

霧野を地下から地上に連れ出した際、わざと事務所の中を遠回りして歩いた。彼は何も言わず黙ってついては来る。昨日の二条の責めが効きすぎたのか、外に出るからと言う理由をつけて身体を外から中まで丁寧に洗ってやったせいなのか、身体の多重の戒めに耐えられないのか、顔面蒼白、見るに耐えない表情をしていた。視線を避けるように軽く伏せられた目に覇気が無い。

「さっきから、そんなに息を荒げてたら不審がられるだろ。ちょっとは考えろよ。馬鹿なのか?」
「……」
霧野は足を止めて顔を上げるとムッとした顔をしてこちらを見据えた。いくらムッとしようと潤んだ目元には全く迫力がなく憐れで仕方がない。食いしばられた歯の奥から今にも唸り声を上げそうだ。

「なんだ?『お前のせいだ』とでも言いたいか。」
「……」

頑なに霧野が口を開かないが、話したそうな表情はしていた。なんだと思ってそのままじっと見ていると羞恥からなのか、少しだけ顔に人間らしい色が戻ってきた。彼は地下から出ても健気に美里の前で人の言葉を許可なく話さないようにしているようだった。
「ああ。そういうこと。律義に俺の言いつけを守ってるわけ、えらいじゃないか。いいよ別に、しゃべりたきゃ普通にしゃべれば?」
「……」
霧野は声の出し方を忘れたかのように、口を何度が小さくあけてから、俯いて小さく声を出した。
「……もっと、ゆっくり、歩いてくれないか…」
声には息が混ざって、事務所の中で一人だけ登山でもしている風情だった。
「なるほど?その醜態をもっとゆっくり他の奴らの前で晒して見てもらいたいというわけだな。お前もいよいよ変態になったな。」
「……」
「また喋れなくなったか?いいんだぜ、立ってるのが辛いなら、いつもみたく床這って歩いたってな。さんざん練習させたもんな。練習しすぎて二足歩行の仕方を忘れたか?犬。」

弱ってはいるが、今度は軽く棘のある視線が美里の方を向いていた。何か言おうか迷っているようだった。

「言いたいことがあるならはっきり言っておけよ。口数の減らないお前のことだ、いつ上の気分で声帯ぶち壊されるかわからんからな。別に喋れなくてもできる仕事はたくさんあるしな。」
脅しも兼ねて煽ってやると彼は眉をしかめ、口を大きく開いた。
「……よくも次から次へと、悪趣味で、つまんない冗談言えるよな、誰かに教わったのか?」
「……。」
どんどんとはっきりとした口調になっていく霧野を美里は呆気に取られて見ていた。
「つまらんいじめがうまい奴はな、同じようなことを、誰かにされてるんだ、どうせ、散々虐められたんだろ、お前、」
彼は笑顔を作ろうとしてる節さえあったが、強張ってしまい無理していることがわかる。無理を顔に出さないところを美徳と思っている彼が。美里はその表情の淫靡さを指摘せず、敢えて黙って観察していた。指摘してこの顔が見られなくなるのもつまらないと思ったからで、その顔で何を言われようが全く心に響いてこず、寧ろ見る相手にむらむらとした気分を与えるだろう。
「……、はぁ、そんだけか?多少言うこと聞けるようになってきて感心してたが、相変わらずお前は可愛げがないよ。」

美里はポケットの中に手を入れて、手に収まる程度の機械の突起を指で軽く押した。彼はこちらを一瞬驚いたような表情で見たと思うと、たちまち手を口にあてて声を抑えてまた目線を下げた。

「はあ?雑魚過ぎない?」

機械の振動や強さを調整して遊んでいると、ついに壁に手をついてその場にしゃがみ込んでしまった。軽く声を出して震えている。二条が趣味の悪い理解できない物を彼にいれていたが、それが時折、彼の悲鳴の代わりに場違いな可愛らしい音を出していて、なかなかに面白かった。

「おい霧野、さっきの威勢はどうしたよ。大口叩いておいてこんなぬるい刺激、『つまらんいじめ』にも耐えられないわけないよな?自分の身体がどれほど開発されたか、自覚してないからそうなるんだよ、馬鹿が。もう以前のお前じゃないんだぜ。」
「う゛うっ……」
「身体が跳ねてるじゃねぇか。」

そのまま様子を見下げていると、時たまこちらを憎たらし気な目つきでみあげてくる。足で尻のあたりをぐっと押し込むようにすると、顔をさらに赤らめて悔しそうな顔で視線を下げた。

「おいおい、いつまでもしゃがみ込んで、何してる。トイレか~?精神性まで犬に落ちぶれて哀れだな~。人の格好してる時はせめてトイレに行きたいとかなんとか言ったらどうだ。だめだろ、そんなとこでウンコをしては。」
「ちが……っ、……」
「何が違うんだよ?散々人の目の前で粗相をしておいて、どう見てもいつもお前が排泄してる時の姿勢じゃないか。」
「……、……」
「顔を紅くして、いきんでんのか?だからそこでしたらダメだって言ってんだよ。物覚えの悪い犬め。後で、排泄の仕方を一から練習させてやるからな。早く立て。誰か来たらどう説明する気だよ。俺は黙ってるし、止める気もないからな。いつまでもイキった口ききやがって。」

霧野は頭を伏せしばらくしゃがみこんでいた。しかし誰かの靴音が明らかにこちらに向かってきているのを感じ、深いため息の様な荒い呼吸を何度か繰り返してから再びゆっくり立ちあがり、壁から手を離した。振動に身体が多少慣れたようだが、息がさらに上がってしまって明らかに不自然だ。何人かが怪訝な顔をして彼らの側を通り過ぎていく。

「澤野さん、おはようございます。」
たまたま通りかかった綾瀬だった。
「最近忙しいんです?また事務所であんまり見なくなって寂しいです。最近はどこで、何をしてたんです?」
綾瀬が無垢な調子で霧野の痛いところをぐさぐさとついていくのを美里は面白がって見ていた。

「ああ……」

霧野は必死で回答を作っていたが何も湧き上がってこず、考えれば考えるほど状況の異常さと羞恥で高まり、股間がじんじんと痛みを覚え始めた。悲鳴をあげそうになるのをこらえると、かいたことがない量の脂汗がだらだらと背中をつたう。虚勢をはろうとすればするほどに、自分のダサさ惨めさに余計に頭をかき乱される。人に見つめられても普段ならどうということもないのに、脈拍がどんどん高くなる。

「ああ……、じゃないよ。続きは?どうしちゃったんだ?呆けた顔して。どこで何してたか答えてやれよ。」
美里の声と共に霧野の中でごりごりと振動する物体が肉壁を擦りあげ、筋肉が反応するたびに、性感帯を中心とした縄の戒めが身体を刺激した。羞恥で満たされた身体に酷な刺激であった。視界がゆがみ、とても人と目を合わせられる状態じゃない。漏れ出そうな声を抑えるだけで必死だ。
「……、……」
美里を横目で見ると彼は嫌な笑い方をしてじっと霧野を見ていたが、助け舟を出すように視線を霧野から綾瀬に向けて口を開いた。

「すまんな、澤野は例のごとく寝不足で死にそうなんだ。ちょうど今仕事が佳境で、馬車馬のように働かされてるからな。神経も身体も使う大変な仕事だ。普通の人間では三日で壊れるのが相場。適合者にしかできん仕事だな。」

綾瀬は美里の言葉の意味を疑わず、素直に受け取ったようで「大変ですね」と同情めいた様子で言った。

「お疲れ様です。何か手伝えることがあれば、何でも手伝いますから。」
霧野が多少ほっとして美里の方を見ると、彼は霧野の方に向き直った。その表情にはまだ悪意がはりついていた。

「そう?じゃあ、こいつ息が上がって暑そうだろ。ワイシャツのボタン外してやれよ、ここで。それさえも今の澤野には重労働だから。」

ふざけんなよ!と口まで出かかる霧野だったがそんなことを言えば、もっとひどい目に遭うのは明白であった。
その時、別の組員数人もちょうどその場を通りかかり、遠目に様子を見始めた。喧嘩や揉め事が始まりかける気配には皆人一倍敏感なのだった。人が来る前に場を納めなければ。

「……あつくなんかない」
「嘘をつくなよ、じゃあ何でそんなにお前ひとりだけ息があがってんだよ?」

このまま美里のペースに巻き込まれては、綾瀬や他の組員の信用まで失ってしまう。数が増えれば増えるほど、やっかい、取り返しのつかないことになる。美里を無視し、霧野は右手で隠すようにしながら左手の小指の爪をはがすような仕草で思い切り力を入れた。壮絶な痛みと熱が左手の小指に拡がり、その瞬間だけ、局所的な痛みによって頭がスッキリする。痛みで紛らわせるのだ。霧野は綾瀬の方をじっと見て、はっきりした圧のある口調で言った。

「綾瀬、いいから仕事に戻れよ、俺にかまうな。お前も、忙しいだろ。」

綾瀬は特段怪しむ様子も無く「わかりました。すみません、お時間とらせて、無理だけはなさらずに。」と言ってその場を去っていった。彼の背中を見、左手から右手を剥がすと、小指の爪が半分はがれて軽く出血して震えていた。美里に隠すようにして、血を衣服で拭い手を隠した。

「あーあ、つまんねぇ。身体触らせてやりたかったのに。」
「……。」

そういいつつも、美里は今の霧野に対してたいした苛立ちは起きず、遊びたがっている犬が投げたボールを咥えて目の前に持ってきた時と同じような感覚がしていた。思わず優しい笑みがこぼれくる。自然に笑えることなどあまりないから、不思議な気分だ。彼が意識にせよ無意識せよ計算してやっているのではないかと勘ぐってしまう。まるで、美里が応えてくれるのをまるで待っているかのような。ゲーム性の高いコミュニケーションをしている気分だ。

「部屋に着くまでそのまましておいてやるから頑張れよ。」

ふらついている霧野に前を歩かせ、自らの脚で川名の部屋まで向かわせた。後ろから見ていると彼の反応がよくわかる。ポケットの中で振動を強めたり弱めたり、動き方を変えたりすると、時折刺激が良い具合に刺さるのか足を止めて、階段を上っている時などこちらをすさまじい形相で見降ろしてくるのだった。

「おお、元気出てきたな~、よかったよかった。さっきまでまるで死人みたいな顔してたからな。いい顔色してるよ。」

川名の部屋の前まで来て、ようやくスイッチを止めた。霧野は息を整えながら、淫靡な、まるで事後の様な表情をして廊下の壁の方を見て突っ立っていた。他の組員が何人か廊下にいたが、あまりの異様さに揶揄う以前に気味が悪いらしく、挨拶もせずに避けるようにして霧野から遠ざかっていた。あれではマトモな受け答えもできまい。

その異常な状態の彼を川名の前においてきたのだ。頭の中が淫蕩に浸された状態の霧野では、普段の彼ならしないようなミス、聞き間違い、命令を忘れる、普段以上に感じ入るなどの粗相を川名の目の前でして、いたぶられていることだろう。いい気味だ。その様子を想像しているだけで、良い暇つぶしになる。

彼が自分一人で何も出来ない無能に成り果てているのを見るとなんとも言えない優越感と庇護欲に駆られる。
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