君の手は心も癒す 〜マザコン騎士は天使に傅く〜

嘉多山瑞菜

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50 浅慮

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 暗く沈んだ意識が、響く怒声とズキズキするような鈍痛とともに浮上する。
ううっ、と意識せず痛みによる呻き声が漏れてしまう自分に気づきながら、サブリナは静かに目を開けた。

「——————ッ!」

 お父様!と叫んだ筈だったが、その声は唾液とともに噛まされた猿轡に吸い取られてしまう。
昔の辺境騎士の使われていない詰所の一つなのだろう。殺風景ながらんとした部屋の土間にサブリナは両手足を縄で縛られ、床に座らされていた。
そして、目の前では椅子に縛られた状態で座らされているモントクレイユ男爵がいる。
最後に目に入った屈強な男達が、傍らに立っていた。

「・・・気づいたか」
「っ?!」

 頭上から、覚えのある声が聞こえてきて、サブリナは、まさか、と思いながら顔を上げた。
そこにはふてぶてしいまでに、嘲笑めいた表情を浮かべている男——元婚約者だったハリス・カルディアがいた。
彼はお得意のヘラヘラした下卑た笑みを浮かべながら、サブリナの猿轡を外す。

 一気に空気が肺にはいってきて、咽せながらも男を見上げて睨みつける。

「ハリスっ!!こんなことして、タダじゃ済まないっ!自分が何してるのか分かってるの!?」
「男爵だけかと思ったら、お前まで付いてたとはな、好都合だ」

 ハリスはサブリナの前に片膝をつくと、ぐいっと短くなったサブリナの髪を掴み上げ、視線を合わせる。

「はっ!男のフリしてまで、ここに居るとはお偉いことだな」

 嘲けるような表情の昔の婚約者を、怒りを込めてキツく見返すが、ハリスはヘラヘラしたままだ。

「男爵を死なせたくなかったら、水銀とアヘンの精製方法を吐け」
「この裏切り者っ!エントレイへ売るつもり?それともジェラール?貴方は我が国を裏切っているのね」

 やはり、と思う。彼はとっくに愛国心を無くし、エントレイ王国とジェラール帝国に寝返っていたのだ。

「はっ!この国のどこに忠臣を誓う必要があるっ?!俺から何もかも奪いやがって」
「貴方が法を犯すからでしょっ!お父上のカルディア子爵様のような堅実な領地経営を放り出してっ!恥ずかしくないのっ!!」
「黙れっ!!黙れっ!!このクソあまっ!!」

 非難の言葉にプライドを傷つけられたのか、ハリスが顔を真っ赤にして、手を振り上げる。バシッと鋭い痛みが頬を走り、ズキズキと痛むが、サブリナはハリスをキッと睨みつけた。その視線の奥で、やはり猿轡を嵌められたモントクレイユ男爵が強い視線で、サブリナ達の様子を見ている。
サブリナが目を覚ます前に、同じやりとりがあったのだろう。男爵の目尻からは切れているのだろう血が流れており、赤黒く腫れ始めていた。

 だがそんな父の状態にも怯まず、サブリナは唇をぐっと噛み締めた。
卑怯な輩に負けはしない。一歩たりともひいたりしないのだ、モントクレイユの人間は。

「どうせ、この国はもうじき終わりさ。ジェラール帝国に攻められて消される。今回はマカレーナも裏切って、ジェラール帝国をブラックウッドに手引きした。勝ち目はない」
「なんですって?!まさか、マカレーナ侯爵様が?」

 マカレーナ侯爵が裏切ったと聞いて、さすがにサブリナは目を見開いた。エブリスティがジェラール皇帝の側室に差し出されているが、そのせいで寝返ったのだろうか・・・この国で百年の歴史を誇り王家に忠誠を使った侯爵家であるのに・・・。

 思わぬ情報に驚き、黙り込んだサブリナに、下卑た笑いを見せたままハリスは続けた。

「いいか、素直に言え。ジェラールはお前達が隠し持っている水銀とアヘンの情報を熱望している。そいつがあれば、エントレイだけじゃない。ジェラールの皇帝も、俺にジェラールでの地位も名誉も金も約束してるんだ」
「やっぱりジェラールとも通じてたのね。誰が言うものですか」

 叩かれて腫れ始めた頬を、ハリスはわざと痛みを与えるように掴んで捻る。

「そんな強情、いつまではれる?父親が拷問されて死ぬのを見たいのか」
「なんですって?!」
「おいっ!!」

 ハリスが男爵を囲む男達に声を掛けると、一人の男が、男爵の顔を握り拳で殴りつけた。

「ぐあっ!」
「お父様っ!!」

 口が切れたのか、猿轡の端から血飛沫が飛び散る。

「なんて卑劣なことを」

 睨みつけるサブリナの顔を、さもおかしげに眺めながらハリスは得意げに続ける。

「素直に吐けばお前達は殺さずにジェラールへの手土産にしてやる。あっちもモントクレイユの薬草の精製技術を喉から手が出るほど欲しがってるからな」
「そんな脅しには屈しない」

 サブリナの返答に、ハリスはふんっと鼻先でせせら笑う。

「モントクレイユは取引きはしない、だったな。そのせいでお前は父親に見捨てられた。奴隷にまで身を落とし傷物になったくせに、まだそのくだらぬ矜持にしがみつくのか。バカバカしい」
「何も矜持がない貴方に言われる筋合いはないわ」

 そう言うと、ハリスはまたカッと顔を赤くする。卑小な男だがプライドだけは高い。馬鹿にされるのは嫌いな上、沸点は限りなく低い小物だ。

「お前をここで、この男達に輪姦させてやってもいいが、この冷徹な男爵様には通じないだろうな、だからお前が吐け」
「貴方に言うことなどなにもない」

 たとえ拷問を受けようとも、モントクレイユの宝を悪魔に売り渡したりはしない。

「素直に男爵が取引きに応じてれば、今さらこんなことをする必要はなかった。せっかく、あの時うまくお膳立てしたのに、お前が攫われたりするから、全ての計画が狂った」

 ハリスが忌々しげに言った言葉にサブリナは、もしや、と瞳を眇めた。
いつの頃からかモントクレイユの薬草に執着しだしたハリス。

 何度か疑ったことはある、だが幼い頃からの付き合いが、その疑いをずっとサブリナに持たせることを躊躇わせていた。

「あの誘拐・・・貴方が仕組んだのね」
「ご名答、ハハッ!」

 今頃気づいたかと、馬鹿にしたような嘲笑を浮かべ、昔の婚約者だった男は得意げに語り出す。

「モントクレイユが取引きに応じないのは分かっていたから、本当はエディを拐わせ、取引きに応じないのを見越して、奴を殺す予定だった。そうすりゃ、後継がいなくなったモントクレイユに俺がお前の夫として入り込めたからな。お前と結婚してモントクレイユをカルディアに従属させるつもりだったのさ」
「なんてことを・・・」

 そんな恐ろしいことを考えていたことに、ゾッとする。エディと3人、幼い時から仲良く育ってきたはずなのに。彼はどうしてこんなにも変わってしまったのだろう。

「双子は忌々しい。間違ってお前が誘拐されて、しかも生き残った。あいつらは始末するって言ってたのに、辺境騎士団に見つかってしまった。まあ、その失敗のおかげでアラガンド男爵には恩を売れたがな」
「アラガンド男爵もグルだったのね」

 ハリスの義理の父、アラガンド男爵とあの頃からお金がらみで繋がっていたから、彼は良いように利用されてもいたのだろう、否、お互いに利用し合っていたのか。
あの時のことが全て明らかになったが、もうサブリナにとっては過去はどうでも良いことだ。

 サブリナはチラリと外を伺った。遠くで交戦の砲撃音が続いている。音は大きく立て続けに鳴り響いている。刻々と情勢はかわっているのだろうか。城門はまだ破られていないようだが、分からない。
敵がなだれ込んでくれば、逃げようもないし、自分たちはどちらにしろ敵国の捕虜にされるだろう。
助けを待つと言っても、この状況下でベッセル達がモントクレイユ男爵とサブリナの異変に気づくのは難しい。

 どうするか?
サブリナは目の前の男を通り越して、父の方を見た。
モントクレイユ男爵は静かな瞳で、娘を見つめている。サブリナはその目を見て、ハッとした。

「ハリス、あなたが何度も言っているように、私たちは取引きには応じない。何をされてもね」
「はっ!父親が目の前で拷問されてもか?」

 ギラギラした目でハリスはモントクレイユ男爵に向けて顎をしゃくる。

「そうだな、まずは爪を一枚づつ剥がして、その後で指を一本づつへし折り、施術ができないようにしてやる。使い物にならないなら切り落としたっていい。それから耳と鼻を削いでいくのも良いな。お前がそんな父親の姿にどこまで耐えられる?ああ?」
「やれば良い」

 揺るぎなくきっぱりとしたサブリナの言葉にハリスが文字通り吠え叫んだ。

「なんだとおっ!!!!!!強がりを言うなっ!!」

 どこまでも強情なサブリナに切れたハリスは、控えていた男達に「やれっ!」と声をかける。
一人の男がモントクレイユ男爵の手を取り上げる。見せつけるように男爵の指にナイフを当てた時。

「ハリス、あなたは浅はかだわ」
「何っ!」

 冷静な目で彼を見つめ、サブリナは続ける。

「私たちはモントクレイユの人間。あらゆる薬草に精通している、もちろん毒もね」
「どう言うことだ?」

 彼女の冴え冴えとした表情に、ハリスは一瞬怯えたような表情をする。サブリナはその顔を見逃さなかった。彼の性根は弱虫だ。

「私達は取引きに応じない。いざと言う時のために、自分に毒を仕込んでいる。モントクレイユの決まりよ。あなたの脅しに屈するくらいなら、そして拷問を受けるくらいなら、今すぐお父様も私も自分の命は絶つ」
「なんだとっ?!」

 サブリナはフッと微笑んだ。

「私達が死ねば、あなたは手ぶらね。エントレイへもジェラールへも約束を果たせない」
「俺を騙そうたって・・・」

 彼の瞳が気弱に揺れる。

「こんな状況で、あなたを騙したって私達には利はない。嬲り殺されるしか先はないでしょうから。モントクレイユにはエディがいる。私も父も必要はないわ」

 真っ直ぐに見返される瞳に、ハリスがたじろいだ。

「ジェラール帝国になんて言い訳するの?あなたは私達の代わりをどうするのか考えた方が良いんじゃない」

 ふふふと笑うサブリナにハリスはくそっ!!と叫ぶと、手を振り上げた。

「殴ればいい。次にお父様と私に手を触れたら、その時は死ぬわよ」

 振り上げた手が、ぶるぶる震えながら弱々しく下げられていく。

 その時だった。
ドーンっ!と耳をつんざくような爆発音が鳴り響き、詰所の壁がビリビリと揺れ動く。

「うわぁっ!」

 立っていたハリスや男達が衝撃に慄き、地面に蹲ったのを見計らったかのように、部屋の扉がどかっと蹴り破られた。

「サブリナっ!!!!」

 自分を呼ぶ声に、サブリナはまさか、と眼を見開いた。
なだれ込んで来た数人の騎士達、何人かは戦闘中だったのか、甲冑を身につけている。
彼らは次々とハリスや仲間の男達を簡単に取り押さえていった。
その先頭にランドルフがいて大だち周りを繰り広げているのを、サブリナは現実感なくぼんやりと見つめてしまっていた。

 ほどなく全員が捕縛され、男爵の縄が解かれはじめると、その騒ぎから離れた一人の騎士が目の前で片膝をつく。
ガチャんと甲冑の鳴る音がして、サブリナは肩を震わせた。

 信じられない思いのまま、彼の顔を見て涙が溢れてくる。

「どうして・・・?」
「遅くなってすまなかった・・・」

 腫れ上がった頬にそっと手を触れ、痛ましげに瞳を眇める。涙を親指で拭われて、でも次々に溢れていってしまう。

 何度も焦がれ、夢に見た黒曜石のように煌めく漆黒の瞳が真っ直ぐに自分を見つめていて。 

 そっと手を離すと彼は、足首の戒めを解き、後ろ手に縛られた縄も外していく。
きつく縛られたせいで擦れて赤黒くなっている跡を手に取って、眉間に皺を寄せた。

「また・・・ここも傷になって・・・」

 痛いだろ、そう言いながら彼が、そこに唇を寄せていくのを、どこか人ごとのように見つめながら、やっとサブリナはその名を口にした。

「・・・オーランド様・・・」
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