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49 戦火
しおりを挟むアテナス城に戻ったのは、夜も更けた頃だった。普段なら、人が多い城内だが、今は不気味なほど静まり返っている。
城を囲む城壁に騎士たちが配置されているはずだが、どういうわけか気配は感じられない。
「静かだな、まだこっちまで、侵攻されてねぇな」
ランドルフも同じことを感じたようだ。
「そうみたいですね。良かった、間に合ったわ」
戦いが始まる前に城に戻れたことに安堵しながら、ランドルフの言葉に頷く。
「施療院に戻るのか?」
「はい、騎士様達は城壁に配置されています。ということは、やはりここでの戦いになるのでしょう。父の話では、ガーランド閣下はアテナスまで敵を引き寄せて戦うとのこでした。そうであれば、負傷者は施療院と看護棟に運び込まれるようになっていますので」
「分かった、じゃ俺も一緒に行く」
ランドルフの意外な言葉に、え?とサブリナは首を傾げた。
「持ち場に戻らなくてよろしいのですか?私はもう大丈夫です。戦いの準備があるのでは?」
そう聞くと、なぜかランドルフは耳を赤くした。
「今のところ、俺の任務はあんたの護衛だ。ここに戻ったからといって、その任が解かれたわけじゃない」
そんなはずはない。彼は辺境騎士団の騎士だ。最大の危機を前にして看護人の護衛なんかをしてる暇はないはずだ。一人だって戦力は無駄にできない。
なんだか不自然な理由にサブリナが眉間に皺を寄せると、ランドルフがなんだよ、とムキな顔をして見下ろしてくる。
「とにかくっ!!施療院に戻るぞっ!!ここで無駄口叩いてる暇はねぇ」
早口で彼がそう言った時だった。
——— ブォーンブォーンと、ラッパの音が闇を切り裂くように鳴り響く。
敵襲の警報音だ。
次の瞬間、闇夜にシュッと言う幾つもの音とともに、照明用の火が立ち上っていき、城壁の遥か遠くが明るく光るのが目に入った。
ハッと二人で城壁の方に眼を凝らせば、騎士達の動きが慌ただしくなっている。
敵の侵攻が間近になったのか。ランドルフはチッと舌打ちすると、サブリナの腕を掴んだ。
「始まりやがった!俺から離れるなっ!急ぐぞっ!」
「はいっ!」
サブリナはゴクリと唾を飲み込み、夜空に瞬く火を見あげる。
ついに始まったのだ。
しっかりしないと、と自分を鼓舞すると、遅れを取るまいとランドルフに引っ張られるようにして走り出した。
「お父様っ!」
「!?」
そこにいた誰もが驚いて顔を上げたが、この瞬間の父の顔をサブリナは一生忘れないだろう、と不謹慎にも笑ってしまう。普段、冷静沈着でさほど表情の変わらない父だが、びっくりしたように、そんなに大きくない細い眼を、あり得ないほど見開いていたからだ。
「サブリナっ!お前、どうしてっ!!」
サブリナは父の胸に飛び込み抱きつくと、顔を上げた。
「みんなはちゃんとイーリスの騎士様達に預けました。・・・私はモントクレイユの看護人です!!ここで職務にあたるのが、私の使命です!」
「お前は・・・」
娘の決意に満ちた顔に、とうとう男爵は諦めた顔をすると、そっとサブリナを抱きしめた。そして腕を離すと、もう元の表情に戻して静かに命じた。
「交戦が始まった、準備しなさい」
「はいっ!」
サブリナは勢いよく返事をすると、驚きつつも喜びながら出迎えたベッセル達と一緒に施療院を抜けて看護棟へ向かった。
準備は万全だと報告するベッセルに頷きながら、看護棟の備品庫へ入る。
避難するために着ていた簡素なデイドレスを脱ぎ捨てて、救護兵の服を着た。
若干大きいが、まあ大丈夫だろう。
脚を守るための頑丈な編み上げ靴に履き替えようかと考えたが、靴はオーランドに貰ったレースアップの短靴のままにした。
大切に・・・とても大切にに履いているこの靴もだいぶくたびれてきたが、走り回ることを考えれば、慣れている履きやすいこの靴が良い。
そして・・・サブリナは後ろで一つに結んでいた髪の毛を掴むと、鋏を手に取りザクリと切り落とした。ぱらりと手の中で茶色い髪の毛が散り落ちる。
万が一、敵兵が乗り込んできた時に、男に見えた方が足手まといになりにくい。肩にも届かない短くなった髪の毛の自分を鏡にうつして、うっすら微笑む。
そこにはエディのような自分がいた。双子だから似てるのは当たり前だが、髪が短くなるとますますそっくりだ。
これならどう見ても、救護兵見習いの青年にしか見えないだろう。
自分の姿に満足したサブリナが出ていくとベッセルもクルーゼ も、そしてなぜかまだいるランドルフも一様に口をぽかんと開けて驚愕の眼を向ける。
「ブリーさん、またずいぶんと思い切ったことを」とクルーゼ が言えば、ベッセルは「あー、なんてことを」と絶句し、ランドルフは黙ったまま、目だけを驚きで見開いている。
サブリナはしてやったりと、クスリと笑って言った。
「これからは男よ。エディと呼んで。さあ!負傷者が出ないことを祈りつつ、万全を期しましょう」
交戦が始まって10日、負傷者は徐々に増えてきた。重傷者はまだ多くないが、それでも怪我人の治療に追われていく。
アテナス城内では水も食料も、そしてこの施療院でも充分な薬品類や施療道具類を備蓄しているが、籠城しての戦いだから、サブリナは長引くことも心配だった。
長引き、負傷者が増えていけば、いつかは備蓄品も枯渇する。その時にどんな手が打てるのか、色々考えてみても思いつかないでいた。
国境の城壁を挟んで敵と睨み合いと散発的な交戦が起きているらしい。
敵はやはりジェラール帝国とエントレイ王国、そしてそこに追従する数カ国だと、モントクレイユ男爵が、ガーランド辺境伯より聞いてきた。
この侵攻をもってジェラール帝国との軍事同盟は破棄された。
ジェラール帝国は約30000の軍勢を率いているとの情報だ。それに対して、こちらはイーリスからの応援が入っているにしても10000に満たない。近隣領や従属国からの応援は向かっているとの情報はあるらしいが、まだ間に合っていない状況だ。そして、王都からの援軍はどうなっているのか、サブリナにはわからない。
ガーランドはアテナスに籠城することで、最小の兵力で敵を追い払うことに専念している。唯一王都に進軍できる国境線は、アテナスの城壁でもある。
要塞のように高く聳え立ち、おいそれとは何人たりとも登ることが出来ない複雑な構造になっている。うまく登れたとしても、頭上から弓矢や、槍、砲丸などが撃ち込まれるから、ジェラール帝国側も毎回、攻めあぐねている。
だが・・・
「今回ばかりは危ないかもしれない」
「なぜ?」
クルーゼ は暗い顔をして言う。
サブリナの問いに彼は口元を引き結びながら続けた。
「エントレイ王国が大型の大砲をジェラールに売ったという噂が出てました。だからその大砲を持って、こっちに進軍してるのでは、と」
大型の大砲であれば、確かに射程距離や勢いにもよるが、いくら堅牢なアテナスでもひとたまりもないかもしれない。それが何十機もあればなおさらだ。
元々軍備だけはジェラール帝国の力の方が大きく、それを知略と多彩な戦略で互角に渡り合ってきたのが、この国のやり方だ。
今までは、それで和平を維持できてきたが、残酷な銃火器の前では難しいかもしれない。
だが、サブリナはその暗澹たる考えを振り払った。オーランドは言ったのだ。
・・・力を持つと。
それがどう言う力なのか分からない。だけど、今の彼の立場はこのジェラール帝国と渡り合うための力ではないかと、先日会った時から思うようになっていた。
彼はわざわざ王太子とともに、この辺境まできたのだから。
だから、自分はオーランドを信じる。
彼の想いもやろうとしていることも、きっとこの国の平和のためであることを。彼はきっと自分の役割を見つけ、思うままに生きようしている、そのために力を手にしようとしていると。
サブリナは静かに微笑むと、クルーゼ を見返して続けた。
「そう・・・それでも、今の私たちはガーランド閣下を信じて、自分たちにできることをやるまでよ。さあ、怪我人達の包帯を変えに行きましょう」
ジリジリと焼けつくような睨み合いが続く中、痺れを切らして膠着した状況を破ったのは当然ながら敵だった。
王国軍を中心とした援軍が辺境領に向かっているとの情報がジェラール帝国にも入ったのだろう。落とすことのできないアテナスを前に痺れを切らし、敵は何機もの大型の大砲を城壁に打ち込んで来た。
「早くっ!彼をこちらへっ!止血をしろっ!」
「腹をやられてる!!先生っ!」
「こっちに運び込めっ!」
砲撃にやられた騎士がどんどん運び込まれ、施療院はまさに野戦病院と化していた。夥しい血が流れ、重傷者が増えていく。
「クルーゼっ!添え木を取って!わたしが固定するっ!」
モントクレイユ男爵やジョワ医術師もサブリナ達も大わらわだ。運び込まれる怪我人達を必死で治療していく。
かなたできこえていたはずの怒号や砲撃音はどんどん大きくなり、施療院にまで地鳴りが響き、建物が軋むように揺れ動く。
外でどれだけの戦いが繰り広げられているのか、想像しか出来ないが、怪我人達を見れば凄惨さを増していることは間違いない。
「くそっ!!やつら城門を狙って砲弾を打ち込んでいるっ!」
「騎士達の布陣を城内に下げて、防衛体制を取り始めたぞっ!」
ベッセルとクルーゼ の会話から、こちらが押されているのだと分かり、サブリナの胸は否応も無く緊張でどくどくと鳴り響く。
過去にアテナス城内まで攻め込まれたことはない。城門を攻撃されて、形成不利なのだろうか。だとしたら、ここも戦火に巻き込まれるのか。
落ち着かない気持ちで、傷口に軟膏を塗っていた時だった。
「先生っ!モントクレイユ先生っ!!閣下がっ!!閣下がっ!!」
悲壮な顔をして顔を煤だらけにした騎士が駆け込んでくる。「閣下」という言葉に、その場にいた誰もがハッとした。
モントクレイユ男爵は、いち早く前に出ると駆け込んで来た勢いで、床に膝をつき息を荒げている男の肩を掴んだ。
「ガーランド閣下がどうしたっ!?」
「エッ、エントレイ王国の・・・兵士が放った矢を第一騎士団長が剣で薙ぎ払ったのですが、運悪く、そのや、矢筋に指揮を取られていた閣下がおられて・・・頬を掠めてしまいましたっ!その場ではかすり傷だ、大事ないと仰られていたのですが・・・」
「・・・泡を吐いて倒れられたか?」
「ひっ!!」
父の言葉にサブリナは悲鳴をあげて口を押さえた。
—— 矢に当たり、泡を吹いて倒れる——
事の重大さに一刻の猶予はない。
「お父様っ!」
「サブリナっ!解毒剤をっ!急ぐぞっ!!」
「はいっ!」
エントレイ王国は古来から、鏃に毒を塗った矢を放って戦う戦闘スタイルだ。身体を痺れさせて動きを封じる毒を使っていたが、近年、ジェラール帝国の援助で致死させる毒を仕込み始めたと聞いている。モントクレイユではその毒は把握していて、中和剤も解毒薬も準備していた。
遅効性の毒だから、まだ間に合う筈だ。
父と二人、治療道具を抱えると、その騎士に案内させガーランドの元へ急ぐ。
「こちらですっ!こちらで休まれています」
男が指し示す地下に続く扉を見て、その瞬間サブリナは違和感を覚えた。
先程まで城壁の一番高い塔の上で陣頭指揮を取っていたはずのガーランドを、なぜこんな使っていない、安全も確保できない詰所に運びこんだのか?
モントクレイユ男爵も同じ事を考えたのだろう。
立ちすくむ二人に焦れたように、ここまで案内してきた騎士が急かす。
「さあっ!早くっ!!」
「ダメよっ!お父様っ!!これはっ!!」
罠だ・・・そう叫ぼうとした瞬間、父の方が早かった。
振り返り男の腕を取って捻りあげると、サブリナに向かって怒鳴った。
「サブリナっ!!逃げろっ!」
咄嗟に後ろを向いて、その場から逃げ出そうとした瞬間、肩を強烈に掴まれて、乱暴に引き戻される。
「あっ!」
サブリナの視界に飛び込んだのは、開けられた扉に、父が背中を、どこから現れたのか分からない屈強な男達に蹴られて、身体を押し込まれるところだった。
「お父様っ!!」
最後に発せたのは、そこまでで。
掴まれた腕を振り払おうと抵抗するも、ドスッと鳩尾に響くような重い衝撃を感じた瞬間、サブリナの目の前は真っ暗になった。
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