1000文字の小宇宙

有栖川 款

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Vol.51・エコー

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 祈りは遠く、どこまでも届く。



 森の奥深く、一人の修行僧が瞑想している。

 世俗の煩わしさに疲れ、心を病み、解脱を求めて出家した。

 かつて悟りを開いた偉大な僧のように、己の苦しみが、苦しみを経て得た真理が、いつか救いになることを信じて。

 誰もいない、静かな森。

 木々の葉擦れの音、川のせせらぎ、鳥たちのさえずり。小さな生き物の気配。

 時折吹くやわらかな風にも、心は癒されている。

 ここには誰もいない。

 自分を傷つける人間も、馬鹿にする人間も、批判する人間も。

 とても静かで、平穏な日々。

 けれど、言いようのない寂寥感が充満している。

 誰にも逢わなければ、どこまでも心穏やかに過ごせる筈なのに。

 そのために、富も、家も、家族も、何一ついらないのだと、思ったのに。

 欲望を捨て去った先にこそ、求めるものがあるのだと、信じて疑わなかったのに。

 ここは、とても寂しい。

 ひとりは、とても寂しい。

 風が大きく吹いて、森中の木々に跳ね返る。跳ね返った音が大きく響き、また戻ってくる。

 エコー。

 こだまのように響いて胸を震わせる。

 僧は、突然ハッとして立ち上がった。

 自分が積んだ善根功徳を他者にも振り向けることを、回向えこう、という。

 違う国の違う言葉が、似たような音と意味を持っているのは不思議なのか、或いは何の不思議もないのか。

 生きとし生けるものは皆、繋がっているのだから。

 僧は、森を出るべく歩き出した。

 悟りを得るという大義名分で、ただ逃げてきただけだったのだと気づいた。

 それが悪いわけではない、とも思う。

 それぞれに、必要な経験というものは存在するのだろう。

 かつて悟りを開いた偉大な僧も、やがて真理を世界に回向して、きっと多くの人が救われたのだろう。

 ただ、そこにいて、祈るだけでも出来るのかもしれない。

 けれど、今自分に必要なのは、この孤独から抜け出すことだ。

 自分の周りの小さな世界でも構わないのだ。顔を見て、触れ合って、心を寄せて、思いやる。

 自分を傷つけて、馬鹿にして、批判してきたのは、きっと誰よりも自分自身なのだ。

 森を抜けると、鮮やかな世界がそこにはあった。

 やさしい祈りは遠く、きっとどこまでも届く。






        fin
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