王妃様は逃亡中 後日談・番外編

遊森謡子

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1 再び、王妃様は逃亡中 後編

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 魔法庁を出ると、アユルがあわてて後を追ってきた。
 大聖堂の脇から外階段を下り、壁の燭台で揺れるロウソクの灯に照らされた地下の石廊下を突き進む。
 修道士が案内するのを待たず、重厚な雰囲気の祭司長室に踏み込むと、グレッドはまだ私室には引き取らずにそこにいた。彼はこちらを見ると、表情を変えずに立ち上がって礼を取った。
「これは陛下、こんな夜更けにいかがなさいました」

 余は直感的に悟った。グレッドは、シーゼの行き先を知っている。

「シーゼをどこにやった」
 声を抑えて問いかけた。
「シーゼを逃がしたか?」

 するとグレッドは、無表情のまま答えた。
「はい。王妃様がそう望まれましたので」

 一気に頭に血がのぼった。また、この男が。しかもシーゼがこの男を頼った?
「何をしたか、わかっているのか」
 怒気を抑えられずに一歩踏み込むと、グレッドはちらりとアユルに目をやり、
「やはりアユルも気づかなかったか」
とつぶやいてから、余に視線を戻した。
 その視線で、余は我に返った。どういうわけかグレッドの肩は少し落ちていて、状況に弱っているように見えるのだ。

「陛下……王妃様は少し時間が欲しいだけだとおっしゃいました。誤解のないように申し上げますが、王妃様はニッポンに帰ったわけではございません。王城の敷地内にいらっしゃいます」
 グレッドは言った。
 城に? アユルを振り返ると、いぶかしげな顔をしている。余はグレッドに向き直ると、はっきりと言い渡した。
「シーゼが望んだとしても、これだけは譲れぬ。今すぐ、シーゼの姿を確認したい」
 グレッドは余がそう言うのを予想していたように、うなずいた。
「そうですね。やはり早めにお話合いになった方がいい……私もそう申し上げたのですが。ご案内します。王妃様は、私がお勧めした場所にいらっしゃいます」

 グレッドが案内したのは、先ほど来たばかりの魔法庁だった。夜中に何度も要人が訪れるので警備の兵もいぶかしんでいるだろうが、表情には出さずに我々を確認し、中に通す。
「お静かに、どうぞ」
 グレッドがささやき、余とアユルは彼に続いて中に入った。聖樹は、星の瞬く夜空を透かした水晶の建物の中、先ほどと変わらぬ様子でうっすらと光を放ち、そこにたたずんでいる。

 グレッドは足音を消すようにして聖樹に近づくと、余の方を向き、聖樹の裏側に回り込むようにという身振りをしてきた。
 余はグレッドと入れ替わるようにして進み、聖樹の裏側を覗き込んだ。

『聖樹の器』の放つ光からは陰になった場所に、シーゼはいた。根元に生えた草の上に座り、幹にもたれて眠っているようだ。
 そうか……聖樹に身体を寄せていたから、アユルには方角がわからなかったのか。

「シーゼ」
 そばに膝をついて、額にかかった前髪をよけると、彼女はすぐに瞳を開いた。ちょっとウトウトしていただけらしい。
「ん……あっ、フェザー」
「心配した」
 余は素早く手を伸ばし、シーゼを捕まえて引き寄せた。彼女を心配した、というのは気持ちの半分……残りの半分は、彼女が再びいなくなるのが恐ろしかった。

「ごめん……ちょっと……あなたになんて言おうか考えてたことがあって」
 余の胸で口ごもるシーゼに、もう逃げるつもりはないようだ。一体、何を言えずにいるのだろう。
「グレッドを怒らないでね。私が頼んだの、居場所を追跡されない場所でしばらく考え事したいって。そしたら、ここしかないって」
 ちらりと後ろを振り返ると、グレッドがアユルを促して入口の水晶の門から出ていくところだった。気を利かせたのだろうか。
「昼間、子どもの話などしたから、それを厭ってまたどこかへ行ってしまったのかと思ったぞ」
 人目もなくなり、余は強く彼女を抱きしめた。頬をすり寄せ、まぶたに口づける。
「無理を言うつもりなどない。そなたが余のそばにいるという、そのことが一番大事だ」

「うう……そ、そのことなんだけど」
 珍しくシーゼは歯切れが悪い。顔を覗き込むと、頬を染めて瞳を潤ませている。
「……できたの」
「ん?」
「だから……二人目、できたんだってば」

 余は目を見張った。するとシーゼは余の胸から顔を離し、今までの様子が嘘のようにまくしたてた。
「いやその、一応気をつけてたんだけどこっちって婦人体温計もないし? いつヒットしたかって考えると最近ちょっとなし崩しなところもあったかなって思うし、あれだけさんざん二人目は嫌だ嫌だって公言してたくせに、いざできてみたら嬉しくてしょうがないなんて、恥ずかしくて言えなかったのっ!」

 ――そうだったのか。
「そうか。嬉しいか」
 尋ねると、彼女はまた余の胸に顔を埋めてうなずいた。余は、昼間と同じ台詞をささやいた。
「余は、果報者だな」
 そしてもう一度、気持ちを込めてシーゼを抱きしめた。

 つわりは今の所ほとんどない、という彼女の腰を抱くようにして、連れ立って寝室に戻る。途中で、その事実に気がついた。
「ちょっと待て」
 余は思わず廊下の真ん中で足を止めた。
「グレッドに隠れ場所を相談したということは、グレッドは妊娠のことをすでに知っているということか?」
「私からは『ちょっと一人になりたい』としか言ってないよ。でもあの人は魔法の素養がある人だから、アユルみたいに妊娠には気づいてるんじゃないかな」
 シーゼは当たり前のように言ったが、余は少し落胆してしまった。

 ――また、医師以外で懐妊を知った最初の男が、余ではなかったわけか。



【再び、王妃様は逃亡中 完】
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