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第十二章

257話 容認

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 身体中がキシキシと音を立てる、酷い筋肉痛が襲っていた。寝転んだまま、ぼんやりとした意識と視界で辺りを見渡す。
 ここは……
 自分の上にはヒオゥネがいて、ハッとする。元の世界に帰ってきたんだ!

「ヒ、ヒオゥネ、どいてくれ! ヒオゥネ!」

 退く気配のないヒオゥネ押し退け、立ち上がる。

「テイガイア……ラルフ……?」

 まず目に入ってきたのは白い触手の残骸だった。二体の魔獣の大きな骨と、床には触手の残骸で埋め尽くされている。
 テイガイアのオリオから出てきた時と同じだ、もしかしたら、二人とも生きているかも!
 二人を探しに残骸の元へ走る。

「テイガイア! ラルフ!」

 残骸が邪魔で探しにくかったが、ずっと探し続けた。

「テイガイア……ラルフ!」

 長い時間探し続けたが、二人の姿は見つからない。
 …………嘘だ、嘘だ。嘘だ……っ。
 残骸が再び視界に入る。別れの言葉を思い出し、そっと唇を触る。

「テイガイア……ラルフ……」

 違う、だって。だって……嘘だ。
 俺はその場に蹲って頭を抱える。
 守れなかった――助けるって、言ったのに、助けるって約束したのに……。

「くそっ、くそおおおおっ」

 そう叫びながら、ヒオゥネのところに走る。
 ヒオゥネの身体の上に乗っかり、襟首を掴みあげて、前後に振った。

「ヒオゥネッ!! 俺はお前を絶対に許さないッ!! 死んでも許さないッ!! ……お前のせいだッ!! お前がこんな、こんなことしなければ……! お前が実験なんかしなければ、ラルフもテイガイアも、ずっと、まだ……まだここに、生きて……たんだっ、あいつらが死んだのは、お前のせいだ……っ!!」

 なんで。

「どうして、こんなことするんだ……なんで!! なんでお前なんだ……なんで、なんで!! うああああああっ! あぁああああ、ああ、あ……」

 涙が溢れて目の前が見えない。
 力は弱余らしくなり、ヒオゥネのことを振れなくなり、手を離す。
 涙は流れ続け、何も言わないヒオゥネの胸に縋り付く。

「何か言えないのか……!! なんで黙ってるんだよッ!! お前のせいなんだぞ……お前が、お前が――っ!!」

 すぐに上体を起こして頬を殴り付ける。しかし何も言わない。

「何か、なんか言えってば! 反省してるのか、それとも――くそ、くそっ!!  お前が……っ、何を考えてるのか、わからないっ、わかんないっ! お前が……殺したんだッ!! いろんな人を、傷つけて――たくさん、たくさん殺してきたんだ……たくさん、だから、俺は……お前を、お前を――――――――…………………………







……………………………………………………………………ヒオゥネ……?」


 ……ゆっくりと、ヒオゥネの叫び声を思い出す。あの、絶望に染まりきった痛々しい叫びを。
 きっと、あの時ヒオゥネは助けてくれと言いたかった筈だ。縋り付きたいほどの痛みと苦しみに襲われていた筈だ。
 けれど一度も、そんなことは言わなかった。誰にも助けを求めなかった、俺にも縋り付くことはしなかった。
 あの状況を作り出した張本人が目の前にいるのに、ヒオゥネは憎しみの目も向けて来なかった。
ただ、ただずっと、聞かせないようにと声を抑えようとした、痛みに耐えようとした、しかし叫び声はずっと俺の上に降ってきた。
 あのヒオゥネが涙を流すほどの苦しみを背中に受けて、その証である血液でさえも、俺に掛からないように魔法で盾を作った。
 俺がオリオに飛ぶ前、ヒオゥネはずっと俺を庇っていた。
意識が、痛みが、なくなるほど、……叫ぶことも出来なくなるくらい――きっと、逃げ出したかった筈なのに。
 見捨てはしないで、ずっと、守ろうとしてくれた。
 そうだ、ここに戻ってきた時も、ヒオゥネは俺の上にいた……まさかずっと、魔獣達の攻撃から俺を守ってた……?
 どれくらい経ってたんだ。
テイガイアが以前魔獣化した時は、オリオから戻ってそんなに時間は経ってなかったみたいだったけど、逆に記憶の世界では長い時間を過ごしていて、現実はそんなに経っていなかった。……でも、この状態はおかしくないか?
 この広場の、床を埋め尽くすほどの――いや、その上にも山のように積み重なるほどの触手の残骸、そして魔獣達の骨の異常な大きさ。
 オリオに行く前は、こんなことになってなかった。まるで、俺がオリオにいた時より数倍の時間がこちらでは経ったような……。
 残骸の山となった空間を見て、さあっと血の気が引いていく。

「ヒ、ヒオゥネ……?」

 寝転んだまま、ピクリとも動かない相手を見る。
 血で顔に張り付いたヒオゥネの髪を震える指で、分けていく。

「…………」

 顔を見て、急に冷や汗が出始める。喉が閉まって、声が出せなくなる。息もしずらくなって変な焦りが出てくる。
 指が震える、彼の身体に乗っているズボンが、乾いている。服に触るだけで血液が手のひらを真っ赤に染めた筈の、ヒオゥネの服が――乾いている。ゆっくりと、自分の座っているところを見た。
 ズボンだけでなく、俺の来ている真っ白な服が、白い服とは思えないくらい、赤黒く、そして茶色に染まっていた。
 床も血で染まっていて、ヒオゥネの血液の熱さで溶けたのか、床が歪な形へ変化していた。

「…………」

 ヒオゥネの身体を隠すように巻き付いているマントを捲る。まだ少し湿っているマントが既に血で汚れた自分の手をまた赤く染め上げた。しかし、以前のようにべったりとは付かない。絵の具で塗ったまだ乾ききっていない画用紙に手をついてしまった時のような感触だ。

「……………………………………」

 マントの下を見た途端、尋常でない吐き気が喉にせりあがってくるのを感じた。口を押さえてヒオゥネの身体を眺める――いや、目が離せなかった。
 動揺で視界が霞む、見てられない。でも目を逸らしてはいけないような気がした。
 ヒオゥネの身体には無数の穴が空いていた。中の内臓も見える押しつぶされてはみ出したようになっているものもあった。数え切れないほどの強い力を受けて肉が破裂したのだろう。骨も砕けている。
 呪いで修復されなくなるくらい、攻撃を受け続けたんだ。
 だと言うのに、だと言うのにだ。目が覚めた時、ヒオゥネの身体は俺の上に乗っていた。ずっと、ずっと、守ってくれていたんだ。ずっと。
 マントの下のヒオゥネの身体はもう、ほぼ残っていないと言える状態だった。
 分身なら、消えてなくなっているだろう。つまり……彼は本体だった?
 その本体が今、目の前で……息すらしていない。

「……………………………………………………………………お前が……死んだら、たぶん誰も苦しまない……。お前が死んだら……色んな人が救われる。……やっと、終わったんだな。あとは、皆を助けに行って、灰色の組織も捕まえる。それだけだ」

 ヒオゥネの美しい目は、まだ、こちらを見ている気がした。嫌いな目だった。何を考えているのか分からない、イラつく、ムカつく、けど、たまに、優しくなるその目が、とても、とても苦手で……。
 唇は、まだ、動くような気がした。
 優しい声が嫌いだった。聞くのも嫌だった。聞いたら全部持っていかれそうになるのがいやだった。
顔とは違ってよく感情が出る声で、丁寧な口調で、偶に怖くて、だから結局何を考えているのか分からなくて。でも、いつの間にか、名前を呼ばれることが、当たり前のようになっていて。
 まだ、まだ。

「………………」

 まだ生きているみたいに見える。
 今にでも瞬きして、見つめ返してきて、優しく名前を呼んでくれて、抱きしめてくれて。無事でよかったと、言ってくれそうな気がする。
 まだ、まだ。まだ。
 まだその身体が、熱い気がするんだ。
 俺の凍りついた身体を唯一溶かしてくれる熱い身体。ヒオゥネしか持っていない体温。その手に触れられる度に、抱きしめられる度に、キスをする度に、ヒオゥネだって感じられて……好きで。
 好きで……。





 好きで好きで……。

 ヒオゥネの目が好きだ、声も好きだ、名前を呼んでもらうのも好きだ。

 好きで、好きで……どうしようもなく好きで。


 どうすればいいのか分からなくて。

 ヒオゥネの目元に手を伸ばし、その瞳を閉じさせる。

 悪い奴だから、皆の敵だから、俺の敵だから、憎むべき相手で、許してはいけない相手で、好きになってはいけない相手だから。

 何度も、自分に問いかけたんだ。なんで、なんであいつなんだ、なんでお前なんだ。なんでヒオゥネを好きになんかなっちゃったんだって。

 わからない。

 わからないんだヒオゥネ。

 俺はどうしたらいい。どうしたらよかったんだ。

 お前を好きなことは、みんなに対しての裏切りだ。俺は何度もこの気持ちを押さえつけようとした、否定した。受け入れなかった。

 諦めるとかそんなんじゃないんだ、そう思った真実さえも消して、なかったことにしなければ、皆を裏切ることになると思うんだ。

 でも、どうしたって無理なんだ。

 手を打ったんだ。

 何度も、何度も、なのに。なのに。

 お前に会うと、どんどん調子が崩れていく。計画が崩れていく。頭の悪い俺が、一生懸命抗ってみたのに、そんな時でもザコキャラを発動するのか、いつも、抵抗出来なくて。

 熱はどんどん上がってくるばかりで、触られる度にドキドキして、見つめられる度に、恥ずかしくて。お前が誰かを考えていると、モヤモヤして。ちょっと冷たくされただけで涙も出る。

 どんどん、増えていく。

 お前のことを考える時間がどんどん増えていく。

 いつの間にか姿を探してしまう、声が聞きたい。名前を呼んでほしい、見つめて欲しい、話したい、会いたい。抱きしめて欲しい、キスしたい、いっぱい触って欲しい。ヒオゥネのそばにいたい。ずっとずっと、そばにいたい。

 
 ――許されない。

 こんなことを思うのは許されない。



 でも、どんどん欲が深くなっていくんだ。

 もう、引き返せないところまで来てしまった。

 だからあの時、認めざるを得なかった。


「………………………………………………………………………」

 みんなが救われる、そう思ったら、涙が出た。
 やっと終わった、やっと、止めることが出来た、そう思ったら、涙が止まらなくなった。
 何の声も出せなかった。何も言葉が出なくなった。声を出して泣き喚くことも出来なかった。
 ただただ、ただ、嬉しいと、嬉しいと……思った。
 悲しくなんか、ない。

 悲しくなんか。

「ヒオゥネ…………ヒオゥネ……………………」

 涙は出るけど。悲しいわけじゃない。だから。


 泣いてなんか、ない。

 理由なんかない。ただ。


「……………………………………………………………」

 
 ただ、ただ。

「ヒオゥネ……ヒオゥネ………………ヒオゥネ……」



好きだったんだ。







「う。あ、」


「ああ……あ、あ」


「ああああああああああぁぁぁぁあああ……あああ、あああああああああああ、あああ、ああああああああぁぁぁぁぁ……………」



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