リクゴウシュ

隍沸喰(隍沸かゆ)

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ヴァラヴォルフ

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 小屋へ着いた時に聞いた叫び声はこの獣だったのか、と二人は理解した。
「あははは。台所に行って戻ってきてからは、ずっと扉の前にいたよ。そうそう、君のお母さんが狩りで捕ってきた獲物で調理してたんだけど。どうだったかな、いい匂いした?」
「んがあああああああ! 鵺トおおおおおお!」
「君が泣いてる姿は可愛かったなぁ。最初は理解が出来てなかったのか名前ばっかり呼ぶんだもん。だんだんとしおらしくなって何だか可愛かったよ本当に。普段からあれくらい大人しくしてればそこの男の子みたいに一目惚れされちゃうだろうに。勿体ないなあ。でも俺は獣みたいに叫びまくって追いかけてきてすぐ噛んでくるティーネの方が可愛くて好きだよ。それを調教するのはさぞ楽しいことだろうからね」
「う、ぐぅ」
 うるっと、突然ティーネの瞳に涙が溜まり、顔がくしゃりと歪んだ。
「あはは。やりすぎたね。ごめんね」
 うわああああん、ひんひんと泣きだして、鵺トの胸で「良かった、良かった」と繰り返す少女の姿を見て、躾や胚邪は緊張を解いた。
 ただの兄妹喧嘩に巻き込まれただけらしい。
 わんわん叫んでいた彼女がまた、ぶんぶん少年を振り回す。
「おおおおおお母様に言いつけてやるううううううううううう!」
「そ、それはやめて。僕も君が抜け出そうとしたこと言っちゃうよ?」
「鵺トめ、この悪魔め。私は貴様のことなど兄と思ったことはない!」
「僕は君を女だと思ったことはないよ」
「す、好きだなんて思ったことない!」
「俺は愛してるよティーネ」
「はぐ、ななな何を急に。そ、そんなことを言われたら。うう。私だって愛して――」
「でも一緒に住んでなかったら到底愛せない存在だよね君って」
「きききき貴様あああああああッ!!」
 何だこの茶番は。
 躾はありありと顔を歪めた。
 それに気付いた鵺トは、くすりと笑う。
「嫉妬してんの? 恥ずかしいやつ」
 グルル、と胚邪が彼に飛びかかろうとした寸前。
「胚邪、下がれ。俺がやる」
 躾から低い声が放たれた。
 胚邪はピタリと動きを止め、部屋の端に下がる。
 ティーネと鵺トはその姿に目を奪われる。

 燃えるような赤い毛、鋭利な牙にしなやかな爪。

 金の瞳が鵺トの首を捉えた。

 寸秒の暇もなく飛び掛かる獣に、ティーネが逸早く反応する。
 ――彼女は躾の速さを超えて、間髪を容れずに、拳から放たれた究極の一撃をその眉間に喰らわせた。
 ――ドシンッ――と脳を揺する猛烈な衝撃を受けて、躾は脳震盪を起こし地面へ伸びた。
 胚邪はその様子を見て、驚愕する。
 幼い少女から放たれたたった一つの拳が、自分達の最強の戦士を倒して見せたのだ。まるで導が女神にあしらわれた時のように。
 胚邪は尻尾を自分の腹に隠した。
 ティーネの瞳がギロリと胚邪へ向けられる。
 彼女の瞳が金色に輝いたのを見て、胚邪は服従の姿勢を取ろうとするが――――彼は寸秒間も無く首根っこを掴まれて壁へ無理矢理押し付けられた。キャウンキャウンと泣き喚くそれにティーネは威嚇するように牙を見せる。
「何をしに来た。私の家族を傷付けるために来たのか」
「ティーネ。落ち着いて」
「何でお前は落ち着いていられる、貴様は殺されそうになったんだぞ!」
「死ぬ寸前にされそうになったんだ。死にはしない」
「それでも痛いのは嫌だろ! 怖いとは思わないのか!」
 胚邪はティーネの言葉に同意した。
 彼は自分達がここに来てから怖がる様子を見せない。隠している風でもなく、ただ本当に恐怖を感じていないだけなのだ。痛みに対しての、死に対しての恐怖が無いなど、自分達には考えられないことだ。
 鵺トはふーっと溜息を吐く。
「……死んだっていい。死にたいとは確かに思わないけど、今生きてるんだし。君や君のお母さんと幸せに過ごせていたし。その先を考えることも好きだったけど。でもいつかどうせ死ぬ訳だし。短かったし覚えてはいないけど、戦場で過ごした日々で分かったんだと思う。何度も死にそうになった。何度も殺されそうになった。死を目撃した。死を肌で感じた。死と隣り合わせで僕達は生きているんだと知っている。だから今ここで死んでも死んだのかって思うだけだ。だから別に、生きる努力はしないし、死なない努力もするつもりはない。だから怖いなんて思わないんだよ。人は死ぬ気でやれば何でも出来るって言うけどさ、まさにその通りで、生きる努力をやめたら死ぬのなんか怖くないし、この先何が起きようと怖くないよ」
「じゃあ私がこいつに傷付けられたら如何する。殺されそうになったら如何する、殺されたら如何する」
「如何もしない。ああ、死んだのかって思うだけだ」
 ティーネの手は胚邪から一瞬にして鵺トへ移った。
今度は鵺トがベッドへ押さえ付けられる。
「貴様はさっき私に教えてくれた! 私に大切な人が死ぬことの怖さを、傷付けられる怖さを教えてくれたじゃないか! なのに貴様は、私が如何なっても何とも思わないのか!」
「その通りだ。結果に任せる。僕が足掻いた処で変わらないことが目に見えて分かっているからだ。世界は終わる。それが分かってるのに、少しの時間を生きるために行動するなんて馬鹿げてる。君や君のお母さんが死んだ時、きっと僕は悲しむことはないだろう。いつも見るんだよ。君達が死ぬ夢。君達が僕の前からいなくなる夢。それを見ても何とも思わないんだ。ああ、死んだのか。頃合いだったのか。そろそろ僕も死ぬんだろうな。そう思うだけだ」
「ふざけるな! 私は貴様が死んだと思った時怖かった! なのに貴様は怖くないのか、自分が死ぬのも私が死ぬのも、お母様が死ぬのも怖くないと言うのか!」
 鵺トは鼻で笑った。ティーネは、ぐ、と彼の首を絞める。
 胚邪は何が起きているのか判断が出来ていなかった。
 ただ、年端のいかない子供がする話ではないことは理解していた。
 特に鵺トだ。
 彼の話は興味深い。
「だから言ってるだろう。怖くなんかない。こうやって君とここまで生きて来れた。幸せに過ごせた。これ以上欲しいものなんて未来にはない。僕が望むものはもう残ってないんだ。死んだ処で後悔は残らない。もう死んだっていいって奴だよ。僕は長く生きた。僕は幸せに生きられた。生きてすぐ死ぬ生命よりも、長く長く生きられた。だから僕は満足しているんだ。もう生きた証を残せたし、生きた幸せも噛み締めた。これ以上の幸せを感じてなお求めることなんてしないのさ。だから死んだって、いい人生だったと思えるだけなんだ。君が死んでも、多分屍となったそれに抱く感情はない。景色として眺めるだけだ。僕の人生で最高に不幸だった景色としてね」
「……理解出来ない」
「君には理解出来ないだろうね。君は幸せになってから生まれた子だから」
「……それも分からない」
「君は知らなくていいんだ」
「未来まで生きてくれれば、私がもっと幸せにする。それを目標に生きる努力をしてくれないか」
「それを目標に生きる努力をしたことに幸せを感じて、素敵な人生だと死ねるだろうね」
「……本当にいい人生だと思っているのか。もっと長く生きればもっと幸せになれるのに」
「世界は必ず滅亡する。長く生きても幸せになれることなんてない。だから今くらいが頃合いなんだ」
 ティーネは納得していない様子だったが鵺トを解放し、胚邪へと振り向く。鵺トが彼女を制して言った。
「今話していたことは他言しないでくれると助かるよ。ヴァラヴォルフのオジさん」
 鵺トの言葉を聞き、胚邪は姿を人型に戻す。
 ティーネは驚いた様子だが、鵺トはやはり驚いていないようだった。
「ヴァラヴォルフ一行が何しにやって来たのか想像はつくよ。僕に出来ることは想像くらいだけど」
「可愛いワンちゃんがおっさん……」
「ティーネ。今はそこじゃない。折角かっこつけたのに」
「そう言えばそこの男の子もワンちゃんになってた……」
「犬じゃなくて狼なんだけど。ティーネの獣頭には理解出来ないか」
「きいいいさあああまああああああああッ!!!」
 うがああああっと、首筋に噛み付いている彼女を無視し、鵺トは胚邪に問い掛ける。
「貴方はよくお母さんと話してた。ここに来た目的は何」
「我々の族長、導が悪魔に取り憑かれちまってな。セイナ様に族長になってくれねぇか頼みに来たンだ」
「やっぱりね。お母さんがここに君達が来たことを知れば怒るだろうなぁ。だから言ったじゃないか、不法侵入者諸君。見逃してあげたのにって」
「導は彼女にしか倒せねぇ」
「そうかもね」
「彼女はどこにいるンだ」
「さあ。知らないんだ。僕達はここから出して貰えたことがない。僕は庭になら出たことがあるけど、ティーネも何度か脱走して捕らえられてる。そうだ、ティーネを連れて行けば? ティーネの匂いを追って現れるかも」
「君は来ないのか?」
 鵺トはにこりと微笑んだ。
「僕は寝る」
 寝るためなら妹の身が如何なろうと知ったことではない。
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