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第五章 回想編
征司、異世界へ 1
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「……はあ?」
近所の裏山に向かっていたはずの征司は、気がつくとどういうわけか森の中にいた。
白昼夢でもないだろうが、寝起きのように思考がぼやけて霧がかっている。
やたらと背の高い針葉樹の大樹が居並ぶその様は、どこをどう見ても藪の生い茂るあの寂れた裏山とは似つかない。
人が踏み荒らした形跡すらなく、大自然の中で創り上げられた荘厳とも思える様相だ。息が詰まるほどに緑も濃い。
では、なぜそんな場所に自分が突っ立っているかというと――征司には皆目見当がつかない。
征司は後ろ頭をぼりぼりと掻く。
ただひとつ言えるのは、きっとまたなにかに巻き込まれてしまったらしいということだ。
それも過去とは桁違いの未曾有のなにかに。
(まずはこの森から出てみないとしゃーないか)
征司は周囲を見回した。
360度、どこもかしこも木しかない。
どれもが樹齢100年は超えてそうな大樹だけあって、はるか頭上を覆っている枝葉の天蓋は、完全に空を覆ってしまっている。
わずかな木漏れ日はあるものの、視界は薄暗いほどだ。
せめて太陽でも見えてくれると、方角を確かめるくらいはできるのだが、できないことを惜しんでも仕方がない。
さあ、どちらに行ってみようかと、征司はそのへんに転がっていた手頃な枯れ枝を拾って、棒倒しで占ってみた。
棒が前方に倒れたので、征司はその方向に目を向ける。
すると、なぜか眼前に壁があった。
毛むくじゃらの毛皮の壁。
視線を上げると、壁はなだらかな曲線を描いて、上方へと続いている。
さらに首を上向けると、こちらを見下ろす獣面と目が合った。
有り体に言うと、熊だった。
距離にしてたった数歩――1メートルほど先に、いつの間にやら体長4メートルほどもある大熊が、直立姿勢で立ちはだかっている。
おやあ?
(あ、やばっ!)
数瞬、お見合いしたまま思考停止してしまったが、征司は正気に返るや否や、その場から横っ飛びで飛び退いた。
ほぼ同時に振り下ろされた冗談みたいに巨大な熊の爪が、征司の肩口を掠っていった。
征司は勢いのまま腐葉土の上を前転し、土汚れまみれになりながらも熊との距離を取る。
痒痛を覚えて征司が確認すると、掠っただけのはずなのだが、鋭い爪は征司の左肩の肉をごっそり削っており、盛大に血が噴き出していた。
「くっそ! 洒落になんね――ええぃ!」
止血するどころか、毒づく間すら満足に与えてもらえない。
その巨躯にそぐわぬ速度で、今度は熊の反対の掌が襲いかかってきた。
肩の痛みを強引に無視して、征司はバク転で後方に逃れる。
さらにバク転、バク転、バク宙と、曲芸師のような身のこなしで逃げ続けた。
なにせ4メートルもの巨体だけにリーチも半端ではなく、常に動き回っていないと、とてもではないが射程圏内から脱せない。
征司はズボンに隠していた特殊警棒を取り出した。
悪友の兄から譲り受け、主に流血を伴いそうな厄介ごとに巻き込まれたときの護身用として持ち歩いていたものだ。
本場の軍仕様で、アングラサイトから通販で取り寄せた横流し品らしく、強度はかなりのものだった。
少なくとも、金属に叩きつけたとしても、わずかなりとも歪んだこともない。
命名は『撲殺丸』。征司は気に入っていたが、友人たち曰く「それはない」らしい。なぜだ。
ともかく、この状況下では、武器があるのとないのでは格段の差がある。
相手の体格と比較すると小振りなのは仕方ないが、心情的には心強い相棒だ。
征司は回避に専念し、必殺の爪を撲殺丸で捌きつつ、紙一重ながらも攻撃を避け続けた。
「ごぅがああああ――!!」
熊の咆哮。
業を煮やして突貫してきたところを、しめたとばかりに征司はサイドステップで躱し、突っ込んできた勢いそのままに背後の巨木の幹に叩きつけた。
これで逃げる隙でもできれば御の字かと征司は思ったが、それほど甘いものでもなく、大型ダンプが衝突したような轟音を上げて、決して軟弱ではない巨木のほうが圧し折れてしまう。
ほんの一瞬、逆に征司が度肝を抜かれて静止してしまったところを、野生の獣は逃さなかった。
咄嗟に撲殺丸を盾代わりにしたものの、強烈な張り手に征司の身体は弾き飛ばされ、反対に木の幹に強かに叩きつけられてしまった。
肺から強制的に空気が吐き出され、背骨と肋骨が嫌な音を体内に響かせる。
征司にとっては、柔術の達人の父親の、熊殺しの背負い投げを食らわされた気分だった。
あれも死ぬかと思ったが、それにゆうに匹敵する。
(……ん? 熊、殺し……?)
酒飲み話に聞いた、本当に熊を倒したときの父親の逸話が蘇る。
熊の体躯は分厚い脂肪と筋肉、固い毛皮といった鎧に覆われており、打撃には滅法強い。
ただし、重要な感知器官の集中する顔面だけはそうもいかない。特に鼻柱には繊細な神経が集中している。
父親はその弱点を手刀で打ち抜き、背負い投げで鼻面から叩き落とし、見事に悶絶させて勝利を収めたという。
でかいはでかいが、これも熊。弱点が同じなら――
大熊が止めを刺そうと、凶悪な爪を振るって再び襲いかかってくる。
先ほどまでなら是も非もなく回避するところだが、征司は逃げることをやめ、玉砕覚悟で前に出た。
前傾姿勢をさらに前傾させ、地面すれすれで振り抜かれる熊の腕を掻い潜る。
死中に活ありとはこのことだろう。
懐に入り込んだ征司の眼前には、無防備に熊の顔面が晒されていた。
通常なら届くはずもない身長差だが、わざわざ相手のほうから身を屈めてくれている。
「おらあっ!」
気合一閃。
征司は力の限り撲殺丸を叩きつけた。
熊がはじめて怯み、巨躯が傾ぐ。
一方的な狩りが、対等な闘争に切り替わった瞬間だった。
「反撃の狼煙だ! いくぜ、撲殺丸! うらぁぁ――!」
静寂が包む森の中、征司は天高く吼えた。
近所の裏山に向かっていたはずの征司は、気がつくとどういうわけか森の中にいた。
白昼夢でもないだろうが、寝起きのように思考がぼやけて霧がかっている。
やたらと背の高い針葉樹の大樹が居並ぶその様は、どこをどう見ても藪の生い茂るあの寂れた裏山とは似つかない。
人が踏み荒らした形跡すらなく、大自然の中で創り上げられた荘厳とも思える様相だ。息が詰まるほどに緑も濃い。
では、なぜそんな場所に自分が突っ立っているかというと――征司には皆目見当がつかない。
征司は後ろ頭をぼりぼりと掻く。
ただひとつ言えるのは、きっとまたなにかに巻き込まれてしまったらしいということだ。
それも過去とは桁違いの未曾有のなにかに。
(まずはこの森から出てみないとしゃーないか)
征司は周囲を見回した。
360度、どこもかしこも木しかない。
どれもが樹齢100年は超えてそうな大樹だけあって、はるか頭上を覆っている枝葉の天蓋は、完全に空を覆ってしまっている。
わずかな木漏れ日はあるものの、視界は薄暗いほどだ。
せめて太陽でも見えてくれると、方角を確かめるくらいはできるのだが、できないことを惜しんでも仕方がない。
さあ、どちらに行ってみようかと、征司はそのへんに転がっていた手頃な枯れ枝を拾って、棒倒しで占ってみた。
棒が前方に倒れたので、征司はその方向に目を向ける。
すると、なぜか眼前に壁があった。
毛むくじゃらの毛皮の壁。
視線を上げると、壁はなだらかな曲線を描いて、上方へと続いている。
さらに首を上向けると、こちらを見下ろす獣面と目が合った。
有り体に言うと、熊だった。
距離にしてたった数歩――1メートルほど先に、いつの間にやら体長4メートルほどもある大熊が、直立姿勢で立ちはだかっている。
おやあ?
(あ、やばっ!)
数瞬、お見合いしたまま思考停止してしまったが、征司は正気に返るや否や、その場から横っ飛びで飛び退いた。
ほぼ同時に振り下ろされた冗談みたいに巨大な熊の爪が、征司の肩口を掠っていった。
征司は勢いのまま腐葉土の上を前転し、土汚れまみれになりながらも熊との距離を取る。
痒痛を覚えて征司が確認すると、掠っただけのはずなのだが、鋭い爪は征司の左肩の肉をごっそり削っており、盛大に血が噴き出していた。
「くっそ! 洒落になんね――ええぃ!」
止血するどころか、毒づく間すら満足に与えてもらえない。
その巨躯にそぐわぬ速度で、今度は熊の反対の掌が襲いかかってきた。
肩の痛みを強引に無視して、征司はバク転で後方に逃れる。
さらにバク転、バク転、バク宙と、曲芸師のような身のこなしで逃げ続けた。
なにせ4メートルもの巨体だけにリーチも半端ではなく、常に動き回っていないと、とてもではないが射程圏内から脱せない。
征司はズボンに隠していた特殊警棒を取り出した。
悪友の兄から譲り受け、主に流血を伴いそうな厄介ごとに巻き込まれたときの護身用として持ち歩いていたものだ。
本場の軍仕様で、アングラサイトから通販で取り寄せた横流し品らしく、強度はかなりのものだった。
少なくとも、金属に叩きつけたとしても、わずかなりとも歪んだこともない。
命名は『撲殺丸』。征司は気に入っていたが、友人たち曰く「それはない」らしい。なぜだ。
ともかく、この状況下では、武器があるのとないのでは格段の差がある。
相手の体格と比較すると小振りなのは仕方ないが、心情的には心強い相棒だ。
征司は回避に専念し、必殺の爪を撲殺丸で捌きつつ、紙一重ながらも攻撃を避け続けた。
「ごぅがああああ――!!」
熊の咆哮。
業を煮やして突貫してきたところを、しめたとばかりに征司はサイドステップで躱し、突っ込んできた勢いそのままに背後の巨木の幹に叩きつけた。
これで逃げる隙でもできれば御の字かと征司は思ったが、それほど甘いものでもなく、大型ダンプが衝突したような轟音を上げて、決して軟弱ではない巨木のほうが圧し折れてしまう。
ほんの一瞬、逆に征司が度肝を抜かれて静止してしまったところを、野生の獣は逃さなかった。
咄嗟に撲殺丸を盾代わりにしたものの、強烈な張り手に征司の身体は弾き飛ばされ、反対に木の幹に強かに叩きつけられてしまった。
肺から強制的に空気が吐き出され、背骨と肋骨が嫌な音を体内に響かせる。
征司にとっては、柔術の達人の父親の、熊殺しの背負い投げを食らわされた気分だった。
あれも死ぬかと思ったが、それにゆうに匹敵する。
(……ん? 熊、殺し……?)
酒飲み話に聞いた、本当に熊を倒したときの父親の逸話が蘇る。
熊の体躯は分厚い脂肪と筋肉、固い毛皮といった鎧に覆われており、打撃には滅法強い。
ただし、重要な感知器官の集中する顔面だけはそうもいかない。特に鼻柱には繊細な神経が集中している。
父親はその弱点を手刀で打ち抜き、背負い投げで鼻面から叩き落とし、見事に悶絶させて勝利を収めたという。
でかいはでかいが、これも熊。弱点が同じなら――
大熊が止めを刺そうと、凶悪な爪を振るって再び襲いかかってくる。
先ほどまでなら是も非もなく回避するところだが、征司は逃げることをやめ、玉砕覚悟で前に出た。
前傾姿勢をさらに前傾させ、地面すれすれで振り抜かれる熊の腕を掻い潜る。
死中に活ありとはこのことだろう。
懐に入り込んだ征司の眼前には、無防備に熊の顔面が晒されていた。
通常なら届くはずもない身長差だが、わざわざ相手のほうから身を屈めてくれている。
「おらあっ!」
気合一閃。
征司は力の限り撲殺丸を叩きつけた。
熊がはじめて怯み、巨躯が傾ぐ。
一方的な狩りが、対等な闘争に切り替わった瞬間だった。
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