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第九章

御曹司と副団長 1

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 靄がかかったような意識の中、誰かに抱きすくめられるのを感じる。
 温かい。そして懐かしい。安心する。

 嬉しくて嬉しくて。それが無性に嬉しくて。
 手に力をこめると、お返しとばかりに、いっそう強く抱き締められる。

 顔を上げると、とても大好きな人たちの顔が見えた。
 ふたりはやさしく微笑み、頭を撫でてくれる。なにか言葉をかけてくれたが、声が小さすぎて聞き取れない。
 こちらも声を出すが、届いてない。

 もっと力いっぱい抱きつくと、また応えてくれるかも、と考えて両手に何度も何度も力を籠める。

 そのたびにふたりは小さく口を開け、なにかを繰り返し囁いていた。
 でも、やはり聞こえない。それがひどく悲しい。

 だからまた、何度も何度も力を籠める。
 それの繰り返し。

 やがて、なにも見えなくなった。感じなくなった。

 そこでいつも、目が覚める。

 ◇

 フェブラントが重い瞼を持ち上げると、そこは見慣れた天井だった。
 おぼろげな記憶を反芻し、懸命に思い出す。

(あ~。またやってしまいました。アキトさまには申し訳ないことを……たかだかペーパーナイフで、気を失うなんて……)

 しかも、勇者さまの持ち物で。我ながら呆れてしまう。

 幼い頃からなぜか小さな刃物が苦手で、発作を起こしてしまうことがままあった。
 しかも、刀剣などの大きな刃物は平気という、不思議な症状だ。

 ベッドに上体を起こしてみると、動悸は収まっていたが、軽い偏頭痛と吐き気がまだ残っていた。
 侍女を呼び、冷たい水を持ってきてもらい、コップ2杯飲み干したところで、ようやくましになってきた。

 何歳頃の記憶かは思い出せないが、発作を起こしたときには決まって今は亡き両親の夢を見る。
 ただ、夢に出てくるふたりが両親だとは確信できるが、いつも表情がよく見えない。
 微笑んでいるのはなんとなくわかるが、それだけだ。言葉も聞こえない。
 夢で会えるのは嬉しいが、それが同時に悲しくなる。

 幼い頃に両親を亡くして、すでに9年余り。
 忘れたくなどないのに、ずいぶん記憶も薄くなってしまった。
 きっと、発作を起こして心細くなったのを、両親が励まそうとしてくれているのだろう。そう勝手に判断している。

 倒れた後のことを侍女に訊ねると、アキトさまのことはカーティス団長が取り計らってくれたらしい。
 団長はお祖父さまに仕える最古参にしてきっての忠臣で、礼儀に厚く思慮深く、何事にもそつがない。
 大事なお客さまだけに特別な部屋へと招待し、一夜を明かしてもらう手配をされているとの侍女からの報告だった。

 本日は夜も更け、身体も本調子ではない。今からお伺いするのはご迷惑だろう。
 明日早々にでも、失態のお詫びに足を運ばねばならない。

 ベッドのシーツに顔を埋めて悔やんでいると、ドアをノックする音がした。

「若。マドルク・メイガー、罷り越しました」

「あ、どうぞ!」

 フェブラントが声をかけると、騎士団副団長のマドルクが入室してきた。

 すでに夜間だけあって、鎧は脱いでおり帯剣もしていないが、白を基調に青いラインで彩られた団員規定の制服を身に着けている。
 右胸に輝く白い盾の意匠のエンブレムは、ベルデン騎士団副団長の証だ。

 ちなみに、階級により色が異なり、金色が団長を示し、以下の一般団員は職務によって色分けされている。
 銀は魔族の色、不吉な色として用いられてはいない。

「夜分に申し訳ありません。ただいま戻りましたので、取り急ぎ、ご報告に参りました」

「12日間も、ご苦労様でした」

 フェブラントが部屋で待機していた侍女に目配せすると、侍女は柔らかくお辞儀をして、マドルクと入れ違いに退室した。

「聞けば、体調を崩されたそうで、お加減はいかがですか?」

「うん。いつもの発作ですから。最近はなかったのですが、突然だったので油断しました。たいしたことはないです」

「安心いたしました。御身は栄えあるアールズ家にとっても大事な身、ご自愛なされますよう」

「ありがとうございます。でも、マドルク……固いですよ? ふたりっきりなんですから」

 マドルクはしばし無言だったが、やがて脱力して肩をすくめた。

「……それもそーだな、フェブ。今さらっちゃー今さらだな」

「そうそう。今さらです」

 マドルクは25歳。
 騎士としては比較的若く、それでいてベルデン騎士団の副団長を任されているほどの有能な人材である。
 そして、フェブラントの幼い頃からの友人でもあった。

 初対面はフェブラント3歳、マドルクは15歳の頃。
 まだ見習い騎士だったマドルクは、幼いフェブラントの教育係という名目の遊び相手を申し渡されていた。
 これは、マドルクが子供に好かれて面倒見のいい性格であったことと、地方貴族のメイガー家の4男で、家柄的にも相応と判断されたがためだ。

 フェブラントにしてみれば、マドルクは物心ついた頃から一緒に過ごしていた家族同然の存在である。
 さすがに公の場では体裁もあるので無理だが、余人なしでは昔ながらの気楽な感じだった。

 両親はすでに亡く、祖父の大フェブラント伯爵とは、一般家庭の祖父と孫のようにはとても過ごせず。
 また身分から周囲に対等に付き合える者もいない中で、マドルクの存在はフェブラントの精神的支柱として、大きな役割も果たしていた。

 聡明な祖父は、そこまで見越してマドルクを付けてくれたのかもしれない。
 今後のアールズ家を背負っていく立場にあるフェブラントの、のちの腹心となるべき者であることは疑いようがなかった。

「すまなかったな、こんなときに。明日にしようかと思ったんだが、例の件の結果は、早めに伝えといたほうがいいかと思い直してよ」

「という建前で、ボクのことが心配だったんですよね?」

 含み笑いのフェブラントに、マドルクは照れ臭そうに頭を掻いた。

「……否定はしねぇな。フェブはガキの頃から貧弱だからな、あんま心配かけんな。あと、そういうことは思っても口には出さないもんだ。趣味悪いぞ」

「ふふ、すみません。ボクまだ子供なものですから。マドルクこそ貧弱は余計です。そういうことは、思っていても、口には出さないものですよ?」

「言ってろ」

 軽口の叩き合いが心地いい。

 ひとしきり笑い合ってから――フェブラントは身を正した。
 ここからは、アールズ家の者として聞く必要があるからだ。
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