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第九章

悪魔、招来 1

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「さて。困ったことになってしまいましたな。これでは主に申し訳が立ちません」

 魔族は嘆息して顎に手を添えると、緊張感のない声で首を捻っていた。
 そして、どこからともなく取り出したシルクハットをおもむろに被る。

 あまりにも平然とした挙動。
 どういう理屈か、たった今負ったばかりの肩の傷がきれいさっぱりなくなっていた。
 それどころか、衣服の破れすら消え失せている。

「不気味な野郎だな……なにもんだ、お前は?」

「これはこれは、わたくしとしたことがご挨拶が遅れました」

 魔族は芝居がかった大仰な動作で、右手で脱いだシルクハットを胸に当て、深くお辞儀をした。

「わたくしめは、サルバーニュと申します。人呼んで”影法師”サルバーニュ。お見知りおきください」

 サルバーニュと名乗った魔族のもとに、ふらふらと頼りない足取りで近づく者がいた。

「おや。これは若。いかがなされたかな?」

「フェブ、危ない! 近づいたらダメだ!」

 俺の呼びかけも、フェブには届いていない。
 ただ一心に、何事かを繰り返し呟いている。

「……マドルク……マドルクは? マドルクをどこにやったのですか?」

「ああ、それは……困りましたね。お探しなのは、頭のほうでしょうか、身体のほうでしょうか? 残念ながら、身体のほうはどこに打ち捨てたかは忘れてしまいました。ですが、ほら」

 サルバーニュは自分の腹をぽんぽんと叩く。

「脳でしたら、ここに。わたくし固有の特殊な魔法でしてね。取り込むことで記憶を我が物とできるのですよ。便利でしょう?」

「あ……あああ……」

 フェブが膝から崩れた。
 そのまま上体ごと地面に突っ伏して、嗚咽が聞こえ始める。

「おやおや。次期当主がそのような体たらくで、いかがいたします? それでは、わたくし――いえ、マドルクも心配いたしますよ? おっと」

 叔父が神速で繰り出した回し蹴りを、サルバーニュはシルクハットを押さえながら、大きく背後に跳躍して躱していた。

「うるせえよ。この悪趣味野郎が……!」

「そのようなつもりは毛頭ないのですが。お気に障ったのでしたら、謝罪いたしましょう」

 じりじりと間合いを詰める叔父に対し、サルバーニュは後退して距離を取る。

 正直なところ、叔父以外は誰も碌に動けもしない。
 サルバーニュは、おそらく上級魔族だ。
 相対できるのが叔父以外にいない。

 リィズさんはリオちゃんを庇い、後方に退いている。
 騎士たちは失神中。
 ダナン副団長は力不足を心得ているのか、成り行きを窺っている。

「わたくしの目論見は失敗したようです。ここは大人しく退かせていただきたいのですが」

「逃げられると思うか?」

「でしたら、そこな若を焼き殺して隙を作るといたしましょう」

「やってみろ。この俺の前で、やれるものならな」

 空気が軋む。
 傍目には見えないが、両者の間で目に見えない応酬が行なわれていた。
 痛いほどの静寂だった。

 一瞬即発の状況が、永遠に続くような錯覚に捉われかけた、そのとき――

「――もういい。下がれ、サルバーニュ」

 不意に声が響いた。

 はっとしたサルバーニュが、即座に片膝を突き、臣下の礼をとる。

 上空に真っ暗な闇の裂け目が生まれ、そこから何者かがゆっくりと舞い降りてきた。

 見目麗しいふたりの若い男女だった。
 背格好もほぼ同じで面差しも似ており、おそらくは双子なのだろう。
 左右対称にふたりで手を取り合い舞い降りるさまは、羽衣をなびかせて降臨する天女像を思わせる。

 しかし、そんな生易しいものではないことは、その場にいる誰の目にも明らかだった。
 ふたりがなびかせているのは羽衣ではなく、きらめく長い銀糸の髪。
 容姿に不釣合いなほどの雄々しき巻き角と、うっすら開かれた双眸は、銀光で輝いている。

 ――最上級魔族。
 序列を冠する魔族の高峰。

「申し訳ありません、主よ。此度の件、失敗いたしました」

 深々と頭を下げて謝罪するサルバーニュに、男魔族のほうがさして興味もなさそうに一瞥していた。

「構わない。どのみち、アレによって今回の遊戯盤はすでに引っ繰り返された」

「と申されますと?」

「どこから嗅ぎつけてきたのか、あっちに伏せていた手駒が全部、粛清されちゃったのよね。おかげで騎士団と魔王軍をぶつける計画もパー。息子夫婦に次いで可愛い孫まで殺されて、アールズ伯爵がどんな行動に出るか見ものではあったんだけど」

 ひらひらと女魔族が手を払う。

「これで邪魔されるのは何度目かな? ゲームの準備も手間も楽ではないというのに。途中で遊戯盤そのものを返されては敵わない。過程を楽しむ以前の問題だ」

「では、いっそ。サルバーニュをアールズ伯爵に化けさせて、領民皆殺しにさせたほうが面白かったかしら。人間側の騒動なら、アレも手出しはしてこないでしょう?」

「それじゃあ盛り上がりに欠けるね。伯爵が討たれて単なる内乱で終わりそうだ。狂った領主の虐殺なんて、ありきたりで芸がない。魔族も絡めて、もっと話に幅を持たせたいところだね」

 歓談するように気軽に話されている内容が常軌を逸していた。
 悪意に満ちた話なのに、本人たちにまったく悪意がないことが気持ち悪かった。

 ふたりの魔族が話しているのは、まるでゲームのプレイ内容でも語るかのよう。
 とても、人の生き死にが関わる話し方ではない。

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