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第9章 訓練兵と神隠し

アンカーレン城砦の訓練兵 ②

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 エステラード教官から熱烈な激励を受けたのち、罰則消化のために誰からともなく走り出します。
 早朝訓練も、一般に照らし合わせると相当ハードな部類ですから、すでに朝から皆さんお疲れモードですね。

 それでも、時間内に完走しないとより悲惨なことになるのは目に見えていることがあり、皆さん心情に反して黙々と足を前に踏み出しています。
 この半月の間ですっかり見慣れてしまった光景ですが、なんとも哀愁を誘いますね。

 今回は私の責任も大きいですから、せめて下位の5人には入っておこうと、集団の後方に交じって付いていくことにしました。
 オリンさんこと私の正体がバレないためにも、皆さんにヒーリングのひとつでもかけられないのが、心苦しいですね。

「おい、オリン!」

 前方を走っていた訓練兵のひとりが速度を弱めて、私に並走したかと思いますと、走りながらいきなり肩を組んできました。

 年の頃は10代後半、筋肉質でがっしりとした青年です。身長は180センチを下らないようで、肩を組まれると上から圧し掛かられるようになってしまいます。

 さて……誰でしたっけ?

 実をいうと、私はまだ訓練兵のほぼ全員の名前を把握していません。
 2ヶ月間の訓練をともにしていた本物のオリンさんなら知っているのでしょうが、中身私はここにきてまだ半月。しかも、あえて交流を避けてきましたから、知り得る機会に恵まれませんでした。

 あの教官も、毎回訓練兵を名前で呼んでくれるのならいいのですが、○○ピーだの○○○ピピーだのと伏字ばかりですから、どれが当人の名前なのかわかりません。
 うっかり、名前と勘違いして○○○○ドキュンさんだのと口にして場の空気が凍ってしまった日には、いろいろととんでもないことになりそうです。

 できれば、自己紹介してもらえるとありがたいのですが……おそらく、顔合わせ当初にはそういった時間も設けられたでしょうから、今更それはないでしょう。相手側にしてみますと、何ヶ月も寝食をともにしておいて、名前も知らないなどと失礼にも程がありますからね。

 私も数人くらいは訓練の合間に名前を耳にしています。
 盗み聞きに近いので、確信には程遠いのですが……

「……え~、ランドル……さん?」

「……なんで疑問形なんだよ?」

 おお、どうやら無事に当たったようですね。
 探り探りなのは致し方ないことなので、一発正解しただけでもよしとしましょう。

「やっぱ尊き血筋の貴族様だから、恐縮するんじゃないの~? マークレーン家のお坊ちゃま」

 からかい口調で声をかけてきたのは、いつの間にか反対隣に並走していた少女でした。
 ランドルさんよりやや年下っぽい、ボーイッシュなお嬢さんです。
 ポニーテールというのでしょうか、その名の通り仔馬の尻尾のように長い茶髪を後ろで束ねていて、走る反動でぴょこぴょこ上下に跳ねています。

 よくよく見ますと、このおふたり。オリンさんと入れ替わるきっかけとなったあの川原で、私を両脇抱えて連行した方々ではないですか。
 あのときの言動には棘がありましたから、私――といいますか、オリンさんのことを快くは思っていないようですね。

 今はあからさまな刺々しさは感じませんが、こうして絡んでくるには私になにか物申したいことでもあるのでしょうか。

「うっせえよ。誰も知らないようなミラドナル地方の片田舎、ちんけな貧乏子爵家の九男坊だからな。食い扶持はてめーで探せと、軍に叩き込むような一家だぞ? 尊いもくそもあるかよ」

「腐っても貴族でしょ? 平民で庶民のあたしにとっちゃ、平伏して然るべし、ってやつ?」

「って、アーシア、おまえがいうか? ぜんっぜん平伏してねえだろうが! なんだよ、腐ってもって?」

「あらら、バレた? あはは」

 おふたりとも仲いいですね。
 ともあれ、意図せずにご紹介ありがとうございます。助かりました。

 アーシアさん、でしたね。兵士を目指しているだけあるのか、彼女も女性にしては長身で、私より少し高い170センチ半ばくらいはありそうです。
 必然的に、私を挟んで頭越しの会話になりますから、間に挟まれたまま置いてけぼりの私はどうすればよいものやら。

「おめえもだぜ、オリン?」

 と思った矢先に、いきなり話の矛先が向いてきました。

「マジで恐縮してるとかだったら、柄じゃないんだから勘弁しろよ? 俺たちゃ軍の同期だ、血筋も立場も関係ねえ。あんたのほうが年上だろうが、俺は対等に接する。だから、あんたも貴族とか平民とか関係なしに、タメでいこうぜ、な?」

「うん、わかったよ。あたしは庶民で年下だけど、ランドルがそこまで言うなら、そうするー」

「だから、おめえは言われる前からそうしてただろうが!」

「あはは!」

 うん、実に仲がいいですね。
 なんといいますか、夫婦漫才のようです。

「あの……それで私に御用でしょうか、ランドルさん?」

 とりあえず、ふたりに挟まれ、肩を組まれて並走されつつ、こうして頭の上で漫才されている現状の意味がわかりません。
 私はどうしたものでしょう?

「ほら、言ったそばからその口調!」

「ああ、これは昔からの癖というか、性分なのでご勘弁を。決して恐縮しているとかではありませんから」

「……ふぅん。ならまあ、仕方ねえか」

 ランドルさんは、いったん肩に回した腕を弛めてから――いっそうの力をこめて腕を引き寄せました。

 残った左腕の握り締めた拳が目の前に突き出されます。
 殴られる?――と思いきや。その親指が立てられていました。

「やるじゃねえか、オリン! あの鬼教官にぶちかますたぁ、半端ないぜ! さっきの見たかよ、顔真っ赤になってやんの! あれってすげー痛いの我慢してたんだぜ、絶対! 平然気取ってぷるぷるしてるの、丸わかりだってーの!」

 興奮した面持ちで告げられました。

「だよねだよね、あたしも思った! 実は、あのときに堪え切れずに笑ったの、あたしだったんだよねー。皆には悪いことしちゃったわ」

「しちゃったわ、じゃねえよ。おまえのせいかよ!?」

「てへ、ごめんねー。でも、追加罰則の下位5名に入るつもりはないから、そこんとこよろしく!」

「ないのかよ!? 最低だな、おい!」

 再び、夫婦漫才が繰り広げられます。

 教官の前では、常にぴりぴりして殺伐とした空気でしたが、解放されるとそこはやはり年若い人たちですね。
 他の走っている訓練兵たちも、笑い声を上げています。

 私はこれまで訓練時以外は割り当てられた自室にすぐに引っ込んでいたので気づきませんでしたが、教官の監視下を離れたらいつもこんな感じだったのでしょう。
 騒々しいぐらいの賑やかさに、私もちょっと楽しくなってしまいます。

 ランドルさんが肩を組んできたときは、きっと罰の原因となった私へのクレームだと思ったのですが、早とちりだったようですね。
 接して初めてわかる、皆さん思っていたよりもずっと気のいい若者たちです。
 オリンさんはひとりでいることが多かったそうですから、勿体ないことをしていたようですね。

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