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8月16日:知られざる過去
しおりを挟むユズは、茂みから姿を現すと、おはよう、健太と微笑んだ。それからいつも通り、クロの場所まで移動して腰をおろすと、僕をまっすぐ見た。
「それにしても、クロちゃん、来ないわね。」
いきなり本題に入る話し方は、なんだかクロに似ている。
「クロが来なくなってから、六日目なんだ。クロ、どうしちゃったんだろう。」
僕は、ユズと話しながらクロとのこれまでを思い出した。
クロは、赤ちゃんのときに捨てられて、逃げ惑っているところをシェリーに救われたと言っていた。
「クロにはね、お母さんがいたんだよ。」
僕は、独り言のようにつぶやいた。
「そうなの。」
ユズは、邪魔をしない程度にあいづちを打ってくれる。僕は、それがとても心地よくて話を続けた。
「クロはね、赤ちゃんのときに捨てられたんだって。命からがら逃げていたクロを助けたのが、その猫なんだ。血統書付きのバーミーズ。確か、クロはそう言ってた。」
「血統書付きのバーミーズですって!」
ユズは、がくがくと震えていた。顔から血の気はどんどんなくなり首を横に振っている。
「私、その子を知っているかもしれないわ。」
「シェリーを知ってるの?」
名前を聞いて、ユズはさらに激しく動揺した。
「ねえ、ユズ。よかったらシェリーのことを教えてくれないかな。」
僕は、震えているユズにできるだけ優しく言葉をかけた。
「金色のロケット、」
下を向いたまま、ユズはぽつりと言った。
「金色のロケットを持っていなかった?」
僕は、爪と牙を器用に使ってロケットを開けた、クロの姿を思い出した。
「金色? クロから見せてもらったのは、銀色だったよ。家族の写真が入っていたっけ。」
ユズは、やっぱりとため息をついた。
「家族の写真が入ったロケットを持っているシェリーという名前のバーミーズなんて、世界中探しても、きっと他にいないわ。……間違いないわね。」
そこまで言うと、ユズは深呼吸で気持ちを整え、僕をまっすぐ見て話し始めた。
「シェリーはね、うちの近所に住んでいた猫なの。彼女のお父様は大きな会社の社長さんで、すごいお金持ち。それにとてもお優しい方だった。シェリーのお母様と私のお母様は学生時代のご学友で仲が良かったの。だからよく彼女の家に遊びに行っていたのよ。シェリーと初めて会ったときね、私なんて相手にしないようなそぶりだったから高飛車なお嬢様なのかと思ったんだけど、シャイなだけでまったく違っていたの。明るくて優しくて、いつも前向きだったわ。」
当時を思い出しているのか、ユズは遠くを見るような目で、うっとりとしていた。
「シェリーは、あなたと同じように生粋の家猫だったから外の世界を何も知らなかったのよね。だから私が、色々と教えてあげたの。あなたとクロみたいな感じね。シェリーったら子どものようにはしゃいで私の話を聞いていたのよ。」
ユズは、もう一度呼吸を整えた。
「彼女は、金色のロケットを首にかけていてね、それを爪と牙で器用に開けては中の写真をみせてくれたのよ。家族みんな、幸せそうに笑っている写真。シェリーは本当に幸せだったと思うわ。」
「ねえ、ユズ。そんなに優しい家族がシェリーを捨てるなんて考えられないよ。何かあったの?」
思いきってユズにたずねた。シェリーの真実を僕は知りたい。
僕はユズの心の準備ができるまで何も言わなかった。
「シェリーのお父様、イライラすると彼女に八つ当たりをしていたみたいなの。小さなことにも腹を立てて、シェリーに物を投げつけたりしていたらしいわ。」
それならクロから聞いていた。シェリーはよくいじめられていたらしいと、クロが僕に話してくれたのだ。
「私ね、シェリーのお母様と私のお母様が話しているのを偶然聞いてしまったの。お父様の会社がうまくいってないって言っていたわ。もちろん、だからといってシェリーをいじめたり捨てたりする理由にはならないと思うのよ。でも、だから捨てられたというのは、間違っていないと思うの。」
途中から、ユズの言葉の意味が理解できなくなった。僕は、自分で理解できた範囲でユズに尋ねた。
「……邪魔になったってことかな?」
ユズは、少しつらそうな表情を浮かべた。
「たぶん違うわ。」
そして、青空を仰いで続けた。
「死なせたくなかったんじゃないかしら……。」
それはいったいどういうことだろうと疑問に思ったけれど、僕はあえて何も言わずにユズの言葉を待った。
「シェリーのお父様ね、亡くなったのよ。ご家族と一緒に。」
僕の心臓は、破れてしまいそうな音を立てている。僕はいつか見た、テレビのニュースを思い出した。
「もしかして、一家心中……?」
僕は、震える声で聞いてみた。何かの間違いであって欲しいと願いながら。
しかしユズは、何も言わずにうなずいた。
「お父様が……、その……、なさったみたい。」
思い余っての行動だったのだろう。でも違う道はなかったのだろうか。もし僕の家族だったらどうなのだろう。
テレビの中のできごとと思っていたけれど、身近な問題なのだという現実を、ユズが教えてくれた。
「クロちゃんに必ずお迎えが来ると言っていたということは、シェリーは自分の家族がこの世にいないことを理解していたんじゃないかなって思うのよ。」
そう言うと、ユズは夏の空を仰いだ。
*⋆꒰ঌ┈┈┈┈┈┈┈┈┈໒꒱⋆*
翼を持つ私の友は、氷の彫刻にでもなったかのように、少しも動かなかった。
「シェリーさんに、そんな過去があったんですね。」
さすがの鳶も、それを言うのがやっとだった。
「ユズの話では、外を知らないシェリーはよく窓から景色を眺めていたらしい。シェリーのお父様は、そんな彼女の夢を叶えてやりたくて放したんじゃないかと、私は考えたんだ。」
私は、ふたりの顔を交互に見た。
「家族のかたち。これもその一つだ。人間の世界の悲しい営みなのだ。」
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