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真実
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家に着くと、デイビットは疲れきったようですぐに眠りについてしまった。聞きたいことがたくさんあったはずだが、千恵もまた同じくそれほど気力が残っていなかった。とりあえず、冷蔵庫を開け、そこにたまたま入っていた果実酒を飲むことにした。ふと、デイビットが眠るベッドを見た千恵は、横の椅子にかかっているスーツのジャケットが気になった。デイビットが眠っているのを慎重に確認しながら彼女はそこに近寄っていった。物音を立てないよう静かにポケットを触ると、なんだか質のいい紙の感触がした。それをそっと取り出すと月の灯に照らされて消えかけのサインが見えた。
「これ…。」
その時だった。背後から手紙を持つ右手を力強く握られ、千恵は思わず手紙を離してしまった。振り向くと物凄い形相でじっと千恵を見るデイビットがいた。
「ごめんなさい。」
「中を見たか?」
「いえ、中は何も。」
デイビットはそっと手を離すと手紙を持ち、ベッドに腰掛けた。
あまりのことに千恵の心臓が強く波打つ。掴まれた右手が熱く感じた。
「さっきのカルロスとの会話に出た手紙がどうしても気になったの。」
千恵は右手を擦りながら続けた。
「そのサインと紙の感触、身に覚えがある。私が大学生の頃、父がある晩帰ってきた時、カバンから1枚の手紙が落ちた。父はそのままシャワーを浴びに行ってしまったから、とりあえずそばのテーブルへ置いておいたの。」
千恵は少しずつ頭の中に出てくる映像を組み合わせながら話していった。
「そのすぐあとよ。私がテレビを見ているとき、母がその手紙を手にただ呆然と立ち尽くしていたわ。すると……。するとね…。」
何故かこの続きを口に出そうとすると目の中が熱くなるのがわかった。同時に身体中が寒くなり小さな震えを感じた。
「父が物凄い勢いで母を殴り飛ばしたの。そして、必死に抵抗する母の身体を引きずってどこかへ消えていったわ。戻ってきた父は真っ赤に染まっていたの。」
そこまで言い終えると、千恵の身体は重力に逆らう力を失い崩れてしまった。デイビットはそんな千恵の身体を優しく抱きかかえ、ベッドに座らせた。
「ずっと、閉まっておいたんだな。そのガラスのように脆い心の中に。」
千恵の中に今まで溜まっていたものがボロボロと吐き出されるかのように、彼女の目からは涙が流れ続けた。抱きしめるデイビットの温もりが彼女のその心を冷たくせずにしてくれた。
「よく聞いて千恵。俺は、その手紙から千恵を守りたいんだ。この先残酷なことが待っているかもしれない。だけど、これだけは覚えておいて。」
デイビットは千恵の顔を見ながらこう続けた。
「俺がずっとそばにいる。」
その言葉を聞いた千恵は彼に口付けをした。このことを忘れないように、身体に刻み込んだ。
翌朝、デイビットと千恵のいる家にカルロスが尋ねてきた。
「朝食にどうかなと思って。近所のパン屋で買ってきた。」
彼の手に持つ紙袋からは、とても香ばしい匂いがした。
「美味しそう!」
千恵は目を輝かせながら袋の中を覗き込んだ。
「お好きなのどうぞ?」
「ありがとう!じゃあ、これいただくわ。」
満面の笑みでパンを手にした千恵は無邪気な子どものようだった。
「コーヒーいれるよ。」
「あ、私がやるわ。やらせて。」
キッチンへと向かおうとするデイビットを引き止め、千恵はコーヒーカップとドリップポットを取り出し、ポットに水を注ぎ火にかけた。ブレンドされた焙煎豆をすくい、コーヒーミルへ投入すると、慣れた手つきで豆を挽いた。ペーパーフィルターをドリッパーに付けるとサーバーの蓋を開け、その上にセットし挽き終えた豆をその中へ流し入れた。ちょうどお湯が沸くと静かにお湯を注ぎ入れた。コーヒーのほろ苦い香りが部屋中に広がる。
デイビットとカルロスは思わずそんな彼女に見入ってしまった。
「どうぞ。」
「驚いた。コーヒー、入れられるんだな。」
デイビットはこんな千恵の姿を見たことがなかった。
「母に仕込まれたのよ。なにか一つでも自分で出来る得意なことがあった方がいいって。まぁ、空手もその一つかな。」
「空手!?」
「気をつけろよカルロス。」
カルチャーショックを受けたかのようにカルロスはイスの背もたれによたれかかった。
千恵が入れたコーヒーとパンを口にしながら、彼らはこれからのことを話し始めた。
「まず、おそらく建はマンモスと一緒にいると思う。」
「奴らのアジトへ潜る?」
「まずそこを突き止める必要があるな。」
そう言うと2人は同時に私の方へ振り向き、微笑んだ。
甘い香水、巻いてトップでまとめた髪、デコルテが主張された淡いピンクの膝丈ドレス、15cmのハイヒール、そのセクシーさを内に秘めるように真っ黒のコートを羽織った千恵の姿はとても美しかった。
「いいか。お嬢様のような礼儀は必要ない。親しみやすい雰囲気でいくんだ。」
「そんなことより、この状況を詳しく説明してほしいんだけど。」
「大丈夫。俺達も近くで見張ってるから。」
千恵はやりきるしかないと半分諦めて、目的地へと歩き出した。その歩く様に道行く人がチラホラと振り向き、中には声をかけてくる者もいた。だが、千恵は全く動じず真っ直ぐと歩き進んだ。少し歩くと見えてきたのは”friendpark”だ。千恵は中に入ると迷わずカウンターへと向かった。
「何をお飲みになりますか?」
「そうね。あなたに任せるわ。」
かしこまりました。と答えるとバーテンダーは手際よくお酒を作り始めた。その間、彼女はあたりを見渡した。人が多すぎて、誰が誰だかわからないと困っていると自分の前に酒が置かれた。
「今日のあなたにはこのお酒を。」
そう言って出されたのはスクリュードライバーだった。
「最高の褒め言葉ね。」
そう言うと千恵はバーテンダーを見つめながらそのお酒を口にした。すると、横から見知らぬ男性が声をかけてきた。
「何飲んでるの?」
その声のする方を振り向くと千恵の心臓が一気に高鳴った。額の左側に切り傷のあるスキンヘッドの中年男性だった。そう、彼こそが求めていた相手だったのだ。
「スクリュードライバーよ。バーテンダーさんのオススメで。」
「きっと僕も彼と同じ酒を君に勧めたよ。僕も一緒にいい?」
「えぇ、もちろん。」
事が順調に運びすぎていて恐怖を感じていたが、相手に悟られないように必死に振舞った。
「じゃあ…アイオープナーを。」
攻めてくる彼を千恵はどう返したら良いのだろうと考えながら、まず冷静に聞くべきことを聞こうと考えた。
「お尋ねしてもよろしくて?」
「うん、なんだい?」
彼はとても気さくな人に思えた。その瞬間少し緊張が溶けた。
「ご職業は?何されてるの?」
「ただの役人だよ。」
「役職は、お偉いのかしら?」
「まぁね。幹部をやってるよ。」
その瞬間の彼はとても得意気だった。どの国でも男性は役職に付けることが誇りなのだと感じた。
「へぇ、素晴らしいわね。感心しちゃった。」
「ところで、この後なにか予定ある?」
「いえ、なにも。」
気分を良くしたのかとても上機嫌に問いかけてきた。千恵は何となく男性の考えていることがわかったが、これもまたチャンスかもしれないと思い、あえて気付かないふりをした。
「じゃあ、一緒に来て。」
そう言い、彼と千恵は席を後にした。そして辿り着いたのは観光客や多くの著名人が利用するグランドホテルだった。案内された一室に入ると、窓ガラス一面に夜景が広がっていた。思わず千恵はその景色に魅了された。すると、背後から男性が歩み寄り千恵の両肩に手を置いた。
「とても綺麗だろ。」
千恵はその問いかけに微笑みを返した。
「そういえば、名前をまだ聞いていなかったわ。」
「おぉ、これは失礼。僕の名前はホークス.メンリー。君の名前は?」
「アンジェシカ.ユリよ。」
「ユリ。いい響きのする名前だね。」
そう千恵の耳元で囁くと肩にあった手が身体のラインをなぞりはじめた。太ももに達した時千恵は彼の方へと振り返った。結ばれている髪の毛をさっと解きほぐし、彼の首に手を回した。ホークスは微笑みながら千恵のドレスのチャックに手をかけた。千恵は首にかけた手をすっと彼のスーツにかけ、ジャケットを脱がすとネクタイを解いた。千恵のドレスのチャックを少しづつ下げていき、千恵はまた彼のシャツのボタンを外していった。ここまでくると、彼は限界に達したのか千恵を勢いよくベッドへ押し倒した。彼の唇が胸に当たりそうになるのを嫌がった千恵はくるっと体制を俯きにした。それでも彼はやめようとしない。その時、扉が勢いよく開いた。千恵に覆いかぶさるホークスをデイビットが思いっきり蹴り倒した。すかさず、カルロスがドレスを千恵に渡した。受け取ると素早く着替え、ホークスの上着から手帳とケータイを抜き取った。実はデイビットとカルロスは千恵のコートに仕込まれていた盗聴器から状況を確認し、ホテルマンから部屋のカードキーをだまし取って侵入してきたのだ。ホークスの手と足を縄で縛り上げるとデイビットは千恵から手帳とケータイを奪い、そのケータイで写真を撮った。
「ホークス.メンリー警部補。」
デイビットは手帳を彼に突きつけながらホークスの名を呼んだ。彼の本当の正体はFBI捜査官だったのだ。
「なんの真似だ。こんなことが許されると思ってるのか。」
「この写真を仲間にばらまいてやってもいいだよ。音声もバッチリ録音してある。」
デイビットは彼のケータイをチラつかせながら煽った。それを見たホークスは堪忍したようにため息をついた。
「何が狙いだ?」
デイビットはホークスの前にしゃがみこんだ。
「マンモスというマフィアを知っているな?」
それを聞いたホークスは強くデイビットを睨みつけた後、小さく頷いた。
「奴らのアジトはどこだ?」
「それを教える前にだ、お前達の目論みが何も見えない。一体何をしようとしているんだ。マフィアを潰そうというのなら、お前達の力じゃ歯が立たないのは考えればわかるだろう。」
デイビットは立ち上がりスーツの胸ポケットから例の手紙を取り出し、中の文書をホークスの前に差し出した。その文書に視線を向けしばらく沈黙したあと彼の表情が青ざめていった。
「これは…。なんということだ。」
「この事にそのマンモスが関わってる。」
「このことは極秘にお願いしたい。他に知られ世に広がるようなことになれば、国内だけではなく世界中がパニックになるだろう。」
「それどころじゃ済まないぞ。」
「だからこそだ。ことが起きる前に食い止めるんだ。」
「わかったよ。協力しよう。」
車に戻るとカルロスが暖かいコーヒーを千恵に渡した。
「ありがとう。」
「いい働きっぷりだったよ。」
褒められているのだろうが、素直に喜べなかった。まだあの男の温もりを感じる。あの時は必死で自分を押し殺していたが、それが解かれた瞬間一気に恐怖感が身体を襲った。
「大丈夫か。」
デイビットはミラー越しに千恵を確認しながら尋ねた。
「えぇ、平気。」
「あまり時間が無い。急ぐぞ。」
そう言うとデイビットは車を出した。
「いよいよだ。」
2人は意思を確認するように顔を見合わせた。
「そろそろ聞いてもいいかしら?」
そんなふたりを割って入るように千恵は問いかけた。
「2人は何を企んでいるの?そもそも、あの手紙には一体何が…?」
その質問を聞いた2人はただじっと前を見つめ、深く考え込んだ。だが、もうこれ以上隠せないと思ったのか、デイビットが静かに語り始めた。
「あの手紙はイギリス王女が宛てたものなんだ。内容はこれだ…。」
そう言うと、千恵に手紙を差し出した。千恵は恐る恐る受け取り、この時初めて中を開いた。中には1通の文書が入っていた。そこにはこう綴られていた。
“あらゆる手段を考慮し、米国軍事及び政府の情報収集を実行せよ。成すことが出来れば、確かな地位と報酬を与える。” つまりスパイ行為を指示するものだった。
「何故これを父が…?」
「そもそも、君の父の出身は?」
「父は日本よ。ただ、祖父はイギリス人だった。」
その瞬間、千恵の身体は凍りついた。
「君の母はそれに気づいてしまったんだ。スパイはたとえ身内であってもその正体を知られてはならない。」
「”マンモス”のボスはイギリス系アメリカ人。つまりだ、建は不慣れなアメリカでの企業改革と称して進出するために、マフィアと手を組み仕事をやりやすい環境へ運んでいった。彼が元々日本人であることを踏まえると、向こうでも何か条件を指定されている可能性もある。」
「こんなこと、もし本当に実行されてしまったなら、戦争の発端になりかねないわ。」
「俺の父はそれに気づいていた。だから盗もうとしたんだ。だけどある日、父はそのマンモスに暗殺された。その後、母もあとを追うようにこの世を去ったよ。」
デイビットは指輪をいじりながら、少し寂しそうに語った。あまりに残酷で衝撃的な事実に千恵はただ黙るしかできず、手紙を持つ手に力が入った。
「許せない。」
国の身勝手な事情で何も関係の無い人たちの命が失われていっていることが千恵には我慢ならなかった。
「これ…。」
その時だった。背後から手紙を持つ右手を力強く握られ、千恵は思わず手紙を離してしまった。振り向くと物凄い形相でじっと千恵を見るデイビットがいた。
「ごめんなさい。」
「中を見たか?」
「いえ、中は何も。」
デイビットはそっと手を離すと手紙を持ち、ベッドに腰掛けた。
あまりのことに千恵の心臓が強く波打つ。掴まれた右手が熱く感じた。
「さっきのカルロスとの会話に出た手紙がどうしても気になったの。」
千恵は右手を擦りながら続けた。
「そのサインと紙の感触、身に覚えがある。私が大学生の頃、父がある晩帰ってきた時、カバンから1枚の手紙が落ちた。父はそのままシャワーを浴びに行ってしまったから、とりあえずそばのテーブルへ置いておいたの。」
千恵は少しずつ頭の中に出てくる映像を組み合わせながら話していった。
「そのすぐあとよ。私がテレビを見ているとき、母がその手紙を手にただ呆然と立ち尽くしていたわ。すると……。するとね…。」
何故かこの続きを口に出そうとすると目の中が熱くなるのがわかった。同時に身体中が寒くなり小さな震えを感じた。
「父が物凄い勢いで母を殴り飛ばしたの。そして、必死に抵抗する母の身体を引きずってどこかへ消えていったわ。戻ってきた父は真っ赤に染まっていたの。」
そこまで言い終えると、千恵の身体は重力に逆らう力を失い崩れてしまった。デイビットはそんな千恵の身体を優しく抱きかかえ、ベッドに座らせた。
「ずっと、閉まっておいたんだな。そのガラスのように脆い心の中に。」
千恵の中に今まで溜まっていたものがボロボロと吐き出されるかのように、彼女の目からは涙が流れ続けた。抱きしめるデイビットの温もりが彼女のその心を冷たくせずにしてくれた。
「よく聞いて千恵。俺は、その手紙から千恵を守りたいんだ。この先残酷なことが待っているかもしれない。だけど、これだけは覚えておいて。」
デイビットは千恵の顔を見ながらこう続けた。
「俺がずっとそばにいる。」
その言葉を聞いた千恵は彼に口付けをした。このことを忘れないように、身体に刻み込んだ。
翌朝、デイビットと千恵のいる家にカルロスが尋ねてきた。
「朝食にどうかなと思って。近所のパン屋で買ってきた。」
彼の手に持つ紙袋からは、とても香ばしい匂いがした。
「美味しそう!」
千恵は目を輝かせながら袋の中を覗き込んだ。
「お好きなのどうぞ?」
「ありがとう!じゃあ、これいただくわ。」
満面の笑みでパンを手にした千恵は無邪気な子どものようだった。
「コーヒーいれるよ。」
「あ、私がやるわ。やらせて。」
キッチンへと向かおうとするデイビットを引き止め、千恵はコーヒーカップとドリップポットを取り出し、ポットに水を注ぎ火にかけた。ブレンドされた焙煎豆をすくい、コーヒーミルへ投入すると、慣れた手つきで豆を挽いた。ペーパーフィルターをドリッパーに付けるとサーバーの蓋を開け、その上にセットし挽き終えた豆をその中へ流し入れた。ちょうどお湯が沸くと静かにお湯を注ぎ入れた。コーヒーのほろ苦い香りが部屋中に広がる。
デイビットとカルロスは思わずそんな彼女に見入ってしまった。
「どうぞ。」
「驚いた。コーヒー、入れられるんだな。」
デイビットはこんな千恵の姿を見たことがなかった。
「母に仕込まれたのよ。なにか一つでも自分で出来る得意なことがあった方がいいって。まぁ、空手もその一つかな。」
「空手!?」
「気をつけろよカルロス。」
カルチャーショックを受けたかのようにカルロスはイスの背もたれによたれかかった。
千恵が入れたコーヒーとパンを口にしながら、彼らはこれからのことを話し始めた。
「まず、おそらく建はマンモスと一緒にいると思う。」
「奴らのアジトへ潜る?」
「まずそこを突き止める必要があるな。」
そう言うと2人は同時に私の方へ振り向き、微笑んだ。
甘い香水、巻いてトップでまとめた髪、デコルテが主張された淡いピンクの膝丈ドレス、15cmのハイヒール、そのセクシーさを内に秘めるように真っ黒のコートを羽織った千恵の姿はとても美しかった。
「いいか。お嬢様のような礼儀は必要ない。親しみやすい雰囲気でいくんだ。」
「そんなことより、この状況を詳しく説明してほしいんだけど。」
「大丈夫。俺達も近くで見張ってるから。」
千恵はやりきるしかないと半分諦めて、目的地へと歩き出した。その歩く様に道行く人がチラホラと振り向き、中には声をかけてくる者もいた。だが、千恵は全く動じず真っ直ぐと歩き進んだ。少し歩くと見えてきたのは”friendpark”だ。千恵は中に入ると迷わずカウンターへと向かった。
「何をお飲みになりますか?」
「そうね。あなたに任せるわ。」
かしこまりました。と答えるとバーテンダーは手際よくお酒を作り始めた。その間、彼女はあたりを見渡した。人が多すぎて、誰が誰だかわからないと困っていると自分の前に酒が置かれた。
「今日のあなたにはこのお酒を。」
そう言って出されたのはスクリュードライバーだった。
「最高の褒め言葉ね。」
そう言うと千恵はバーテンダーを見つめながらそのお酒を口にした。すると、横から見知らぬ男性が声をかけてきた。
「何飲んでるの?」
その声のする方を振り向くと千恵の心臓が一気に高鳴った。額の左側に切り傷のあるスキンヘッドの中年男性だった。そう、彼こそが求めていた相手だったのだ。
「スクリュードライバーよ。バーテンダーさんのオススメで。」
「きっと僕も彼と同じ酒を君に勧めたよ。僕も一緒にいい?」
「えぇ、もちろん。」
事が順調に運びすぎていて恐怖を感じていたが、相手に悟られないように必死に振舞った。
「じゃあ…アイオープナーを。」
攻めてくる彼を千恵はどう返したら良いのだろうと考えながら、まず冷静に聞くべきことを聞こうと考えた。
「お尋ねしてもよろしくて?」
「うん、なんだい?」
彼はとても気さくな人に思えた。その瞬間少し緊張が溶けた。
「ご職業は?何されてるの?」
「ただの役人だよ。」
「役職は、お偉いのかしら?」
「まぁね。幹部をやってるよ。」
その瞬間の彼はとても得意気だった。どの国でも男性は役職に付けることが誇りなのだと感じた。
「へぇ、素晴らしいわね。感心しちゃった。」
「ところで、この後なにか予定ある?」
「いえ、なにも。」
気分を良くしたのかとても上機嫌に問いかけてきた。千恵は何となく男性の考えていることがわかったが、これもまたチャンスかもしれないと思い、あえて気付かないふりをした。
「じゃあ、一緒に来て。」
そう言い、彼と千恵は席を後にした。そして辿り着いたのは観光客や多くの著名人が利用するグランドホテルだった。案内された一室に入ると、窓ガラス一面に夜景が広がっていた。思わず千恵はその景色に魅了された。すると、背後から男性が歩み寄り千恵の両肩に手を置いた。
「とても綺麗だろ。」
千恵はその問いかけに微笑みを返した。
「そういえば、名前をまだ聞いていなかったわ。」
「おぉ、これは失礼。僕の名前はホークス.メンリー。君の名前は?」
「アンジェシカ.ユリよ。」
「ユリ。いい響きのする名前だね。」
そう千恵の耳元で囁くと肩にあった手が身体のラインをなぞりはじめた。太ももに達した時千恵は彼の方へと振り返った。結ばれている髪の毛をさっと解きほぐし、彼の首に手を回した。ホークスは微笑みながら千恵のドレスのチャックに手をかけた。千恵は首にかけた手をすっと彼のスーツにかけ、ジャケットを脱がすとネクタイを解いた。千恵のドレスのチャックを少しづつ下げていき、千恵はまた彼のシャツのボタンを外していった。ここまでくると、彼は限界に達したのか千恵を勢いよくベッドへ押し倒した。彼の唇が胸に当たりそうになるのを嫌がった千恵はくるっと体制を俯きにした。それでも彼はやめようとしない。その時、扉が勢いよく開いた。千恵に覆いかぶさるホークスをデイビットが思いっきり蹴り倒した。すかさず、カルロスがドレスを千恵に渡した。受け取ると素早く着替え、ホークスの上着から手帳とケータイを抜き取った。実はデイビットとカルロスは千恵のコートに仕込まれていた盗聴器から状況を確認し、ホテルマンから部屋のカードキーをだまし取って侵入してきたのだ。ホークスの手と足を縄で縛り上げるとデイビットは千恵から手帳とケータイを奪い、そのケータイで写真を撮った。
「ホークス.メンリー警部補。」
デイビットは手帳を彼に突きつけながらホークスの名を呼んだ。彼の本当の正体はFBI捜査官だったのだ。
「なんの真似だ。こんなことが許されると思ってるのか。」
「この写真を仲間にばらまいてやってもいいだよ。音声もバッチリ録音してある。」
デイビットは彼のケータイをチラつかせながら煽った。それを見たホークスは堪忍したようにため息をついた。
「何が狙いだ?」
デイビットはホークスの前にしゃがみこんだ。
「マンモスというマフィアを知っているな?」
それを聞いたホークスは強くデイビットを睨みつけた後、小さく頷いた。
「奴らのアジトはどこだ?」
「それを教える前にだ、お前達の目論みが何も見えない。一体何をしようとしているんだ。マフィアを潰そうというのなら、お前達の力じゃ歯が立たないのは考えればわかるだろう。」
デイビットは立ち上がりスーツの胸ポケットから例の手紙を取り出し、中の文書をホークスの前に差し出した。その文書に視線を向けしばらく沈黙したあと彼の表情が青ざめていった。
「これは…。なんということだ。」
「この事にそのマンモスが関わってる。」
「このことは極秘にお願いしたい。他に知られ世に広がるようなことになれば、国内だけではなく世界中がパニックになるだろう。」
「それどころじゃ済まないぞ。」
「だからこそだ。ことが起きる前に食い止めるんだ。」
「わかったよ。協力しよう。」
車に戻るとカルロスが暖かいコーヒーを千恵に渡した。
「ありがとう。」
「いい働きっぷりだったよ。」
褒められているのだろうが、素直に喜べなかった。まだあの男の温もりを感じる。あの時は必死で自分を押し殺していたが、それが解かれた瞬間一気に恐怖感が身体を襲った。
「大丈夫か。」
デイビットはミラー越しに千恵を確認しながら尋ねた。
「えぇ、平気。」
「あまり時間が無い。急ぐぞ。」
そう言うとデイビットは車を出した。
「いよいよだ。」
2人は意思を確認するように顔を見合わせた。
「そろそろ聞いてもいいかしら?」
そんなふたりを割って入るように千恵は問いかけた。
「2人は何を企んでいるの?そもそも、あの手紙には一体何が…?」
その質問を聞いた2人はただじっと前を見つめ、深く考え込んだ。だが、もうこれ以上隠せないと思ったのか、デイビットが静かに語り始めた。
「あの手紙はイギリス王女が宛てたものなんだ。内容はこれだ…。」
そう言うと、千恵に手紙を差し出した。千恵は恐る恐る受け取り、この時初めて中を開いた。中には1通の文書が入っていた。そこにはこう綴られていた。
“あらゆる手段を考慮し、米国軍事及び政府の情報収集を実行せよ。成すことが出来れば、確かな地位と報酬を与える。” つまりスパイ行為を指示するものだった。
「何故これを父が…?」
「そもそも、君の父の出身は?」
「父は日本よ。ただ、祖父はイギリス人だった。」
その瞬間、千恵の身体は凍りついた。
「君の母はそれに気づいてしまったんだ。スパイはたとえ身内であってもその正体を知られてはならない。」
「”マンモス”のボスはイギリス系アメリカ人。つまりだ、建は不慣れなアメリカでの企業改革と称して進出するために、マフィアと手を組み仕事をやりやすい環境へ運んでいった。彼が元々日本人であることを踏まえると、向こうでも何か条件を指定されている可能性もある。」
「こんなこと、もし本当に実行されてしまったなら、戦争の発端になりかねないわ。」
「俺の父はそれに気づいていた。だから盗もうとしたんだ。だけどある日、父はそのマンモスに暗殺された。その後、母もあとを追うようにこの世を去ったよ。」
デイビットは指輪をいじりながら、少し寂しそうに語った。あまりに残酷で衝撃的な事実に千恵はただ黙るしかできず、手紙を持つ手に力が入った。
「許せない。」
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