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第1章 彼らの世界/誤謬
06: 処置
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蓮は狭い木箱に押し込められたまま、フォージャリー居住区そばにある工場駅から貨物列車でユミルに向けて輸送されていた。
随分長い期間、飲まず食わずで移動したようだった。
蓮がフォージャリーではなく、人間であったなら、この移動だけで衰弱していただろう。
蓮が箱の中にいても判るような気温や空気の変化に気付いた時、列車での長い運搬が終わり、彼は集荷場のような場所で開放され、そこで待機していた車に移動させられた。
どうやらフォージャリー居留区の外れにあるランドマーク・モノリス『再生の壁』はとっくの昔に越えたらしい。
車の後部座席に座る蓮と、運転席との間は防護ガラスで仕切られている。
運転席の男は、先ほどから、蓮の方を振り向きもしない。
蓮を、まるで「触ると一瞬の内に毒針を突き刺してくる毒虫」の様に思っているようだ。
逆に蓮は、自分が初めて見る外界への感想を誰かにぶちまけたいという衝動に逆らえず、しきりに運転手に話しかけていた。
初めて見るこの世界は、蓮の住んでいたあの街とは何もかもが異なっていた。
この世界の構成物の多くは、蓮達、フォージャリーが、あの街で血と汗と涙を流し製産し続けた製品で満ち溢れているというのにだ。
この世界の名前は"イーヅル"、いやマスターヒューマン達はフォージャリーを員数には元から考えていないので"ユミル"と自称している。
ユミルには煤煙にくすんでいない青空があった。
汚物がまき散らされていないクリーンな道路があった。
人と人が肩をぶつけないですむ広さがあった。
何よりも、蓮のいた世界では、眠っている間以外には、4時間以上の自由時間がなかったのに、街を行き交う人々の顔を見ると、ここには潤沢な自由がありそうだった。
蓮にとってちょっと意外だったのは、『人間世界では空の浄化も進んでおり、空電域を気にせず空には飛行艇が飛んでいる』という噂が嘘だったくらいだ。
この世界でも、蓮の世界と同様に、偽物の青空をあざ笑うかのように、遥か天空の彼方で強烈な稲妻が走るのが見えた。
しかしその事は、この世界の輝きを損なう為のたった1パーセントの要因にもならなかったのだ。
蓮は、長い間小さな箱に押し込められて痛んだ関節をさすりながら、車の後ろを振り返った。
『俺の住んでいた街は何処にあるのだろうか?』
もちろんその動作は、望郷の念でも、帰り道の確認の為でもない。
闇ファイトで得られた金は、彼の家族のものになり、家族は当面の危機を回避出来るだろう。
だがその平穏は何時まで続かない事も、又、たとえ蓮があの街に残っていたとしても事態が何も変わらない事は解っていた。
フォージャリー居留区で生きるとは、そういう事なのだ。
蓮は、自分があの街から、いかに遠ざかったかという確実な距離感が欲しかったから、そうしただけだ。
その距離は長ければ長いほうがよい。
蓮が気にしているのは、その距離が、実際には自分で思っている程遠くなかったらどうしょう、という事だけだった。
蓮の頭の中のイーズルはそれくらい巨大な国家だったのだ。
運搬車両の運転手が、何か外部からの指示を受けたようで、それに反応して運転席のコントロールパネルのスィッチを押した。
蓮の身体が一瞬硬直する。
車内のどこからか声が漏れだしていた。
権威という磁力を大量に帯びたその声は、少なくとも運転手のものではない事だけは判った。
「おめでとう、チャイナレディ。今日から君は晴れて我々の社会の仲間入りだ。もっとも大手を振ってと言う訳にはいかないがね。それに、君には私と会う前に、やって貰わねばならない処置がある。君達は我々人間とそっくりの姿形をしている。そのために、君達は我々人間と見分けが付くように、ある制限を体内に組み込まれているんだ。制限にはいろいろな要素があるが、代表的なものは、君達の発声器官に加えられたものだ。今のままでは、君は我々の声を聞き取る事は出来るが、我々の言葉はまともには話せない。まずは、我々の言葉を話せるようになって貰いたい。言い遅れた。私の名はトレバー・リンカーン。君の新しいマスターの父親だ。そうだね…マスターと言う言葉の意味をしっかりと学ぶ事だ。それがこの世界で君の生き延びる道だと思ってね。」
一方的な音声が終わった。
蓮は自分の名が、この世界ではチャイナレディである事、蓮がいた世界では噂話でしかなかったフォージャリーと殆ど変わらないと云うマスター達の存在が真実であることを知った。
蓮は、運転席の男に喋りかけようとしたが、声が言った内容を思い出して止めた。
蓮が喋りかけた声をたとえ運転手が聞いていたとしても、その声は人語として相手には理解されていないのだろう。
蓮は、故郷の街の底に住んでいるモスラム虫の事を一瞬思い浮かべた。
『この運転手には、俺の事が、あの化け物モスラム虫の様に映っているのかも知れない。』
それは蓮にとってかなり痛みを伴う自己認識だった。
蓮の不機嫌な沈黙を乗せて、運搬車はリンカーンという巨大なロゴのネオンサインが掛かった建物の一階にある荷物搬入ゲートに滑り込んでいった。
・・・・・・・・・
「どうかね?」
蓮は嗄れた声を聞いて目を覚ました。
彼はベッドの上に寝かされていた。
つい先程、打ち放しのコンクリートの壁の部屋に押し込められ、何かガスのようなものが部屋中に充満し、そこで気を失った、そこまでは憶えていた。
今、蓮の頭上に白い顎髭を生やした痩せこけた老人の顔がある。
糊の効いた白衣を着ている。
嗄れた声はその老人が発したようだ。
「君の名は何と言う?君はもう我々の言葉が話せる筈だよ。」
老人はベッドに屈み込む姿勢から、先ほどまで自分の座っていた椅子に腰を戻しながらそう言った。
蓮はためらった。
ちゃんと話せるかより、チャイナレディと自分を名乗っていいのか、蓮と名乗っていいのかを迷ったのだ。
更に、この初めての言葉が、この世界での自分の生きる姿勢を決定するような気がしたからだ。
「チャイナレディと、貴方方はよんでいるようです。」
思ったよりも簡単に言葉が出たと、蓮は思った。
しかし老人はその蓮の答えに少しがっかりしたようだ。
一瞬、蓮は、老人の落胆が、トレバーの言う発声器官の処置に彼が失敗したのか、あるいは自分の思った程の結果が出ていない事にあるのかも知れないと思った。
が暫くして、老人の表情が哀しみである事に気がついて、蓮は顔から火が吹く程の恥ずかしさにかられた。
老人が蓮の回答に期待したのは、もっと人間の尊厳に関わるもののようだった。
「儂が処置した者達は、最初に全て、自分のスレイブネームを名乗ってきた。自分の名があるのにね。人間の世界にとけ込んだ後でも、昔の名を明かす者はほとんどいない。だが今回はリンカーン会長から、君は特別かもしれんと聞いていた。だから儂は、もしかして君からは本当の名が聞けると期待したのだが。、、生まれついての名を名乗るどうか。それは君にとって、この世界でどう生きるのかの試金石のようなものだった筈だからね…。」
「すみません。俺、蓮です。航宇 蓮(こうう れん)。」
驚くほど素直な声が蓮の口から流れ出た。
「こうう れん レン?東洋系か、それにしても面白い名前だね。何か特別な意味でもあるのかな?」
「いえ、俺が航宇の家の子になった時、家の者はその頃、特需で沸いていた植物プラント工場で毎日毎日いやという程、色々な種類の作物を育てていて、そんな中、ある時非常に珍しい植物を作らさらた事があったそうです。それが蓮(はす)だったそうで。それだけです。それに俺達の世界では名前に大した価値はありません。…いくら親がその名に期待を込めてもそれが叶う事はないからです。」
「…なるほどな。」
老人は優しげに微笑んだ。
「儂は…航宇には意味があると思うが、まぁそれはいい。さっき言ったとおり、君の事は会長から直々に聞き及んでいる。この世界にやって来たフォージャリーの処置は儂が中心になって行っているからね。じゃが、こうやって手術後の直々の面談は普通、儂は行わない。今、君の目の前に儂がいるのは、君がやはり特別な存在だからだ。儂も処置を行ってみてその事がよく判った。」
「僕がどう特別なのです?」
「やはり自覚がないのだな。、、、君達は自分達の存在をどう規定している?」
蓮は老人を信用してみる気になった。
フォージャリーは生き残るために、人を見抜く為の直感力に長けている。
蓮は自分もそうだと思っていた。
「俺は『祖父』に育てられました。『祖父』から、我々は人間達の棄民だと教えられました。捨てられるのにはそれなりの理由があると、それでも、こうやって生きる場所を与えられているのは人間のおかげだから、人間には奉仕せよと。」
蓮は教えられて来た言葉通りの事を老人に伝えた。
ただし、その裏に込められた恨みの真意については黙っていた。
「君のお爺さんは古風な人のようだ。普通のフォージャリーの親は単に、人間に『仕える者』とだけ教えるようだがね。」
蓮はそれは違うと思っていた。
蓮の街では自分達の事を『息子』に、『仕える者』と教える『父』も『母』も絶対にいない。
この老人が言った知識、あるいは思いこみはあくまで、フォージャリーならこう考えているという人間界側のものだ。
本当は「もしマスター世界の人間に出会うような事があれば、『仕える者』と言え。」と教えられているだけだ。
ここの処置を受けて来たフォージャリー達は、その教えを守ってきただけの事なのだろう。
「実はな、儂は君達の事を『仕える者』ではなく『協力者』と内心呼んでいる。フォージャリーは自分に与えられた長命を、記憶消去を繰り返す事と斬新な家族制によって、人間のそれと同調させている。それも人間の『協力者』だからだ。最初からそういう社会設計になっている。それがなければ、とうの昔に人間とフォージャリーはその優劣を決める為に殺し合いをやっておる。まあ尤もこの考えさえ、ユミルでは相当危険な概念だがね。、、、君はその『協力者』の中でも、最も優秀な存在のようだ。君はその意味を既に自覚していてもおかしくない筈じゃったんだが、、。」
結局、蓮はこの老人から自分の何が特別なのか、具体的な事は教えて貰えないでいた。
どうやら、その事を自覚していない相手に、詳しいことは教えるつもりはないという事なのだろう。
「よく理解できませんが、貴方が私を信頼して下さる事だけは判ります。」
蓮は、老人の話をそれ以上聞くことが、自分を厄介な情況へ追い込むと直感した。
老人は初対面の自分に、かなりきわどい事を話しているようだった。
ユミルとやらではフォージャリーを「人間の協力者」と呼ぶのは、そうとう危険な考え方のようだ。
暗黙裏に、この老人は蓮に共犯者の立場にたたせようとしているのだ。
これ以上、老人の話を聞く事は避けたかった。
このような、フォージャリーの存在理由に関わる会話への敏感さは蓮の同胞に共通するものだった。
老人もそんな蓮の顔色を見て、今はこの語りかけの潮時と見切ったらしい。
老人には蓮に関わる時間が、今後も充分にあるということらしい。
「君も、暫くすれば、この世界・ユミルに慣れる事だろう。困った事があれば儂に連絡をくれたまえ。今日の所は、儂が君達の理解者である事を判ってくれればいい。儂はヨーゼフ・ヴィルツだ。それと今日の話は、、。」
老人が椅子から腰を上げた。
この話の続きは、蓮に話させたいらしい。
「今日の話は、貴方と僕だけの秘密です。」
「やはり利口だな。」
老人は満足そうに頷いて蓮のいる部屋を出ていった。
随分長い期間、飲まず食わずで移動したようだった。
蓮がフォージャリーではなく、人間であったなら、この移動だけで衰弱していただろう。
蓮が箱の中にいても判るような気温や空気の変化に気付いた時、列車での長い運搬が終わり、彼は集荷場のような場所で開放され、そこで待機していた車に移動させられた。
どうやらフォージャリー居留区の外れにあるランドマーク・モノリス『再生の壁』はとっくの昔に越えたらしい。
車の後部座席に座る蓮と、運転席との間は防護ガラスで仕切られている。
運転席の男は、先ほどから、蓮の方を振り向きもしない。
蓮を、まるで「触ると一瞬の内に毒針を突き刺してくる毒虫」の様に思っているようだ。
逆に蓮は、自分が初めて見る外界への感想を誰かにぶちまけたいという衝動に逆らえず、しきりに運転手に話しかけていた。
初めて見るこの世界は、蓮の住んでいたあの街とは何もかもが異なっていた。
この世界の構成物の多くは、蓮達、フォージャリーが、あの街で血と汗と涙を流し製産し続けた製品で満ち溢れているというのにだ。
この世界の名前は"イーヅル"、いやマスターヒューマン達はフォージャリーを員数には元から考えていないので"ユミル"と自称している。
ユミルには煤煙にくすんでいない青空があった。
汚物がまき散らされていないクリーンな道路があった。
人と人が肩をぶつけないですむ広さがあった。
何よりも、蓮のいた世界では、眠っている間以外には、4時間以上の自由時間がなかったのに、街を行き交う人々の顔を見ると、ここには潤沢な自由がありそうだった。
蓮にとってちょっと意外だったのは、『人間世界では空の浄化も進んでおり、空電域を気にせず空には飛行艇が飛んでいる』という噂が嘘だったくらいだ。
この世界でも、蓮の世界と同様に、偽物の青空をあざ笑うかのように、遥か天空の彼方で強烈な稲妻が走るのが見えた。
しかしその事は、この世界の輝きを損なう為のたった1パーセントの要因にもならなかったのだ。
蓮は、長い間小さな箱に押し込められて痛んだ関節をさすりながら、車の後ろを振り返った。
『俺の住んでいた街は何処にあるのだろうか?』
もちろんその動作は、望郷の念でも、帰り道の確認の為でもない。
闇ファイトで得られた金は、彼の家族のものになり、家族は当面の危機を回避出来るだろう。
だがその平穏は何時まで続かない事も、又、たとえ蓮があの街に残っていたとしても事態が何も変わらない事は解っていた。
フォージャリー居留区で生きるとは、そういう事なのだ。
蓮は、自分があの街から、いかに遠ざかったかという確実な距離感が欲しかったから、そうしただけだ。
その距離は長ければ長いほうがよい。
蓮が気にしているのは、その距離が、実際には自分で思っている程遠くなかったらどうしょう、という事だけだった。
蓮の頭の中のイーズルはそれくらい巨大な国家だったのだ。
運搬車両の運転手が、何か外部からの指示を受けたようで、それに反応して運転席のコントロールパネルのスィッチを押した。
蓮の身体が一瞬硬直する。
車内のどこからか声が漏れだしていた。
権威という磁力を大量に帯びたその声は、少なくとも運転手のものではない事だけは判った。
「おめでとう、チャイナレディ。今日から君は晴れて我々の社会の仲間入りだ。もっとも大手を振ってと言う訳にはいかないがね。それに、君には私と会う前に、やって貰わねばならない処置がある。君達は我々人間とそっくりの姿形をしている。そのために、君達は我々人間と見分けが付くように、ある制限を体内に組み込まれているんだ。制限にはいろいろな要素があるが、代表的なものは、君達の発声器官に加えられたものだ。今のままでは、君は我々の声を聞き取る事は出来るが、我々の言葉はまともには話せない。まずは、我々の言葉を話せるようになって貰いたい。言い遅れた。私の名はトレバー・リンカーン。君の新しいマスターの父親だ。そうだね…マスターと言う言葉の意味をしっかりと学ぶ事だ。それがこの世界で君の生き延びる道だと思ってね。」
一方的な音声が終わった。
蓮は自分の名が、この世界ではチャイナレディである事、蓮がいた世界では噂話でしかなかったフォージャリーと殆ど変わらないと云うマスター達の存在が真実であることを知った。
蓮は、運転席の男に喋りかけようとしたが、声が言った内容を思い出して止めた。
蓮が喋りかけた声をたとえ運転手が聞いていたとしても、その声は人語として相手には理解されていないのだろう。
蓮は、故郷の街の底に住んでいるモスラム虫の事を一瞬思い浮かべた。
『この運転手には、俺の事が、あの化け物モスラム虫の様に映っているのかも知れない。』
それは蓮にとってかなり痛みを伴う自己認識だった。
蓮の不機嫌な沈黙を乗せて、運搬車はリンカーンという巨大なロゴのネオンサインが掛かった建物の一階にある荷物搬入ゲートに滑り込んでいった。
・・・・・・・・・
「どうかね?」
蓮は嗄れた声を聞いて目を覚ました。
彼はベッドの上に寝かされていた。
つい先程、打ち放しのコンクリートの壁の部屋に押し込められ、何かガスのようなものが部屋中に充満し、そこで気を失った、そこまでは憶えていた。
今、蓮の頭上に白い顎髭を生やした痩せこけた老人の顔がある。
糊の効いた白衣を着ている。
嗄れた声はその老人が発したようだ。
「君の名は何と言う?君はもう我々の言葉が話せる筈だよ。」
老人はベッドに屈み込む姿勢から、先ほどまで自分の座っていた椅子に腰を戻しながらそう言った。
蓮はためらった。
ちゃんと話せるかより、チャイナレディと自分を名乗っていいのか、蓮と名乗っていいのかを迷ったのだ。
更に、この初めての言葉が、この世界での自分の生きる姿勢を決定するような気がしたからだ。
「チャイナレディと、貴方方はよんでいるようです。」
思ったよりも簡単に言葉が出たと、蓮は思った。
しかし老人はその蓮の答えに少しがっかりしたようだ。
一瞬、蓮は、老人の落胆が、トレバーの言う発声器官の処置に彼が失敗したのか、あるいは自分の思った程の結果が出ていない事にあるのかも知れないと思った。
が暫くして、老人の表情が哀しみである事に気がついて、蓮は顔から火が吹く程の恥ずかしさにかられた。
老人が蓮の回答に期待したのは、もっと人間の尊厳に関わるもののようだった。
「儂が処置した者達は、最初に全て、自分のスレイブネームを名乗ってきた。自分の名があるのにね。人間の世界にとけ込んだ後でも、昔の名を明かす者はほとんどいない。だが今回はリンカーン会長から、君は特別かもしれんと聞いていた。だから儂は、もしかして君からは本当の名が聞けると期待したのだが。、、生まれついての名を名乗るどうか。それは君にとって、この世界でどう生きるのかの試金石のようなものだった筈だからね…。」
「すみません。俺、蓮です。航宇 蓮(こうう れん)。」
驚くほど素直な声が蓮の口から流れ出た。
「こうう れん レン?東洋系か、それにしても面白い名前だね。何か特別な意味でもあるのかな?」
「いえ、俺が航宇の家の子になった時、家の者はその頃、特需で沸いていた植物プラント工場で毎日毎日いやという程、色々な種類の作物を育てていて、そんな中、ある時非常に珍しい植物を作らさらた事があったそうです。それが蓮(はす)だったそうで。それだけです。それに俺達の世界では名前に大した価値はありません。…いくら親がその名に期待を込めてもそれが叶う事はないからです。」
「…なるほどな。」
老人は優しげに微笑んだ。
「儂は…航宇には意味があると思うが、まぁそれはいい。さっき言ったとおり、君の事は会長から直々に聞き及んでいる。この世界にやって来たフォージャリーの処置は儂が中心になって行っているからね。じゃが、こうやって手術後の直々の面談は普通、儂は行わない。今、君の目の前に儂がいるのは、君がやはり特別な存在だからだ。儂も処置を行ってみてその事がよく判った。」
「僕がどう特別なのです?」
「やはり自覚がないのだな。、、、君達は自分達の存在をどう規定している?」
蓮は老人を信用してみる気になった。
フォージャリーは生き残るために、人を見抜く為の直感力に長けている。
蓮は自分もそうだと思っていた。
「俺は『祖父』に育てられました。『祖父』から、我々は人間達の棄民だと教えられました。捨てられるのにはそれなりの理由があると、それでも、こうやって生きる場所を与えられているのは人間のおかげだから、人間には奉仕せよと。」
蓮は教えられて来た言葉通りの事を老人に伝えた。
ただし、その裏に込められた恨みの真意については黙っていた。
「君のお爺さんは古風な人のようだ。普通のフォージャリーの親は単に、人間に『仕える者』とだけ教えるようだがね。」
蓮はそれは違うと思っていた。
蓮の街では自分達の事を『息子』に、『仕える者』と教える『父』も『母』も絶対にいない。
この老人が言った知識、あるいは思いこみはあくまで、フォージャリーならこう考えているという人間界側のものだ。
本当は「もしマスター世界の人間に出会うような事があれば、『仕える者』と言え。」と教えられているだけだ。
ここの処置を受けて来たフォージャリー達は、その教えを守ってきただけの事なのだろう。
「実はな、儂は君達の事を『仕える者』ではなく『協力者』と内心呼んでいる。フォージャリーは自分に与えられた長命を、記憶消去を繰り返す事と斬新な家族制によって、人間のそれと同調させている。それも人間の『協力者』だからだ。最初からそういう社会設計になっている。それがなければ、とうの昔に人間とフォージャリーはその優劣を決める為に殺し合いをやっておる。まあ尤もこの考えさえ、ユミルでは相当危険な概念だがね。、、、君はその『協力者』の中でも、最も優秀な存在のようだ。君はその意味を既に自覚していてもおかしくない筈じゃったんだが、、。」
結局、蓮はこの老人から自分の何が特別なのか、具体的な事は教えて貰えないでいた。
どうやら、その事を自覚していない相手に、詳しいことは教えるつもりはないという事なのだろう。
「よく理解できませんが、貴方が私を信頼して下さる事だけは判ります。」
蓮は、老人の話をそれ以上聞くことが、自分を厄介な情況へ追い込むと直感した。
老人は初対面の自分に、かなりきわどい事を話しているようだった。
ユミルとやらではフォージャリーを「人間の協力者」と呼ぶのは、そうとう危険な考え方のようだ。
暗黙裏に、この老人は蓮に共犯者の立場にたたせようとしているのだ。
これ以上、老人の話を聞く事は避けたかった。
このような、フォージャリーの存在理由に関わる会話への敏感さは蓮の同胞に共通するものだった。
老人もそんな蓮の顔色を見て、今はこの語りかけの潮時と見切ったらしい。
老人には蓮に関わる時間が、今後も充分にあるということらしい。
「君も、暫くすれば、この世界・ユミルに慣れる事だろう。困った事があれば儂に連絡をくれたまえ。今日の所は、儂が君達の理解者である事を判ってくれればいい。儂はヨーゼフ・ヴィルツだ。それと今日の話は、、。」
老人が椅子から腰を上げた。
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「やはり利口だな。」
老人は満足そうに頷いて蓮のいる部屋を出ていった。
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