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第3章

第09話 記憶の改竄と卒業検定

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    ジンジャーエールの入ったグラスの底に貯まった氷のブロックが、カタンと音を立てて崩れた時、その男、フーディーニがやって来た。

 洒落者なのか、淡いブルーの薄手マフラーをスーツ姿の首にかけている。
 フーディーニは、自分は少し変装をしているからと、「目印は黒のボルサリーノ」の打ち合わせ通りにボルサリーノを斜めに被っていた。
 それに全身はギャングスター・スタイルのスーツ。
 顔は町工場の社長です、と言った感じの野暮ったい髭を蓄えているが、どうせ付け髭だろう。

「いやぁ待たせたかな。ちょっと買い物に手間取ってしまったね。」
 フーディーニはそう言うなり、脇に抱え込んだ平たい紙袋をテーブルの上に置くと、白いロココ調の椅子に大柄な痩身を軽やかにおいた。

「いきなりね。その前に現状報告とかしなくていいの?今回の作戦展開は、あまり上手く行ってないと聞いてるけど?」
 二人の関係は対等だ。
    アンティゴネが現状の状況を聞きたかったのは、あくまで同志意識から来るものだった。

「心配ご無用、アンティゴネ。下ごしらえを念入りにしただけだ。小さい規模だが、今取り掛かっているのはクーデターみたいなものなんだよ。それなりに時間がかかる。そうあっさりとは行かないよ。でも、もうすぐEチームの訓練に戻る積りだよ。そっちの方が心配だ。」
 フーディーニの留守中のEチームへの訓練は、彼の腹心の部下が代行で行っているが、全体的な面倒についてはアンティゴネに任せてある。

「随分なもののいいようね…。」
    そうは言ってもアンティゴネが怒った訳では無い。
 それ程、心配というのなら少しの時間は自ら教場に戻ってこれそうなものだが、それすら出来ない状況なのだろう。
    そしてフーディーニは、自分が残して来たEチームに、今迄になかった愛着のようなものを覚えているのだろう。

「・・貴方は、自分の留守中を私に託した。それでも心配なの?私は記憶の弔い師アンティゴネよ。」
「いや、そうじゃないんだ。正直、チームの事だけじゃない。ユズキの事だ。ユズキはガルッカ戦でかなり痛い目にあったようだね。」

 フーディーニは笑ったのだが、目の色が厳しい。
 その視線から逃れるように、アンティゴネはカフェの軒先に並べられた他のテーブルを見る、A14ホールドセルの薄ら寒ささえ感じるこの気候だ、客はアンティゴネ達しかいない。

「・・そうね、ユズキはなかなか立ち上がれないでいた。あの子は本質的な屈辱の意味を知らなかったから。チュールみたいな子達とは違うわ。」
「今はダイジョブということなのか?。……君は記憶操作の達人だしな。」
「軍神フーディーニにすれば、随分遠回しな言い方をするのね。わざわざそれを私につたえる為にここに呼んだの?。」
 フーディーニは少し首をふる。

「いや、ここでの現状を君の口から他の同志に伝えて欲しくてな。みんなはまだ浮島上層部の動きを甘く見てるようだ。帰りがけにでもこのフロートをぶらついて見れば、君ならすぐわかる。それともう一つ、これはハッキリ云う。君がユズキに施した処置はルール違反だぞ。」
 フーディーニは無意識にテーブルの上に置いた平たい紙袋の角を指でなぞっている。
 中のものは正方形のように思えた。

「事の顛末については私も気になっていたから調べさせてもらった。ユズキが特にお気に入りって訳じゃない。だが彼はカオスから面倒を頼まれた人間なんだ。私の関わり方が不味かったから、彼の可能性を潰したと、カオスには云われたくない。確かにガルッカ戦でユズキは相当な心の痛手を負ったと聞いているが、私の調べによれば黄金髑髏も炎猿もユズキが壊れる程の酷い事はしていない筈だ。ましてやユズキはチュールと同じように君が鍛えたんだ。」
   フーディーニが紙袋の表面を人差し指の先でタップする。

「君が記憶を操作したんだろう?ユズキを崖っぷちまで追い込むくらいの偽の体験を追加して作り上げ、君がそれを本当だと信じ込ませた。いいかね、ユズキは敵じゃないんだ。なぜそんな事をする必要がある?」

「ユズキには、決定的に足りないものがある、それは泥沼に落ちても這い上がろうとするガッツだ。……と言ったのは、あなたでしょ?私も同感だわ。そう思って、やったのよ。結果オーライだと思ってるわ。ユズキには母親譲りの強い精神力がある。もし私に、落ち度があるとすれば、立ち直ったユズキが、何が何でも彼らに復讐しょうとする事ね。無理はないわね。通常の解放戦線活動でも、相手から恨まれる様な事を黄金髑髏と炎猿はやらかしてるし。でも私達にとって、本当に問題なのは彼らが"我々の側の人間"だということでしょう?」
 フーディーニは諦めたように苦笑いをする。
 整ったハンサムな顔だが、こうして相好を崩すと却って苦み走った魅力が出てくる。

「…君には参ったよ。だがその話だけで納得するつもりはない。君のやり方が良かったのかどうかは帰ってからユズキをみてからだ。それと黄金髑髏と炎猿の事だが、彼らは組織から追放するよ。前から色々とあった連中だ。つまりユズキが彼らに報復しても、なんら問題ない。特に炎猿は今、色々な厄介ごとを起こして我々組織の名誉を毀損している。処断すべき処まで来てるんだ。」

「そう分かったわ・・。で、さっきから気になっているんだけど、その袋の中身、レコードなの?」
 フーディーニの眉がすこし曇る。
 アンティゴネの個人的な会話につき合ったものかどうかを考えたのだろう。

「興味があるのかな?」
 フーディーニは指先で袋ごと、テーブルの中心にそれを押し出す。
 君がこの袋をつまみ上げてくれたなら、ユズキに関する相互理解が進む、そして私は次の段階に進む為の協力を惜しまないよといった感じだ。
 アンティゴネは、答えの代わりに、紙袋の端にある中古レコードショップ「カサブランカ」というロゴを愛おしそうになぞった。

      ………………………………………………………………………………


 フーディーニの金髪の先端が、力のある夕日のせいで陽炎のように揺らめいて見える。
 その襟元は黒いシャツで、さらにその上着は白いスーツだった。
 ただしそのスーツの袖口から出ている手は、金のチェーンで飾られているものの、食品のビニール袋が幾つもぶら下げているので少し間抜けな感じがする。
 それは、俺達の数日分の食料だ。
 いやもしかしたら俺達ではなく、俺一人だけに用意されたものかも知れないが、、。

 俺は、廃工場跡の敷地を両左右後方に別れて遅れてついて来る、いかにもチンピラ然とした二人の若者達に振り返り、愛想良く手を振ってみせる。
 若者たちには、フーディーニ程の箔こそなかったが、抜き身の刃のような凶暴さがある。
 それが俺の知っている街のちんぴら達とは、少し違っている部分だった。

 そして若者の一人は、ツバサにどことなく面差しが似ていた。
 ツバサと同じく女性と見紛う美少年と言って良かったが、それをわざとリーゼントの髪型や胸元の開いた派手な柄シャツで誤魔化そうとしているようだった。
 俺の仕草にどう反応していいのか判らず、二人の若者は視線を泳がせている。

 どうみても俺は彼らより年上だ。
 しかし彼らにとって俺は、その身辺警護を上から仰せつかった人物なのだ。
 そんな人間から、愛想をヘラヘラ振りまかれて困っただろう。

「悪いね、、俺なんかに人手を割いてもらって。」
 前に向き直って俺はフーディーニに言った。

「気にするな、君は私が受け持った中では最低ランクの劣等生なんだ。とても一人でやれるとは思えないからな。だが我々の訓練制度自体が君達の世代でおしまいなんだ。だから君を何としてでも卒業させなければ成らない。しっかり締めくくるんだ。物事を有耶無耶に終わらせるのは私の性に合わないんだよ。」 

 そうさ、俺はカオスお気に入りの劣等生。
 そういう男だから、冒険に目が眩んで乗せられ、この世界の変革者たるアウトサイダー達の塒を潰しちまったのさ。
 俺以外のEチームの仲間はもう立派に卒業して、それぞれの任務に就いている。

 俺達の行く道筋に見えるのは、コンクリート壁、味気のない金網フェンスの連続であって、時々は巨大なコンテナが幾つも積み上げてあり、此所が人の住む場所でない事を決定的に教えてくれる。
 そして人工夕焼けの空に、巨大な換気口が浮かんているのが見えるが、もう慣れっこになっていて気にもならない。

 俺達が乗ってきた車は、5分ほど前にこの広大な敷地に設置されたゲートの前に置いて来た。
 此処に入り込む為に、超えなければならないゲートは、車でも強行突破しようと思えば乗り入れられるような簡単ものだったが、俺達は律儀にもそこで降りて、ここまで歩きで移動してきたのだ。
 おそらくこの広大な工場廃墟は組織の所有地なのだろう。ココを銃撃や破壊活動で壊す気はサラサラないと云う事だ。
 そのうち何かの作戦遂行の為の拠点に使うのだろう。

「これからお世話になるんだ、後ろの彼らとも仲良くしようと思ってね。それに一人は俺の知り合いによく似てる。可愛い方だ。」
「アンティゴネに仕込まれたホモっ気が抜けないのか?・・それにしても、まったく邪魔くさい話だ。この歳になって人を守ってやる側にまた回るとはね。」
「へえフーディーニさんは、攻撃専門でしたかね。」
「攻撃専門か、、ゲームみたいな言いぐさだな」
 フーディーニ相手に、だらだらと軽口を叩いている俺だが、正直、胸ん中は穏やかではなかった。

 炎猿の襲撃がどのような形で始まるのか予想もつかなかったからだ。
 しかし今の心の状態のままだと訓練所をでたとしても、インポの俺はなんの役にもたたない、とにかく自分の心を"あの件"から完全に立て直す必要がある。

    だが、これは個人的な復讐という側面が大きい。周囲の人間を無闇矢鱈に巻き添えにする訳にはいかないのだ。


 組織は俺の為に、フーディーニ自らが指揮する用心棒付きの隠れ家を用意してくれた。
   組織が助っ人まで投入するのは、それだけ炎猿を確実に潰したいと云う事だろう。

    元組織員の炎猿の傍若無人ぶりは、解放者としての組織の名誉を著しく毀損し続けていた。
 『炎猿を嵌める段取りは組織が付けてやるから。お前はその時まで暫く我慢しろと。』まで言ってくれた。
 常に戦闘下にあり忙しい組織にしては施し的な対応だった。
 おそらく俺は、組織の邪魔者となった炎猿を処断、或いは見せしめを執行させる為に使われるのだろうが、それでもこのバックアップは、今の俺には有り難い話だった。

 フーディーニは、他と比べると、やや小規模の周囲の建物から独立した倉庫の前で立ち止まり、ポケットから鍵を取り出した。
 その倉庫は、ほかの倉庫と違って機密性が高そうだった。
 本来は薬品や可燃物の類を保管する目的のものだったかもしれない。
 ほとんど窓がない。
 一つの壁面に小さいものが一つ、申し訳程度の窓があったが、その位置は高く格子がはめ込まれているようだった。
 アクセサリー程度の明かり取りなのだろう。
 倉庫の中にはフーディーニと俺だけが入り、二人の組織員たちは外に残った。

「ここにはバスユニットもあるし、簡単な調理器具もある。冷蔵庫もテレビも、、、組織が用意したものだ。外には私たちがいる。鍵は君に渡す。これからは内側からしか開け閉めができない。食事は私たちが調達する、その他、、、ケンタを抱きたいってのは無理だが、大概の用事なら私たちが済ませてやろう。人を入れる時は、必ずビデオ付きのインターホンで確認しろ。」

 フーディーニの部下の内、可愛い顔をした方を、彼らはケンタと呼んでいるのだろう。
 その口調からフーディーニの部下に対する暖かさが感じられた。

 フーディーニは振り向きもせず、自分の背後にあるドアの方向を親指で指して言う。
 フーディーニの肩越しにインターホンの受信部が壁に取り付けてあるのが見えた。
 入る時には気づかなかったが、玄関にはレンズ付きのインターホンがあったのだろう。
 
 それにしても随分なれた指示の仕方だった。
 この倉庫にかくまわれた人間が、過去に何人もいたのだろう。
 確かに、このブロックなら昼間から銃撃戦が行われても、警察に通報がいくのには、数時間、いや数週間後になるような気がした。
 主要セルから2時間以上離れているという距離の問題以上に、生活上の消費生産のルートそのものから見放されたような場所だった。

 続いて、フーディーニは倉庫の中央におかれたスチール製のテーブルの上に買い込んだ食料の詰まったビニール袋を置くと、さらにその横に、自分の白いスーツから取り出した拳銃をごとりと添えた。

「これは君のだ。使い方は十分教えて来ただろう。予備の弾はいるか?不安なら私の分を回してやる。同じのを使っているからな。」
「いや結構です。チームがいてくれるんだ。これはお守りとしては十分すぎる。」
「・・なら、いいがな。ここにつれて来られる時点で、君の状況は相当厳しいんだぞ。」
「いくら拳銃があっても、チームが突破されるくらいなら、俺にそれを防ぎようはない。」
「………。まあ、そういうことかな。しかしこれはそう長くはかからないだろう。この件ではアンティゴネも動いていてるんだ。・・そうそう、後はこれだ。ホットラインって奴だな。隠れている間、このスマホ以外の情報は信用するな。」
 フーディーニは思いだしたように自分のポケットから真新しいスマホを引き抜くと俺にそれを差し出した。

「君は自分のスマホ持ってるんだろ。これはアンティゴネと私だけに使うんだ。私たちの分の登録は済ませてあるから誰からの着信なのかは目で見てわかる。できれば自分のスマホも使わない方がいいとは、思うがな。人間、喋れば喋るほど自分では気づかないうちに、いろんな情報をまき散らすことになる。君の居場所は、今のところ誰にも知られていない。その事を大切にしろ。」
 居場所を知られていない、、あんたち組織員以外はな、、という言葉を俺は飲み込んだ。
   いくら疑心暗鬼の状況下にいようが、俺が頼れるのはこの組織しかないのだ。

 一日目は、何事もなく過ぎた。
 一度、フーディーニから例のホットラインを使って「何か用事はないか?」と連絡があった。
 ホットラインのテストも兼ねていたのだろう。
 その時、「あなたは何故、この倉庫の中に入ってこないんだ?」と訪ねたら、監視の死角を作りたくないからだという答えが返ってきた。
  そしてフーディーニはこの卒業検定の"判定者"でもある。

 俺は、倉庫の高い天井につけてある明かり取り用の小さな天窓を見て、その言葉を納得した。
 出入り口はドアしかなく、数少ない窓も人の頭がかろうじて潜り抜けられるかどうかの大きさしかない。
 そして壁はきわめて頑丈で、防火・耐震にも優れているようだった。
 つまりこの倉庫は、要塞のようなもので、その中に人がいるなら、守る側の人間はその出入り口だけを監視していればいいのだ。

 俺の日課は、一日中、この要塞における唯一の外部との接点であるテレビを見ることだった。
 勿論、情報収集の意味が大きい。
 ここから一つ上のセルにあるショッピングゾーンが、なんの前触れもなく閉鎖されたと言うニュースが流れたのは、俺が此処に来てから三日後だった。

 肝心の居住区域が、どうなったのか知りたくて仕方がなかったが、そちらの方のニュースは流れていなかった。
 平常時でさえ、アンタッチャブルな居住区域だったが、炎猿の異常な行動が、それを引き起こしているなら、もうそろそろ異変が現れてもいい頃だった。




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