ビザランティア彷徨妖星の弁才天(菊之助外伝)

二市アキラ(フタツシ アキラ)

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5: 三幅一対の掛軸「細川の血だるま」

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   細川の血達磨 転生の一

 細川忠興の時代(江戸時代前期)、ある牢人の兄弟が仕官を求めてきた。
「われら、事に及んで他人の出来ない事をして、お役に立って見せましょう。」そう、きっぱりと答える二人を頼もしく思い、忠興はそれぞれを召抱えた。

 ある時、江戸に大火事があり、細川屋敷まで延焼した。
   幸い、屋敷にあった大事な道具類は皆、避難させたが、どうした失態か、細川家に秘蔵された「達磨の掛け軸」が、屋敷の中に置き忘れられていた。

 忠興はこれを大変惜しんでいたが、ここでかの兄弟が、「御殿はまだ焼けておりませぬ。この間に我らが取ってまいりましょう。」と言った。

 忠興は喜んだが、しかし彼らを心配もし、「まだ火が回っていなければ達磨の掛け軸を取って来い。もし、もう火が回っていれば、かまわないから早々に戻って来い。」と言って送り出した。

 兄弟が御殿に駆けつけると、まさに今、火が燃え移らんとしていたところだったが、「今ならまだ間に合う」と、彼らはもうもうたる煙の中を入っていった。はたして達磨の掛け軸は、無事に床の間にかかっていた。
 急いで外し羽織に包み、それを持って脱出しようとした、が、一足遅く火が回り、兄弟はもはやなすすべなく、焼け死んだと見えた。

 火が静まる。
 焼け跡から、彼ら兄弟の死骸が見つかった。それは、驚くべき物だった。
     兄弟は、先ず、兄が弟に手をかけて首を討ち、喉を切り開いて内臓を引き出し、その体の中に羽織でよく包んだ掛け軸を押し込んだようだ。
 さらに兄は自分の腹を十文字にかっ斬り、弟の遺骸を自分の腹の中に押し込み、抱きかかえるようにして死んでいた。

 掛け軸を取り出してみると、よく羽織に包んであったため、絵には血糊の一滴もついてはいなかったが、上下左右の隅が、少しずつ血に染まっていた。

 忠興はこれに深く感銘を受け、血のしみた掛け軸をわざと修復せず、兄弟それぞれが裃をつけこの掛け軸を守るさまを新たに描かせ、あわせて三幅一対の掛け軸とした。
 この絵はいつともなく「細川の血達磨」と呼ばれるようになり、今も大切に秘蔵されていると言う。


細川の血達磨 転生の二

 さて、細川家が幽斎公の時代、ある浪人の兄弟が仕官を求めてきた。
 ともに器量すぐれた者と見受けられたので、御前に呼び出し、「なんじら二人、武芸はどのようなことができるか」と尋ねると、「何であれ、事に臨んで他人ができないことをして、御用に立ってみせましょう」

 幽斎は、きっぱりと応える二人の風貌の力強さを見て頼もしく思い、兄を四百石、弟は三百石で召し抱えた。

 その後、江戸に大火事があって、細川の上屋敷にも火の手が及んだ。かの『むさしあぶみ』に描かれているように大風激しく、猛火は煙を巻いて、とても防ぎ止められない。

 大切な諸道具はことごとく持ち出したはずが、どうした失態か、ことのほか秘蔵されている達磨の絵の掛軸を、御殿の床に掛かったまま取り忘れた。

 幽斎はたいそう惜しんで、機嫌が悪いことこの上ない。近習の面々は気が気でなく、「まだ御殿は焼けていないはず。かねてより『人のできない御用をし遂げます』と申しておった新参者二人に命じて、一刻も早く取りに遣られてはいかがかと存じます」などと申し上げた。
 幽斎は確かにそうだと思って、かの兄弟を呼んだ。

「もう一度屋敷へ戻り、もしまだ火が回っていなかったら、達磨の掛軸を取ってまいれ。御殿が燃えているようなら、無理せず早々に戻ってこい」
 命を受けた二人が息を切らして駆けつけると、火は今まさに御殿に燃え移らんとするところ。

 後ろの門を乗り越えて、炎と煙の中をくぐり、ようやく御殿へ入ってみると、屋根は一面猛火に包まれながらも、いまだ下には火の手がない。
    達磨の絵は無事に床に掛かっている。
 だが、それを急いで外してくるくると巻き、羽織に包んで出ようとしたときはもう遅かった。
   十方を炎に塞がれて逃れるすべなく、ついに二人は焼け死んだ。

 火が鎮まって後、灰を取り除けて見つけた兄弟の死骸は、驚くべきものだった。
 兄が弟を手にかけて首を討ち、咽喉を切り開けて内臓を引き出してから、羽織に包んだ掛軸を体内に押し込んでいた。
    さらに兄は、自分の腹を十文字に切って開き、弟の死骸をわが腹に押し込んで、抱きかかえるようにして死んでいた。

 掛軸を引き出してみると、よくよく羽織に包んでいたので、絵には血糊の一滴もなかったが、左右上下の縁が少しずつ血に染まっていた。

『まことに二人の潔いはたらきは、武士の鑑(かがみ)となるべきものだ』。
 幽斎はことのほか感銘し、兄弟の死を絵よりも深く惜しんで、血の染みた掛軸をわざと修復せず、兄弟それぞれが裃を着てこの絵を守護するさまを新たに描かせて、合わせて三幅一対の掛軸とした。

 これは「細川の血だるま」として御家の宝物となり、今なお秘蔵されているとのことだ。


【補注と追記 】
    中世ヨーロッパ社会で、人々はキリスト教の強い支配と、封建的な身分関係の中にいて、社会や神から自由で独立した「わたし」を考えるなんて思いもよらない事だったらしいです。
   それがようやく近代に入って、自我というものがクローズアップされて来たんですね。
 近代社会を構成するのは、一人一人の市民である。
   そしてその市民は「自我」を有している。
    これがヨーロッパの近代を支える思想で、ヨーロッパの近代文明を裏打ちしているのはその思想自体であり、それに対し日本流の"自我"などはそれよりもっと遅れて、しかも「近代的自我」を移植する形で、現代に至っているというわけです。

    日本の時代劇を見てて、一番不思議だったのは「切腹」でした。
    現代の自殺の方法なんかをみてると共通してるのは「死への肉体的な恐怖」をいかに緩和するかを工夫してるって事ですよね。
    極端な例になると、死が与えるであろう肉体的な苦痛を受け入れることが出来なくて、他人に「自分を殺して欲しい」などと依頼したりするぐらいだから。

 ところが「切腹」はこれと真逆の事をやる。
    まあ瞬時に死を与えてくれる介錯人という存在があった場合もあるだろうけど、それにしても自分の意志で自分の肉体を刃を使って死に至らせるというのは相当な精神力、あるいはそれをならしめる程の"外にあって己の価値観を支配するもの"が必要なはず。

 「切腹」、、これは近代においては生半可な近代的自我の持ち主では無理な所行なんかじゃないかと思います。
(そういう意味では三島由紀夫って色々な意味で凄い人ですね)
 まあこの「切腹」も現代では、その精神性と様式美、グロテスク美が奇妙に変形して「切腹フェチ」などという分野を生み出していますが。
 

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