氷の令嬢は、婚約破棄の先で微笑う

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玄関ホールに入ると、そこにはレオナード殿下が立っていた。金髪をさらりと流し、貴族然とした立ち姿は変わらないが、どこか落ち着かない様子が見て取れる。

「セレナ……様。お久しぶりです」

「殿下、わざわざお越しいただくなんて光栄です。――婚約破棄のあとに、私に何かご用でしょうか？」

敬意を示すために一礼しつつも、私は淡々とした声を崩さない。エリスが後ろで息をのむのを感じる。レオナード殿下は少し苦い表情を浮かべ、言葉を続けた。

「急に訪れてすまない。だが、どうしても確かめたいことがあるんだ」

「確かめたいこと、とは？」

殿下は周囲に人目があることを気にしてか、声を潜めて私の耳元にささやく。

「……場所を変えて話したい。誰にも聞かれないところで」

「それでしたら、客間を用意しましょう。どうぞこちらへ」

私は案内するように先に歩き出す。後ろから続く殿下の足音が、どこか重く感じられた。

客間に落ち着くと、扉を閉めるようエリスに合図し、サイラスには遠巻きに警護を頼む。レオナード殿下は少しだけ安堵したように息をついた。

「ふう……正直、私もこうして公爵邸に足を運ぶのは気が引けたが、ソフィアとのこともあり……」

「ソフィア様、ですか？」

その名を聞いた途端、私の中で小さく警戒心が芽生える。婚約破棄の裏で何かあったとすれば、やはりソフィア・エバンズの存在は大きいのだろう。

「そなたには関係ないかもしれないが……ソフィアが、セレナが自分をいじめていたと周囲に言い広めているらしい」

「ええ。存じておりますが？」

「セレナ、本当にあれは事実なのか？　ソフィアは、何度問いただしても『セレナ様が私を排除しようとした』と言って聞かない。……もし誤解があるなら、この際、はっきりさせてほしい」

殿下はまるで追い詰められた獣のような目をしていた。彼がこんな表情をするなど想像もしていなかったが、私はあえて平静を装う。

「……誤解も何も、事実ではないことを“いいえ”と答えるだけです。私はソフィア様に手を出したことなどありません」

「だが、ソフィアは泣きながら証言している。もし本当に嘘なら……なぜ彼女がそんなことを？」

「わかりません。たとえ私が理由を知っていても、それを殿下に伝える義務はないでしょう。私はもう、あなたの婚約者ではありませんから」

私の言葉に、殿下は強く息を呑んだようだった。私の冷たい態度に戸惑うのはわかっているが、これが私の本来の姿なのだ。

「……セレナ、そなたは本当に氷のように冷たい。もしかすると、私が一方的に振り回されているだけかもしれないな」

苦笑する殿下の声に、少しだけ胸が痛む。だが、ここで情に流されるわけにはいかない。私がすがるような言葉を求めているわけではないのだから。

「お話はそれだけですか？　それでしたら、お引き取りを。私にも、やることがありますので」

「……わかった。すまなかった」

そう呟いて殿下は椅子から立ち上がった。最後に振り返った瞳には、何とも言えない迷いが浮かんでいたけれど、私はあえて何も言わないまま見送る。扉が閉まり、ひとりきりになった客間で、私はそっと拳を握りしめた。

「本当に……何が起きているの？」

大きく息を吐きながら、私の心の中でわずかに不安が広がっていくのを感じずにはいられなかった。